今朝四時に目が覚めた。この病院での最後の目覚めになる。有難う・感謝している。此が言えるのも、色んな事を若いときから見て経験・関係し続けたことが、この思いに繋がる。もし嫌いで見たくないという方向から逃げ続けて居たら、今は、感謝など出来なく、不満等々を並べていると思う。「若いときは苦労は買ってでもせよと」言われた年代に育てられた。だから、楽を求めない、苦を楽しむ精神が育ったと思う。前にも書いているが、生きるという事は死闘だと考えている。楽には生きられない事が現実だし、其れを求めても、空しさだけが残ると思っている。要は一生、空しく生きるのか、生き生きに生きるのかの違いになると思っている。考えれば私の人生全てが、苦から始まっている。苦を背負う・・・・この経験が有るから、耐えていると思うし、感謝の念が出ると思っている。此も書きたくなかったが、死にたい・死ぬと決め実行出来るだけ、私の目から見れば五体優秀だと思う、私は死にたいと思っても死ねない、周りの人達の手助けで生かされていると言う状態、昨晩、嫁が今日の段取りに来た。今日は朝九時に来る言っている。彼女にも多くの迷惑を掛けたし、力ない私と結婚したために苦労も尋常を害するほど受けている。此を自覚しているので、少しでも力を付けたいと頑張った、しかし、結果は、今の闘病になる。お金も無く、地位名誉もなく。この状態で結婚し、子育て開始、私の両親、嫁里の両親、近所の人の手助けでどうにか、五人の息子を社会に輩出している。四人は妻子を設け・・・子育てに頑張っている。あと一人、五男が独身である。彼は現代っ子、利を求め、己本位主義が強いし、利己チュの申し子みたいな子である。その分、己の身に成るものを貪欲に求め身に付ける。しかし、全てが己の為・・・世間ではこの様なタイプを一流・優秀と思うのだが、私は子育てに、この様なタイプでなく、一人前の人間を育てる。此を願い、祈り、育てていた。一人前とは、人を背負える度量になる。力が無くても背負おうと思い続ければ、背負えるようになる。逆に、逃げようと思うと、力自体がなくなっていく、スポーツも同じ、無い力を悔やむより、挑戦し続けて、力を付ける事に成る。
本当に有難うございました。病院生活も、良い経験が出来たと考えているし、この病院を去った後は健康を取り戻してくださいと願い、祈っている。勿論、価値観が一番影響する。不幸と思うのか???幸せと思うのか???