2018年1月25日木曜日

今年初めての・・・警察署・・・

夕方・・・嫁が、役場で手続きを進めている、第三者の行為による傷病届の為に、事故証明が要る・・・

この事が有るので、警察に電話・・・・調書はまだ済んでいないでの、今日でも私を連れてくると・・・連絡・・・・
警察側は、調書は次回と言う事だが・・・・役場の手続きを進める為に、特別に事故証明を取れる様に、処理すると言う事で・・・警察に向った。

嫁の話では、去年までは、嫌な人が来たという雰囲気だったが・・・今回は丁重な振舞いだったとの事・・・・又、最初に提示した診断書と内容が変ったので・・・新たな診断書として、警察は要らないと言っていたが、無理やり渡してきたとの事・・・

その際、怪我の内容を見て、又態度が変ったとの事・・・・・

警察官も人で有る・・・・・機械的に平等に処理する、之を求めるのが当然と思うが・・・しかし、人としての部分が有るので、怪我の内容等でも、態度が変る事も仕方が無いと私は思うが、嫁は、それが納得出来ないようだ・・・・


この様な感覚なら、何事も告訴と言う手段を取る事に成る・・・・人としてな~~な~~部分も有る程度必要だと私は考えている。


同じ、怪我でも、人で変わる・・・・世帯主か、子供かでも変ると思う・・・・

之を全て平等という、観念で判断すれば、事が複雑に成りすぎる。

人で、感じ方が変るという事・・・之を認めきれるかが問題・・・・出きれば、不や損に対しての免疫を強く持っている方が・・・・世渡りが上手な筈だが・・・・

現代は、被害者ビジネスと言われる様に、被害者を装って生きた方が、楽な時代に成っていると私は考えている。

レベルが低い私の場合、許容範囲が狭いので、直ぐに得する・楽する方向に勝手に体が向う・・・その部分を理性で押さえる戦いを、常時続ける事に成る。

理性が負けそうに成る事も多々有る。駄目な人間だと思う瞬間に成る。

嫁も会社を辞め、私も仕事を思う様に出来ない・・・収入は一気に減ったが、治療費等で出費は続く・・・この流れを、当然と思えるかが問題・・・・自業自得と思えば当然と言う事・・・
思えないから、被害者意識で、人のせいにする心が出て来る。
浅ましい、我欲で生きる、鬼に近い、命だと何時も反省している。


結局は、人に成れないレベルと言う事になる。



マタマタ・動画を発見・・・

又発見、アクセル操作量をグラフ表示しているのでよく解る。

指導する人の凄さも有るし・・・的確な指示・・・・トラクションをどの程度維持し走るか等々の勉強に成る・・・二速程のギアを選んでいるので、最大の回転は、80キロ程だと思う・・・

RCでは8キロ相当になる・・・

色々、学べるし・・・・・私の三年前の走りが、バタバタした大袈裟な操作と、解る筈・・・之が恥かしさに私は繋がっているし、練習の大事さに繋がっている。

実車感・・・

RCドリフト界では実車感・・・之もよく言われるポイント・・・

何を指しているかが、私は解らないが・・・・操作感等々を意味していると考えている。

勿論、各自で、この単語での感じ方も違うし・・・イメージする部分も変わると思う・・・・

私の場合は、操作感と考えて、事を進めて来た。

又、実車と言うイメージも各自違う・・・・私は市販車クラスに成る・・・・

このクラスしか経験が無いので・・・経験が有る部分から取る組む事として頑張っている。

書いている様に、その単語・用語が何を意味しているか???・・・・之も無知の為に知らないので、自分なりに、模索して決めている。

他人の振舞いを真似をすれば良い時は良いが・・・結果違っていれば、真似した人を怨んだり攻めたりする心が出るために、私は自分で模索し、決める事にしている。

この部分は、有るコースで若い人が、凄い高い車とメカを搭載、走られていたが・・・何を怒られたか、信用できないと、車をコースに投げて、怒って帰られた人を見たから・・・

何かを求め、その為にはとの思いで・・・お金も多々使われたが、結果を認めきれない為に出た感情だと思う・・・・

何事も石の上にも三年等々言われる・・・・直ぐにエキスパートには成れないと私は考えている。

RC暦は数十年だし、RCドリフト暦は十年を越えるが、未だにエントリークラスだと自分は思っている。

下手だから、失敗も多いし、人と争うレベルでも無いし、若し争えば、負けて当然と思っているから・・・・怒る事も無いし・・・又色々なご指摘、批判も・・・無知だから仕方が無い部分、勉強させて頂いた位で考えている。

即席でエキスパート等に成れるジャンルが、奥の深いジャンルとは言われないと私は考えている。

勿論、RCドリフトの世界が薄ペラな、巾の無い世界なら、即席でも可能かも知れないが、逆に直ぐに飽きると私は考えている。

人夫々と思うが、私は簡単な事を模索したり努力したりしない・・・この状態を楽しいとは思わないし、若し之で楽しいとと思えば相手を探す・・・勿論負ける相手を探す、之を求めると思う・・・
レベルが低い人間が、それ以下を求め創る事に成る。
私は、自分自身にこの汚い心を自覚しているので・・・・先ずは、一人でも楽しめる、方向性を探している・・・・その答えが、自分に取って難攻不落のシャーシが良いと言うことが解った。

勿論、私の場合に成る・・・各自、違うし、奇麗な心の持ち主が多いと思うし、男気の世界と言われる、雄弁実行が本来だと思うが・・・・之が出来ない、心が私には有るので、車で其れを規制している。

勿論、この様な車を操作していて、他の車の操作が出来なければ、本末転倒に成る・・・この部分は注意して続けている。

癖が強ければ操作の癖を創る為に・・・他の個性の操作が出来なくなる・・・・・之も操作部分を考えれば、大事なポイントに成ると私は考えている。






動画を発見・・・・

下手で、無知な私の場合・・・・教えてくれる人も居ないし・・・・結果的に、自分の模索し続けている・・・・

今日、ドリフトの練習に良い、動画と思える物を発見・・・

掲載します。実車に成るので・・・フロントブレーキ等々の違いが有るし、一速の守備範囲の回転等々・・・べた踏みと言っても、RCとは大きく回転が違うので、自分の車の一速のアクセルポイント上限・二速のアクセルポイントの上限が解ると思う・・・・

しかし、ドリフトは、何時も思うのだが、加重移動を利用した走りだと、ツクヅク思う、ラリーの操作に近い・・・一般的レースはこの挙動を押さえる方向の車が良いと言われるが・・・

積極的に利用する之がよく解る・・・・・

以前、実車の人から、何故RCドリフトはパワードリフトと言っているが・・・その人の目からだと慣性ドリフトに見えると言われていた。その事もよく解る動画だと思う・・・・

勿論、基本部分なので、私の様に無知で、下手と自覚が有る人ならよい勉強に成ると思う・・・

ハンドル操作も解るし、市販車は一回転ハンドルを回すと舵角表現は約24度位と考えて、自分のRCカーのこの角度の表現にプロポのステア操作の幅も解ると思う・・・

体調が・・・・・

今日は、朝から、体調が悪い・・・・

事務所に篭っている状態だ・・・・

右腕が思う様に成らない・・・之が之ほど苦痛かとは思わなかった・・・

医師からは、車の運転を止められているが・・・嫁を乗せて、少しずつリハビリも開始している。

田舎で、車の運転が出来なければ、仕事に大きく影響する。

力は無いが、我家では大黒柱の立場に成る・・・・私が仕事が思う様に出来ない・・・この事は精神的に辛い・・・・

我家だけで、この難局も留める必要が有るし、其れが大黒柱の責任だと考えている。

最近は、事故等の罰則が厳しく成っている為に・・・・逆にその場を立ち去る人も増えるという部分も有る。

特に、この罰則が・・・立場が有れば尚更、問題に成る。

人は間違いを起すし、失敗もする・・・・之を社会が認めない方向に向かっている感じが私はします。

勿論、機械の様に、システム通りに動く、之を人間が出きれば良いが、人間には無理だと私は考えている。

この無理な部分が、問題と、罰則を厳しくして、システムに順応させる手段を取っているように見える。

この策が正しいなら、人の個性も認めない・・・画一したロボットみたいは人間を作り求めている事に成る。

今回の事故も・・・何度か書いているが・・・全体主義的発想で考えれば、人家族が苦労するか・・又は、其れを大きく広げるかの話にも繋がる・・・

人は失敗もするし、間違いも起こす、この事は誰かがその責任を負うことを意味している。

家族を考えれば、子供の失敗を親が背負う、之も当然ある・・・・・家族を広げて社会も家族だと考えれば・・・・他の家族の失敗を我が家族が背負う之も、有りえると思う・・・・

現実に道義的とうとう名文で・・・マスコミなど・・・大人に成った子供の起した事件に対して親の責任等々、不を押し付けている。

この様な価値観を持っているなら、逆に他の家族の問題も他の家族が道義的と理屈を付ければ出来るはず。

同じ家族だからと言う、動議を持ち出している・・・同じ日本人だからと言う道義を持ち出しても良いと思うが、其れは無い・・・・

結局は、人の足を引張ろうとする、自己本位の価値観から発している事だと私は考えている。

人が生活、動き続けているから、時代は進んでいる・・・・人だから失敗も間違いも起しながら進んでいると私は思う・・・

この失敗・間違いの部分を誰が処理するか・・・・本来は本人と成るが・・・・その本人が失敗と気付いていない場合が多いので、結果的に他人がする事に成る。

何故気付かないのか???・・・此処が教育だし、どのような価値観に成っているかの問題・・・

この人としての基本部分を、学ぶ機関が最近は無いのが問題に成っている・・・・

昨晩もバイク屋のオヤジや。その他のオジサン達で、この様な部分を離していた・・・親の教育と言われる人も居られるが・・・現実には子供は社会に即している時間が長い・・・

又学校教育も、損得勘定に長ける、人を作っているし・・・その損得も尤物的部分しか、教えない為に、カタログスペックを高める方向しか、興味を持たないし・・・カタログに有る、不の部分は極力隠そうとする流れに成る。

又、自分の子供だけは等々を言われるオジサンも居たが・・・子供が結婚すれば、その相手の価値観が大きく影響し出す・・・親が好む人と結婚すれば良いが、一般的にはこの方向にはならない・・・

不から逃げる人を創り続ける社会・・・・・之が当然と成っているし、不を背負ったら、誰かに渡そうと考える、之が当然と思う世界に成っている。

不を背負う、又渡す人が居るか???又、育てているか???・・・・育てていなければ・・当然誰も不を背負わない世界に成る。

この事は、利有る人は、社会に溶け込めるが・・・逆に不が有る人は、社会に溶け込めない、排除される立場と言う事になる。

之が、益々、不を隠す方向性の人を作り出す・・・見かけ重視の価値観に成る。
この様な価値観が蔓延する社会で、一番得する人は・・当然力が有り、権力が有る人に成る・・・・その立場に冨が集中しだす社会と言う事になる。
之を、庶民が求めるように、誘導する輩が、現代では多々居る事に成る。

結果、話していたオジサン達も、死ぬまで、元気に健康に又、お金も含め、持ち続ける事を願っておられる・・・・・・・結局は後継者が居ないと言う事をアピールしてる事に成る。

私が子供時代は、老いたら・・・隠居の身分に成りたいと思っていた。今、隠居と言う単語も死語に成りつつある。

昔は、子供の時代、青年の時代、壮年の時代等々、年齢で立場や振る舞い等々の違いが有る、之が当然と思われていた。

しかし、最近は、子供の時代と大人の時代・・・この二極で考えている。
大人も、バリバリの現役の青年的、躍動感の有る、状態を永遠に続けることを求められている。
又、其れが良いと、マスコミ等々で年齢に対して若い人が良い等々で誘導を続けている。

規格が単一化し続けている中で・・・生きる、大変だと私は考えている。
規格に入らない人は・・・・・・不要な人と成る・・・・

不要な人を誰が、守するか???・・・・・その様な人も育てていない・・・・結果、死ぬまで、躍動感の有る青年で有り続ける事を求められているし・・・之が欠けると、妻からも子供からも捨てられる可能性が有ると言うことに成るし、この流れが当然と成りつつある。

本来、人の生きる、之はドロドロしたものだと私は考えている・・・・このドロドロした部分で、茂垣・苦しむ之を楽しむ為に、生きていると私は考えている。

楽しいと思わなければ、私も逃げたくなる。

逃げたり、止めたりする事は、簡単と言うより・・・・私の感覚だと恵まれているとしか思えない・・・
不を押し付ける、又背負わせる人が居るから逃げることが出来る。

之が無ければ、結果的に続ける事に成るし、その中で楽しみを探す事に成る。


この生きる事に対して、一般的や常識的にはと言う部分を持ち込む自体が私は解らない・・・

誰しも個性が違うし、環境も違う・・・この中で、如何生きるかは各自の知恵に成るし、価値観に成る。





改めて見ると・・・・・

昨晩、コメントが動画に有ったと解ったので・・・改めて動画を視た・・・・

三年ほど前の2駆の走りになる・・・・この時は、回りでは2駆はリアル・実車と言う単語が必ず付いていた時代・・・・・

この言葉通りに私は進化すると考えていた時代でもある・・・・

しかし、未だ、2駆のユーザーは少なく・・・ケツカキユーザーから言われていた、2駆の問題点に対しての答えを探し続けていた時代でも有る。

無知で、下手でも、何処までこの様な提案・指摘に対して対処できるか・・・之を私は宿題と考え、提出し続けていた時代にも成る・・・之が動画に成る。

車の挙動・・・動き・・・操作系のタイヤの回転・舵角表現全てがバタバタ、之をRCドリフトの世界だとパタパタした操作に成るし・・・・之をオモチャの動きと言われると思う・・・

結果駄目だしも多いし、其れが、私の挑戦心の尻を叩く、叱咤に成っていた時代でも有る。

短い単語で、ドリフトで無い・・・このコメントが一番、刺激に成った・・・・ドリフトはリアを出す競技・・・リアが出て無いと見えるからの評価だと思う・・・・・・・勿論、意見も間違い出ない・・・リアが接地加重が高く、リアが重いと私は感じていたので・・・この後は、リアの軽量化を大きく進める事に成った。

接地加重が重いので、リアの回転が高い、結果トラクションを喪失し過ぎても牽引力で走ると言う走りに近い、この事は、RCドリフターが言われているアクセルを入れる方向で走らせるで無く、抜く・又はハーフ状態で走る部分が多いと言う事・・・笑われるレベルと言う事になる。

又、この時の一つの宿題は・・・・終わり方・・・終わる時の挙動・動き・・・・この部分は実車系のドリフターから宿題、何故RCドリフトは、操作を止めているのに車が動きすぎるのか????

この質問に対しての答えを、探していた時になる・・・ドリフトを終わる、操作を止める、この時に車の挙動等を、模索していた時にもなる・・・答えは無駄な回転を無くす、又タイヤに応じた重さが有る・・・
結局は、RCドリフターが言われている部分の宿題と、同じ答えに成る・・・・

之が意味する事は・・・RCドリフターは実車をイメージして言葉で言われ表現されている事に成る。

しかし、コースの皆の話からRCドリフト界をイメージすれば、RC独特の怒が付くアンダーな車を大袈裟な操作で動かす、世界と成る・・・・

車の挙動部分で言えば、口ではオーバーステア方向の挙動を示す事を言われているが、現実のRCカーでは怒が付くアンダーな挙動を示す車を求めている事になる。

この相反する現実が有る、どちを信じて取り組むかが、個人の私の考えに成る。



私の場合、無駄な操作を受け付けない方向・・・之に進む事に成った。

車の重量が重いと見えると思う・・・・リアの接地加重が重いから、リアが浮かない、簡単に書けば、フロントに加重の移りが弱い・・・

車高の変化は重量配分が変る程度で微細・・・加減速で出す、加重移動は、この様なピッチングを言っている事でない・・・この考えで行けば、リアが浮かない、加重が抜き難いと言う事は、リアを軽くするか・・・又は、フロントのダンパー足を固めて、フロント下がりを無くせば、リアは浮く方向に成る・・・・

車作りでその人の操作や、車の走らせ方の価値観まで、見えると言う事に繋がる部分になる。

この当時、コースで、回りから私の感じ方、発想は、RCドリフト界と180度違うと言われていた、しかし、私はRCドリフターが口で表現している部分を探求したらこの方向に成ったと説明すれば、誰も否定が出来なくなっていた。

単純な操作感の違いが、私は2駆は巻き難い、真直ぐに走りたがる車だと言い続けている、その当時は、2駆は簡単に巻く、前にも進まない車と言うのがRCドリフターの一般論だった。

この様な時代に・・・私の2駆は、異次元の車と言われていた。

しかし、誰しも・・・グリップ走行や小さなドリフトの基礎練習の部分は出来る、この部分に又驚かれていた・・・何故ジャイロが無いのに????・・・・何故舵角が無いのに????・・・・
之が試乗された殆どの人の意見・・・・・

子供でも、馴れれば確りグリップ走行は出来る・・・10分も走れば誰しも出来る。後は腕でドリフトを如何演出するかの、腕の世界の話に成る。

この2駆も、私は2駆の教習車と考えているし、基礎・基本を学ぶ車だと考えている。

勿論、走行環境では、この様な挙動では走れない等々有る・・・基本・基礎が有っての対応と考えている。






下手な動画に・・・感謝・・・

又、動画にコメント・・・・有り難いし・・・・・RCドリフターの親切心には驚く・・・感謝に成る。

無知の為に、RCドリフトの世界で10年以上も模索し続けている・・・何が正しいかが解らないから、自分なりに、色々試し・・・私の感覚で、何が好みかを探している状態・・・

勿論、私の好み、他人様とは違う可能性も有る・・・・・・

しかし、RCドリフトの世界は、昔から、之が正しいと言う一極的考えが有る様だ・・・

今回は、舵角を増やした方が楽ですよ!!!・・・・・この様なアドバイス・・・

アドバイスを頂いた動画は・・・・2駆で、祐君が言っていた、フロントを飛ばす・・・この部分を求めて挑戦していた時の動画・・・・

私だけかも知れないが・・・フロントを横に走らせるで無く、飛ばすと成れば、ドリフト進入時に舵角は0近辺で横にフロントがスライド、之を求めて・・・試していた時の動画に成る。

舵角を増やすアドバイスの目的は、巻かない為との事・・・・・
しかし、ドリフトはリアを自由にアクセル操作でコントロールする事とRCドリフターは言われている。この言葉通りの操作が出来ていれば、舵角に頼る必要性は無いと私は考えるが・・・

この様な口での表現をしながら、策は舵角を増やす等々を行う、RCドリフターが何故か多い事にも驚く・・・勿論、走行環境が其れを求めている可能性も有るが・・・・老舗のコースなら当然、有言実行のコースだと私は考えている・・・・・

現実には、その後、舵角の規制を強め・・・切れ角を私は縮小して、巻きを止める方向の処理をした。

何度の書くが、舵角にはフロントを止める部分が有る・・・この止める作用は舵角が深くなれば増大する。

溝走り・かに走り・壁走り・・・等々色んな表現を私はしているが・・・この様な走りは私はドリフトに見えない・・・三歳児でさえ走行出来る策だと考えている・・・・何故かは、車の挙動に対しての微細な操作をする必要がないし・・・無闇にぶん回して抜ける様な操作に見える・・・例えると、グラベルで、ワダチが深く、その凹にタイヤを落として無駄にぶん回して、斜めに走っている感じに見える。

勿論、私の見え方で、エントリークラスのレベルでの見え方になる。

走り抜けたい此意識が強く・・・無闇にアクセル操作を大袈裟にして煽り脱出する走行、結果車が重苦しく見える。

私はドリフトのコントロールの意識が強い・・・・トラクションを保てる範囲で、アクセル操作・・・勿論パワー源でアクセル操作の巾も変わる・・・小さなパワーなら大きく成るし、大きなパワーなら小さくなる。

この様な、アドバイス・コメントは・・・・二年ほど前の、私が伺っているコースでも言われていた部分・・・
田舎の新参コースでも何故か、この様な流れが存在する・・・この一局への流れが私は怖いと考えている。

私の感覚だと・・・先ずは自分の車との勝負と考えている・・・この部分で楽しめる、又車を尊重できる思いが出るような車作りが大事だと考えている・・・・この部分が確りしていれば、走行するこれだけでお腹が一杯に成るし、楽しいと思える車に成る・・・

之が環境や、他人との勝負、力のバランスと考えれば・・・この環境に即した車つくりになる・・・・勿論、間違いでは無いが・・・・それで出来上がった車を、孤独に淡々と走らせて面白いか???・・・・之を私は感じなければ、この方向性は自分の個性と違うとなる。

以前、シャーシでも同じ事を書いている・・・・良い車で有るが、試乗して面白いと思えるか、試乗と続け、一時間走っても飽きないか・・・・之を試乗の際、私は考えている。

よく走るから、欲しい車とは又違うと言う意味になる。
飽きない面白い車が、走らせて面白いと私は考えている。

勿論、各自何を選ぶかも自由・・・・しかし、自分で選んだなら最後まで楽しめる筈・・・・之を人のせいや環境のせいにして辞めて行く人が余りにも多いので、私は、自分を信じて進むしかない。

最後は全て自己責任に成る・・・言い訳部分に誰々からの指示等、言わない事・・・・

環境が~~~、人が~~~と成る環境なら、纏めるリーダーの素質が問題に成り出す・・・大変だと私は考えている・・・子供と同じ状態の環境を纏める・・・何か有れば責任は当然、纏めている人に成り出す・・・・怖い・怖い・怖い・・・・