2024年12月14日土曜日

直接言われた!!!涙が~~~~

 次男が同僚が休んだので代りに出社していて来れないとのこと、私の部屋で今後の治療方針・方向性をお聞きすることが出来た。今後は退院人向け出来るだけ自力で出来る様にリハビリと話し合い進めるとのこと・・今回、初めて私の病の実情が医師の言葉で解った、歩けるように成る確率は30%とのこと数年必要と言われた。基本的には、寝た切り状態が此処まで回復したのが珍しいとのこと!!!!

又、筋力が落ちて行く感覚がこの病に成ってズ~~~トあった 指定難病で血管から栄養と水が抜けていく病・・・・発症後、体重は落ち続けて今に成っている・・・己の筋肉を使って生きている状態、細くなるのも頷ける。一回目の退院から動き・バイクにも乗って運動したつもりだったが、病に我身を食いつかされていることに成る。

免許更新等々、問題が山積している。家族に迷惑を掛ける、涙が・・・・しかし、奇跡を信じて進むしか無い!!!!

透析終了・・・

今日は朝一、下剤を座薬として投与、九時過ぎにスッキリすることが出来た。その処理と朝の身支度のため・・十時の透析予定より早く準備が整った、 しかし、担当看護士が帰って十時になってから迎えに来るという・・・私の頭は???状態・・・今から透析室に向っても十分くらい前になる。キッチリ約束の時間からの透析なら十分ほど待つだけ・・・早く着いた事は患者がも認識しているので、不満と成り難い・・・看護士も患者を他の課に面倒にて貰うので、手が空くし後が楽だと説明したら納得とくしてくれた・・感謝!!!

今日は時間的余裕が有るので己の腕でこいで透析室まで向った、帰りも己で成すことが出来た。

透析室に着けば、何時もの様に私が横たわるベットがキチンと準備されていた。最初の体重測定は事務員さんでも良いので直ぐ終る・・その後ベットへの移動、看護士さん二人が必要に成るこの部分も足腰の体調次第で変わる部分・・・・開始まで待つ覚悟はしていたが、直ぐに前準備。透析開始が九時五十八分だった。此で九時台の透析室の状況が見えた。患者の受入れ人数が、少なく・・・基本的に三十分刻みで指示し呼んでいるようだ・・・この呼び出しで病棟の看護士が動き出し身支度等を整えて向かう事に成る・・・前回の指摘で、予約時間の共有化・・・仮に10時と成っていればその時刻に着けるようにする努力・・・当然此が広がれれば大雑把な00分・30分等の刻みも厳密化していく・・・本来社会人なら約束時間より早く現場に着くようにしている。遅れる際は前もって連絡するし、遅れたら先ず最初にわびを入れ遅れを取り戻す振舞もする。しかし、己は間違っていないと言う雰囲気を醸し出しているし、それ以上追求すると他に問題が有ったと責任転換・・・又この様なタイプ、唯物的で算数的な物事の組み立てか他、見える物しか見えないし、見えない部分は有りえない、信用できないと成っている。何を期待し、待っているのか己の価値観の中で楽・利・富を感じる方向の部分には相手が騙していても信じる傾向が有る。一匹狼的生きてきたので集団の中で共に働く人間が居るだけで恵まれていると思う・・人間関係での悩みも贅沢に思える。

主治医との話が有るので、終わりにする。

二安心!!!

 夕方遅く・・・喉のチューブを交換・出血していたが、喉の切開部分からの事と主治医から言われ、嫁も私も一安心・・・エコー検査の結果も気に成っていたので主治医に確認・・・データー画像を見に行かれて、結果・答えは、肝臓には問題が無いとの事・・私ができもの様なおできが見えたが????尋ねたら・・・胆のうの部分にどろのような物が詰まって膨れているとの事・・大きく、気にする事でな無いと言われた。

透析前に確りと排便して・・身軽な状態で透析を受けたい!!


一安心~~~~

 昨日夕方に嫁が来院、家の事・子供達の事・・・等々の事を話してくれた。今日の主治医との面談は、長男が無理なので次男が付き添うとの事・・・・・又、次男が実家の糧が、オヤジが倒れて、稼げなく成って居る事も熟知しているし、同窓の中にも手が付けられない親を一生懸命に見っている友も居るし、その振舞を褒める価値観を持っている。三十六歳でしこのレベル・・当事者として夫と成り、親と成り、家を建て、その地域の住民としての自覚、生き方を学んでいる。その彼が、母親に無理するな俺達に頼れと言われたらしい・・・・その後、急に一言、五男が家を出ると言ったらしい・・・二十一歳の若さ、級ん己以外を背負う、逃げたい気も解る。給与は全て己の為に有ると思って居るし、衣食住、俺の揺るぎない権利と思ている。

アパート住まい成れば・・家賃量・・水道光熱費・・・食事代・・・それれに、今 己の車の様に乗り回している。車のローン・保険代・・・色々な出費が増える・・・今の様に、仕事してない時はパチンコ屋で閉店まで居ると言う生活は出来ないと思う。

嫁の話だと、二週間前くらいに言われ、それから喋らなくなったの事

暫くは、ソートしている事だと思う。俺自身も父の会社倒産・・債権者が押し寄せる・・・当然この状況に成る前には、危ないお金も借りている、一日でも早く、嫁と長男を連れて逃げたいと考えていたが、実際んには出来ず、背負い込むことに成る。この事が私を大きく成長させたと感じています。五男も必死に悩んでいると思うし、だから、忘れる為にパチンコも閉店まで居る・・・毎日、母親から起こされている状態で・・・私は、親や親族にお金を使う、勿論、己の分で・・誉と感じっている。両親が五十台前に北海道旅行が最長の旅のプレゼントだった、その後も海外旅行等の、キャンペーン得点を、外国に行かせたい特に伯父が戦死したニューギニアの近くにと思って居たが、親は断った。恩を返す前に旅経った両親・・・生きている間・・己の不甲斐なさを感じつつづけるか・・・無かった事と片付けるか・・・この二極の相反する考えが己の主来に繋がっている。