2018年6月13日水曜日

珍しい後輩が来訪・・・・

午後、仕事と中途・・・・と言って、後輩が来訪・・・・

景気の動向を、感じる為に来た様だ・・・

当然、私は、景気が悪い・・・・

後輩は、雑ッパな、鉄加工を営んでいるが・・・・・この様な仕事が、一時期は中国に取られていたが・・・最近は、少量生産の為に・・・・国内に戻ってきているとの事・・・

しかし、単価は安いし、ロッドの数も少ない・・・・商売と知れば、儲けは無いが・・・仕事は多々有るとの事

少量生産に、対応出来て・・・その精度もアバウト・・・この様な商品の需要も有るとの事・・・・

私の先輩の会社は・・・1000分台の精度を追求している所も有るが・・・逆に精度を要求しない仕事も有ると言うことになる。

勿論、単価は安く成るが・・・・・

私も、内職的に、依頼されている物が有るが、量が無い、単価が安い・・・・之を、する、業者は居ないと思える、単価・・・・・

しかし、この部分が、日本の将来の、大事な部分になる可能性がある。

大量で、性能がよく、安い・・・之を求めるなら、人件費の安い国が強くなる。

しかし、少量で輸送費が嵩む、商品の場合・・・・・国内での生産が、良いとなる。

面白いと思う・・・・昔から捨てる神も有れば、拾う神も有る・・と、言われているが・・・見向きもされない物に意味が有るかもしれない。

今、良くても将来は解らない・・・・・・強い企業が生き残るとも限らない・・・・

しかし、後輩も、立派に生きている・・・凄いと思うし・・・その先輩として私は????・・・・情け無い部分も多々有る。

家族を守る為に、稼ぐ・・・・この基本を、全うする難しさを今は、感じている。



親の世話・・・

昨日までは、父の世話・・・・・・

その後は、嫁の里の親から言われている事をする。

今日はその事で、嫁が里へ行っている。

子供に手が掛かるのは・・・数年・・・その後は悪さ等々の処理で頭が痛い程度・・・

しかし、親は・・・違う・・・・寿命が延びている。

当然、加齢等で、耳が遠くなり、体が思う様に徐々に成って行く・・・この期間が、数年なら子育てと同じと思えるが・・・・長く成る場合も有るし・・・

一番の問題は、親が立場が高く・・・上から目線での、物言いに耐える事が出来るかになる。

当然、子育てを経験し、又、社会で、色んな,経験をして、学んでいれば、当然の事と考える事が出来るが・・・・

何故、私が・・・・・世話をしなければ・・・之を損と思ってしまう場合は、苦痛に感じる事に成る。

又、現代や、頭を下げないで済む、方法や策に長けた方向の習慣が付いている人も多い・・・

この様な、人と対応しなければ成らない・・・・若し、看る立場にこの様な人が居れば、当然、損と感じる人、上手に逃げる策を用いる事に成る。

之に対して、最終的、対応は、感情的に発言する。方向に成る・・・之が又、問題と押し付けられる方向に向う

現代の不思議は、責任を感じているから、最初から、問題や難しい部分を、言う・・・・之を聞き入れる人が居ないので、感情的に成る。

本来、この責任・義務と言う部分があれば、誰しも、問題点を心配して、発言をする。

子供に対して、他人は何も言わないが・・・責任と義務を感じている為に、親は、耳さわりの良くないことも口にする事に成る。

現代は、この部分が、薄れてきていると思う・・・・結果、一般的な耳さわりの良い、言葉で、話が進んで行く・・・・

その為に、責任感や義務を感じる人は、他の部分も押し付けられ易い・・・・

私の経験では、ポジション・・・自分のポジションを固定して、この場に居続けると考えている人が、結果的に、負の部分を押し付けられる傾向が有る。

時や場合、等々の瞬間的に変化で、自分のポジションを変動できる人は、直ぐに居なくなる。
ポジションも対外的部分や、自己自身と、別けている人も居る。

この様な時代に成れば、凄い人と思われるポジションに居るから、責任や義務も感じているとは限らない事に成る。

問題が発生すれば、タマタマこのポジションに居る・・この言葉を使って、逃げる方向に成る。
本来、与えられたポジションでも、タマタマに成るが、厳然と責任と義務は発生しているはず。

先の言葉が、逃げで使えると成っている、今の社会が基本、問題から逃げる、又、見ようとしない芳香に成っている証拠にも成っていると思う。

前回、書いていたが・・・・父が雇っていた、父の後輩に成るが・・・・次男さんを亡くされた・・・合う都度に、私に、お前だけと、いつも阻害的に言われていた。

私は、障害が有る、息子さんを三人持っておられるし、又、親族も居ない・・・・親が子供を最後まで看取れる、可能性は少ない・・・・その為に、将来に対して、何か策を考えていなければ、他人の私は何も出来ない。

之を言い続けていた。
縁起でも無い事を、私が話すと、嫌われていたが・・・

次男の納骨が終わったと、我家に来られた時に、お前しか、難しい事を話す、人が居ないと、言われていた。

現代は、話で終わる、これを会話と言っている。
それなら、耳さわりの良い、言葉・話の方が良い・・・之が意味する事は、どうせ他人、その人がどうなろうが、知った事で無い・・・之が有るから、この様な会話が成り立つ。

勿論、道でタマタマ縁した人等は、この様な会話でも良いと思うが・・・・

話す相手でも、変る部分が有ると思う・・・

大事に人だから、又、将来を危惧するから、意見も言う・・・之を歯向かっていると感じる人が、多いのも現代に成っている。

結局、会話までは出来るが、対話が出来ない、環境に成っていると言う事になる。

通りすがりの人なら、奇麗で耳さわり、興味を持つ、会話で良いと思うが・・・之が全てでは無いと私は考えている。