一般的には勝つ為の努力・・・等々はよく言われる。
何に勝つのか???なぜ勝つのか???・・・この目的・趣旨は・・・・と私は考える。
ブログ当初に書いたことが有るが・・・私は、負けない為の努力だと考えている。
当然、間違いも失敗も起こさない、神に近い存在なら・・・当然、勝つ事を望んでも良いと思うが・・・・人間だし三流の立場の私が、勝・・・他に対して勝つ等々、思う事態、分を超えている事だと、考える。
以前、サラリーマンをしていた時代・・・・肩書は所長・実は社長が、よく言っていた事が、営業に関しては、100戦・100勝と言って居られた。
私は、営業で無いが・・・時間の合間に営業も行っていたが・・・・社長から、売れそうな客は居ないか???と何時も言われていた。
当然、私の感覚で売れそうな客は居るから、教える・・・・しかし売れない・・この場合が怖い・・・自称、100%の確率で売れる営業が出来ると成っている為に・・・多々の叱りを受けることに成る。
その都度、社長が思う、売れそうな状態を、確認し・・・素養の様な客を探す、育てることに成る。
営業で無い為に、販売の権限が無い・・・価格も正確には言う事が許されていない。
しかし、経験が増せば、当然、販売価格も解り出す。
この販売価格で、お客さんと話を略90%以上、付けて・・・最後に社長から値引きを引き出し、売れる状態の客を、育てる・・・之が私の、仕事の様な時も有った。
この様な社長だから、営業マンを育てる事が出来ない・・・口から吐かれる事は、夢の様な営業の策・・・・現実には、玄関を入る、この部分も難儀するお客が多いし・・・話等々、聞いてもらえる自体が・・・略0と言ってもよいのが現実だが・・・
玄関の開け方、名刺の交換、挨拶の仕方・・・等々を色々、教えても、それを使える場所が無いというのが昔は現実であった。
以前も書いているが、所長自ら汗を流しておられる・・建設会社等々の営業で、汗も流さず、涼しい顔で・・ネクタイも締めて・・・社長さんは????と尋ねると、怒鳴られる会社も有った。
影響を格好よい物と、イメージして来る、社員は直ぐに挫折・・・私は営業とはドブ板は剥ぐように、一歩・一歩とドブの中に入る作業だと考える様になった。
当然、私が最終的に販売した形では無いが・・・この様にしてお客を増やした結果が、独立後、営業もしないで、略30年近く・・・御飯が食べられた糧に成る。
昔の合戦も、大将の首を取る、人も居る・・・しかし、その状態まで持って行った、人々が居たという事・・・
しかし、勝者はと成ると、首を取った人になる。
勝ちを、意識し過ぎると・・・勝為の、要因を忘れ・・・勝己の姿しか想像できないタイプに成る。
勝てなかった要因で・・・初めて、周りに意識が行くが、目的は、責任転換に成る。
結局は、己の成長が無い、生き方に成る。
勝てば、己の手柄、勝てなければ、周りの責任・・・・この発想の生き方は、結果的に、不幸だと私は考えている。
勿論、此の考えで、大金を儲ける人も居るし、リッチな生活をしている人も多々居る・・・しかし、可哀そうと私は思う。
勿論、一流で優秀なら、この様な発想に成っても仕方が無いと思う・・・私は三流だから、先ずは、二流に成りたいと思うし、行動する事に成る。
勿論、三流と思って居るだけで、本当は、四流かも知れないし、五流かもしれない。
若い時に、私達夫婦は、子供が、三流が、倒産した家が・・・子供を育てる・・・笑われていたし・・・馬鹿にされていた・・・若いから当然、世間も知らない為に、悔しい・こんな差別と、周りを恨んた時も有る。
しかし、よく考えれば、言われている事は正しい・・・それを笑う・馬鹿と思う、この部分は、その人の価値観に成る。
私にも価値観が有る・・・各々価値観が有るし、違うから、この様に思う私自身の価値観に問題が有ると考える様に成る。
要は、私の価値観にも上下感が有る、その上下感は、強いか弱いか・・・勝か・負けるか・・・と成る・・・勝てば威張れる、負けると・・・・と言う、価値観が有るから、負けを嫌うし、負けを恥と考える。その為に、負けたと言われると、軽蔑されたと勝手に捉える事に成る。
当然、この様な事を言われない為に、隠す事も考えたが・・何時かはバレる・・・
要は、自分のカラログスペックを、謙虚な方向で、表現する方向に成る。
この考えが、営業でも生きたから、長い間、私と付き合ってくれたお客さんが居るという事にも成る。
要は、過大なアピールで、得た客は、簡単に、居なくなる。
しかし、会社も社長の世代交代が有る、この時に若社長には嫌われるタイプに成る。
先代の社長の苦労を知っているので、直ぐに、耳の痛い事まで、若社長に言ってしまう。
勝ちを求めれば、当然、敗者を多々作る・・・その敗者に入る可能性は高い。
私は、負けない之を求めている・・・・誰に勝つ必要もない・・・己の弱さに負けないこの一点に成る。
三流の為に、直ぐに、己の弱さを、周りの責任にしてしまう。
家族に金が係るからと悔やむ程度なら良いが、捨てようとする心が出る時が有る。
人を、捨てる除外する、命が私は、三流の為によく出る。
若い時に、除外感を感じた、私が、同じ行動を逆の立場で行っている事に成る。
仮に強い立場は、この様に、他人様を自分の趣向で、除外が出来るなら、強い立場も意味が違うと思う。
勿論、若い時は弱い立場だったと・・・思っているが・・・私以上に弱い立場の人も多々居ると思う。
弱い立場だった時に感じていた、腹が立つ、憤りする・・・この様な振舞いを、力を得たらする・・・この様には成りたくない。
三流だから難しいと思うが、努力に成る。
2019年11月25日月曜日
馬鹿にされる・・・
馬鹿にされる・・・馬鹿と言われる・・・直接的な部分に対して・・・どう捉えるか・・・
何度も書いているが・・・分以上によく見せたいと言う、慾が結果的に馬鹿にされたくない・馬鹿と言われたくない・・・この方向に進む・・・
之も書いているが、同じ位の知能障害が有る、二人を知っているが・・・一人は、大阪に居る困ったチャン・・・馬鹿にされるのを非常に嫌う・又その様に育てられている。
結果、出来もしない事を口で言う・・だから嘘つきと成る・・・又、それを利用して騙そうと言う人たちから、思う様に騙される。
しかし、騙された事が、又、馬鹿という証拠に成るので・・・隠す・・・・
もう一人は、親が、思えは馬鹿だから、自分で判断しない・・・尋ねられたら、馬鹿だから親に聞いてと育てられている。
今は、親が他界しているので、従兄弟の私の先輩が面倒を看ているが・・・対外的問題を起さないので、大阪の困ったチャンとは大きな違いに成る。
又、最近の傾向で・・・平等等々が幅を利かせている・・・その結果・・・己の分は解っていても・・・取り巻く環境を解っていない場合が多い・・・
この部分が有るから、何か問題が有ると、取り巻く周りのせいだと思う事に成る。
仮に、家庭・家族と限定すれば・・・子供二人・・夫婦・・・この四人家族というパタンも有るし、それに、祖父母が入る等々有る。
家族の人数も色々である。
勿論、構成している人のレベル・立場も色々・・・・子供も乳飲み子からに成るし、当然、病が有る無しも有るし・・・・祖父母の介護の有る無しも出て来る。
取り巻く観環境も、本来は各自で違う事に成る。
己の力が100有ると仮定しても、100を己の為に使う事は出来ないのが家庭である。
己は100点だが・・・家族全体での採点は、マイナス10点と言う場合も出て来る。
税金申告等にも、扶養家族という欄が有る・・・・之が意味する事は、仮に扶養する二人を込みの家族で、100点の採点を取ろうと思うと・・・・稼ぎ手は300点を取らないと、計算が合わなくなる。
稼ぎ手が多く成れば、当然、点数も低くて済むという事にも成る。
分を知るという事は、取り巻く環境も含めての分と成る・・・
しかし、最近は、この分まで、平等という論調が強くあるのが、私は不思議でならない・・・
それなら、私は、障害が有るが、稼ぎ手として、多くの扶養家族を養う、之を苦労と言わないで良い世界が、現実に有るか?????・・・・手を貸す人が周りや行政に有るか????
現実は、無い・・・・
無いから、扶養家族を持たない、家庭を創らない生き方が、良いという流れまで存在している。
若し、家庭を持つなら、夫婦、二人の稼ぎ手で200点を取れば、当然、余裕が出来るし、海外旅行等出来るという、考えも出て来る。
先に書いた、馬鹿にされない・・・生き方を考えれば、どれを選ぶかは各自の勝手に成る。
私は、馬鹿にされても良いと考えている・・・だから分相応と何度も書いて来ている。
分が、低い事で、馬鹿にされる事は、当然だし、恥ずかしい事でも無いと考えている。
何が、恥か????・・・私は、分以上な妄想をして、それを現実に直ぐにしたい等々の振舞いで・・・出来なかった時が、恥だと考えている。
この部分は、基本、直接的に言われない・・・影や心で、馬鹿と言われる部分に成る。
この言葉に成らない、心で馬鹿にされる、之を恥と私は考えている。
要は、人生の終焉・死に際して・・・最後の採点がされるときと考えている。
この部分が、大事だし、今は一場を・・・・・・と続けているだけ・・・・・
何度か書くが、聞くは一場の恥・聞かぬは一生の恥・・と言う様に、一場の恥より・・・一生の恥に繋がる、死にざまが大事だと考えている。
しかし、三男が心配である・・・・・
何度も書いているが・・・分以上によく見せたいと言う、慾が結果的に馬鹿にされたくない・馬鹿と言われたくない・・・この方向に進む・・・
之も書いているが、同じ位の知能障害が有る、二人を知っているが・・・一人は、大阪に居る困ったチャン・・・馬鹿にされるのを非常に嫌う・又その様に育てられている。
結果、出来もしない事を口で言う・・だから嘘つきと成る・・・又、それを利用して騙そうと言う人たちから、思う様に騙される。
しかし、騙された事が、又、馬鹿という証拠に成るので・・・隠す・・・・
もう一人は、親が、思えは馬鹿だから、自分で判断しない・・・尋ねられたら、馬鹿だから親に聞いてと育てられている。
今は、親が他界しているので、従兄弟の私の先輩が面倒を看ているが・・・対外的問題を起さないので、大阪の困ったチャンとは大きな違いに成る。
又、最近の傾向で・・・平等等々が幅を利かせている・・・その結果・・・己の分は解っていても・・・取り巻く環境を解っていない場合が多い・・・
この部分が有るから、何か問題が有ると、取り巻く周りのせいだと思う事に成る。
仮に、家庭・家族と限定すれば・・・子供二人・・夫婦・・・この四人家族というパタンも有るし、それに、祖父母が入る等々有る。
家族の人数も色々である。
勿論、構成している人のレベル・立場も色々・・・・子供も乳飲み子からに成るし、当然、病が有る無しも有るし・・・・祖父母の介護の有る無しも出て来る。
取り巻く観環境も、本来は各自で違う事に成る。
己の力が100有ると仮定しても、100を己の為に使う事は出来ないのが家庭である。
己は100点だが・・・家族全体での採点は、マイナス10点と言う場合も出て来る。
税金申告等にも、扶養家族という欄が有る・・・・之が意味する事は、仮に扶養する二人を込みの家族で、100点の採点を取ろうと思うと・・・・稼ぎ手は300点を取らないと、計算が合わなくなる。
稼ぎ手が多く成れば、当然、点数も低くて済むという事にも成る。
分を知るという事は、取り巻く環境も含めての分と成る・・・
しかし、最近は、この分まで、平等という論調が強くあるのが、私は不思議でならない・・・
それなら、私は、障害が有るが、稼ぎ手として、多くの扶養家族を養う、之を苦労と言わないで良い世界が、現実に有るか?????・・・・手を貸す人が周りや行政に有るか????
現実は、無い・・・・
無いから、扶養家族を持たない、家庭を創らない生き方が、良いという流れまで存在している。
若し、家庭を持つなら、夫婦、二人の稼ぎ手で200点を取れば、当然、余裕が出来るし、海外旅行等出来るという、考えも出て来る。
先に書いた、馬鹿にされない・・・生き方を考えれば、どれを選ぶかは各自の勝手に成る。
私は、馬鹿にされても良いと考えている・・・だから分相応と何度も書いて来ている。
分が、低い事で、馬鹿にされる事は、当然だし、恥ずかしい事でも無いと考えている。
何が、恥か????・・・私は、分以上な妄想をして、それを現実に直ぐにしたい等々の振舞いで・・・出来なかった時が、恥だと考えている。
この部分は、基本、直接的に言われない・・・影や心で、馬鹿と言われる部分に成る。
この言葉に成らない、心で馬鹿にされる、之を恥と私は考えている。
要は、人生の終焉・死に際して・・・最後の採点がされるときと考えている。
この部分が、大事だし、今は一場を・・・・・・と続けているだけ・・・・・
何度か書くが、聞くは一場の恥・聞かぬは一生の恥・・と言う様に、一場の恥より・・・一生の恥に繋がる、死にざまが大事だと考えている。
しかし、三男が心配である・・・・・
登録:
投稿 (Atom)