2017年10月20日金曜日

良い感じの納まり感・・・・

良い感じの納まり感が、タイヤ・ホイールとフェンダーとのバランスに成った・・

ボディポストが渋くかったり・・・ボディピンがボディに強く緩衝すれば、結果的にシャーシに影響を及ぼす可能性がある。

その為に、ボディを軽く、ポンと乗せた感じで確りバランスが取れる・・・之がボディポストとボディ穴との、クリアランス調整が大事に成る。

この部分もシャーシの作りかたと同じで、言葉を悪く書けば、ガタガタのガタを作っている・・・格好よく言えば、クリアランスと言うらしいが・・・私の場合、RCドリフターからは考えられない程、大きなガタと言われているので、ガタと表現している。

私はガタは、逃げの部分とも考えている・・・逃げが大きければ、影響を受け難い部分が出て来る。

ボディとシャーシのガタが大きい、この事は逃げが大きいと成る・・・・ボディに若し、何かが接触しても、ボディが持ち上がったり、変形したりして、シャーシに及ぼす影響は小さくなると、勝手に考えている。

又この、ガタガタ感・・・ボディの歪みの許容力を上げる為に、ボディを痛める、割る等々も減る・・・

私も昔は見かけ重視だったが・・・・最近はボディも長く使用したいと考えている。

長く使う為いも知恵が必要に成る・・・・

特に下手で、失敗が多い私の場合・・・・損害を最小限に止めたい、之も大事な部分と考えています。

微細な調整・・・・

微細な調整・・・・

今まで、ボディ搭載等々、見かけは二の次の私だが・・・・

ボディのCピラーとボディピンが緩衝して、リアの車高が左右適正に出来ていなかったが・・・

微細なリアの面圧の低減にも繋がる・・・・ボディピンは、短く切断・・・

特に高い場所の為に、車の挙動を安定させる方向に成るとも期待して、対処・・・・

ボディポストも、プラパーツより、カーボンパイプが軽いので、好感済み・・・・

古いシャーシだが、今の私の技量や目的に合わせて・・・対処できるのも、RCカーの楽しさの一つ・・・・

この考えが、結果的にシャーシを見ても、何の変哲も無いし・・・凄さや目を引く部分は無い・・・しかし、一つ一つをよく観ると、異端児の私の場合、何故か微笑が出る。

この、一寸見には、何にも感じないが・・・よくよく見ると・・・見えて来る、この部分が、楽しさに繋がっている・・・

現実にRCドリフターが求めている、スペック等々は全く無いし、有っても、プロポで無くす方向にしている。

私の価値観だと、工業製品は、無駄の無い、機能美が一番大事だと考えている。

この部分に繋がる、策を色んな所で行っている、之が私の車作りに成る・・・

パーツをそのまま搭載している部分は一つも無い・・・・確り、拘り手を入れて取り付ける・・・之が、自分の拘りのアピールだと考えている。

しかし、この様な部分に目が行く人は少ない・・・この事も承知で私は行っている。

しかし、トータルとしての車、その車が如何動くか、之が問題だし、答えに成る・・・勿論、私は下手で、異端児・・・・ドリフターが言われる実車感等々考えないで、RC独特の癖が強く付いている。この様な人間なら、非常に難しい、難攻不落の車が、当然に成るし、当たり前と考えて、練習を続ける事に成る。


週末が迫っている・・・

車が軽く、成る方向を続けている・・・・テック・コンバも軽い、軽し操作で動く・・・この方向性を目指しているが・・・・

先週のコース走行後、少し、リアの面圧を下げた・・・1g強だと思うが、それでも凄い変化になる。

前回のコースでの練習テストでも、数グラムの変化が解るし・・シャーシ重量が1200グラムを割ると、2駆のSAKURAの時に感じた、感覚に成り出す。

動き難い車だから、大袈裟な操作をして、バタバタした方向に益々進む・・・
この事が、この位の重さのシャーシに成ると良く解り出す・・・勿論、無知で下手の為に、経験が無いし、経験値が高い一般的な人とは、私は違う事に成るし、この部分が異端児と言われる、理由だと思う・・・・・・

しかし、この様な変化が、続ける面白さにも繋がっている・・・・勿論、コースを格好よく走る等々は、マダマダ先の事・・・今は走って楽しい、この部分を確り学ぶレベルだと私自身を考えている。

分を超える事を望んでも、結局、飽きて去れば、今までの事が全て意味を成さない事になる・・・

何事も分に応じてステップUP・・・・之が基本だと思うし、基礎練習の面白さが解れば、本望だと私は考えている。

週末が近付いた・・・・少し、操作側・・・この方向に負担を掛ける、事を模索している。

私の癖の抑制の為に、強制的にシャーシにその策を作る・・・・之を考えている。

一番は、舵角表現が出来難い方向だと考えている、実車だと高速走行の速度で表現する舵角では無い・・・・大き過ぎる舵角を無意識に出してしまう。キックバックを感じない外部操作の宿命に成るが・・・・この部分の適正さを出す為には、確りした加減速の、操作の演出が必要に成る、この微細な速度差だが、確り路面を捉えた状態でなければ、微細な方向には向わない・・・

今以上にアクセル操作でのトルク演出の難しさの経験をしたいと考えている。

少しでもトルクを多く与えたら、一気に破綻、この方向が、私の癖の解消には、良いシャーシに成る。

未だに、リアの牽引力が高い、この事は無駄カキの容認を意識している事にも繋がるし、この部分はRCドリフターなら誰しも直ぐに気付く部分・・・・

この牽引力を減らして、トラクションを演出できる、操作技量の鍛錬、之が続くと考えています。

冷たく・・しかし、普通・・・

今日から、嫁も仕事に復帰・・・左小指を骨折しているが・・・仕事に向った・・・

しかし、四男、友達も泊まっていて・・・・中々、高校に登校しない・・・

口煩く、促しているが・・・・足が重いのか、今に成っても、部屋でモゾモゾ・・・・

10時前にヤット、思い腰を上げて、学校に向ったと思うが、之も信用できない私は居る・・・・

嫁が居るなら、直ぐに車のエンジンをかけて、「待っているから・・・・早く・早く」促す・・・・仕方が無いな~~と言う顔で、車に乗り、登校が普通のパターン・・・・

しかし、私は家族から鬼、冷たいと言われる立場・・・・普段の手段が、私は異常と思っている・・・結果、手を貸す事は基本しない・・・・

自転車と徒歩で、出て行ったが・・・途中からは二人乗りで・・・学校に向かっていると思う・・・
この思いを嫁に、言えば、違反行為を黙認する、之が悪いし、若し警察に捕まれば・・・と・・・私を攻めると思うが・・・・この策が、私は普通だと考えている。

方向性を知っているから、指摘をする。又指導をする。絶対にしない、有りえないと思うなら、指摘も指導もしない・・・すると言う可能性とイメージが有るから、行う行動・・・・信じると言う事は、この指摘も出来ない関係性を言うとは私は考えていない。

特に、大事な人だから、色々考え、イメージもして、大事にならない様に、指摘や指導をするものだと私は考えている。

全く、心配もしない、立場の人には、勝手にという態度でも良いと私は考えているし、全てのフ~~凄いね~~で片付けても、良いと思う・・・・

四男が自転車を出した後・・・・中型バイクが無かった・・・又スクーターが帰ってきている・・・
私が寝た後に、バイクを持って帰ったとの事・・・

イメージしていた通りに成った・・・結局、乗りたい・・・しかし、乗れない・・・其れを解決できない・・・・・

この問題部分が無くなれば、当然の様な振舞いで、持って行く・・・・・本来、自分の物なら、自分で対処する之が本来の姿だが、この姿勢が無いし、此方側が何時、何を如何すると言う質問をしても、全てアバウトな答え・・・・解決出来る、論理が全く見えない・・・・

この様なタイプも居る、全て人任せ・・・・頭を下げたくないから、全て論理に当て填らない理屈を並べる・・・・格好・体裁だけは保てる方法だが、何も解決できない・・・

結局、物事を解決するには、基本、汗を流し、キツイ事もして、人から罵られても、事を行う、之を事を乗じると私は言っている・・・・・この部分が無ければ、物事を先に進める事も出来ないし、成長も有りえない・・・足踏み状態では、事は進んでいる感じに見えていても、其れは見せ掛けで、本質は、全く変化が無い・・・・

しかし、この様な青年が増えている事が、悲しい・・・・結局、他人の力、懐を当てにし過ぎている・・・本来、若いなら、自分の手で、汗をかきながら、得ようとする、その情熱が有っても良いと思うが・・・楽な方向は直ぐに真似する・・・しかし、逆に、キツイ・苦労する方向は、避けるし、其れを正当化するために、その様な事をバカにする傾向が有る。

私は、優秀でも無いし、劣等側の人間・・・・人が出来ても・・・私が出来ない事は、多々ある・・・之を恥じる事は無い、出来る様になるまで、続ければ済む事・・・

生きていれば、劣等側の私は、出来ない事が次から次と出て来る・・・この現象は、当然となる。当たり前の事なら、当たり前に出来る様になるまで続ければ良いとなる。

簡単な、理屈に成る・・・・世の中には、人に奉仕できる立場と奉仕を受ける立場の二種類が存在する。今の青年は、奉仕を受ける立場を目指している・・・・若いのに情けないと私は考えている。

二種類の人が存在し、奉仕する側が居ない世界に成れば、奉仕を受ける立場の人はどうなるか???このイメージも持っていない・・・・

優秀な人は、奉仕をする立場の人だと私は考えている・・・・・この優秀な人が日本国は多いと思うし、趣味の狭い世界でも、優秀な人が多い・・・・

本来、住み易い・・又生き易い・・・・劣等側や、弱者に優しい世界の筈・・・・

劣等側の私が求める世界が、現実には有る筈だが、何故か、現実は違う・・・・この部分が不思議、優秀や一流と言われている人達は若しかすると、自称かも知れないという事に成る。

私も劣等側から、優秀側に成りたいと考えているし、奉仕できる、力を付けたいと考えているが、中々、そのレベルになれない之が、私のレベルに成る。