今日もコソレン場で・・・楽しんでいる・・・
2駆は、やはり面白い・・・・
ドリフト走行・・・・この走行部分を強く意識して考え方が変化して来た・・・・
等速時代の昔は、車を放り投げる操作感で後はタイヤを思い切って回せば、タイヤの抜けてトラクションを発揮出来なく、飛距離を稼げるこんな方法の操作をしていた・・・・
走行という操作というより・・・打ち出す感覚が強い操作だった・・・
その後、ケツカキで、フロントを転がし続ける・・・・この部分に意識が行く事に成る、ケツカキ比で回転も出来れば、フロントはグリップの回転・・・・結果、2倍のケツカキ比だと・・・・路面速度の二倍までリアを回転させる事が出来る、この様な、イメージで操作を続けていた・・・
しかし、結果的に、ケツカキ比分のリアの回転が有る事に成ると、結果的にリアは抜け気味、勿論、それ以上回せば、抜け・抜けに成る為に、タイヤ接地面を減らす為の、キャンバーに頼っていた時期も有る・・・・
ケツカキは、フロントを強く意識した操作感が有り・・・・その為に、回せばアンダー・・・・確り食わせるとオーバーと両極端な特性を示す・・・・このアンダーとオーバーをアクセル操作で表現できる、この事は、RCの外部操作の場合・・・楽に部分でも有る・・・・
2駆は、初期は、ケツカキの癖からの出発・・・・ケツカキの前後の喧嘩を体が覚えている為に、如何しても前後を喧嘩させる操作をしてしまう・・・・一番は無駄な舵角、この癖が有る為に、フロントが止まり過ぎてリアが巻く・・・・この挙動を抑える為に、ジャイロやリアの面加重のUP等々の手段に走り、結果、その全てを、その当時のRCドリフターからは否定された・・・
再度の2駆の取り組み、先ずは、2駆の特性を確り、勉強する・・・又イメージする事から始めて、色んな実車の動画を観て、勉強した・・・・・・
気付いた点は、リアの確り転がしている・・・一瞬、ブレーキ等でリアを出した後は、リアを転がし続けて外へと出す操作をしている事が解る・・・・
勿論、見えなく成る様なスモークを出す走り出なく・・・・市販車クラスでのドリフトの場合・・・
リアタイヤのホイールの回転が、一瞬、止まる、リアがブレーク・・・その後ゴリゴリ・ゴロゴロとホイールの回転している事が解る・・・ドリフト走行中にこの操作を状況で何回か繰り返して、飛距離を伸ばしてある・・・
その為に、RC2駆のドリフトは、リアを転がす操作・・・・之が大事だと私は考えている・・・
リアのホイルのデザインを見せる位の、考えで操作を楽しんでいる・・・
勿論、私の技量だと難しい、凄い回転をさせる方向の方が楽・・・・その為の練習・鍛錬・・・・
低パワーと言われる私のSAKURAだが、無負荷だと、実車で200km/h強の回転を一瞬に演出できる・・・・・このパワーを私は凄いと思っているが、RCドリフトの世界だと、異常者に成る・・・・
最近、不思議にコース等々で、実車やリアルという言葉を耳にしなくなった・・・・以前は直角位にステアが切れている状態で、前後で凄い喧嘩走法をしている事が、格好よい等々の声も耳にしていたが・・・私の目からだばね上が喧嘩で暴れて、リアが出ている感じが全くしなかったが、この感覚が有る為に、変り者と言われているのかもしれない・・・
勿論、ケツカキでも同じ事で前後の喧嘩率を増やすと、同じ現象が出て来る・・・・
車を走らせる・・・・・この簡単な言葉だが、走らせるという意味が色々有る事に気付いた・・・
ドリフトは無駄な操作とも言われている・・・・ツーリングの世界から見た場合・・・その無駄がドリフトの代名詞かもしれないが、無駄にも限度が有ると思う・・・・
この無駄が多い方が良いと成れば・・・走行の考え方も変るし、重量も重い方が良いと成る、この事は、サプライメーカーにとっては、色んな目立つ商品を作っても、直に売れるこの流れを作ってしまう・・・・・
バネ下を重くしたり・・・タイヤの回転慣性を付ける為に、回転マスを重くしたり・・・私が知っている実車の考えと、逆方向に成る・・・・
結果、凄いアンダーな車に成るし、それを動かす為には大きな操作が必要に成る、結果挙動が瞬間的過ぎて、操作が間に合わない、ジャイロの搭載に成る・・・・
車の操作の自由度を無くす方向に進める事が、よい事かは、各自の感覚だが、私は好きでない・・・・
この方向性を望めば、アンプ・モーターを壊す危険性が有るし・・・・経済的に負担が高いと考えている・・・・・
この部分も各自の感覚、アンプ一つが安いと考えるか???・・・高いと考えるかの、違いに成る・・・・
数万円で楽しめる・・・・之もRCの魅力・・・・之から離れ過ぎれば、結果は見えると思う・・・・
2016年3月17日木曜日
不思議だ・・・・・
最近、孫がよく来る様になった・・・次男夫婦も赤子の守が大変な様だ・・・
その孫と、接すると・・・・・不思議だが癒される・・私が存在している・・・
勿論、私の思うと通りに赤子は、反応しない・・・急に機嫌を害い、泣いてしまったり・・・・・・
言葉も通じない、相手・・・・・その相手に一所懸命、合わせている私が存在している・・・
バー・・・とかの擬音を使って、感情を一所懸命に表そうと努力している姿は、第三者が見ればコッケイナ姿と思われると思う・・・・・
接し方が解らない、結局、恐々、色々試す・・・・その中で、赤子を喜ぶ、部分を探して、それを繰り返すが、結局、赤子に飽きられて、又機嫌を損ねてしまう・・・・
爺という立場は面白いと思う・・・・・
人として、初心者の赤子・・・・熟練者が一所懸命に、対応している・・・・・之が微笑ましいと私は考える・・・・
私の今の趣味・・・・・RCドリフトも一緒だと思う・・・・・RCドリフト初心者にどう接するか・・・之が大事だと考えている・・・
理屈を並べても意味が無いと思うし・・・・とにかく、一緒に寄り添って走り続ける事しか、対応方法は無いと私は考えている・・・・・
子供も親の姿を見て育つといわれている・・・・・熟練者の振舞い方が大事という事に成る・・・
寄り添って走る中で、何を相手に感じさせるか・・・之が技量・熟練と私は考えている・・・
寄り添う相手でも変る部分・・・・・相手が初心者・赤ちゃんなら・・その歩みに合わせる・・・心の中はガンバレ・ガンバレと・・・・
赤ちゃん・子供・青年・等々・・・接し方も変って行く・・・・勿論、エキスパートと言われる人は、レベルが低い方向の為に、簡単に出来ると思うが、私は之が出来ない、その為に、車に頼って、棘を無くしている・・・遅い歩みに合わせる為に、遅い方向性の車作りを意識している・・・
一般のコース環境・・・之を強く意識している・・・
スピードの世界でも、UPしていけば・・・実車でも音速を超える戦いに成って行く・・・単純に真直ぐの走りだが、しかし、怖くて参戦しない人も増える・・・
何のジャンルでも数値や形の目標に成れば、その方向に尖りだす・・・・勿論、その世界では正しい・・・・・しかし、余りにも庶民感覚と離れてしまえば、結局は参戦者が減る方向に向う・・・・
庶民不在の世界に成れば、極一部の同じ面子との競いに成って行く、之を面白いと思える時期はそれでも良いが、思えなく成る、飽きが出て来る・・・
私は、何時も思うのだが、初心者との絡みの中で新たな発見が多々有る・・・・勿論、反省する部分も含みで・・・・・・・だから、初心者との絡みを私は歓迎しているし、求めている・・・
コース上を、グリップ走行で走られれば、其れに従う・・・・・道幅の間の何処を通ろうと付いて行く・・・・・又、前走を試みると、相手の速度域が、コース上で色々変化する、それを見込んでスピードを調整する・・・・この車の操作の自由度が、操作していると実感できる時間が、私は好き・・・・
操作の自由度を、ケツカキ・2駆 両方に求めている・・・・
セット走りや型走り等々・・・形を求め過ぎる方向性は、有る趣旨には向くが、私の技量では、初心者に合わせる事が、出来ない・・・・
一般のコースの初心者も来店されるこの事を確り考えれば、方向性も自ずと決まる・・・・
その孫と、接すると・・・・・不思議だが癒される・・私が存在している・・・
勿論、私の思うと通りに赤子は、反応しない・・・急に機嫌を害い、泣いてしまったり・・・・・・
言葉も通じない、相手・・・・・その相手に一所懸命、合わせている私が存在している・・・
バー・・・とかの擬音を使って、感情を一所懸命に表そうと努力している姿は、第三者が見ればコッケイナ姿と思われると思う・・・・・
接し方が解らない、結局、恐々、色々試す・・・・その中で、赤子を喜ぶ、部分を探して、それを繰り返すが、結局、赤子に飽きられて、又機嫌を損ねてしまう・・・・
爺という立場は面白いと思う・・・・・
人として、初心者の赤子・・・・熟練者が一所懸命に、対応している・・・・・之が微笑ましいと私は考える・・・・
私の今の趣味・・・・・RCドリフトも一緒だと思う・・・・・RCドリフト初心者にどう接するか・・・之が大事だと考えている・・・
理屈を並べても意味が無いと思うし・・・・とにかく、一緒に寄り添って走り続ける事しか、対応方法は無いと私は考えている・・・・・
子供も親の姿を見て育つといわれている・・・・・熟練者の振舞い方が大事という事に成る・・・
寄り添って走る中で、何を相手に感じさせるか・・・之が技量・熟練と私は考えている・・・
寄り添う相手でも変る部分・・・・・相手が初心者・赤ちゃんなら・・その歩みに合わせる・・・心の中はガンバレ・ガンバレと・・・・
赤ちゃん・子供・青年・等々・・・接し方も変って行く・・・・勿論、エキスパートと言われる人は、レベルが低い方向の為に、簡単に出来ると思うが、私は之が出来ない、その為に、車に頼って、棘を無くしている・・・遅い歩みに合わせる為に、遅い方向性の車作りを意識している・・・
一般のコース環境・・・之を強く意識している・・・
スピードの世界でも、UPしていけば・・・実車でも音速を超える戦いに成って行く・・・単純に真直ぐの走りだが、しかし、怖くて参戦しない人も増える・・・
何のジャンルでも数値や形の目標に成れば、その方向に尖りだす・・・・勿論、その世界では正しい・・・・・しかし、余りにも庶民感覚と離れてしまえば、結局は参戦者が減る方向に向う・・・・
庶民不在の世界に成れば、極一部の同じ面子との競いに成って行く、之を面白いと思える時期はそれでも良いが、思えなく成る、飽きが出て来る・・・
私は、何時も思うのだが、初心者との絡みの中で新たな発見が多々有る・・・・勿論、反省する部分も含みで・・・・・・・だから、初心者との絡みを私は歓迎しているし、求めている・・・
コース上を、グリップ走行で走られれば、其れに従う・・・・・道幅の間の何処を通ろうと付いて行く・・・・・又、前走を試みると、相手の速度域が、コース上で色々変化する、それを見込んでスピードを調整する・・・・この車の操作の自由度が、操作していると実感できる時間が、私は好き・・・・
操作の自由度を、ケツカキ・2駆 両方に求めている・・・・
セット走りや型走り等々・・・形を求め過ぎる方向性は、有る趣旨には向くが、私の技量では、初心者に合わせる事が、出来ない・・・・
一般のコースの初心者も来店されるこの事を確り考えれば、方向性も自ずと決まる・・・・
ボロを着てても心の錦・・・・・・
水前寺 清子の昔の歌の歌詞で「ボロを着てても心の錦」と有る・・・・・
昔、人の生き様を謳った歌詞が沢山有った・・・・・・森 進一の歌の歌詞にも「人の傘に成れよと育ててくれた母」・・・・・
等々・・・・沢山有った・・・・・
時代を反映して、ヒット曲として有るし、歌詞の背景にはその時の、時代背景が見えたりする・・・
勿論、現代という時代背景に、応じて、新しい歌詞が、出てきて其れを社会が受け入れるかに成る・・・
時代背景でも、主流と言われる、部分が変化している事に成る・・・・
先に書いた「ボロを着てても心に錦」この歌詞だけを考えても・・・・人により、考え方が多々出て来る・・・しかし、私の息子位の年齢では、たんなる、やせ我慢位の思いしかない・・・・その事は最終的には「馬鹿」で片付ける方向性に成る・・・・
世代差で考え方・価値観が変化している事に成る・・・・
レベルが高い事は、レベルの低い事に対して、正確に見ようとしないし、無視する方向に成っている感じがする・・・・本来、レベルが高い事は、低い部分を含みでの筈だが・・・・・大や小を兼ねる之が当てはまらない、レベル等々が現実には存在している事に成る・・・・
住む世界が違うと・・・別の世界を、イメージできない人が増えていけば、格差の壁を高くしていることに成る・・・・
向上心という言葉が有るが、この向上心は、何を目指すのか????之も、本来、色々有るし、知らない世界を知りたいと言う、人としての本能の部分に成る・・・・しかし、自分を基点にして言葉から上を目指す・上のレベルを目指すと考える人が多い・・・この上が各自の価値観で変わる部分・・・・上を知らない世界と考えれば、普段、気にも留めない・・下のレベルの実状を知る事も向上心に成る・・・・
以前も書いているが、向上心が、結果、自分自身の思う様な世界を作る事が最終目的なら・・・・近隣の国に有る様に、一人の独裁者の様に、好嫌いで人の命まで自由に出来る事を臨んでいることに成る・・・・
しかし、独裁者的、生き方を、何故か人は望む・・・・
この人の本性を、戒める為、昔の歌の歌詞には、その思いが有ったように私は考えています。
民主主義・社会主義・・・・資本主義・共産主義・・・・等々、色んな主義が有るが、基本と成る人の本性・・・この部分を変える事は出来ない様だ・・・・
人間学を、一生をかけて勉強を続ける・・・・人とは何か?????・・・・・
その人が、集まり、集団・・・・社会となる・・・・・この社会は一人一人の方向性で決る・・・
何回か書いているが、ブランド品で着飾って、涼しい顔で・・・・地獄図の様相に成っていない事を、願うが・・・・私の目からだと、その様に見える、之が悲しい・・・・・
幸せを求めている・・・・・この幸せは何か?????・・・・・・・勿論、人として・・・・・
この難題を、捜し求めている・・・・・・・
昔、人の生き様を謳った歌詞が沢山有った・・・・・・森 進一の歌の歌詞にも「人の傘に成れよと育ててくれた母」・・・・・
等々・・・・沢山有った・・・・・
時代を反映して、ヒット曲として有るし、歌詞の背景にはその時の、時代背景が見えたりする・・・
勿論、現代という時代背景に、応じて、新しい歌詞が、出てきて其れを社会が受け入れるかに成る・・・
時代背景でも、主流と言われる、部分が変化している事に成る・・・・
先に書いた「ボロを着てても心に錦」この歌詞だけを考えても・・・・人により、考え方が多々出て来る・・・しかし、私の息子位の年齢では、たんなる、やせ我慢位の思いしかない・・・・その事は最終的には「馬鹿」で片付ける方向性に成る・・・・
世代差で考え方・価値観が変化している事に成る・・・・
レベルが高い事は、レベルの低い事に対して、正確に見ようとしないし、無視する方向に成っている感じがする・・・・本来、レベルが高い事は、低い部分を含みでの筈だが・・・・・大や小を兼ねる之が当てはまらない、レベル等々が現実には存在している事に成る・・・・
住む世界が違うと・・・別の世界を、イメージできない人が増えていけば、格差の壁を高くしていることに成る・・・・
向上心という言葉が有るが、この向上心は、何を目指すのか????之も、本来、色々有るし、知らない世界を知りたいと言う、人としての本能の部分に成る・・・・しかし、自分を基点にして言葉から上を目指す・上のレベルを目指すと考える人が多い・・・この上が各自の価値観で変わる部分・・・・上を知らない世界と考えれば、普段、気にも留めない・・下のレベルの実状を知る事も向上心に成る・・・・
以前も書いているが、向上心が、結果、自分自身の思う様な世界を作る事が最終目的なら・・・・近隣の国に有る様に、一人の独裁者の様に、好嫌いで人の命まで自由に出来る事を臨んでいることに成る・・・・
しかし、独裁者的、生き方を、何故か人は望む・・・・
この人の本性を、戒める為、昔の歌の歌詞には、その思いが有ったように私は考えています。
民主主義・社会主義・・・・資本主義・共産主義・・・・等々、色んな主義が有るが、基本と成る人の本性・・・この部分を変える事は出来ない様だ・・・・
人間学を、一生をかけて勉強を続ける・・・・人とは何か?????・・・・・
その人が、集まり、集団・・・・社会となる・・・・・この社会は一人一人の方向性で決る・・・
何回か書いているが、ブランド品で着飾って、涼しい顔で・・・・地獄図の様相に成っていない事を、願うが・・・・私の目からだと、その様に見える、之が悲しい・・・・・
幸せを求めている・・・・・この幸せは何か?????・・・・・・・勿論、人として・・・・・
この難題を、捜し求めている・・・・・・・
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