2025年5月25日日曜日

原理主義を押しつける

 原理主義は統治側から見れば、人々を簡単に誘導先導できる手段・・・この手段を使うリーダーが増え続けているし、その様なリーダーを人々が求めるように成ってきた、先の対戦の始まる時に似てきた・・・・今世紀初めの私の器具が現実化方向に向っている。原理主義の怖さは、己レオの正しさ、正義を、敵を創って人々を統制する、ガバナンスの方法になる。現実に人々は同調圧力に弱いし、周りがその方向に進み出すと進まざる負えない、しかし、そこに原理主義で支配されると、己は正義・正しいと思い込む傾向が有る。世界の常識が、この流れ真実や正義は一つという考え、他は当然敵だし、敵と言うことは悪という事に成る。この方が統治しやすいし、人々の関心を集める・・・・一神教の怖さがこの部分・・・・他の神を認めず、敵としてしまし、悪としてしまう。人々を誘導する事は容易い方法になるし、人々の囲い込みには都合が良い・・・・何が正義かも各違うのが当然と思う。しかし囲い込みを考える組織・集団・国・宗教界まで、統治が楽な原理主義に走りすぎていると思う。此を容認するように民衆側も向っている。ガバナンスが大事という事は、統制・支配が出来ているかに成る。此を民衆側が求める、この民衆の民度、レベルが畜生なら、当然、家畜の動物の様な統治を行う事に成るし、その統治を受入れきれないものは排除になる。この現実を人は動物として感じ取るので、同調圧力を受入れる事に成るし、受入れているのは、正しいからで無く、阻害・排除されないための策という事に成る。いきぬくためのき抜くための智慧とも言えるが、これを利用する、力有るリーダーが存在するのも事実・・・・民度を高め、各々の個性・価値観の違いが有って、その集大成が仕合せに繋がっていると思う。

私は其れを証明するために、生きてきたい、今後も生きたいと思う、時の流行に流されず、己は何を求めているのか、当然、将来まで含めて此を考え生きてきた。この歳になっても、己で稼いだ金を見た事も無いし、使おうと思うが、使う事も出来ない・・・・この生き方が、今、私を救っている。来月は、デイケアで嫁が、小コンサートを行う。利勝者が少しでも希望と持ち、前へと足を出せるように、心から変えられたらと思っている。こんな体に成り、人様のご厄介になる身になっているが人様の為に役に立つ事も少なくなったが何か出来るはず有るはず、稼いだ居た時は機材・お金等々、些細だが行われていた、分相応に成る。この考えも、己は優秀で一流なら、世間に行う奉仕も優秀で・一流で有ると思う。私は三流以下の劣った人間だがそのレベルで行えることは確りと、責務と感じて行っている。此を放棄し、見掛けだけの粉飾の、優秀・一流を求めすぎると、原理主義に支配され、敵味方論に成っていき、結果的に悲惨な方向、戦争に向う。

人との関わりから仕合せは感じられる。

 先のブログで幸せを私は「さち」と取るようにしている。仕合せと言う事も有る。人との関わり、他との関わりで、積み重ねた、幸と私は捉えるようにしている。基本この二つで考えていますが後一つ倖せが有るが、此は幸運度が高い、事に使いたいと考えて居ます。何度も書くが、幸感の虎和え方が違う・・・・環境が良い、その証拠が数値的な、唯物的部分で感じるのか???私は唯心部分の心で感じる物だと思う。どんなにリッチな生活環境を手に入れても仕合せとは限らない、理由は、仕合せは己だけで手に入れる事が出来ない、勿論、同じ方向性の人だけでも得る事が出来ない。個性が絡み合い、それでも良い方向に進める為の民度が必要と思うし、当然教育も必用と考えている。現代、くじ引きに当たるような、偶然に獲た幸を、幸せと思い込んでいる。己又周りの人達で獲ようとしていない・・・・個人のスペックで全てが決ることになる。己以外は敵・この様な発想になるし、人を共に居ると言う事はその人を利用したいと思っているという事に成る。あから

何度も書いているが、人は掛け替えのない宝で有る。人を創り出すことが出来るのは、我々人間だけに出来る事に成る。掛け替えのない。唯物方向に幸福が有ると信じ込まされ、すり込まされると、優秀な消費者に成るだけ、人としての責務を果しながら消費するのは良いと思うが、責務を放棄して消費する方向に成るのが現在、その証拠が、少子化だし・高齢者問題に成る。物質的に恵まれていている日本国・・・・終戦後、焼け野原で、日々の食さえ難儀する時代には、この様な問題は無かった。人は、本心で解っていると思う。今の人は受け身の人が多い、その為に、今後の日本国の将来を考えると、幸せに成る可能性が少ないと感じている。未来に希望も持てない、結果、努力もしないとなる。何の為に、良い環境に生まれたのか????各自、意味が有ると思うし、使命が有ると私は考えています。其れを探すのも人生と言う事になる。

昨晩、労務士の先輩か電話が有った。国の補助・サービス等の問題、当事者になってが出来れば、サービスを受けられる・・・・緊急の場合も当然、サービスの範囲外になる。先輩との話でこの様な人が多いとのこと、特に一国柱で稼いだ人が倒れる・・・糧が無い医療費が発生する。必要経費は、当然、要領中にも発生する・・・優秀な消費者だったらどうなるか想像は容易い今私は、長期入院後、養生を行っているし、稼ぐ事も出来ない車の運転も出来ない。ドライバーも持てない・・・・こんな私が、生き延びれているのも、家族が居たからだし、親族が居たからだと思って居ます。本来、行政には緊急時の貸付制度が有る。しかし、血税の為、運用は忖度で行っている。私の場合、家族が居るし、確りしている、当然、家族・親族からの支援が有ると言う捉え方になる。補助・サービスも迅速化して欲しい、政治家の仕事になる。この様な事を政治家は理解しているのか?????国民も我身を太らせる事を求めている、当然、政治家も同じになる。民度を高め無いと、政治家も育たない・・・