原理主義は統治側から見れば、人々を簡単に誘導先導できる手段・・・この手段を使うリーダーが増え続けているし、その様なリーダーを人々が求めるように成ってきた、先の対戦の始まる時に似てきた・・・・今世紀初めの私の器具が現実化方向に向っている。原理主義の怖さは、己レオの正しさ、正義を、敵を創って人々を統制する、ガバナンスの方法になる。現実に人々は同調圧力に弱いし、周りがその方向に進み出すと進まざる負えない、しかし、そこに原理主義で支配されると、己は正義・正しいと思い込む傾向が有る。世界の常識が、この流れ真実や正義は一つという考え、他は当然敵だし、敵と言うことは悪という事に成る。この方が統治しやすいし、人々の関心を集める・・・・一神教の怖さがこの部分・・・・他の神を認めず、敵としてしまし、悪としてしまう。人々を誘導する事は容易い方法になるし、人々の囲い込みには都合が良い・・・・何が正義かも各違うのが当然と思う。しかし囲い込みを考える組織・集団・国・宗教界まで、統治が楽な原理主義に走りすぎていると思う。此を容認するように民衆側も向っている。ガバナンスが大事という事は、統制・支配が出来ているかに成る。此を民衆側が求める、この民衆の民度、レベルが畜生なら、当然、家畜の動物の様な統治を行う事に成るし、その統治を受入れきれないものは排除になる。この現実を人は動物として感じ取るので、同調圧力を受入れる事に成るし、受入れているのは、正しいからで無く、阻害・排除されないための策という事に成る。いきぬくためのき抜くための智慧とも言えるが、これを利用する、力有るリーダーが存在するのも事実・・・・民度を高め、各々の個性・価値観の違いが有って、その集大成が仕合せに繋がっていると思う。
私は其れを証明するために、生きてきたい、今後も生きたいと思う、時の流行に流されず、己は何を求めているのか、当然、将来まで含めて此を考え生きてきた。この歳になっても、己で稼いだ金を見た事も無いし、使おうと思うが、使う事も出来ない・・・・この生き方が、今、私を救っている。来月は、デイケアで嫁が、小コンサートを行う。利勝者が少しでも希望と持ち、前へと足を出せるように、心から変えられたらと思っている。こんな体に成り、人様のご厄介になる身になっているが人様の為に役に立つ事も少なくなったが何か出来るはず有るはず、稼いだ居た時は機材・お金等々、些細だが行われていた、分相応に成る。この考えも、己は優秀で一流なら、世間に行う奉仕も優秀で・一流で有ると思う。私は三流以下の劣った人間だがそのレベルで行えることは確りと、責務と感じて行っている。此を放棄し、見掛けだけの粉飾の、優秀・一流を求めすぎると、原理主義に支配され、敵味方論に成っていき、結果的に悲惨な方向、戦争に向う。