昨日のブログで、後継者の事を書いた。
私の三十年後は、略、この世に居ないと思う。
私の時間軸は・・・・この三十年を想像するのか???・・・私は、大事な後継者が居る、勿論、勝手に思っているが・・・その為にも、時間軸は長くなる・・・未来・永劫と言う事にも成る。
彼達が生きる時代、出来れば良い時代で有って欲しいと言う思いも、願いも有る。
私は、この状態が、幸福だと考えている。
己以外の為に、幸せ福を願える・・この環境が、幸せな環境だと考えている。
勿論、現代は、唯物論的な価値しか認めない時代に向かっているが・・・唯心論的な価値観が、結果的に幸福を齎すと私は信じている。
仮に、唯物的、幸せ・幸福を目指すなら、奪い取る方向に向かう、誰から???当然、他人に成る・・・奪い取った物が多いから、誇れる、自慢・・・幸せと言う、論理にも成る。
しかし、多くを得た・・又、多くの唯物的な宝を持っている・・・しかし人間は永遠でない・・・結果、己の永遠性まで手に入れようと、不可能な事さえ、試みることに成る。
しかし、現実は死が待って居る。多くの唯物的富を残し、旅立つ事に成る。当然、生まれた時と同じ、裸一貫と言う状態でに成る。
これを、自業自得と喜べるなら、少しはマシだが・・・悔やむなら、当然、策を考え出す。
一般的に言われる、悪足搔きをし出すし、力が有れば有るほど、この傾向が強くなる。
周りに取っては、非常に迷惑に成る。
悠々と死に向かって行ける・・・その為には、未来を託せる、多くの後継者が居るか、居ないかの差に成ると私は、考えている。
要は、己より、長くこの世に留まる可能性が有る人達に対して・・・何が出来るか???・・どう育てるかに成る。
己の姿が、一番の教育だと私は考えている。苦労を背負い、楽しみ、誰かが助かれば、それで良いと言う価値観が理想だと思って、近づく為に苦労していると言うのが現状に成る。
バカにされ、異端児扱いを受けやすいが・・・要は、己の心が幸せと思えれば良い事・・・
人が判断する部分で無い・・・・幸せそうな笑い声が耳から聞こえる環境を私は求めている。逆に、周りから悲惨な悲鳴を聞きながら、己は笑っていられ・・この様な価値観だけには成りたくないと考えている。