2020年11月1日日曜日

母の父母に・・・・合唱・・・

 何時もの様に・・・モンキーで散歩・・・・

今日は、市内を流れる、沖の旗川を南下・・海に出たら・・西方に走り・・筑後川河口から、北上・・・・

川下に有る・・新田大橋を目指した・・・・しかし、途中・・川がそれを遮ったので、川岸を東方へ・・・・自然に、大川の市内に向かう事に成った。

ウロウロの散歩を続けていたら・・・急に、叔父が言っていた、母の父母が眠る納骨堂が頭を過った・・・前回、地図を書いて、私に教えてくれた、叔父の顔も浮かぶので・・・・

母の父母が眠る、納骨堂に・・・・・・探し出す事が出来た・・・・私のイメージで納骨堂の規模が有ったが・・・その規模に対して、小さ過ぎる・・その為に、見落としていた感じがする。

中学校の頃、一度、行った事が有り・・・その時は田んぼの中にポツンと有ったが、今は家が周りに有り・・・又、家より小さいので家の陰で見えない状態・・・・何度も探していたが解らなかった理由が解った。

又、私の記憶だと、父が運転する、サニーで行った覚えが有ったが・・・今、見ると軽自動車でも大変と思える、狭さの道に成る。

離合も出来ないし・・・Uターンも出来る場所が無い・・・

自転車が離合できる位の酷さと思えば、解ると思う。


一つ、心残りの部分を解消する事が出来た。

母の父・・・私から見れば、祖父に成る・・・祖父からは色々な物を頂いた記憶が有る。

技術者で手が器用で何でも作って居られた・・・戦中にラジオを作ったり・・・色んな現代では家電品と言われる物を手作りされていた人・・・

私は、ダンプカーを、木材で作って貰った・・・荷台が持ち上がり、土砂を落とせるように成っていた。

又、亡くなった後に、手の器用さが、私が引く継いでいるとの事で・・・祖父が作った、手作りのハンマー等々を頂いた・・・・全ての道具の金属部分に・・・タガネで名前を彫金してあった。

昔は、道具さえ、手作りが普通だったとの事・・・現代は恵まれていると思うし・・・焼き入れ・腰入れ等々・・・経験がものが言う世界だが、昔の職人はそれが出来て、普通と言う時代・・・現代とは意味が違う・・・・

先人の人達に、お礼も含めて、手を合わせる・・・その場所が有るだけでも、私は感謝だと思っている。

又、私の歳に成ると・・・叔父・伯母等々も、亡くなる頃に成る・・・当然、手を合わせる、之が、恩有る、人への感謝の思いだと私は考えている。


以前、書いているが・・・姪に当たる人が・・・叔父の遺骨を納骨堂に収めたいと北九州の力来られた時が有る。

その人にも頭が下がるが・・・・その人の夫に成る人の寛容さにも頭が下がる。

話を伺うと・・・長兄の実の娘が、私に成る・・・他に兄弟も無い・・・しかし、親には兄弟が数人いる。

その中に独り身の叔父が居たという事・・・長兄の実子としての責任を果たしたいと、私が納骨堂の責任者だった時に来られた・・・

責任を感じる・・・凄いと思うし、現代中々、居られない・・・基本・責任から逃げようとする人が多いのが現代・・・・頭が下がる理由に成る。


又、この役の時に、納骨堂で参拝の人の中に、地元の人で無い、方々も来られる・・・中には、本家は誰も居なくなり・・・子孫と言えば、私しかいないと言われる人も居られた。

今後の事も有るので、住所氏名を記入していただき・・・今後、納骨堂の連絡等々させて頂く胸を話すと、私の生きている間は対処したいと思うが、代が変われば????・・・当然、努力はすると言われるが、現代の風潮を考えると難しい可能性が高いとも言われる。

納骨堂・・・誰かが守して行くと思うが・・・・守する人たちは増える事は無いと思うし、減り続けると思う。

理由は、先に書いている、現代の風潮を感じるとに成る。

昔、同情するなら金をくれと、有ったが・・・恩を受けた事を感じても、形として返す事が出来ないで、亡くなられる人も居る。

その恩に報いるのは、後世の人へと思うし、又、その人には手を合わせるしか感謝を伝える事は出来ない事に成る。

以前も書いているが、利己の反対が、利他に成る・・・この言葉だと何故か、耳障りが良い・・しかし、言葉を変えて、負他と負己と書くと・・・きつさ・辛さ・人間の欲の深さを感じられる。

利を他にとは言えるが・・・負は己にとは中々言えない・・・

言葉の奇麗さ・・きつさ・・・意味は同じであっても、耳に聞こえる響きで変わる。

先人から恩を頂いた・・・私が、墓所も知らない・・・三流だし、劣っているから、仕方が無いと思うが・・・それでも、知る努力は必要だと思う。

勿論、一流や優秀な人は、努力の必要ないし、当然と言うレベルに有ると思うが・・・


劣っている、三流の人間は、人の振舞いから学ぶ事に成る・・・・その為に、この様な場所を選んで、無知を埋める努力も必要と言う事に成る。





スクーター・・・ブレーキ

 

昨日、手に入れた、ブレーキシューをスクーターに取り付けた。

マフラーを外し・・タイヤ・ホイルを外せば・・・ブレーキに取り掛かれるが・・・

交換は、簡単な事と思うが、息子にさせても、ネジをどっちに回す等々を訪ねて来るので、今回は、見学をさせて、私が作業をした。

気に成る部分が、ホイルを外すと、ブレーキ周りが見える・・・ダストで汚れている状態は正常だが・・・本来、コンプレッサーのエアーガン等で、吹き飛ばせば、直ぐに奇麗に成るが・・・飛ばない・・・オイル分が混ざって・・付着・固着している。

パーツクリーナー等で、清掃・・・・付いていたブレーキシューを確認すると、未だ厚みは有るが・・表面がオイル分で濡れている状態・・・・

若しかすると、ホイルハブ側のオイルシールも問題が有る可能性が有る。

今回は、清掃し、新調したブレーキシューと交換・・・様子を見る事にした。

このバイク、次男が我家に持ち込んで来た時は・・・駆動系、特にミッションケースのオイル注入口の周りが、オイル汚れの付着が酷く・・・ホイルハブ側迄、汚れていた。

その部分が、以前、重曹ウォーターブラストで、固着していた物を取り去る、作業を行っていたが・・・オイルが、表面から、ブレーキシステムに入り込んでいるなら、今回の処置で終了と思うが。

ホイルハブ・オイルシールに問題が有れば、又、ミッションケースを開ける事に成る。

その時は、残る二つのベアリングも交換・・・之で完璧と言う状態にミッションも成る。

駆動ギアが痛む前だと、この様な消耗品は、数千円で済む・・・・ベアリングメーカーから取り寄せれば、一個が数百円・オイルシール二個でも、数百円・・・千円台に成るが、下の方の金額と言う事に成る。

ミッションオイル100ccを加えても、金欠の貧乏な私でも、助かる値段に成る。

結局は、放置していた為に、ブレーキシューもオイル漬けに成ってしまい、性能を発揮できなく成る等々・・・・費用が嵩む方向に向かう・・・

之を、今日は五男に見せて、理解させたいと考えていたが・・・どう捉えたかは五男の為に、私には解らない。

日本国の、国民は人が良い人が多い、特に血縁関係に成ると、この傾向が強くなる。

その為に、見かねて、手を出す、お節介な人も多々居る。

之に甘えているのが、現代と成る。勿論、昔からこの傾向が有るが、恩を受けたら、恩を返す・その為には、知識・知恵も得ようと貪欲に吸収していた。

この返すという部分が、無くなり、甘えるだけ、恩を受けるだけという、受け身の人が多く成っている。

当然、恩を与える人達は、減る方向に向かう・・・

之が意味する事は、西欧諸国と同じ、環境に向かっている事に成る。

お金が有れば、全てのサービスを享受できるが・・・お金が無ければ、己で処理する事に成る。一家に一台と言われる、何でも屋・・便利屋・・用務委員のオジサンが必要と言う事に成る。

この部分が、父親・亭主の仕事と、西欧諸国では成っている。

その為に、少々の修理等は、己で直す、処理する・・これが普通と言う世界が、西欧に成るし、己で無理の場合、当然、対価を与えて、処理する事に成るし、之も普通と成っている。

現代の日本国は、過渡期に当たると考えている。

昔の様に、お互いさまと言う思いで、手伝う方向に戻るか????・・・西欧の様に、全て他人にお願いするなら、当然、対価が必要と言う世界に向かうか???

この部分は、国民が選ぶ事に成る。

要は、知恵に繋がる部分も、対価を必要とする世界に成る。

習うと思うと、お金が必要と言う世界・・・誰も、無償では教えない・・・要は、二極化が進む事にも成る。

私は、貧乏で社会の底辺部分と思うが・・・レベルUPを思うなら、お金が必要と言う世界・・当然、お金が無いので、不可能になる・・・先ずは、多くのお金を得る事が大事に成るし、その為には、少々の悪い事もしなければ、己を向上させる事が出来ないという世界・・・何を求めるかも、今後の人々の思いだと考えている。

五男は、建築関係の設計を目指し、資格等も獲得している・・・しかし、ネジをどの方向に回し取れるかも知らない・・・この様なタイプが、設計する建物・・・私は不安が有る。

技術系の学校を選んだ人間が・・・知恵が無い・・・之が現代の特徴なら、文系の人は、当然、ドライバーと言っても・・・パソコンのソフトと思う人も出て来ると思う。

又、当然と持っていると、何故か人は、尋ねたり・疑問符を持たない・・・ドライバーの準備は???・・・OK・・・・現場に行って、ドライバーを出してと・・・手を出したら、CDが乗って来たら・・・意思疎通が正常とは思えない。


現代は、己の思いを伝える、事が難しくなっている。

理解したいが、聞く事が怖い・・・その為に、状況判断を繰り返して、この様な意味なのかと、捉えて、思い込んでいる人も多々いる。

伝言ゲームと一緒で・・・多くの人が、各自の思い込みで捕らえてしまい、それを又、後の人に伝えている。

その為に、私が素人・バカで・学問も無いので、意味を私に解るように説明をお願いする。すると、殆どの方が、罵倒される、こんな事も知らないのか・・・と・・・しかし、食い下がると、自分も勝手にこの様に思っているだけで、本当の事は解らないと言われる人も居る。


車の世界でも、ダンパーのプリロード調整と言う、単語を使う人が増えている。

プリロード、接地面荷重の調整と言う事・・・調整と言う事は、荷重をどう調整するかという、趣旨と目的が有る。

若し、左右の設置荷重を合わせたいと成れば・・・左右の重量配分が、同じなら合わせる事は要らない・・・若し右側が重いと成れば、誰しも解る事、右側を上げれば、左側に重量が向かう・・・左右の重量配分が違う場合、左右で車高が変わるという事に成る。

簡単に書けば、タイヤハウズギリギリのタイヤの面が、左側・・・右側は拳一個が入る車高と言う事に成る。

現実にはこの様な意味で使っていない・・・要は車高を整えたい、己好みの車高にしたいという意味の方が多いと思う。それなら、車高調と口から言った方が良いが・・・何故かプリロードと言う・・・

之も、人様の行動から、勝手に意味を解釈しているなら、プリロードと言って、何をしているか????・・・当然、車高を己好みの格好良い方向にする為に、使っている人が多いと感じれば、その人は、プリロードを車高調と捉え出す事に成るし、当然、その表現もプリロードと成る。

この様な、事が、私の村内でも多々ある。

村内だけ、通用する単語が有るが・・・聞いて回ると、答えが多々有るし、その事は、捉え方が多々有るという事に成る。

文化や習慣は、大事だと思うが・・・それを伝える立場・・今生きている人に成るが・・その人が、一つの単語さえ、捉え方が他たる自体が、今後の問題に成ると私は考えている。

又、この様な集団は、否定できない事を何故が直ぐに出して、黙らせる方向性が有る。

何度も書くが、人権や平等・・・等々の単語に成る・・・その為に私は差別主義者・人権等々、人で変わるという、人間にも解るように説明してくれと頼む・・・・

色々、言われると、私は、優先順位が厳然と有るし、先ずは家族・親族等々が有る・・・これまで否定するなら、否定する根拠を示せという・・・・

当然、貴方は、我子と同じように私を大事に出来ると思うが・・・今の振舞いはその様に見えないと聞く・・・・無知で馬鹿と自称している私には、我子に諭すように、言うのが貴方が言っている方向性だと思うが????・・・・今の行動は???

自称・優秀で一流と言っているなら、これ位の事も知らないのかと言っても、問題は無いと思う。無知で無能で、三流と自称している、私に何故・・・この様な対応・・又、貴方は平等や人権等々を日頃言っているのに???と成る。

私は、人間だし、動物・・生物である・・・当然、優先順位が有るし、己に対しては、甘く、楽したいと思っている。

間違いも失敗も起こす、人間であると、思っているし、それ以上に負の部分が有ると、三流や無知と自称している。

人間の立場で、何が出来るか????当然、事を起こす為には、知識も必要に成る・・・その知識は貪欲に求めないと、得る事が出来ないと考えている。


本題に戻り・・・・スクーター、現状ではブレーキを効くように成った。暫く様子を見て・・・今後の対処を行いたいと考えています。

勝てば官軍・負ければ賊軍

 私が、子供の頃・・・周りの大人、特に高齢者が「勝てば官軍・負ければ賊軍」とよく言われていた。

私も、戦後教育を受けた人間・・・特に日教組が強い頃に教育を受けた年代に成る。

結果、日本の古来からの文化等を否定する、人間として育った。

因習やしがらみを悪い・悪だと考える価値観に成る。

因習・・因と書くが響きで、悪いと思っていたが、調べれば因とは従うという意味らしい・・・習慣に従うという意味にも成る。

戦後・・・戦争が終わると言う事は、勝敗が付いたという事に成る。

当然、勝者と敗者が作られる事に成る。

勝者も敗者も含め、戦争とは多くの不幸を創り出す。

しかし、勝者はその因を、敗者に押し付ける方向性が有るし、敗者が又立ち向かう事を恐れ、当然、敗者の教育も、負けた因は、己に有ると誘導する事に成る。

勝者の、負の部分は、全て敗者に押し付ける・・・敗者はそれを全て受け入れられる土壌を作る必要性も出て来ることに成る。

その様な教育を、私も受けていた事に成るし、それを見ていた高齢者が「勝てば官軍・負ければ賊軍」と遠回しに、諭していた事に成る。

私の伯父も、戦地で亡くなっている。その伯父が悪く・悪魔的、振舞いをしていたのか???と疑問が有るし・・・祖父の姿から想像できないと成っていた。

私の恩師・・中学時代の校長先生は、部隊長だったとの事・・・自慢が、一人の人間も殺していない事と・・・悔いは、部下が一人、一人で行動していて、射殺された事だと言われていた。

多くの死傷者が出る、環境で無い場所に、居た為に、一人の部下の命を、戦後、悔いを持ち続けておられたと思う・・・

又、軍人として、負けの責任を感じて有るし・・・当然、普段は戦中の事は、話されない・・・私が聴こうと努力しても、中々、話されないのが、普通だった。

しかし、私の年代は、戦地で戦い、帰って来られた人や・・・外地から帰って来られた人達等の、貴重な体験を直接、聞けた年代にも成る。

私は、話を聞く内に・・・戦争とは不幸な出来事だが・・・その中で必死に生きられた人に対して、その人の生き方を全否定できる、人は居ないと思うし、当然、私の様な三流の人間が、否定は出来ないと成る。

又、日本の歴史的に、長い間・・内戦と言う形だが、色んな戦が有った。

しかし、敗者に対して・・・抹殺する様な振舞いを勝者は行っていないし・・・人の命の尊さと貴重差を知っていたので、受け入れて来た歴史が有る。

要は、西欧や大陸的、戦いの勝者・敗者感が、日本国には無いのに・・・何故か、傲慢無人な振舞いをしていたと、何故か日本国の学校で教育を受けている。

勿論、無知な人等々、色んな人が、日本人を形成している。その一部が行った、非道を全ての人が行ったという事自体、無理が有ると私は考えるようになる。

特に、激戦地のサイパン等々に伺って・・・場所等を観ると・・・万歳突撃等々の意味と、理由が解る。

日本法人の、民間人も殆ど亡くなっている。生存者が数えるほどに成る。

理由は・・日本の軍人が殺害した等々言われるし、己で自決したとも言われるが・・・同じ時代、外地を経験した、人達が、帰還の為に努力した姿と大きく違う・・・

我子を、泣く泣く、現地の人に託したり・・・生き残る為の努力をされた人達も同じ年代を生きられた人達だし、当然、戦地でも同じ思いだったと考えるが、現実が大きく違う・・・

その訳は?????と成る。

理由は、単に敵と言っても、アメリカ軍が前に居るか、居ないかに成る。

又、外地から引き揚げられた人達が、他の国と書くが、その軍人の振舞いに、驚かれていたし、統率が無い、盗賊と同じだと言われていた。

軍人の捉え方が、海外と、我国では違ったという事に成るし、当然、民間人にその様な教育もされていたが・・・ここ迄とは思われていなかった様だ・・・・

価値観の違いに成る・・・・日本国内なら・・・負た民衆は頭を下げ、受け入れるで終わる。しかし、海外は頭を下げていたので、首を跳ねた等々が当り前の世界と言う事に成る。

歴史を学べが、その国、民族の価値観も見えだす。

戦い方に、決まり事を付けて、出来るだけ殺生を嫌った、国も有る。

勝つ為にはルールを無視するという、価値観も有る。

又、勝ったら・・・何を行うかも、歴史を見れば、国や民族の方向性が解り出す。

日本国には、「敵に塩を贈る」と言う、言葉も有る。行った武将が居たからに成る。

又、戦う為の武人の振舞い方も、各国で違うし、民族で違う・・・

要は、目的感に成る・・・戦う事に意味を求めるか・・・勝つ事しか意味が無いと考えるかの違いに成る。

私が、以前から、歴史と数学は大事だと書いている理由が、この様な部分に成る。