2022年10月23日日曜日

変わり者・・異端児が・・・何故か生き残る。

 不思議と思うのだが、私は異端児・変わり者だが、社会から排除されないし、抹殺されない・・・理由は、社会から見て、嫌われるが、無害だと判断されているからだと思う。

要は、私に力が無く、当然、攻撃力も無い・・それに自己保身という部分も、己の身が危険と思っても性格的に負を背負ってしまう特性がある。結果、私と共に生きる人は、損と思うから近づくことも無いし、結果として孤独で、変わり者として生き残れている。

よく、現代は人様との関係等々での仕事が多い、その為に、孤独の場合、儲かるような仕事は来ないと言われるが、生きていく程度の衣食住は、日本国の場合、保証されているし、近所のおばさん達から、色んな野菜等々頂けるので、食べることで困ると言うことは無い・・・

要は、私を仲間にしても損だし、抹殺するにも費用が掛かるために損となる。

要は損することはしないというのが現代・・・戦う等々も意味が有るから行うし、当然、利を求めて戦うことが現代、利を生まない相手と戦っても意味が無いと言うことになる。

日本国、資源も四季が魅力程度し、お金になる、資源は、人間の能力くらいしか無い・・・戦うと言うことは、その資源も無くすことになる。

又、島国国家、周りは海、水は温度変化がなだらか・・・温度の起伏が酷く成っていく、基本変動が今後、起こるとも言われる。

日本という立地条件は生き残るためによいと私は考えている。又、当然、陸地にある、真水も減少方向に成る。今後、真水の確保が世界的問題となると思う。特に戦争等で、原子爆弾等々の使用が有れば、保有国は当然、自国を守るために原爆を残し、攻めてくると思われる国へ向け、発射すると思う。

その後は、廃墟だが、打ち込まれた国も当然、占領するための兵を送り出すことは出来ない、勝者なき戦争と言うことになる。

要は、巻き込まれないことが一番良い事になる。

又、放射能の拡散も偏西風の影響も考える必要が有るし、近くの他国が原爆攻撃を受けるかも原爆保有国かで変わると思う。

有ってはならない事だが、仮に原爆が一つでも他国で爆発したら、勝者なき最終戦争になる。

生き残るのは、変わり者、異端児・苛められっ子という立場に成る可能性が高い・・・・

要は、馬鹿な、貧乏人と喧嘩をしても意味が無い・・それなら、馬鹿な貧乏人が生き残る知恵と能力が高いと言うことにも成る。

勿論、弱い立場と自覚していて、横綱級の人と喧嘩するか????負ける喧嘩と解っているなら、逃げた方が良いと思う。

逃げる避けると言うことは、無意味な戦いに対してに成る。

無力でも、背負える可能性が有るなら、目の前の人を確り支えたいと思うのとは別、この部分で、何故か自称・力が有る等々言っている人が、逃げる見えない振りをするのが不思議・・・

今後の世界の展開だと、大変な状態に向かう可能性が有る。

特に、ヨーロッパではリーダーが、ポピュリズムで変化し続けている。

民衆が、民度が高く、利他的人が多い、民主主義なら良いが、利己的、愚民の民主主義で、ポピュリズムなら当然、危険性をはらむし、耳障りは良いが、誰がその負を背負うか???この部分が曖昧で先に進めば、大変な事になるのは誰しも解ると思う。

何度も書くが、耳障りの良い、利他・・・言葉を換えると負己主義になる。負を背負う、当然、人様が創った負に成る。此が出来るかが、利他主義になる。

この部分を論ぜづ・・綺麗事で事を進める・・・・怖いと思う。

現実的に、国民、我が家族を守るため・・此を真剣に考える時期が来ている。何故相手は、攻めてくるのか、攻撃を加えるのか・・勿論、指摘的・論戦なら良いが、抹殺を考える攻めをすると言うことは、それだけの理由が有るはず、勿論、その為には能力も費用も掛かる・・それを損しても行いたいという理由が有る。

貧乏人に観られた方が、生き残るなら、それがよいと私は考える。

抹殺するより、馬鹿にされる程度の方が楽・・・・

見栄より、上手に生き残る、それも無駄な能力を使わず、最近、何回か登場させるが・・漫画のバカボン・・・登場人物でレレレのオジさん・・・彼のようになれば、誰も殺そうとは思わないと思う。

凄いポジションを確保されていると思う・・・無害と思われるが確りと地域貢献・人の為に尽くしておられる・・凄い菩薩の振舞だと思う。

見栄を張り、虚栄を張る・・・修羅道・餓鬼道より高次元の人だと思う。

一流品を身につけた、イヤミと言う事・・・

勿論、何が良いかは、各自の価値観で変わる・・・私の好みが人様と同じだとは変わり者の異端児の私、思っていない。


完成品を・・・

 私は長年、修理人として、食べてきた。

その間、色んなリコールも行ってきた。製造責任が問われる。不思議なのは、20年以上前に販売していた扇風機が、加熱し、発火する恐れが有ると、リコールに成った時・・・製造責任が有るので、修理が出来なければ、発火させないように買い取り、処分をすると言う流れに成る。

私はユーザー責任と思うが???・・・少しは技術・現実を知っている私だから思うことで、素人なら、永久に使われると思う人が居ても不思議で無いし、保守メンテ等の意識が無い事を、ユーザーに求めても意味が無いから、製造責任と、製造メーカーが責任を負う方向に、30年前以上から始まった。

結果・日本国内のメーカーが国内生産を諦め・・・海外に製造場所を変化・・最終的に製造メーカーの部分も、タコに移すと言う流れに成った。

バイク等のパーツ、当然、国内サプライメーカーで有名な処から、価格は高いが、信用と思い、購入するが・・・着いた商品にはメイドイン・・チャイナと書いてある。問題が発生し、メーカーに連絡を入れると、所詮、中華製と言われる・・・この言葉が耳に入ると、何も言えなくなる。

要は、メーカーのカタログにも製造国も確りと記載されている。それを確認して買ったら、どの程度の商品かは理解しているはずと言うスタンスに成る。

当然、私が行っている、修理も、この様な電話対応をされている場合も有るようだ・・・

日本メーカーと思っていた、騙されたとは成らないように、製造国も確りと記載されている。

要は、ユーザーは、性能に、品質を最初には意識しない・・・カタログスペック耳障りが良い部分しか興味が無いし、一番は価格と成る。

この流れなら、耐久性・後々のサービス等を、大事だと考えていても販売には繋がらないと言うことに成る。

結果、人件費が安い、勿論、教育レベルが有る基準を超えている国での製造が、ユーザーの好みに合うと言うことに成る。

後は、壊れた場合・・・この部分が有るから、私は仕入れが出来る立場だが・・・家電量販店から、買う理由は、保証制度に成る。

勿論、何時も壊れる機械なら、保証が有っても、使いたくない・・しかし、一年に一度くらいの修理なら、無料なら容認できる。

しかし、現状の価格より、安くて、見かけの性能が高い商品が出れば、購入意欲が沸く・・・この流れも、永遠には続かないと思う。

理由は、人件費が安い国は、産業が発達していない国・・・この安い国に製造国が移り続けるのも限界が来る・・・・

結果、人の能力より、人件費が低いという国、要はサービス精神が高い国に製造が移行し出すと私は考えている。

先進国と言われる我が国、私は修理人として、現場に伺うが、私の人件費として、メーカー等が言っている単価を取れるわけが無い・・・部品を変えたなら、部品代は、当然、定価で無い・・部品代だけで修理をしてくれと言うユーザーが殆ど・・・・要は、先進国と言われる我が国さえ、一般人は、人件費はその人の価値観で最低と思われる価格を求めている。

先に書いている要に価格が全てと言う事になる。

この価値観が変化しなければ・・・と思っているが・・・

最近の円安方向で、私の周りの製造メーカーの社長さんは、日本製も今後は良くなる可能性が有ると言われていた。

要は、30型のテレビ、同じ、一万円なら、メードイン、ジャパンが選ばれる可能性が高まると・・・

要は、金を得る、買って貰わなければ、お金が入らない、要ったお金を分けて、個人の手元に来るのが給与・・・

その最初の、買って貰える機械が先ずは必要と言うことになるが、その時代に近づいてきたと言うこと・・・

この部分を享受しないで、輸入物価が上がったからと、給与のUPを求めたら、円安の意味が無くなる。

日本国の技術力がUP出来たのは、沢山の困難に対して、世間は馬鹿に観ていたが、コツコツと続けた結果が、技術立国と言われる国を創った。

日が当たらない、窓際族状態でも耐え忍んで、徹して成し遂げると言う、対価は当然認められるまで、給与泥棒等罵られながら、頑張った人達が居ると言うこと・・・又、その様な人にエールを送る人も居たためだと思う。

しかし、グローバル化という耳障りの良い、綺麗事がまかり通る時代に成り、この様な耐え忍んで、思いを成し遂げることを、𠮷と捉える価値観が、無くなり続けている。

今後は、日本国も世界と同じ要に、その時々に一喜一憂し・・・その他と同じ要に、破綻方向に向かうと考えている。

今後が大事・・・

勿論、民主主義、民衆の意識が大事だと言うこと・・・民衆の意向を聞くのが政治家になっている。リーダーになっている。耳に入る言葉なのか、その言葉の後ろに有る、見えない現実なのか???・・・此を感じ取れるリーダーも現代は不在に向かっている。

全ては目先だけ・・・

久しぶりに、浄土の坊主が・・・檀家に迎合しない・・・話をされた。

 最近、迎合と言っても意味が解らない人が多いと思うので、現代風に言えば、ポピュリズムと言った方が良いと思う。

悪く書けば、耳障りの良いように、民衆側・庶民側に己の立場、教える教育の世界で言え先生の立場で・・・生徒側に、勉強はキツイから、しなくても浄土なので、阿弥陀如来が側で確り手足を取って、無知な事さえ、叶えてくれると言う、他力本願的事を、言うかと思っていたら。

四苦の「生老病死」の話で、生物は逃れることが出来ない・・祈っても、願っても、必ず起きること・・・この後、先に書いただから、阿弥陀如来に縋れ・助けて貰えと言う流れと思っていたら・・・

四苦の話で終わり、後は各自の捉え方となった。

今朝、ブログに書いていたが、檀家を弟子とみているか・・・消費者・ユーザーと観ているか?????????又は、医者の世界なら、患者で留めるのか???医学生にするのか???で、発言も変わる・・・これは、誰しも言えることだし、私も、弟子が出来れば、己の経験・技術は教えるし、当然、厳しいことも言うと思う。

要は、我が子と、他人の子と違いになる。勿論、現代は平等主義者が多いので、実子と他人の子と差が有る人は、私くらいだと思うが・・・・

勿論、男女平等が現代、私は異端児の為に、息子と、娘は取り扱いが変わる・・・息子、特に長男なら、我が家の歴史等々も確り教えるし、仕来り等々も確り身につけさせる。勿論、他所の家に嫁ぐ立場は、その家の家風に染まるように、真っ白な状態にしていると思う。

例とすれば、長男には、我が家のルール、これに従えと確り言う・・・しかし娘等なら・・・我が家のルールは此だが、けして此が正しいとは限らないと教える。

要は、その人の将来の事も加味して、今教えることになる。

教育とはその様なことだと思う、その為に、男女で違う・・長男・次男で違う・・・この様な区別した教育が普通だと私は考えている。

勿論、その子の将来の夢等々も加味した、育て方になる。

此を差別と言う人が居る。不思議と思う、何故、差別と騒ぐ人は、支配者の立場の人に対して、失敗や間違いを認めないのか???

同じ平等と観ているなら、認めないというなら、己自身も失敗も間違いも起こさないという意味にも成る。

レベルが低いので、許される、立場がこの立場だから許されると思って、己は平等主義者、私は笑い出すことになる。

要は、耳障りの良い事が私の耳に入ってくると言うことは、私自身を馬鹿にしていると言う事と感じてしまう。

同レベル平等と思うなら、耳障りの悪い事も正面から言ってこれると思うし、それが出来るから、力が有ると言うことにも成ると私は考えている。

勿論、私は力が無いが、その論戦には挑むことになる。色々学ぶことができると私は思っている。

久しぶりに、論戦・説法を試みたいという思いに成ったが、嫁が昼から出勤、止むなく帰路についた。

馬鹿・無知を埋める、私の場合、論戦が一番身につく・・・・欠点も多々有ると思うし、それを確りと解らないから馬鹿という事・・この事を教えてくれる、感謝と成る。

成仏でき・・今世の業を全て背負ってくれる、阿弥陀如来・・縋って、全ての業が無くなるなら・・何故、来世が有るのか、勿論、生まれるとなれば、過去世の業・カルマが大きく影響していると成る。

不思議だ、成仏して天国の世界に居るのに、何故、娑婆世界に生まれようと思うのか???

又、平等に、生まれたなら、誰も等しい、0と言う業からの始まりで無いのは何故か???阿弥陀如来が全ての負を精算してくれている筈・・・

この様な質問をしたいと、思っていたが出来なかった。

私の仏教の捉え方は、基本は自業自得と考えている。負を多々残したなら、その精算の為に、又生まれる・・当然、業・カルマを背負ってとなる。

この業から、逃げる・・宿命から逃げる此が凡夫だと考えている。

要は、現象に対しての捉え方の多様性を考え、悩めというのが、仏教の基本だと考えている。

何度が書いているが、宿命を使命と捉えられたら、幸せだと思う・・逆に宿命、特に己に取って、負と感じる宿命から、逃げるため、避けるため、信仰と成るし 現代的に言えば、ポピュリズムに宗教界も陥っていると言うことに成る。当然、宗教界がこの流れに強く傾いているなら、人の価値観もこの方向に進むし、この流れが正しいと成る。

平等がこの流れを加速するために使われ出した・・・怖い今後が危惧される。

自分に都合が良いことが平等・・結果、各自平等が違うと言うことに成る。同じ平等で違う、当然争いが起きるし、各、己が正しいと思っているし、それを曲げる事は負けだと思い込んでいる。

勝つ必要な無い、絶対に負けない生き方を何故探さないのか、勝つ生き方を望めば、当然、負ける人達を多く輩出する。

この生き方は、業として、善業か????悪業か???・・・答えは解る筈。



法事・・・・

 今日は、従兄弟の49日法要・・・

私より10歳も若いのに・・・・ね~チャンが心配だ・・・私は一番下の叔母をね~チャンと呼んでいる。

従兄弟も、体がボロボロになってきた。当然、年相応で、60前後の従兄弟は、体調が心配だ。

私の年代くらいまでは、色んな年代の人から、色んな話を伺うことが出来た。武勇伝や失敗談・・経験談になる。

その為に、聞き入ってしまう。又、時代的にも、戦地で戦った人達も多く居たし・・・沈没した戦艦からの脱出。その後は海でサメとの戦い・・生き残るために、必死に戦ってこられた体験談・・・

何処を叩けば、サメは逃げる等々・・・猪との対応等・・・・勿論、人間も色々居る・・・その対応の仕方や、人種等での価値観の違い等々、色んな事を教わった。

要は、生き残るために、相手に合わせた対応、相手で対応を変えなければ、当然、死ぬと言うことになる。

結果、普通という対応が正しいとは限らない・・この普通や正しいは、同じ価値観の同じ考えの人に通用する希な事・・様は、奇跡的な事・・・価値観・意見の相違が有るのが普通という事を、先人や先輩達から教わった。

同じ年代でも、上級生が親分・・しかし、親分は下級生を命がけで守ってくれていた。私が泳ぎを覚えたのは、流川の橋の上から、先輩から落とされて、必死に助かろうとした行動で結果的に泳げるようになった。

勿論、溺れれば、先輩達が飛び込み、助けるように努力されたと思っている。

刃物、小刀等の使い方も、小学校に入れば、先輩達から教わったと言うより、観て覚えた・・・勿論、切り傷も絶えなかったが・・・刃物の使い方も自然に覚えた。

又、我家は鉄工所だった・・・父は旋盤工・・・・結果、小学校高学年で、旋盤で簡単な加工は出来る様になっていた。

勿論、怪我もする・・経験者なら解ると思うが、切粉・ダライコとも言っていたが、高熱に成った、鋭い断面の鉄の切粉が肌に当たる、下着と肌の間に入る、一番辛いのは、目に刺さる・・・

鉄は、削る事と言うより、摩擦で、熱を発生させ、危険な状態に成ると言うことも、小学校の時に経験で学んでいる。

先に書いた、先人・先輩方の、話も、経験を元の話、頭の中で、私の場合、想像が出来、絵が浮かんでいた。その為に、今以上に知りたい、今後の展開等に興味がそそることに成るし、今後何時会えるかまで、心配する様は事に成っていた。

様は、父より、高齢のオジさんと言うより、爺さん達の話に興味があったと言うこと。

最近、何故、先人の人達の話を聞こうとしない、若者が増えているのか???

父は、終戦後に小学校に入学している年代・・・戦時中の話等は、父より高齢の人達から伺わなければ、経験談等、耳に入らない・・・

要は、人様の知恵を頂ける、チャンスが多々有るのに、何故しないのか、勿体ないと私は考えている。

私は、多くの高齢者と縁して、多くの話を伺った方が良いと考えている。

今、話題になっている、国間の国民の価値観の違い等々・・・最近知ったという人が多いように見える。

戦前、大陸等に入植されていた人達の経験談を聞くと、国民性等々教わることが出来る。

要は、騙されたとならないためにも、大事な事、要は、相手を知らない、相手の価値観が解らないから、この様になる。

綺麗事では、価値観の違いが問題で縁を切ったと言われる間は良いが・・・その違いで、命の遣り取りが起きれば大変な事になる。

勿論、違うからと、相手が悪いという理屈には成って成らない・・・

何故成るかは、何度も書いているように、己の価値観は普通だし、一般的という前提で固定しまった・・傲慢さが成せることになる。

もし、全体が周りが紺の流れなら、それが普通だし、一般的、結果正しいとなる価値観なら・・・環境次第では、惨殺等々も普通に出来る事になる。

又、この様な基本的価値観なら、後で、虐殺の行為が悪いと言われれば、隠す方向になるし、隠せなければ、環境が悪かった、時代が悪かったと、己以外に責任を転換し出す人と言うことにも成る。

私が縁した、先人達は・・正直に色々話された・・・要は、人として汚いと言われる事も、正直に言われていた。

私が教わった、中学校時代の校長先生は・・・部隊長だったとのこと・・・中国の奥地を守っておられたとのことで、大規模な戦闘の経験は無いと言われていたが・・・ある日、部下が、狙撃され、戦死されたことを、悔いて話しておられたのを思い出す。先生の口癖が「もとい」間違った事を言うと、直ぐに「もとい」と言われていた。

今、この様な校長先生体験談、父兄から賛同されるか????・・・話せないと思う。

要は、世の中は天国的な教えに向かっている。勿論、各自が思っている天国と言うこと・・しかし、直ぐに違うと誰もが感じている。

この部分を埋める事が出来ず、ストレスとして溜り・・いつかは爆発する。

よく私に、旅行等したいと思わないのか??と言われる・・行く理由が解らない・・・今の時代、観るだけなら、色んな手段がある。

新たな人との関わり、価値観の違いを楽しむ等々も有ると思うが、現代、それを無くそうと努力するし、立場的に強い方に、忖度した言動をするのが普通の時代・・・結果的に、何も得ることが無いし、現代の価値観なら、お金を使った、それだけお金を持っているという自慢ごとになっている。

要は、ストレス解消という部分が、旅行にも多い・・・私は動けばストレスが増えるので、動かないことがストレスを増やさない方法の一つだと考えている。



民は、患者・・・

 病を患う・・・「生老病死」の四苦から避けられないとは理解している人間、当然、病を患うと言う事は、覚悟し解っているはず。

病に対して、どの様な対策を行っているのか???・・・当然、一般的・民は・・・・病を恐れ、関わらないように努力を行っている・・本当に努力なのか???・・・様は、嫌な事は避ける、観ない・逃げると言う方向の策を用いている人の方が多いと思う。

要は、病に対しては、知っているが、無知・この無知を埋めようという努力は行っていない・・・仮に病に対して、治したい・・・病を撲滅したいと考え、思っている人は、患者という立場で無く・・・医師という立場を目指す。

最近、宗教が話題になっている。

仮に私は宗教家だと言うなら、病に対しての患者側か???、医師側が???どちらのポジションを目指すかが有ると思う。

仮に、病で患者側となれば、当然、治すためには医師や病院を選ぶことになる。何かを基準に選んでいるはず・・・その選んだ医療機関で治れば宵は、治らなかったら、何故か、患者という立場は、騙された、私は被害者という立場を取る。

私は、何度が書いているが、選んだのは、己、自業自得と考えるし、選んだ己に責任が有ると考えている。

もし、この流れなら相手次第で変わる、これを許せないなら、当然、己自身が医師のレベルになる事を目指すことになる。

宗教も同じだと考えている。

しかし、宗教も一般的、集団・組織と同じで、人が運営している。結果的に力が有る側と無い側という図式が出来ている。

勿論、民側がに力が有ると常識で思える世界なら良いが・・・一般論・現代の常識論で、考えると、権力側に都合が良い方向になっていると言うことは、この世・社会に属しているなら、肌で感じているはず。

要は、組織、例としては大病院も信用できないという目で見ているために、それ以上の利の部分を病院側は風潮する事になる。

結果、その様にならなかったら、騙されたと思う、民・患者が増えると言うことになる。

この流れに、社会全体が成っている・・・理由は人間として大事な宗教観も、民・信者は馬鹿な方が良い、人間以下、動物の従順な羊でも子が良いという流れを創り出すし。

要は、医師と患者の立場は、当然、医師が高く、患者は低い、低い側は縋り・頼むために、医師側の顔色を伺い、言動は忖度した振舞に成るのは必然、勿論、病を治すために、従順な子羊を演じているだけ・・・治ったら忘れ去るし、治らなかったら、被害者として、騙された等と騒ぎ出す。

私は、一部の機械の医師とも言える、修理人になる・・・当然、ユーザーとの関係性が有るが、私は医師側だが、私の感覚だと、ユーザーより立場は下、ユーザーの無謀な我侭も聞き入れなければならない立場・・・最低でも、同じ目線・立場に成りたいと思っている。結果、その様な振舞を私がするために、結果的にユーザーから嫌われる事も多々有る。

何度か書いているが・・・疑問が有り、学びたいと考えた場合、当然、師匠的人を求めるし、弟子的立場で、教えてくださいと・・懇願し続ける・・その結果、ある程度の経験と知識が付けば、矛盾点等々を、打つけ師匠とも論戦する、同じ立場のレベルまで成れたら理想だと私は思っている。

男親なら、理想と思える、親子の関係とも考えている。

私の息子も、上の子は、40歳を迎える。そろそろ、親の私に論戦を挑み、勝つ程の経験と知恵を得ている歳だと思うが・・・・未だに挑んでこない・・・情けない・・・・

私が負けたなら、本当の意味で隠居・引退の時となる。

しかし、今は、家長として、力は衰え続けるが、踏ん張り続けて、徹して守り抜かねばと思っている。

三流で、無能な立場だし、願っても得れる知識も少ない・・当然、己の立場は解っているし、この立場でも得れる知識は得たいと貪欲に挑んでいる。

この様な努力をする必要が、無い一流で優秀な人が多い国が日本国・・・当然・先に書いた、私の近場の和割りの状況と違い・・・自業自得という基本を心得た上の言動・・環境から、周りから騙されたという方向には成ってないと思う。

もし、成っているなら、どういう意味での一流で優秀なのか???と成る。

私は、人間で三流・当然、多くの問題も失敗も有るし、その為に、背負っているものも多い・・・一流なら、背負える背も余裕が有ると思うし、身軽だから、身軽な振舞が出来ていると思う。

しかし、何故か、手を差し伸べてくれる人とは見えない・・・これが不思議・・・

強く、手を差し伸べてくれと思い、努力したら・・当然、騙したとなると思う。気に入られるために、忖度をする。この忖度は、当然、嘘に成る。

これを肌で感じていたから、母は老いたらら、身を飾り、金を持ったなければ、人は手を差し伸べてくれないと言っていた。

ボロボロの汚い、老婆には手を差し伸べないと言うこと・・・

人は、魅力を感じるから、手を貸す。この魅力の捉え方が、現代は一極方向だから・・・その方向を目指すことになるし、その様に粉飾、身を飾ることになる。

要は、必要な嘘・・・・方便とも言える。