2019年11月28日木曜日

思春期の中二病・・・

思春期・・・・子供から大人に変化する時期と言われるが・・・
五体以外に、精神的部分も大きく変化する時期に成る。

最近は中二病とも言う事が有るが・・・精神が不安定に成る時期でもある。

子供は、寄生虫的、価値観で生きている。親・宿主から多くのものを得たいという、価値観に成るし、他の寄生虫が居れば、当然、競争心で、他より多くが基本に成る。

宿主に頼らない、この方向に向かうのが、思春期とも言える。

親子として、生きる為の普通の振舞いに成る・・・勿論、幼い時と言う限定が有ると思うが・・・・親の宿主から一方的に、得る側の寄生虫が・・・変わる時期が思春期と言う事に成る。

この構図は・・・他から見れば、権力者と収奪される側にも似ている・・・この場合は、力が有る、屋根を貸す、主が・・・屋根の下に居る者から、収奪する形に成る。


構図で、仮に、主が親なら、親子間の関係に成るし・・・主が、力を欲しているなら・・独裁者と奴隷の関係に成る。

上下感の考え方で、180度違う、様相を示す事に成る。


又、この一つのサイクルの集団を形成すれば、どうしてもルールが必要に成る・・・・しかし、人が行う事、間違いや失敗も当然あるという、部分は、如何しても加味され難く成る・・・・又、正しいという論法で、人では不可能と言うルール方向に進む・・・この原理主義的考えが・・・結果として・・・同じ集団に属していても、その差が問題に成り、トラブルに成って行く。

又、ルールは誰を縛るのか????之も問題に成るが・・・どうしても主的立場で事を薦める事に成る。

若し、社会もこの構図と見え・・・同じと考えれば、宿主を変えず、40歳に成っても、子供の頃と同じという、事も出て来る。

本来、思春期の時には、今後、主として、又は宿主としての価値観への方向時期に成るが・・・その為には、多くの情報が居る・・・勿論、この部分の情報に成る。
しかし、現代は、寄生虫でどの生き方ら楽で、儲けるか・・・・この情報しかない・・・
勿論、自分の力で得る・・この思いが有り、学力を付ければ、当然、この様な立場に成れると思って進む人も居るが・・・現実にそのポストが与えられるかは・・解らないし・・・若し、寄生虫として私は優秀だから、甘い水が吸える立場に当然成れると覆っていたら、大きな挫折感を得る事にも成る。

私が、危惧して、ブログを始めた理由がこの部分・・・気骨が有る、青年が減っている。

寄生虫化したら・・・当然、宿主を守ろうとする・・・基本は己だけの宿主と言う思いが有るが、その宿主は、収奪する主とすれば、多くの寄生虫が居なければ、主の維持が出来ない。
当然、寄生虫全てがその様な思いが基本に有るので・・・・団結・結束を強める為のルール等々が、原理主義方向に向かう・・・
しかし、各々の寄生虫は、俺だけという、慾が有る中でのルール・・・当然、内部的に争い、それも何方が正しい、と・・・言う、原理主義的方向に向かいだす。

組織や集団の維持・・特に長い年数に成れば、当然、ルールも増えだすし、方向性は原理主義的方向・・・人間を無視した・・・神であるなら可能だと思える、ルールに向かう・・・当然、誰も出来ない・・・しかし、出来ないと言えない・・・隠す方向に向かう・・・この方向性が無ければ、その集団から除外される為に、嘘の嘘が続く事に成る。

この様な社会構造を、子供達は見ている・・・寄生虫として生きる道しか無いと思える、情報しか与えていない・・・
その為に、上下感の捉え方も、一方向・・・・それを原理主義的、考えで厳密化する・・・上なら・・・・こう有るべき・・・当然、自分のポジションは甘く、見る・・・・下の立場の者には、当然、俺に尽くせ・奉仕せよ・・・・上の立場の者には、当然、俺に尽くせ・奉仕せよと・・・己を中心で事を考える事に成る。
ルールの適応も、上下の立場には厳しい・・原理主義的に追及する・・・しかし、己のフールの遂行度は、意識していない。

この様な、社会に若し、子供達が見えているなら・・・当然、反抗する・・・しかし・・目的が解らない、大海に唾を吐くような振舞いと成る。

何故、反抗するのか、疑問が有るからに成る・・・この疑問に答える、情報が無いという事・・・鬱憤ははらす情報は多いが・・・

私は、人は各自、違うし、利点も欠点も含みで人である。

今、話題の反社会的集団に属する人・・・多々知っているし、合えば、話もするし、学友だったり、昔の友だったり・・・何かの縁で、知合った大事な人だと私は、思っている。

勿論、私は力もお金も無いので、立ち話程度で終わるが・・・・若し、お金に余裕が有れば、一緒に食事もするだろうと思う。

この価値観だから、同窓会等で、その様な同窓の友を呼ぶ、当然と思っているが、現実は、案内もしていないのが、現代に成る。
その事を、その様な立場の人と会うと、何時も言われる・・・同窓の中で一番、嫌われていた私が呼ばれて、何故俺たちが呼ばれない・・・教室ではヒーロー的、又は、重鎮的立場と、尊重されていたが・・・と・・・成る。

当然、私は、その様な振舞いを彼達にはしていない、同じ学友だと捉えていたし、何の配慮もしないから、当然、嫌われる・・・色んな仕打ちも受けるが、動じない・・・
その下っ端をしていた者が、何故、俺たちを今に成ると阻害するのかと成る。

私は、差別主義者と言われる、称えられる人も、タダの人としか思わない・・・勿論、間述べる部分は学ぶが、それは、全ての人からも同じ事をしている。

学力が出来る・・・スポーツが出来る・・・それが上手いか、下手かの差・・それでその人の全てが決まるとは思わない。

その為に、悪い事をしたと成っても、上の状況と同じで、人として全てが決まるとは思っても居ない。

特に、個人的、趣向での、好き嫌いは、あくまでも私個人の問題・・・他に影響を与えるなら、出来るだけ現さない・・・

三流の生き方だと私は考えている。己を優秀と思うなら、当然、自分の思いが優秀につながったと言う、部分が有るので、色々、自己の趣向も含みで言ってもよいと思うが、若し、それを真似してダメだったら・・・当然、ならないと言う前提が有るからに成る。

宿主と寄生虫の関係性を、共生とも言う・・・・しかし、宿主が無くなれば、寄生虫は死ぬと言う関係製でもない・・・新たな宿主を求める。
要は、主が食われる立場と言う事に成る。

逆の共生に、支配者と従属者の関係も有る・・・・従属側が食われる立場と言う事に成る。

何方にしても、生かさず殺さずで、永遠に続けたいと言う部分が有る。之が無間地獄とも言う。

要は地獄の様相も、結果的に続けたいと言う、思いが強く有ると言う事・・・・

勿論、この様な関係性を否定は出来ない・・・親子間の関係性も之と同じ・・・・・
しかし、お互いが共々に、配慮し合う・・・この共存が私は良いと考えている。
それを、遠ざける、部分が、ルール等の原理主義に成る。

こう有るべき論は、要は、配慮や、お互い様と言う、部分を排除して行く流れに成る。
結果、人がロボットか、神かで無ければ、無理なようなルールが出来て来るし、それが正しいと成る、世界が、怖い・・・

現代は、見える部分、五体等々の、配慮等は意識している・・・・しかし、心の部分、又人として、間違う失敗するこの部分への寛容さが無くなって行く流れに成っている。
この様な世界なら、目に見える、障害が有る方が、良いと言う時代に成る。
逆に目に見え難い、障害は、誰も配慮出来ないと成る。

簡単に書けば、色んな個性への配慮が、無い世界に向かっている事に成る。