父が居るので、早めに里から帰って来た。
今日は、二男の息子、私達から見れば、孫を二人、連れて里に向かった。
孫達にも、教える事が有る。先ずは、仏壇に手を合わせる・・・之が確り教える事が大事だと私は考えている。
この部分は、息子達にも教え込んでいるので、各自、大事な家ではこの行動をしている様だ・・・
何かの折に、若嫁等の親から、お褒め言葉を頂くので、云い付けは守って、行っていると思っています。
之も、私が幼い頃・・・・知らない大人が、来られると、仏壇に手を合わせる、この行動を観て、私の祖父に、聞くと・・・・・遠い親戚の人だと教わり・・子供ながらに凄いな~~~と思っていたし、私に小遣いをくれる人も居るので、何時も感心して見ていた。
昔だから、死ぬ之も当然の時代なのか???・・・・・親族が嫁ったが亡くなった、その家の関係者等々が、手を合わせに来られる、この行動に、凄いと思っていた。
私は無知なので、知らない事は聞かないと解らない・・・・知らないオジサンが、どの様な関係かも聞けば、少しは理解できる。
お盆の月は、この様な事が、当然の様に起きている・・・・しかし、聞かなければ、理由も解らない、又は教えなければ、解らない。
友の死に対して、盆手を合わせに行けば、その子供達も、自分の父の人としての関係性も見えて来る。
残っている大人が、子供に教える事が出来る・・・・仮に、手を合わせに来られる人が十人居るとしると、各々、理由が違う筈・・・・しかし、故人との関係性を、知らない、人には全てが同じに見える。
この部分を、教える、之も解る大人の責任だと私は考えている。
私は、先人に対して、手を合わせる行動は、良い事だと考えている。
良い事は、当然、後世に残す、責任も有ると言う事に成る。
私も幼かったが、祖父が、色々教えてくれている様だ・・・・
之も祖父後の役目だと考えているし、私の母はその様に言っていた。
親は、生活の為に、働き・働く・・・・・その間、子供の教育は祖父母がする・・・此処を他人等々に任せ過ぎるから、家と言う単位が無くなって行くと・・・
私も、母の考えには賛同している・・・・その為に、息子達には嫁を貰うなら、必ず祖父母と一緒に生活した、娘にする様に言っている。
この部分の差が、人が、人間か・機械かの、大きな価値観の違いに現れる。
要は、生老病死を見て育った人と、そうでない人の差に成る。
将来を託す、人達、私の場合は、孫が最優先に成る・・・・孫に何を教えるか、当然、父母の責任が高いと思うが、祖父母の役目も確り有ると考えている。
私は恵まれている、未だ意識がハッキリしている時に、孫に恵まれた・・・・この意味が有ると思うし、大事な部分だと考えています。
老いて、死ぬ、之を見せる勤めが有ると言う事・・・