世界的に、粉飾・体裁を整える事も出来ない状態に向かっている。
要は、ケツに火が点いた事を気付き、慌てだしたという事、ポーカーフェースを装っても、ケツの火の熱さを感じだしたら、火消しに必死になるのが人間となる。当然、水・水となる。今まで、火を消さず・・灯し拡大化した結果・・・・・・水・水と求めても対処療法、直ぐに又、再出火するのは必然・・・・
家庭でも同じ、息子に反戦を促しても、反省したと言って、直後の又、してしまう。此が人間の特性だし、癖になる。
本来、この癖を正すのが、教育だが・・・・癖を上長させる方向に現代成っている。勿論、良い癖も有る、しかし、悪い癖は???・・・この部分が現代は、対処が出来ない、諭す・諭す・諭すを続ければ正せるとは限らない・・・これを個性として認めろと現代は成っている。それだけの許容力や包容力が必要という事、当然、全ての人がに成る。
人様に迷惑を掛ける癖・・・勿論、金儲けが上手いと言う事もこのレベルに成る場合が有る。お金本位主義が台頭すれば、当然、この方向性に向かっていく、結果、多くの負け組、不幸な人々を輩出し続ける事に成る。
人は、直接、手に触れる距離感で無ければ、現実味が解らない人が多い・・・間接的に、人を不幸にしていると言っても、感じ難いし、俺は悪くないと思うし、仮に悪いと成れば、この様な環境が悪いと、責任を転換していく・・・・
社会の一員として、ギリギリ、受け入れて頂いている。異端児だが・・・社会で起きる現象に少なからず、私の責任が有ると私は考えている。
特に悪い事と思える出来事が有ると・・・己の力不足、何故???・・・如何すればとなる。当然、己に対してに成る。
子供が、真面の事を言い出す、危険な前触れで有る。安心した瞬間に大事件が起きるのが、通例だと私は思っている。
何度も書いているが耳障りが良い言葉には、大きな落とし穴が有る。用心に用心が必要で有る。
仮に、親なら、親の耳障りが良い、言葉は、子供が口から言う・・・・嬉しい事か、何か裏が有り、今後が怖い・・・何方かになる。