人間には、DNAに刻まれている・・・無意識と言う部分での、捉え方が有る。
日本国は真心・正々堂々と生きる・・・之をお天道様が見ている。最終的に評価される。この様な価値観が有った。
我一族も、明治以降に、他国の血かが、入り・・・一族を崩壊させる方向に成った。
己が良ければと言う、自己本位主義の侵入に成る。
集団本位主義から・・・己本誌主義、これが、戦後、西欧化される中で、加速している。
夕食で、今、私は寝酒と言って、焼酎を飲んでいる。その為に、何を書くか解らないが・・・血の怖さが個々に有る。
我が地域では、「やおなか人」と言う、表現が有る。標準語に帰ると、金に汚く、己本位主義と言う事に成る。この言葉を、相手に言うと、我が地域では、褒められていると捉える。
しかし、筑後川を越え、福岡に近付くにつれて、バカにしているのか・・・・軽蔑した言葉と捉え方が変わっていた。勿論、今から30年程前の話に成る。
我が地域は、己本位主義と言われる事が、褒め言葉と捉えていて・・・他の地域は、軽蔑した言葉と捉えていた事に成る。
九州と言う地・・・大陸からの流入も多い地・・・有史以前から、多くの人々の流入が有ったと私は考えている。
以前書いて居るが、任意保険等の、車の保険加入者率・・・九州が加入者率が、一番低いと昔言われていた。
イザと言う事を想像できない・・・その為に、貯え等も、少ない地域に成る。
環境的に、気候等も関係すると思うが・・・・今と言う、一瞬が良ければ、良いと言う価値観・その為に、悪く成ると、一気に火が付くと言う、特性にも成る。
昔から、日の国九州は、熱しやすく冷めやすいと言われる、理由とも思う。
私の一族の血は、関東からと書いて居るが、九州の人に比べると、用心深いし、心配性と言う事にも成る。
勿論、解らないし、何が正しいかも解らない・・・・
しかし、私は、真心を大事にしたいし、正々堂々と生きたいと考えている。
今、酒の為か???目眩が・・倒れそうになった。
嫁は夜勤の為に、午後5時に、送って行った・・・今、我家には五男と私しか居ない・・・・この様な環境を私は求めて居なかった。
誰が、直ぐに動ける・対処できる人が、側に居て欲しいと、願い、多くの子を儲けた。
しかし、5人では足らなかった事に成るし、若しかすると、育て方・教育が間違っていた可能性も有る。
今月、還暦を迎える、還暦後は、隠居として、能書き爺として生きたいと考えていたが、未だに稼ぎ手と成っている。
身障者手帳を貰っていて、今は、左手が骨折しているが、誰も、手を貸すと言う、育てた人から出て来ない・・・・
育て方の間違いに成るし、世間が何を教えていたかにも成る。
正直に怖い・・・目眩がして、意識が遠ざかる思いが・・・誰も居ないと成ると、怖さに繋がる。
還暦を越えると、側に誰か居て欲しいと思うと、母が言っていたが・・・私もその言葉の意味が解ってきた。
幼くても良い、大丈夫と声を掛けてくれる人に成る。
人は、何度も書くが人は「生老病死」から逃れる事が出来ない・・・勿論、負と思うので、考えない方向に成っているが・・・この部分を感じ出すと、怖さが身に染みる・・・・
要は、誰を育てたか?????・・・後継者を創ったか???を問われる瞬間にも成る。
どんなに凄い肩書が有っても、お金が有っても、力が有ったとしても、避ける事が出来ない・・・人の手が欲しいと思う瞬間が有るが・・・人に手を貸す人を育てたか???を問われる瞬間にも成る。
私は、三流だし、良い死に方はしないと覚悟しているが、それでも怖い・・・若し、一流で立派な人なら、当然、多くの人が手を差し伸べると思っていると思うが、現実は???
誰も居ない、黙って去るだけなら・・・三流と思っている私の終焉と同じ事に成る。
後は、己が居ない事に対して、悔いられ・後悔される場合と、喜ばれる場合とが有る。
私の場合は、三流の為に、手が掛からなくなったと喜ばれると思う。
勿論、優秀で一流の人は、多くの悔いの思いが有る人が大勢いると思う。
しかし、現実は????・・・之は第三者は分らない部分に成る。
死に向かう、片道切符・・・母が言っていた言葉に成る。
この道程で、何が出来るか????・・之を考えるのが、青年期と私は考えている。
唯物的物を求めても、死ねば、意味を成さない・・・・要は、唯心的、部分をどう、具現化するか・・・と・・私は考えている。
どんなに優秀でも、一流と言われても、「生老病死」厳然と有る。
貧乏人も金持ちも、当然、厳然と有る。
還暦後は、生きている事だけで、幸福と言う年齢と言う事だと思う。
後は、それを感じられる、己に成っているかが問題と言う事・・・・死んでいても不思議でない年齢・・・・生きられたと言う事は、全てに感謝と私は考えている。
しかし、怖さが有るので、当然、後継者を輩出できなかった部分は、自業自得と言う事にも成る。
大いに、波乱万丈の生き方だが・・・それでも確り命を保たれている。奇跡と思えるし、奇跡的事が出来たと言う事は、全てに感謝と言う事にも成る。