私の体を整える為に。着替えの寝間着を購入に、お昼前に買い物へ・・・・・・その間に孫娘が。私の部屋へ。じーちゃんと言って入ってきた ビックリした。今日は、公休のようで来てくれたのが嬉しい、嫁・・ばーちゃんが帰ってくるまで、孫に伝えて置かなければ成らないことを。年相応に教えたいと思うし、11人の孫が居ても、皆小学校の低学年やそれ以下・・・私も何時までも命があるとは思って居ないので、出来るだけ早く、後生に伝えたい事が有るk。その為の子孫。子育ての時は。生活で追われ。生きる為に必死・・・・少し余裕が出る。祖父母の時が其れを行えるチャンスだと私は考えています。私は22歳の孫娘。二十歳の孫息子・・・・この位の年齢になれば、私の話も少しは理解し出すと思う。私の基本は、人の違いは有ると思うが。其れで何かが変る。特に人としての人権等の遇われ方が変る事が、嫌で有る。性格なのか????教えで成っているのか???解らないが・・・・変える事が出来ない、勿論、優秀と言われたい。スキールや色々と経験したい。しかし何の為・・・・此処が最近の日本国も、西欧的・大陸的・一神教的方向に向い過ぎていると私は感じている。この事は何度も書いている、様な何の為に、優秀になり。力を付けるのか??????もし、人間社会も未だに動物・・・弱肉強食の世なら、当然、事大主義が蔓延する。この様な世なら、力が有り、優秀な人には人が群がるという事に成る。これを利用して、集まってくる人々から搾取する立場が出来る。此は哲学、民度の度合いで変る。何の為の生活なのか。生きるという事は何なのか????此を真剣に考えず。他との競争・勝つ事が正しいし、其れが幸せに繋がっているという妄想が。結果として。搾取する側から視れば。一番扱いやすい!!!事大主義・・・簡単に書けば動物の親分子分という流れ・・・・本来能力と利口さがあれば、己より劣っていると言うより、神輿を担いでいる立場に多くの利をも足らなければならない。しかし、大勢過ぎて全ては見えない、見えやすい立場だけに成る。結果。勝手に忖度し機嫌を良くした者だけが利を得る。現代は、劣っているから。変わり者除外されると思い込んでいる人が多い、今の世の中、現実に言えば。変化・改革を非常に拒否する流れである。簡単に書けば、この歳の人間がパソコンでブラインドタッチで入力できる。又、左手には障害が残り、薬指と小指が思うように動かないが、それも、己の問題。己が痛くても悔しくて治そうと言う思いで取り組んでいる。いま歩くことも困難、歩行器を使い数メーターの小土肥が限界、当然。トイレで立ち上がることは出来ないので。家族の手を借りている。正直情けないし、プライドも全て無くなってきた。数日前。トイレで立ち上がれず家族を呼ぶが返事が無い。40分ほど待つが誰も来ない。仕方が無いので。トイレから這うように出たが廊下の途中で動けなく成り、20分程動けず・・・・・嫁が帰ってきて。こんな処でと怒られながら寝室に運ぼうとするが・・・・小さな体の嫁。私を動かす無理な事。それでも必死にベットへ寝かせてくれた。己が、恵まれているときは、物事から逃げる事も出来る。しかし、一旦逃げ癖が付くと、損得勘定だけで事を判断し出す。今回の病で。略4年ほどの闘病。稼ぎは殆ど無くなり。其れでも。ギリギリ生活できた。此も責務と出来るだけ背負い続ける思いで生きたからだと思う。孫娘には今まで、育てくれた人。特に母親を大事にしなさいと言っている。要は関わった全ての人に感謝。その優先順位をどうするのかが、孫の力量になる。今日は。デートという事で。化粧して出掛けていったが・・・・ひ孫も視て死ねるかも知れない・・・・期待・希望・夢に繋がる。願い・祈る事に成る。思いが。現象・結果を作っている。其れも同時これが宇宙の哲学だし、仏教の哲学、距離を考えれば、那由他に長い・・・しかし、強い命の思いが有れば。その距離を瞬時に乗り越えて、其れを受け取った人が瞬時に動き出す。此が、宇宙のリズム・・・・・小さな地球くらいなら、誰しもが得している、儲けていると思うなら、真似をする。其れをさせないと、力で押さえる。此が現代の、世界の秩序・・・・違うと思う。
2025年12月16日火曜日
希望!!!
子供の頃、セピア色の世界で記憶しているが、貧しい事が普通だった時代、其れが要因なのかは解らないが???貧しい、劣っている親やその前の世代を背負い、責務の覚悟が当り前と思っていたので、怖くは無く、その為にも希望を持ち、己に力を付ける。子供の頃は、勉学になる。劣等生のレベルの私でも両親を、看取ることが出来た。子供の頃の責務の一番最初の、両親の死水を取る。尻拭きが出来る。立場レベルになる事を願っていたが、結果できたことが一安心になる。後は、息子達家族の事を何処まで、面倒が看れるか????病の体の為に大きな事は出来ないが、出来るだけ関わっていたい。数日前に、長男の第二子の男の子が二十歳の誕生日という事で、我家から、長男と、孫達と一緒に夕食の食事会に出掛けていった。その様な姿を見るだけで私は嬉しい・・・・・最近結婚した。四男は、喧嘩・トラブルが続いている。お互いが見合っている。相撲を取ろうと思っている。勝ち負けの勝負で無い・・・・入籍した後に病室に来て、報告したときのこの事は話している。絶対に見合うな!!!同じ方向を見る!!右なら右・左なら左・・・・夫婦は、共に目標に向い進むもの・・・・当然各々の趣向もある。全く同じとは成らない、結果妥協が必用に成る。私は嫁に苦労を掛け続けていると思っているのも、大きく嫁が妥協していると考えているからになる。その償いの一つとして、彼女の歌を唱う事に対しては、反対しないし、気持ちよく送り出している。
何度も書くが、この年齢で、仕事が出来なく、寝たきり・・・・トイレに行くにも、少し動くのにも介護が必要、お金に余裕があるのか???、4年ほどの闘病中に殆どのお金は無くなった。この間に、末子の就職も決り、身の負担は減ったが、後は何もして上げる事が出来ない状態に成っている。この様になれば、今の価値観なら、殆どが離婚で追い出される。金銭的なお金の事なら。この方が利口かも知れない。生活保護、医療保護・・・全てが整うし、今後の様態の悪化の場合も介護老人ホーム等へスムーズに移行できる。大船に乗った状態で良い、今は、明日も不安である。