朔日は・・・息子達家族が集まってくれた・・・・
しかし、私は、事務所二階の自室で・・・静かに過ごしていると言う状況・・・・
終わりに近づき・・・顔を出す程度で終わった。
私が居ない方が、盛り上がる・・・・居ても、残飯・処理に私が成るだけで・・・座る場所の、当然、一番隅・・・・居ても、居なくてもよい立場と言う事にも成る。
今日は、母の里に正月客と成っているが・・・体調が悪いので、断ることにした。
申し訳ない・・・・
何度が書いているが・・・盆と同じで、正月も先祖を迎え・・・子孫の現状を報告する場・・・・先祖が居るから、今の自分が有る・・・その事に感謝する時でもある。
この時に、体調を壊す・・・情けないと思う・・・・
しかし、考えてみると・・・・五十代に成ってから・・・正月・お盆の期間は何時も体調が悪い・・・・その前の準備等々で、疲れている為なのか????
勿論、老いが影響して居るとも思える・・・・本来、この様な準備は、若者が先人からの指示や命令で準備する・・・之で、経験を積み、何が必要で、なんの為の、行事か等々も自分で解り出す。
私も、母親からの命令で、準備をしていたし、勿論、同じ年齢の人達は、旅行等々の計画を行っていたが・・・家各々の流儀が有るので、我家は我家だと、母親からは言われていた。
要は、下働き・裏方の経験が、その行事の維持に繋がる・・・参加側だけなら、その行事は途絶える。
特に、意味を見出せない・・・事柄に対して・・・下働き・裏方等々の経験が、事柄の維持に繋がる・・・組織や集団でも、色んな事柄が有る・・・勿論、確り意味を見出せる対価が有る、事柄は続いて行くと思うが・・・無駄に見える、事柄も厳然と存在している。
意味が解らないから、裏方・下働きを、行い、続けていると、意味が見えて来る。
先人が、考えて、行っていた、事柄・・・必ず、意味が有る。
又、それが、続いていた時の方が、社会的にも、高度成長と言う時代だった。
昔は、この様な事柄、大事と考えていた・・・しかし、それが出来ない場合も有る・・・その理由は、殆どが仕事だった。
大事な事柄を放棄するだけの、意味が有ったし、それは生産に繋がる方向だった、之が、国を発展させた。
家の事柄・地域の事柄より、大事な事柄・・・当然、仕事に成る。
私も、この事柄を、後世まで繋げたいと思っているが・・・・参加者を多いが、裏方・下働きの子供が居ない・・・之が意味する事は・・・私の代で終わる可能性が高いと言う事に成る。
先祖を迎える・・・正月という、考えが何時まで続くか????
現代では、この事さえ知らない人が増えているのかも知れない。