父の三回忌・・・終わらせる事が出来た。子として当然の責務を行っただけだが・・・・私の場合は、簡単な事だが、病の身なので、これも可なりの重荷に成っていた様だ・・・・
笑われるレベル・・・容易く出来る事が出来ない・・・体が病だからと責務から逃れる事は基本出来ない・・・・勿論、名代を輩出し、後継者が確りと後を引く次ぐなら話は違うが・・・現代は、最後まで、一人に人間の責務に成っている。当然、生物なので、「生老病死」から逃れる事が出来ない、之の含みで、明日の信用とすると言いう事、しかし、現実に明日の命の保障が有る人間等、居ないのが現実・・・その為に、後ろ盾となる一番の信用は、確りした、若人の名代、後継者と言う事に成る。
この部分が無い状態で、信用セロと言ってもどこに保証が有るのか???50年後???等々、将来に繋がる人達に排出を止めたら、崩壊・破滅に向かうのは誰しも解っている事に成る。
仮に、神と悪魔が居ると想定して、人間社会を維持・発展させる働きをするのは????誰しも神の価値観と成ると思う・・・逆に人間社会を崩壊・破滅に向かわせるのは????誰しもん悪魔の所業と取ると思う。
要は、人間一人一人が、悪魔なのか、神の思いなのか・・・それが問われている。
悪魔に長けている人を、若し、一流や優秀と言って尊敬・憧れるような世界なら、当然、最後は、崩壊に成るのは誰しも解る事に成る。
世を善に向かわせるには、一人一人の言動に成る。些細な言動の積み重ねが大事だと思う。負や損の後片付け・尻拭きを確り行って居れば、社会は浄化され続ける。
汚れた水の底の泥を砂に浄化し続ける・・・植物が、蓮で有る。
蓮は、澄んで綺麗な水の中では育たない、又、地面は砂でなく、汚泥と言った方が良い場所に成る。
己の住める環境を浄化し続けているが、己の身には良くない・・要は損している事を行っている。この蓮の作用を、仏法は大事にしている。
己の身の損をあえて行っている。世を浄化したいと言う単純な目的の為に・・・この思いが、蓮仏法の基本にある。
先ずは、己と言う、世界が、一神教の世界・・・病だからしかたが無いと言いながら、責務は当然、有り続けるのが、この様な世界・・・
仏法の価値観は、己はどうで有れ・・・目的に対しての責務は果たし続けると言う考えが有る。どんな形も・・・逃げたり・避けたりできない・・・若し、これを望むなら、代わりに成る人を輩出する事に成るし、当然、その人本人の責務と背負った責務の二つを背負う事にもなる。
これが出来る、価値観が仏法である・・・だから、中々、根差さない、直ぐにとん挫するし、縋るような信仰が良いと成る。
全て己の責務、この様の全ての現象が、己の責務と言う捉え方に成る。
凄いと思うし、到底、到達できなレベルである。私は、鬼畜の命が強いので、如何しても己を安全地帯に置いていたい・・・余裕が有れば、手を差し伸べると言う、傲慢さが有る。
手を差し伸べさせて頂けたと言う感謝の行動でない・・・傲慢は、鬼畜の行動そのものだと思う。
優秀で一流な人が多い、日本国・・・この様な人は少ないと思うのが、救いに成る。若し、この状態だったら、日本の崩壊に成るし、日本の崩壊は、世界の崩壊に向かうと私は考えている。
争いが絶えない、世界に戻るだけに成る。
戦いが好きで、闘いを嫌う・・・この様な世界なら、崩壊しかない・・・
私の体も限界を超えた、少し、休ませたい・・・気持ちだけで法事を行った。結果、体はボロボロ・・・孫を保育園に迎えに行ってきたが・・・キツク・倒れそうだった・・・・そろそろ限界なのか???体が震え続けている。