2019年1月9日水曜日

奈落に地獄に・・・

よく奈落に落ちる・・・・地獄に落ちる等々の表現を、聞いて・・・良いとは思えない人も現代は増えている。

日本は民主主義国家である・・・民衆が主体者と言う事だし、この民衆の動向が、国を動かすと言う事に成る。

この枠組みの中で、生きている・・・私は何時も考えるのが・・・・この社会の動向が結果的に、自分の現実に繋がっている。

人間で無い・・・営利団体・・・一般に言えば企業活動は・・損得勘定で得を取る、之を模索するのは当然で有る。

中には、法的に違反しても、営利が大事だと・・発展を続けた会社が、潰れる等々も有る・・・当然、社員は、一緒に奈落の底に落ちると成る。

社会も同じで、社会の普通や動向を、必ず感じている・・・この部分に問題意識を持たず、今は良いから得しているからと、対処しなければ、当然、社会と共に奈落の底に落ちる事に成る。

しかし、人は、利口と言うよりは、姑息に、この負から交わす之を、偉い、優れていると考える価値観も有る。
結果的に、奈落の底に落ちる人は、その人の分まで背負って落ちる事に成る。

一般的に、上り坂が有れば、下り坂が有る・・・・しかし、この下り坂を認めない人が、現代は多い・・・・
現実に有る、下り坂を誰かに押し付ける・・・之が出来る人を権力者と言う人も居る。

今。後輩が帰ったが・・・・彼に、この様な生き方をする。之も面白いと私は考えていると話していた。
人だが・・・生物としての自己防衛本能、又は自己保身の本能も有る・・・之は本能・・・・人なら、思い・考えだけでも・・・逆を意識しても良いと私は話していた。

本能との戦いと言ってもよい・・・・・考え様では奈落の底に落ちるのも本望と思う事だと私は考えている。

人は一人では生きて行けない・・・この事が意味する事は他人が必要と言う事・・・

この必要の意味を私は考える・・・自分に楽だから人が必要と思うなら、結果的に人を利用している事に成る。
逆に人から不利益を得れば、当然、この価値観なら不要な人と成るし、側に居たくない人と言う事に成る。

よくよく考えて・・・・・人が必要と思っている理由が人を利用したいこの様な目的を胸に看板を付けて表記したら・・・・人が寄ってくるか????・・・・・・
他人を利用する之が、目的と解れば、当然誰も寄り付かないと思う。

損する人も居るし、得する人も居る、之が社会に成る・・・この損する人を誰がカバーできるか???之も社会の宿命であると私は考えている。

この部分が有ったので、昔は家督制度と言う縛りで・・・社会を丸く収める方法で行って来た。

しかし、この部分が無い現代・・・負の人を誰が背負うのか???之が問われている。

終戦後のドサクサで育った、親の世代の子供が私の年代に成る・・・・・・学問も哲学も糞喰らえ程度にしか思っていない、親の世代に成る。

その為・・一杯苦労し学べて言ってくれた人が居る。この人達を背負う時が来ると教えて貰った。

私の場合、父の会社の倒産で、背負う時期が少し早かったが・・・子育ても含め・・・頑張って来た。勿論、仕方が無い部分だし、誰も恨む等々考えてない。

父達が育った環境が悪いと言えば簡単だが・・・それを後から変える事は出来ないのが現実に成る。

よく私が思う事が、評論する立場なら、その人を背負って走れてと言いたい。
優秀で長けて居るから、評論の場を与えられていると考えるからに成る。

若し、この様な立場の人が、社会的に評価され・・テレビ等々で見て、何を感じるか????優秀な人・優れている人・・・長けている人は・・・基本、自分に優しく他人に厳しいと見えるなら・・・当然、馬鹿でも其れを望む人が多いので・・・この方向性は走り出し易いと成る・・・・

逆の価値観がこの場合、劣っている・馬鹿だと成る事にも繋がる。


私は・・・・人は必ず、長けている部分も有るし劣っている部分も有ると考えている。間違いも起こすし、失敗もする・・・・

人に内在している、失敗や間違い又は劣っている部分を本人が個人で解決できる人は良いが、其れが出来ない人も当然居る。

居るなら、側に寄り添い続ける・・・之も大事だと考えている・・・当然、分を超えたなら、共々に地獄に落ちる可能性も有るが、其れは仕方が無いし、自分に力が無かったと言う事に成る。

勿論、この部分も各自のレベルで違うし、ポジションで違ってくる・・・私は三流だから、当然、自分の家族だけで、手一杯に成る・・・・

来月には新たな命・・・孫が増える・・・・この部分も私の責任に成る部分・・・・

よく、分が無いのに大家族とも言われた・・・・しかし、自分に力の限界も解っているし、三流と確り自覚している・・・・新たな命には大きな可能性が有る。

三流の爺が・・・・二流の孫に恵まれる可能性も有る。

夢の様に、人間が瞬間的に、大きな変化が出来るとは信じていない・・・・特に歳を取れば、日々、劣って言っている事を自覚している。

地獄の底を見られる・・・・之も人が居た為に成るし、感謝に成る。
三流だから、地獄程度が分相応と言う考えも有るが・・・・

後輩に何故、人は境遇で物事を考えるのか????その境遇を自分に都合が良い方向を良い方向と思うのか????

先に書いた、他人が自分に尽くす事を、求めている事に成る。

人に尽くす、この尊い振る舞いを何故、否定する価値観なのか????

否定している価値観の人が、何故、他人には求めるのか????

劣っている人なら仕方が無いが・・・・この方向性の人は社会的に長けている人と言われている。

人類歴史上・・・・此処まで、人の命が体裁で左右される時代は無い・・・本音が出せないと成れば、其れは、生きている意味が無い・・・生きる意味を見出さないから、益々富を求めだす。

何度が書いているが、背負う人が居なかったら、とっくの昔の私は死んでいたと思う・・・背負っているから倒れる事が出来ない・・・この思いで生き続けて来た。

今まで生きてこられたのは、その様な人達のお陰だと私は感謝している。

自業自得

物事・・・全て自業自得だと私は考えている。

悪い事が有れば、特に自分の責任・問題だと考える方向性に若い時から、して来たが・・・この部分が中々難しい・・・・・

全ての人が、自業自得と考えているなら、完結できる・・・・しかし、中には、得は己・・・負は他と考える人も居る。


よく私は例に、パチンコ屋を書くが、得する人・損する人がお互い自業自得と考えて居れば、よい遊戯だと考えるが、現実には違う感じが私はします。

博打は遊び程度で良いと言う事にも繋がる・・・・勿論、各自、遊ぶお金の大小が違う・・・

仮に500円なら遊び捨て金として出せるレベルも有る・・・・私の場合、この金額でも捨てる事が出来ない・・・・之が意味する事は、博打にはこの金額以下しか使えないと言う事に成る。

自ずと各自、違うレベルが有ると言う事・・・・

この違いを認め切れない社会に向かっていると私は書き続けている。

何故なら、遊ぶ金、本来各自で違うのだが・・・この部分まで、一般化や普通等々の表現が出て来る・・・・誰が決めたのか????

息子達が、パチンコをするが・・・五万円ほどの軍資金が無ければ、怖くて出来ないと言っていた。
この言葉で私が感じるのが・・・この金額が、パチンコ屋さんで遊ぶ最小単位に成っていると言う事・・・

勿論、レベル的にこの金額でも捨てられるという人も居ると思うが・・・・私のレベルなら当然、無理だし不可能に成る。

中には、私のレベルなら何も出来ないという人も居る・・・之を私は恥だとは感じて居ない・・・当然だし、仕方が無い・・・・宝くじで三億程度当てたら、遊んでみたいと思う程度に今は成っている。

怖いのが、この様な他人と比べて劣ると見える問題を、今の日本人は見せない・・・・普通を装っている・・・・・結果、誰が決めたか解らない普通を、当り前の様に受け入れている部分に成る。

受け入れた結果、悲惨に成った・・・・この場合は、分を超えさせた社会の普通が悪いと思うが言えない・・・・・之が、今の日本国に成っている。

本来は、人の営みで発生する、問題を日頃、話・語っているなら・・・それで学ぶ人も出て来るし、社会を変えようとする波の起こせる。

しかし、問題が出せない世界なら・・・・当然、社会が創っている普通が基準に成り・・・この基準の上に居る事が、良い事・・・幸せと言う流れに成る。

結局、この様な情報を人が求めだすという事に成る。

しかし、良く考えると、社会が創っている普通も、よくよく自分の分を考えると、高過ぎる・・・この様な意識が無い方向に成る。


現代は、父の価値観に近い、不味い食べ物と、美味しい食べ物、どちらを選ぶ・・・父は100%の人が美味しい方向を選ぶと信じているし・・・それが普通だと思っている。

しかし、各自、味覚の好みが有る・・・・同じ食べ物でも不味いか???美味しいかも違う筈・・・しかしこの部分まで、自分の好みを押し付ける、之が普通だと思っている。

勿論、押し付けられても受け入れやすい方向では有る・・・・・癖の有る食材・・・納豆等を西欧人に進めれば、当然拒否される・・・

昔、スナックに行った時に店長から、貴方は角打ちが合うと言って居られた・・・・
私は分相応と言う考えが強い・・・・入れる店も自分の格で変わると考えている。
私が外食を嫌うのも、私の格に合う店が無い為・・・・

小汚い店で・・・頑固なオヤジが夫婦営んでいる・・・値段は安いが、食べろという自信を感じ取れる店が今は無い・・・

要は、人としてプライドやプロ意識と言う部分が現代の価値観と違うタイプに成る。
現代は、人より要はお金・・・仕事よりお金と成っている店が多い・・・
プロ意識に、仕事に対して不味いならお題は要らない、このプライドが無い・・・

仕事をした結果の対価・・・しかし、現代は店に入った時点で対価を計算している。

之が普通に成り・・・標準化している・・・之に問題と言う人も少なく、普通を装っている。

何度が書いているが、私は修理人として生きて来た・・・修理の対価・・だから徹底してお客さんが求める方向にしてから、ヤット対価に成ると考えている。

しかし、現代は、一歩玄関から足を踏み入れたら対価・・・修理が出来る出来ないで無い・・・

勿論、逆の要素でお客側も問題が有るのかもしれないが???

仮に、社会が言っている普通を行っていた・・・結果悲惨に成った・・・社会が悪いと成るか???
現実は自分のレベルも知らず、振る舞った之に問題が有ると成る。

それなら、何故日頃から、この部分を言っていないのか・・・各自レベルが有るのでよくよく考える事と・・・・

結果、子供達が・・・普通はお年玉をこれ位貰ったという基準まで出て来る・・・・普通なら長期の休みは旅行が振るうと言い出す・・・我家は、回るお墓が多々あるので、其れを終わらせる事が先決と言っているが、「ありえない~~」と言うしまつ

仮に、クリスマス・・我家は仏教・・・クリスマスは無いと言うが・・・ケーキを食べたい、プレゼントが欲しいと言うので、クリスマスが終わってから安く成っているのを買う事にしている。

私のレベルから普通を見ると、全て上に有るし・・・優れている方向に成る。

分相応

私は、ブログによく分相応と書いている。

文は自分の能力等々に成る・・・

相応は・・・ちょうどつりあっている事・・・に成るが・・・
この部分が難しい・・・・

仮に、学力も分相応が有ると思う・・・・小学校を卒業しているなら、当然、小学校の学力を得ていると成るが・・・現実は、どうかは各自で違うと思う・・・

社会的に認識されている。普通で、事を考える傾向が有るが、現実の自分と成ると、この基準に当てはまっているかは、定かでない場合が有ると思う。

面白い現象が、先に書いた、学力を例にすると・・・小学校でも解ける問いに対して、小学校を卒業している人が、解けなければ・・・・私は有りえると考えているが・・・社会的には馬鹿と罵られる傾向が有る。
之が常態化しているなら・・・罵られたくないと、この部分を隠す方向に成る場合が有る。
要は、学ぶ機会を自分から、逃している事に成る。

仮に、義務教育を受け、卒業していると仮定すれば・・・当然、中学校の問いに対しても、答えられるはずと言う、認識に社会が成っている。

この様な認識が普通と成っているなら、小学校の問いに答えられない・・・・この場合、罵られても仕方が無いと私は考えている。

勿論、認識が本来各自で違う筈だが・・・社会の認識に準じた生き方を目指せば、当然、この部分でも出来て当り前に成る。

私は相応の、ちょうどつりあっていると言う部分に、疑問が有る。
その為に、分以下と何時も私は言い聞かせている。当然得られる部分に対して・・・・行動や努力と言われる部分は、分が無いので、当然多くの苦労と努力が必要に成る。

自分の分を知る、この部分は、人様の評価で、一番、悪い部分に分を置いている。

世間の評価で、一番下に置いていれば、後は伸び白が多々ある部分を伸ばす方向に成る。

之が、社会が言っている普通だと私は考えている。
自己評価ほど、曖昧な事は無いと私は考えている。

しかし、他人の評価・・・・・正直に自分自身を見せていなければ、その評価も曖昧に成る。署湯時期に有りのままを見せて生きて居れば、当然、正確方向に評価も向うと私は考えている。

仮に、自分の分を、知らず・・・間違った分だと思い込んで居れば・・・困るか???困らないかに成る。

先に書いた学力を例にすれば・・・大学も東大を卒業していると思い込んでいる人が、小学校の問いに答えられない・・・この状態に成れば????・・・・学力不足を嘆き、学ぶ努力に向かうか???・・・・・周りを巻き込み、この位は有りえると、学力不足を埋めようとしないか???・・・
色んな対応が有ると思う。

物事に対して正直に、愚直に邁進し続ける・・・・之が求めれれるが・・・最近は、この様な行動こそが、馬鹿な証拠・・・損する生き方と言う風潮まで出て来ている。

要は、虚栄を張って自分の分を大きく見せようとする、人が多い世界に成っている事に成る。

この虚栄に応援してくれている人を仲間と思い・・・正直に生きれと諭す人を、蔑視する流れを作っている。


競泳で創り上げた・・・・その為に、粉飾は当り前・・・・之で、本当に良いのか????

分以下の生活を心がける。之を最近特に大事だと考えている。

社会の風潮として、人を下に見る様な方向性が指示されていない為なのか・・・・略全てが歯が浮きそうなお世辞が、普通に成っている。

この様な言葉を世間の評価と勘違いを起こすと、分相応の生き方でも崩壊する。