2017年4月16日日曜日

何か、ヒントが・・・・欲しい・・・・

テック・コンバのストレートでのグリップに戻す・・・・この操作を加速体制状態で行いたいが・・・下手の為に、可也難しい・・・・

述べ5パック程、練習したが、ヒントが見えかけても、まだまだ駄目・・・・

昨晩も、回転が足らない感じ・・・非常に食い過ぎる感覚の中での操作・・・・この状態に成っても、ハイポイントは上げないと考えて、頑張っている・・・・

ドリフト中の速度は、私の操作レベルで、現状で限界ポイントに近い・・・・

若しかすると、タイヤの能力が高過ぎる・・・その為に、無駄に回して、速度域を失速方向で、対処している可能性も有る・・・・この状態でストレートに進入、結果、オーバースピードと感じて、大きく減速方向で、二発目に進入、此処でも減速できず、三発目の少しのグリップ走行が、アタフヤするこの流れかもしれない・・・・・

ストレート以外の部分では、一所懸命に速度を抑え様としても、回転が足らない・・・・結果、他の車との車間が広がるが、今度はストレートの加原則部分で・・・・一気に抜けれるこの様な走りに成っている

減速を伴わない、フロントへの加重移動が現状の私の車だと難しい・・・・之もストレートへの進入時に深いドリウフトアングルを残している為・・・・この動きが好きだが・・・

前回、私の車を試乗してもらった・・2駆ユーザーのグリップ走行の進入が、一般的2駆ドリフトカーの進入角度と殆ど同じ、私の車ではグリップ状態だが、何故か2駆は、深いカウンターを出して、リアが真っ直ぐに押し続ける、走りが出来る・・・車の角度、リアが通るラインは一緒だが、カウンターが出て切るか、出ていないかの差が、このストレートの侵入部分に有る・・・・・

考え、妄想しても答えが見つからない・・・・・エキスパートの人が、コースに来て頂くなら、ヒントを教えて貰いたいとも考えているが・・・・・その様な方は、誰も来られない・・・・

結局、一人で模索を続ける事に成る・・・・・

昨晩も何台かの2駆を、試乗出来る・・・チャンスを頂いた・・・感謝に成る・・・・・

本当に楽な車が良い車なら、鼻歌交じりで走れる、車が多い事に驚いている・・・・・・

勿論、他のユーザーのケツカキの試乗も有るし、時には、初心者さんの等速四駆の市場のチャンスも有る・・・・全て、楽な操作で、走らせる事が出来る・・・この部分を良いと言えば、よい車が多い・・・・

この試乗で楽と感じられる事は・・・・テック・コンバの教習車的、部分が確り確保されている証拠でも有る・・・・

私には難し過ぎるし・・・RC独特の操作の癖が色濃く体に残っている・・・・動かしたいポイントで瞬時に動く、之がRCの特徴・・・・しかし、その分、加重移動等を無視しても走る車に成る・・・・

私は、この操作の癖が強い為に、今は、加重移動等を確り意識しないと走らない車としてテック・コンバで、練習を重ねているが・・・・之が間違っている方向なら、他人様の車も操作できない方向に成る・・・・



自然に更新・・・・

先のブログにも書いたが・・・・・

物事や自然の流れで・・・・必ず更新が行なわれている・・・・

しかし、人間は何故か、一番、居心地が良い場所を、譲ろうとしない・・・

私位の年代なら・・・・大人に成ったと成れば、家や・一家の名代として・・・・色んな事をさせられる・・・

地域の事や、家を守する等々、全ての作業が、若い世代に、更新されて行く・・・之が普通だった・・・・

その為に、仮に台風が来ると成れば・・・家の養生の為に、働く、之が若者の仕事だし、家の品格にも成っていた時代である・・・・若し、現役を引退している人が、屋根で作業している等・・・その一族の恥だと考えられていた・・・・

何の為の、子供か、子育てか・・・勿論、後継の者を得る、育てる為と成っていたが・・・・

最近は、この様な考えが廃れた・・・・

小さな、単位の家や一家という部分でも・・・・リーダーに成る為には、キツイ、下働きを経験し、一所懸命に雑巾がけをした上で、このポジションが有るし・・・・

その為には、若いときから、家族守・家守等々に携わる・・・義務と権利が本来有る・・・・


この小さな単位さえ、このキツイ部分を放棄したり、考えない人が増えている・・・・

この価値観なら、もう少し大きな世界、地域や会社・社会と広げていけば、人としての義務を気付かず、又考えないで、権利だけを要求し、其れを得る人が得したという世界に成る・・・・・・


私が子育てに、奮闘していた時・・・・お年寄りから・・・よく「沢山の男の子供さん・・・今は大変だが、将来、必ず良い時が来る」と言われ続けてきたが・・・・現実は、少し違う感じがする・・・


最近、一般論と違うと思うが、自然に枯れて行く・・・之を求めている・・・・

枯れれば、その分、子供達が主体者と気づき出す・・・・・何時までも私が強い、と限らないし・・・・その維持を努力しても、子供が主体者と気付かなければ、子育ての意味が無い・・・・


母が言っていた・・・・子守・家族守・親守・地域守・・・・・・色んな守が有り、最後に墓守が出来て初めて、一人前・・・・その後は、気付かない守を探す、之が人だと教わった・・・・間違っても自分を前に持ってくれば、男で無くなると・・・・永遠に、荷物を背負い続ける、この覚悟が無ければ、死ねとまで言われていた・・・・・
その為には、人の言葉は正面から受けて、対処する、その結果が、馬鹿にされようと、この行動が人だと・・・・・・

男が、褒められ、祭り上げられる時は、死ぬ時と言われていた・・・・・・

中々、難しいし、私も出来ないが・・・・この思いを子供にも伝えたいと考えている・・・・・

この更新作業が、現代の社会の一つの問題のようだ・・・・・昔からこの事は、祖先等々の思いも含みで、歴史が継承される・・・・この継承が結果として、文化に成る・・・・

勿論、この部分を守る、この守る事が、現代では、大変・意味が解らない・キツイ、之で片付けてしまっている・・・・

益々、人が、唯の動物に成って行っている・・・・遺伝的な部分以外の人の部分の継承を忘れていると私は考えている・・・・

動物なら、老いる事も知らない・・・病に成ることも知らない・・・死さえ知らない・・・・現状を永遠に続く物と考え、其れに邁進し、戦っている・・・・子供は単なる遺伝子の継承だけ・・・・

この生き方が、人の生き方なら、なさけないと私は思う・・・・・

しかし、現実の社会は、この生き方を推奨しているし、その中で、凄いハーレムを作る之が幸せと教えている・・・・・

完全なる、畜生の生き方に成ると、私は思うが、優秀な人がこの方向を進める世界・・・・ハーレムを作れなかったなら、唯のゴミ扱いに成る世界と私は、恐怖心が出る・・・・


大義名分・・・・過去を見れば、怖い・・・

我が国、周辺がきな臭い・・・・・・・

過去の歴史を繰り返す、可能性も有る・・・・・・

一神教・白人から見れば・・・・有色人種は如何見えるか・・・・

以前も書いたが、黄色人種の、日本人が・・・・他の国で、殺し合いが有っていても、殆ど気に成らない、フ~~~~で済むと思う・・・・特に人種が違うと言う認識が有る場合、尚更に成る・・・・

特に一神教の、価値観だと、自分達は選ばれた人間・・・・それ以外を人間と見ない方向性がある・・・

之が人の心で有るし、本性である・・・・

しかし、国としての対面が有る・・・・その為には大義名分を必要とする・・・・

其れを得るためには、色んな手段・・・・中には姑息な手段も取る・・・・之が現在の国家の有り方の基本に成っている・・・・・

全体が良くなる・・・・この発想は、基本的に資本主義の価値観なら有り得ない・・・・得る者と、損する物を作り出す、価値観である・・・・・・

若し、勝ち組が、得る者が多い、国となれば・・・・負け組みは、損する者が多い、国と成る・・・・・

この流れが、今の日本国の国内でも起きている・・・・勝ち組・負け組み・・・組織・会社・家庭・地域と格差が広がっている・・・・

之を、世界の国間で考える事が出来る・・・・資本主義の世界、金が力、色んな手段を用いて、民主主義の民衆の心を、誘導できる、大義名分を作る・・・・之も可能に成っている・・・

簡単に書けば、勝ち組の好き勝手に出来る世界と言う事に成る・・・・

又、勝ち組に永遠に居たければ・・・それだけ姑息な手段も必要に成るという世界でもある・・・・・

二十世紀でこの価値観での動きが終わると私は考えていたが・・・・

結局、第二次世界大戦に日本国が入って行く、流れに、大国のアメリカがどの様な手段を使って、アメリカ国民に大義名分を与えたかを考えれば、今後の流れの予想も出来る・・・

この手段を、二十一世紀の現世紀でも使う・・・・人は変化しないな~~~と私は考えている・・・・

結局、得する人、損する人を作って行く・・・・損する立場は、力が無い、庶民に成る・・・・・


以前も書いたが・・・・・我が村は、この村の中で、全てが完結する、小さな経済圏が昔は確立していた・・・町に出なくても、この村内で、生活が出来ていた・・・

しかし、大義名分、安い・奇麗・豊富・安全・・等々で理由で,郊外や町に大きなお店が、お金の力で、人々を集める・・・・・

結果、村内で、完結できた生活の範囲が・・・・・広く成って行く・・・・・之で、結局、裕福に成り、幸せに成ったか?????・・・・・・・私は村内での生活の方が、幸福感が強かったし、有った感じがする・・・・・

逝った母が、高齢に成って言っていた事だが・・・・何かをしようと考えても、車が無ければ、出来ない・・・・昔は、村内で略全てが、手に入っていたが・・・・醤油・一つを求める為に、車が要る・・・・しかし、車の運転に自信が無いから、私に送迎をお願いしていた事を思い出す・・・・・

側に、直ぐに動く人が居る人なら良いが・・・・この様な環境が有るとは限らない・・・・そうなれば、90歳近い年齢の人も、無理しに車を運転する事に成る・・・・・

結局、人は何時か、老いる、五体不満足に成る・・・・この当然の事も、理解せず・・・人として絶好調の時の、価値観で、大義名分に振り回され・・・・之が、当たり前と成っている・・・・・・何時の日か、この基準から劣りだすと、この考えが異質と気づき出すが、時すでに遅しである・・・・・

結局、一番、被害・損する立場は、この様な人達に成る・・・・高齢者のドライバーを不快に思う、除け者の様に感じる世界に成っている・・・・

強い立場の価値観が、本当に正しいか、私は疑問がある・・・・・

この価値観が正しいなら、人は永遠に強い立場に居たいと言う妄想に捕らわれる・・・・・

人を、木に例えるなら、立派な根を張り、幹を太らせ、太陽の光を多く得る為に、枝葉を大きく茂らせる・・・・之が、強い立場に成る・・・・・

しかし、足元にも、子供達 等々が、ヤット、芽を出し、光を求めている・・・・今後、どの様な木や草に成るかは解らないが、芽が有る・・・・

しかし、大樹側は、太陽の光の方向にしか意識が無い・・・・結果、足元の芽が育だなく、腐る・・・・

強い大樹の下では、後継者には、光が当たらない事に成る・・・・・

人が老いる、意味は、後継者に光を当てる為に、枝葉を、落す・・・・・衰えると言う意味がその為に有ると私は考えている・・・・

何時までも大樹のままを求めるより・・・・衰えて、腐り枝葉を落す・・・之が後継者が育つ一つの方法だと私は考えている・・・

しかし、現在は、老いること、病に成ることも、絶対に避ける価値観に成っている・・・・・・・

人の四苦・・「生老病死」を完全に忘れた生き方に成っているし・・・・・自分の代わり、後継等の意識も無い世界に成って来た・・・・・

之なら、国としても、大きな大樹が、相手の木に光を与えない、こんな、競争に成っている・・・・

隣の木が、お前の枝が邪魔、切れと言う・・・・切れば損と考え、益々、枝を伸ばす・・・・相手も負けずと、枝を伸ばす・・・・・争いが起きないわけが無い・・・・


練習・練習・練習

昨晩も新、レインアウトになったコース攻略に・・・・佐賀の遊道楽さんへ・・・・


今の私の頭には、このコースのストレート部分で・・・2駆が簡単にグリップに戻している、この動きをケツカキでどう演出するか・・・・・之が、課題に成っている・・・・

しかし、下手の為に、グリップ走行に戻す作業が、フラ・フラもたつくし、ふらつく・・・・真っ直ぐ部分なのでジャイロが欲しいと何時も思うが・・・・之が無い為に、車の挙動に合わせた正確な舵角が要求されるが・・・少しの舵角の不一致が結果的に、フラフラ方向を促進させる・・・・

ケツカキの、四駆の特性で、前後を大きく滑らせれば、フロントの舵角等もアンダー方向に向うし、前後が滑れば結果的にシャーシ自体もアンダーに成る為に、この操作方法も有ると思うが・・・

現状では、其処までの回転が無い為に、この操作が出来ない・・・

マダマダ鍛錬が足らない事に成る・・・・・今のレインアウトに成って5パック程の、走行・・・・


ストレートの攻略・・・・この部分に主眼が有るので・・・・・少し、コースを環境に対して余裕が無い・・・・・この部分は勘弁願いたい・・・・・


出来ない・・・之が私を異常に燃えさせる・・・・

之が有るから、車を難しい方向に向ける必要も無い・・・・現状が難しければ、走る意味も出て来るし、目的も出て来る・・・・

自分の車を走らせる事が出来ない、之ほど、プライドを刺激するものはない・・・・

この部分が、結果として、操作技量のレベルUPへの原動力に成る・・・・

新たな操作の引き出しを捜す事に成る・・・・・

ご一緒した、お客さんの配慮で、出来る、練習・・・何時も感謝している・・・・