2017年4月16日日曜日

自然に更新・・・・

先のブログにも書いたが・・・・・

物事や自然の流れで・・・・必ず更新が行なわれている・・・・

しかし、人間は何故か、一番、居心地が良い場所を、譲ろうとしない・・・

私位の年代なら・・・・大人に成ったと成れば、家や・一家の名代として・・・・色んな事をさせられる・・・

地域の事や、家を守する等々、全ての作業が、若い世代に、更新されて行く・・・之が普通だった・・・・

その為に、仮に台風が来ると成れば・・・家の養生の為に、働く、之が若者の仕事だし、家の品格にも成っていた時代である・・・・若し、現役を引退している人が、屋根で作業している等・・・その一族の恥だと考えられていた・・・・

何の為の、子供か、子育てか・・・勿論、後継の者を得る、育てる為と成っていたが・・・・

最近は、この様な考えが廃れた・・・・

小さな、単位の家や一家という部分でも・・・・リーダーに成る為には、キツイ、下働きを経験し、一所懸命に雑巾がけをした上で、このポジションが有るし・・・・

その為には、若いときから、家族守・家守等々に携わる・・・義務と権利が本来有る・・・・


この小さな単位さえ、このキツイ部分を放棄したり、考えない人が増えている・・・・

この価値観なら、もう少し大きな世界、地域や会社・社会と広げていけば、人としての義務を気付かず、又考えないで、権利だけを要求し、其れを得る人が得したという世界に成る・・・・・・


私が子育てに、奮闘していた時・・・・お年寄りから・・・よく「沢山の男の子供さん・・・今は大変だが、将来、必ず良い時が来る」と言われ続けてきたが・・・・現実は、少し違う感じがする・・・


最近、一般論と違うと思うが、自然に枯れて行く・・・之を求めている・・・・

枯れれば、その分、子供達が主体者と気づき出す・・・・・何時までも私が強い、と限らないし・・・・その維持を努力しても、子供が主体者と気付かなければ、子育ての意味が無い・・・・


母が言っていた・・・・子守・家族守・親守・地域守・・・・・・色んな守が有り、最後に墓守が出来て初めて、一人前・・・・その後は、気付かない守を探す、之が人だと教わった・・・・間違っても自分を前に持ってくれば、男で無くなると・・・・永遠に、荷物を背負い続ける、この覚悟が無ければ、死ねとまで言われていた・・・・・
その為には、人の言葉は正面から受けて、対処する、その結果が、馬鹿にされようと、この行動が人だと・・・・・・

男が、褒められ、祭り上げられる時は、死ぬ時と言われていた・・・・・・

中々、難しいし、私も出来ないが・・・・この思いを子供にも伝えたいと考えている・・・・・

この更新作業が、現代の社会の一つの問題のようだ・・・・・昔からこの事は、祖先等々の思いも含みで、歴史が継承される・・・・この継承が結果として、文化に成る・・・・

勿論、この部分を守る、この守る事が、現代では、大変・意味が解らない・キツイ、之で片付けてしまっている・・・・

益々、人が、唯の動物に成って行っている・・・・遺伝的な部分以外の人の部分の継承を忘れていると私は考えている・・・・

動物なら、老いる事も知らない・・・病に成ることも知らない・・・死さえ知らない・・・・現状を永遠に続く物と考え、其れに邁進し、戦っている・・・・子供は単なる遺伝子の継承だけ・・・・

この生き方が、人の生き方なら、なさけないと私は思う・・・・・

しかし、現実の社会は、この生き方を推奨しているし、その中で、凄いハーレムを作る之が幸せと教えている・・・・・

完全なる、畜生の生き方に成ると、私は思うが、優秀な人がこの方向を進める世界・・・・ハーレムを作れなかったなら、唯のゴミ扱いに成る世界と私は、恐怖心が出る・・・・


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