日記として、書き残すと言う事でも、ブログを使っている。
今回、少し息子達に、私の記憶と、調べた事を加え、私の見解に成るが、書きたいと考えている。
我一族・・・昔は男系を言っていた・・・昔の考えで我一族は、新しい時代に成った、明治に商売を南の地で、行い、広がって行った。
我一族の長兄として、地元に留まっていた、我家・・・しかし、経済が発展しだす、明治後期から、我家の兄弟達も、叔父達を頼ったと思うが、商売をする事に成る。
当然、南の地と言う事・・・・私の祖母は、大成した商売人の娘に成る・・・祖父は、従妹の祖母と結婚・・・四男として父が生まれる。
生まれた場所は、宮崎は日南の飫肥と言う町・・・本屋と道向かいの場所で、商売を行い・・・その後、対戦が始まる・・・・祖父は、国への貢献と、山を手に入れ、軍馬の調教・飼育の今で言うならボランティアを行っていたと言う事を親族から聞いた・・・
40代後半だと思う・・・その時、生まれたのが私の父に成る。
大戦の終戦時が、父が5歳位に成る・・・・何故、終戦後同時に、商売をたたみ・・妻の里に身を寄せたのか???・・・之が疑問だった。長男の伯父が戦死した為とも思っていた。
終戦と同時に、軍に協力した等々の理由で・・・迫害が有ったと言う事を、最近知った。
又、祖母は、料理も出来ない・お嬢さん育ち、その為に、父は、長男の嫁が,保母師の様に、育児をしていたと言う事も、親族に聴いている。
明治生まれで、女学校卒の祖母、その当時は、珍しい事に成る。
戦後、我家は、熊本は芦北に身を寄せ・・・この地に根を下ろす方向だったと思う・・父はこの地の小学校に入学している。
しかし、農地解放が起きる・・・・我一族の長兄である、祖父は、先祖の墓も含め、故郷に戻る、命を一族の長として決断したようだ・・・・
結果、福岡の柳川の地に戻ることに成る。
しかし、時すでに遅しで・・・不在地主の立場・・・家は取り留められたが・・・祖母が結婚時の持参金として持って来た、一つの、家が取られる事に成る。
要は、芦北の地の義父に対しての、責任を果たせなかったと言う事で、裁判を起こすが、国を訴える形、勝つ可能性は無いが、裁判を続ける事に成る。
当然、負ける・・・・しかし、私が居るのは、祖父母のこの様な振舞い・行動が有ったから、私が居る。何故なら、この地に戻らなければ、母とは結婚していない。
私が幼い頃は、祖母は幼い時に亡くなっているので、記憶が薄いが・・・祖父が私を連れ、何時も色んな地に行っていた事あ覚えている。
行く都度に、此処は、昔、自分の土地だったと、色んな地に行っていた事を覚えている。
言葉で覚えているのは、「勝てば官軍」この言葉を何故か覚えている。
私は、何故か、親族から、その大成した人に似ていると言われていた。その為に商売を覚える、商売人に成れとも言われていた。
しかし、私は、商売より、人に興味が有った。
何故、人とは???・・・この疑問が直ぐに出て来る。
祖父が私を仕込んだのかも知れない・・・・・商売を大成しても、時の流れでどうなるかは???と言う事・・・・努力が無に帰する時も有ると言う事・・・
何故、お金を得たいのか???・・・私は生きる為と考える、その為に、それ以上のお金も求めて居ない。
祖父も大成していた様だ・・・戦前に胃がんの手術をしている、九州大学で行ったと聞いたことが有る。当時の感覚だと、大きな家、一軒分との事・・・・
大成していた為に、ボランティアも出来・・人助けも多くしている様だ・・・・
しかし、私が尊敬しているのは、父の教育の為に、この地に戻ってからは、人が嫌がる、汚い、仕事を、小遣い銭程度で行っていたと言う事・・・・その一つが肥え汲みに成る・・・
これも、祖父なりの地域貢献だったと思う。
又、祖父の言葉で「人が寝ている間に食う為の行いをせろ」要は、食うための振舞いを人が寝ている間にすると言う事、起きている時をどう使うかが、その人の価値観と言う事だと思う。
この歳に成ると、色々が見え出す。何故、母が父と結婚したのか???等々も解り出す。
昔の為に、親が認めなければ、出来ない・・・母の父は、西鉄の工場長だった、そのレベルの人が、何故、肥え汲みを行っている、親の子との結婚を許すのか???等々が見えて来る。手の付けられない、我儘な父、何を期待したのか???等々、私は、血だと考えている。
血に流れている、価値観が有ると私は信じている。
終戦後、この血と言う部分を全否定した教育が成された。それが平等だと言う事に繋がっていると言う妄想だと私は考えている。
それを強制した、西欧の大国・・・当然、日本以上に平等で、血の違い等で命が奪われる事等、当然、有りえない国だと思うが、現実は???
血統と文化と言う物は、継承が続くから、後世に残って蓄積されるて行く・・・この部分を崩壊すれば、後世に何を残し、伝えるのか????・・・之が無ければ、当然、後継者の必要性も薄れる。
残したい部分の,1%にも満たないが、今回は此処で終わる。
しかし、祖父が、飫肥という地で、筑後屋と言う屋号で商売を行い、その地で、国に対しての貢献も行っていたと事を、覚えて欲しい・・・
当然、無に帰したが、振舞っていた事は、事実に成る。
人は、最後は無に帰する・・・しかし、何かを残す、その残した物を後世に伝える、之も、血の繋がりが有るからに成る。
私も、今後は余生に成ると考えている。何時死んでも良い立場・・・・
最終的に、何をしたかに成る・・要は、人の為に成ったか???・・・人の傘に成れたか???・・・この部分が大事だと考えている。
貢献を受ける立場か、する立場か???・・・之を選ぶ時は、己は如何で有れ、する立場と思える、価値観に成って欲しいと、私は願っている。