2025年1月5日日曜日

居眠りが増えた

 最近、疲れと寝不足なのか???居眠りを頻繁にするようになった。向かいの人が静かになえられて・ホ・・・とした後に寝入ってしまっている。しかし、凄い音量で咳払い等をされる、それも苦しそうに、以前は私がナースコールを押して看護士にお願いしたが、その時の患者さんの対応は俺は呼んでいない、何しに来たという感じ、看護士と色々前の人の件で話すが先々音ブログに書いているイソップ物語の「オオカミ少年」と同じで、注目を得たいという言動という捉え方になっているようだ、結果、どんなに大声で、助けて等々、騒いでも誰も対応しない・・・・,可哀想と思う。自業自得だが、何故この生き方を望まれたのか、周りの環境がこの様な人を創り出していると思う・・・・

社会の被害者だと思う・・・本来なら、診療内科の受診をするべき成人を過ぎると本人の意志でとなる。未成年の時なら親の権限で出来るが、親として実子にこの処置が出来る人は少ない、庇い、守ろうとする・・・しかし、子が体格的に勝り出すと、大変な状況になる。心療内科の先生から言われたが、親はかわいさのために無理、地域の人達の人との関わりが大事と言われていた。お節介ぐらいが良いと言う事、今はプライバー恣意のの問題が有るので、他所の家に立ち入ろうとしない・・・又、個人情報法が有るので、世帯主は解るが、他の住民は解らない・・・区長でさえ行政区の住民の忍従を掌握されていない、この状態で災害が発生すれば、大変な事に成る。

人様に迷惑を掛けないと生き目的が人様に手を貸したくないという生き方をされている人が、最終的に人様の手を借りることになる。我家の周りを見渡す・・・近所に親から守られ隠し続けれている自閉症の子が、居る、ビックリするほど多い・・・

保護者の親が弱くなると、当然、この様な人が地域に出てくる。この対応も、地域社会の責務となるが、現実は逃げ、避けようと売ると思う。

新の幸福は心・命にある。「共存共栄」の精神が人レベルの最低限のレベル!!!

 今日は、体調がよいので、私の今の思いを書きたい・・・幸福とは唯物的現象で無く、心・命にあると思っている。どんな環境でも幸福・不幸と捉えるのも各自の勝手なら幸福と鱈得たいと私は考えている。その為には「共存共栄」の精神が必要と思う。此を理解するために対義語は「弱肉強食」「自然淘汰」「下剋上」「独立独歩」「排除」となる、仏法的価値観では畜生道に成る。現代、子も畜生道の価値観が当然だし正しいよなって居る。この様な様相を見せれば、人は近づいてこない・・・その為に「共存共栄」をアピールして信用させる・・・此も相手を食い尽くすための偽装・・本心・命は「己存己栄」を隠しているの事に成るし、此が、世界のスタンダードの価値観と言っても良い、言い換えれば先進国という立場が足枷に成って、この方向に走る事をセイブしていると言うこと・・・人も動物だから、「弱肉強食」「独立独歩」は当然と受入れる傾向が強い、この命・心が強い人が、無償の施し等出来ない。見返りを求めるし対価も多い方が良いと当然の様に思って居るし、それが社会の常識と成れば。社会から排除される人々が増えるというと・・・その対策に国庫を使う、当然、納税者は認めたくない、俺のために生き親族していて、利や栄は当然、己の為の教育・社会の常識疑いも無い真実である。この思いが強いために戦争も起きる。勝つためには縦断も厭わないと成る。

日本国もこの大波にのみ込まれつつある。綺麗事は簡単に言える、しかし己の分で、どう貢献しているかが一番大事だし、それが人としてのレベルの評価だと思います・修羅・畜生・餓鬼道レベルでの評価で今は論じている。目立たないがコツコツと、己の分で貢献を続ける、綺麗語を言うより大事だと思って居るし、人は色んな次元の人が居る、その為に否定も出来ない、何時も私が言うようにグレーの状態が人の世界、濁っているドブと言うこと・・それを少しでも浄化を目指すのが、蓮仏法と言われる・・蓮はドブを浄化して砂に変える、しかし砂地では蓮は育たない・・要は、グレーで濁っているから必用な存在と言うこと・・・・しかし、長命な識者は、己好みの理想の人達で構成される世界を望んでいる、独裁者と同じ・・・何度も書くがこの様な人の目にボロボロの服装で助けてと駆け寄って、抱き寄せてくれるとは思わない!!!!綺麗事を言っているだけで、本性は己の為生き・存続し  己の為に利を追求していると言う事に成る。資本主義社会このようなタイプにしか注目が集まらないし、お金も落ちない・・・・社会の真実は底辺の底辺にあるし,其れを見ようとしない・・・

優秀な消費者の時は良いし、気にならないが言ったん落ちると退園舐め見合う。

可哀想で哀れだ!!!「オオカミ少年」

 向かいの患者さん、時間と共に可哀想で哀れに感じるように成った。今日も朝5時前から大声・大きな咳払い等で、己のアピールを続けられている、偉い・強いから出来る言動と思って居られるので、五体不満足に成っても、機能する部分を使って行って居られると思う。この様な人は現実に多い、五体満足の時は、己の長けている部分で、それをアピールしたがる人が多いのと同じ、本来「能ある鷹は爪を隠す」等々の力・能力が長ければ、謙虚方向に向い、頭が低く・・全てに感謝出来る人で有るはずと思うが、現実は虚勢を張り、見せる為に胸を大きく張り天を見る姿勢が、力が有り、優秀と思い込む人達も現実に居るし、その様に教育を受けた人達も多い・・・

現実に、一般より長けているときは、無謀・暴言をしてもバランスが保たれて居る。損も有るが利がそれを相殺しているからに成る。老いると言う事は、唯物的な利は当然無くなってくる。病も同じで有る。

価値観だと言っているが、性格・個性に成る。どの様に親・社会から育てられたかの結果、回りに負や損と捉え出すと、異常者と思われる、今までの対応の180度変わる、本人の精神的な苦痛は退園だと思うし、当然この様な人は「生老病死」とう頭に無い、己は成長しても対価はしないと思い音でいるし、教わっても居ない。結局は、社会が受入れないとなるが、誰が面戸を看るのか????家族の成るが、家族とは、実子等、当てに出来ない・・・親か連れ合いに成る・・・当然高齢である。面倒看れないと、心療内科に入院させても、性格の問題なので原因を治すことは出来ない、凶暴な振舞は薬で抑制できるので其れで対処・・・様態の変化が無い状態が続けば三ヶ月ルールで退院、当然、家で看ることに成る。此が出来なかったので心療内科への入院だったが、家に戻ることになる。病院と同じ要に24時間、確り監視できるか・・自由の制限・外出の制限が出来るのか???甘い環境で過した結果だから、出来るわけが無い結果、問題を起すが、個人の人権が尊重される現代、本人が病院に言うと成らないと強制的に連れて行くことも出来ないし、連れて行っても、病院側が診療をしてくれない。病院・特に心療内科に受診させるためには、キレて暴力を奮わせる事で、警察沙汰で強制的に受診できる。此が出来る家庭は少ない、対面を気にして、警察等の乱入を嫌う、その為に、腫れ物に触る様に刺激を与えず、家の中が天国の様な環境を与え続け、自閉症の子を創り出している。親が健勝な時は良いが、力は永遠で無い。

社会が創り出した人だと思う。その受け皿は社会だし、国民一人一人よ思って居る。しかし、心療内科にも受診できない、結果、別の病・特に重病の病等で、総合病院お世話に成る人が増え出す。私の病室の向かいの患者さんのこの流れのようだ、己の存在をアピールしたい、発音も侭ならない体を動かす事も出来ない、出来る部分は誰にも聞えるような大声に成る。

しかし、「おい」「こら」と叫び続けても誰も対応してくれない。結果「暑い」「寒い」「痛い」「痒い」と言われるが、その処置を看護士がしても、同じ事を繰り返されるだけ、暑い・暑いが寒い・寒いに変わる・・・・今まで、回りから余程、チヤホヤされていたようだ、当然、己は真面と思ってあるし、背至上と思って居られるので、変化は難しいし、今の年齢なら性格の変化は命を折るほどの努力が必用に成るが、気付かないと思うし、この様な環境にした回り・社会を恨み、死んでいくことに成る。この道が幸せの道と信じて歩んできた結果・・・反対に成っている。

昔から、耳が痛くなるような、助言は多々ある・・それをどう学んだかに成る。