2020年3月3日火曜日

民度が問われる・・・

民度が問われる・・・と・・・今回の感染症で書いているが・・・・

マスコミも、今回の感染症が原因で、色んな問題が発生している様な報道をする。之が解らない・・・・人が亡くなり・・・病に合う・・・この事が・・・私は普通と考えている。
勿論、近縁の人が、この状態に成る事は、良いとは思わないが、仕方が無い事だと考えている。
特に、縁が近い、親が、亡くなろうとしているなら・・・経済力等々の現実を無視して、助けて下さいと、医者に懇願すると思うが・・・・この部分は、三流の為に、道理・理屈等を無視した、行動と思われるかもしれないが・・・・必死な思いと私は考えている。


平時と違う・・・之は、各自でも変わる・・・同じ時とは成らない・・・
しかし、今回は、社会全体が平時でないという、前提で、事を報道している。

平時でも起きている事を、今回は・・・と言う報道が増えているように感じる。
平時で無い為に、必死になる人も当然、居る・・・・勿論、社会は平時でも個人として平時でない人も居る・・・・

その必死さが、行動として出る・・・・之を抑制できる、民度が必要と言う事・・・

昔から、お寺のトイレットペーパーが無くなる等々、時々、私は仕事柄、耳に入る。
平時でも、この様な人が居る・・・・勿論、住職も仕方が無い事、人夫々、色々有ると言われるが・・・・それで、済んでいる。

現実に大手スーパー等では、盗難予防のために、一般家庭で使えない、サイズのトイレットペーパーを使っている処も有る・・・・

平時の時でも、万引きは有るし、その人の事情も色々ある。

特別に、平時でない社会だから、この様な事が起きたという事でも無いと私は考えている。

もう少し深読みすれば・・・平時で無いから、民度が得に問われる・・・その為にあえて、報道している可能性も有る。

各々、自制してくれと言う意味にも取れる。

平時で無いから、冷静さが必要だし、落ち着いて自制した行動が問われる・・・民度と言う事にも成る。

要は、動き回らない事・・・・台風と同じで、通り過ぎるのを待つ・・・勿論、特効薬等々が有れば、別の方法も有るが・・・現状では、薬も対処療法的使い方しかないし、症状も色々あるようなので、之と言う、治療方法が無い・・・
この状態を理解して居るなら、当然、検査等々、意味も薄れる・・・・
要は、例えた台風と同じ・・・予報進路と変わる可能性も有る。又、風速も強くなる場合も有る。
不安が有るし、予報を確りと願うが、現状での限界が有るので、それを加味した、用心策を各々が取るく事に成る。

この用心策が、外れると、当然、被害も大きくなる。この外れた原因は、気象庁の予報の問題、国の問題と、言い出す人も居るが・・・・自業自得だと私は考えている。

今回、国は、強大な台風か来ていると、予報は題している・・・後は進路等に成るが、初めての為に、解らないと言っているだけである。

又、初めての規模の台風の為に、用心策も、確りと提示できないという事に成る。

昔から有る事・・・・地域毎に、あの山の上の雲が・・・で予報が有る。老人が、嵐が来る・・・出歩くなと言っていても、若い連中が、出歩き、嵐の中で、死んだ・・・昔は自業自得で片付いていた・・・しかし、現代は、直ぐい責任の追及等々が始まる。
老人が、もう少し、強く指摘していたなら助かった等々、用心を促した立場に責任を押し付ける流れも出だしている。

予報の場合、想定外と言う事も、有りえるという事になるが、それを認めない、流れにも成っている。

この状況に成れば、危険度の高い方向へ、向かうのは必然と言う事に成る。

怪我するぞ・・・では、済まなく・・・死ぬぞ・・・と言わなければ成らない方向に成っているという事にも成る。

民度に合わせた、報道・予報が有るという事にも成る。
要は、イメージ力、実感力の低下と言う事にも成る。

地獄図を見せられて、劣っている、哀れな人達と、言っている本人が、地獄に居る事を知らない、この様な人が増えている事にも成る。

イメージする、集合住宅に住んで居て・・・トイレットペーパーが無い、悲惨である。
汲み取り式で無ければ、使える紙の種類も限定される。
今回報道で、知らない人にも知れ渡った事は、悲惨な状況を脱したいと、求め続けたが、手に入れる事が出来なかった人は、当然、この部分が有ったと、思う人も居るはず。

先のブログに、書いているが、若し、スーパー等が隣に有れば、非常事態の時は、スーパーのトイレを使えば良いと、私も書いている。

可否策が、他に無いという場合が有る。勿論、危機管理で、日頃から準備をしてれば、良いが・・・・平時を普通と思っていれば、準備も行わない・・・・

私は、平時は稀な事と考えている・・・この部分も捉え方に成る。





当然・・・意外

当然と思う事が、普通の事と言っている人が多い感じがする。

私は、常時、波乱万丈が日常なので・・・当然と思う事が出来ない・・・何時もが意外な事が起きている・・・意外は、当然の対義語に成るので、普通で無い日常だという事に成る。

しかし、普通の対義語は、特別と成る・・・・波乱万丈な環境は、特別という事にも成るし、特別と思うと、何故か、私は、自慢に受け取れる。



意外と思うので、考える・・・結果、私は、毎日が学びに成る。

以前、叔父の葬儀の際・・・父に連絡したいと、妹に電話・・・・「何故、連絡するのか????」と聞いて来た・・・「義理の付く、叔父・・・血縁でも無いし、意味が解らないという・・・法律的な部分は、親等が影響するが・・・恩義理の世界と私は説明した・・・・理解できないで居る、妹に、子供の頃、お年玉も貰ったし、色んな事、して貰ったと、話したら、普通の事、当然の事と言った為に、私の怒りが頂点に達したことが有る。

しかし、考えれば、人様からの好意を、当然と取るか・・・意外と取るかで・・・捉え方が大きく変わる。

勿論、その行為が普通と思うから、当然と言う事にも成る。
この普通は、何処から得ているのか?????・・・・当然、環境等から得ている、情報に成る。

私は、新聞配達等々していたので・・・お金の意味を、妹とは違う様に捉えていた。
同じ10円でも、人で価値が違うし、捉え方も違う。

新聞代の集金をすると、感謝される人も居る。逆に、新聞受けも無いのに、新聞が雨で濡れた、この一点で、支払いを拒まれる人も居る。

同じ、思いで、配達して居ても、相手で捉え方が違うという事を、小学校中学年の時に学んだので、私は私の価値観が有る、勿論、私の分に応じたという方向に成る。

妹は、全てが、比べる、当然、お年玉も、金額を比べる・・・又、友達等々、外部の一軒の平均値を取り、それより多いか・少ないか・・・この様な判断をしている。

私は、金額の大小で無く、その思いに対して・・・恩が発生していると考えている。

何も施し等行っていないのに、何故か、お金を頂ける・・・之が意外に感じる。
当然とは思わない・・・・結果、意外だが、お金を頂いた、当然、感謝と思うし、恩が発生していると思う。

仮に、この様な、価値観で、事を考えれば・・・感謝や恩を感じる・・・この量が大きく減ると思う。

一生、感謝無き人生で、幸せなのか????と私は、考える。

何時も思うのだが、普通という、当然が余りにも広く成り、高く成って来ていると思う。

この様な、方向に成れば、恩を与えても、当然、当然、普通と思う人が増え続ける事に成る。
この方向へ・・・マスコミ等々の情報が、向けていると私は考えている。

仮に、私の場合、学友・友を、亡くしだした・・・死んだ人、生きている自分と思うと・・・生きているだけでも感謝と考えている。

勿論、何時か友と彼の世で再開する可能性も有るので・・・・友が知りたい、事は、生きている間、私の宿題として、考えている。
残した家族がどうなったか等々・・・・報告する義務が有ると私は考えている。

個人として出来る部分は、コアーな部分、個々の部分に成るし・・・之が出来るのも個人であるからに成る。

之も考え様では、縁と思うし・・・縁が有ったから、その縁に対して答える義務も発生すると考えている。
この部分は、私しか出来ない部分に成ると考えている・・・

縁んが無い人等の、状況等、解りようがない・・・・

私は、波乱万丈で、何時もが崖っぷち・・・押される怖さも、肌身に感じる。
結果、些細な事さえ気に成る・・・気に成るから、知りたいと思うし、学びたいとも考える。

些細な優しさも、大きく感じる事にも繋がる。

傲慢で有る、私は、この様な環境に身を置いていないと、直ぐに、業案さが出ると思う。
謙虚であるという事は、私の場合、危機感を常時、感じている環境と言う事に成る。
この様な環境で無ければ、人として生きれにと言う事は、三流と言う事にも成る。

一流の人は、どの様な環境でも、謙虚であると思う・・・それが出来ない私は、当然、環境を選ぶ事にも成る。