本質・現実より・・・・見掛けを重視する方向、完全に大陸的価値観に成る。
日本人まで、グローバル化という流れで、何故この方向に向かうのか・・・本質・現実・事実が大事だし、此が見えなければ、正確な判断が付かないとなる。
以前も書いているが、色んな競技等々も、真面目に真正面から取り組む、此が普通で当然という感覚が、日本人だったが・・・最近は競技・争いは勝たなければこの意識が強すぎて、罰せられなければ何を行っても良いと言う世界的は流れが有る。
要は、ハッタリ・見栄・・・此が己を守ると言う価値観が基本になる。
何の為のと言う、部分が有るので、仮に、強いと思える人に挑戦するか???・・・世界的には無謀だからしない・・・しかし、日本的には面白い挑戦を考える・・・
結果、カタログスペックが重視される・・現実の能力等は、本当の意味での競争・戦いに成らなければ、意味を持たない・・・・・要は見栄がはれ、ハッタリに使える、数値データー・カタログスペックが有れば、良いという考えも有る。
本来、人間とは、数値データーに出来にくい、人間性等々で、信頼・信用している。しかし、表現しにくいし、表すことが難しい・・・
結果、数値データーが有るが、それが正しいかは現実には解らないと言うことになる。
一番見えにくいのが、寿命になる。
私も、日本人の平均寿命までと思っていたが・・・大病を患い、現実に明日までの命かも知れないという状態・・・要は、何時までの寿命かも解らない人を信頼・信用できるか???
数値データーで表される部分より、人間性・己の勘で、信頼・信用等は行っていると私は考えている。
仮に、何時も我家に来る、家族同然の後輩・・・子供の頃、悪さの放題を起こし、警察が彼を中学校から連れ去った・・・その後、鑑別等々にお世話になり、社会人として、世に離された。
カタログスペックだと、信頼・信用できないタイプになる。
しかし、勝手に我家に上がってくるし・・勝手に冷蔵庫等から、食べ物を出して食べている。捉え方次第では・・・人間として常識外れと捉える人も居ると思うが、私は、彼らしいと思うし、彼の人間性を信頼していた。
その彼が、私が大病になり、入院していた間・・・心配仕切れず・・動き回っていたし、私の代わりに少しでも成ろうと、頑張っていた。
この様な、後輩、知り合いが私には多い・・・感謝に成る。
勿論、見掛けは悪い、肩書きが悪すぎる・・・しかし、以前も書いているが、私の手足になってくれる人は、ガラが有る人に成る。
品が有る人は、動く、気を遣うと言う部分も、忖度をして貰える立場のために、己がとは成らない・・・・
要は、この品が有る人が、楽に生きれる世界へと、誘導・先導しているという事・・・
妹からの電話で、役所に色んな事を頼み、挑戦しているが、思うように進まないと言ったら・・・何で~~~と成る。彼女は判事の妻・裁判所職員と言うことで、当然の様に専門用語を使うし、書類等々も正式名称で言うし、指示する・・・此が出来るという事を知っている。
その為に、役所が忖度している。
私の様な、市民以下の立場の場合、窓口に行けただけでも感謝というレベル、話をされただけでも役人に迷惑を与えたとなる。
この人のレベルで対応が変わる、その様な立場の人が、平等と叫んでいる。
私は差別主義者と自称しているが、現実に多々の差別・区別の経験が有るからに成る。学校の教員も、病院の医師も・・・人様から先生と言われる立場の人さえ、相手で対応を変える、この部分は私は認めるが、確り手が必要な立場に対しては、手は貸さない・・この様な、バランスを保つための立場だが、己が得し、楽になる、利に成ることしか興味を示さない・・
先生と言えるのか????と私は疑問が有る。
結果、本質・現実が大事・基本という日本人本来の価値観が、見掛け・見栄・ハッタリが全てという、チンピラ稼業に成ってしまっている。