ディサービスから帰って来て、休息し嫁と語らう、午後からカラオケに行ったら多くの人が待っておられたとの事・・・彼女も人さの役に立ち幸せだと思うし、結果的に功徳を積んでいると思う、要は損していると言う事は、人の為に成り役に立っている、当然己の身は犠牲にしていると言う事・・・彼女の振舞が結果として還暦を過ぎてもなおわかい頃に比べると落ちているが、現役の道連台の歌手の劣り方に比べると雲泥の違いで維持している。これも善業を積んでいるからだと思う。午後からは彼女が久しぶりに来店したので、私が返るまでの時間リサイタル状態だったとの事、誰しも輝く部分が一つ有れば十分、現代は、全てが60点主義で落第点は無いがこれと言う魅力も無い人を輩出し続けている。当然長けている部分が有るので、欠落している部分も有る・・・だから人は面白いし、縁すると色々学べる。夕食後、メモ帳に保存していた文章をブログに貼り付け、ネットでの更新が出来た。
ディサービスで利用者との繋がり縁を大事に話しかけ試みを行ったが、殆どが無視状態で、椅子から行動に移そうとする人も居ない、今朝は入所時間が早かったので、挨拶運動を実践、殆どが返答されない、勿論、言語障害の人も居ると思うが、意思表示が出来る部位が有れば、手を挙げる等出来るが、その様な気持ちも無いと言う事に成る。この場所も病を改善する場所で無く死を待っている環境の様に感じる、この空気を換えなければ、私も染まる。帰る前に横に居たオバサンとの語らいでこの施設を長く使用しているが、現代の難しい部分、本人の考え思い・それの人権・・・この様な施設は一歩間違えればパワーハラや虐待と言われる可能性が有る。結果、入所者の強い要望と家族の理解が無いと怖くて関われないし関わるなら,ぜったに改善しない動けない入賞者を担当した方が楽に成る。鍛錬・鍛えると言う事は無理している事、捉え方で変わる、今日話したおばさんが言われて居たが一か月前までは杖を使って、来られていたが、この一か月間、椅子に座り続けて体が硬直したのか今は来られてから帰るまでベットで過ごしてあるとの事・・・自業自得だが、何かの形で、エールを送りたい・・・何かの縁で、この施設で、諸先輩たちと共に過ごす時間が今後意味を持つと思う。老いる現実を己の五感で確り感じたいし良縁にしたいので、冷静で確りした九識の感覚で、とらえていきた