お誘いで・・・嫁が・・・カラオケ教室に向かった・・・お客さんたちの依頼らしい・・・
芸は身を助けるとも言われる。彼女の一芸を人が求めている事に成るし・・・当然、ボランティアに成るが・・・輝ける場所が有る事は幸せだと思うし、感謝に成る。
しかし、逆の諺も有る。芸に長けている器用だと言う事に成る。
器用貧乏ともある・・・・着ようと言う事はそれに対して・・磨く為お努力も無意識に行っている。結果的にお金を使っている事にも成る。
輝ける場・必要とされる之を求めているか?????対価としてのお金を求めているかで同じ振舞いでも、心の意味が違う事に成る。
又・・・四男がお誘いを受けたが、お金が無いと、私に言って来た・・・私に言うと言う事は彼には大事な事に成るし、私がお金を持たされていない事も知った上での頼みに成る。財布の中身を全て渡したが・・・1000円弱でも、ありがとうとお礼を言って、出かけて行った。
彼も、同じで輝ける場を求めている様だ・・・・
私は無知だし、三流だから・・・無知を埋めたいと考えているし、何事も知らない・教えてと成る。
しかし、無知に甘えている人も居る。
以前書いたが・・・四男が幼い頃・・・トイレに閉じ込められた・・・カギをロックしたが開錠
方法が解らない・・・泣き叫ぶ声を気付いた、父は・・・どう行動したか・・・・ハンマー・ドライバー等で解除を試みる出なく・・・ドアー自体を壊していた。
孫を直ぐに救出したいと言う、心は有難いが・・・行動に疑問を私は抱く・・・
理由は、ドアやカギの構造を知っているからに成る。
10円玉一個で開錠出来た・・・
無知が怖いのが・・・結果として孫を出す事が出来た・・・之で思いが果たせと成り・・・壊したドアー等に意識が向かわない点・・・
それを指摘しても、気付かないし、悪い事はしていない・・・救出する為に仕方が無かったと終わる点に成る。
壊したドアーを結局直すのは、少し器用な私に成る。
直す事で、又知識が増えているが・・・
何度も書いているが、事を起す・行動すれば・・当然、利と負の両方を創り出している。
出来るだけ負を、少なくとは考えても・・・創っている。
之に気付き、この部分の後始末を、如何するかまで考えるかが、無知でも大事だと考えている。
無知で三流だから。分に応じた振舞いに成る・・・超えれば当然、負の部分も増える・・それを処理できるか????疑問が有るから。この部分の為にも無知を埋める必要が有ると言う事に成る。
之を意識しないと、分を超えた振舞いさえ・・・負に気付かない為に、派手に声出していく・・・・この様な人の・・負に対しての振舞いは、仕方が無かったや・・人に責任変換するタイプと成る。
要は、何度も書くが、負を背負う、この当然の事に対して、どう考えているかと言う事に成る。
之から逃げる考えのタイプなら・・・当然・最後は孤独と成る・・之を感じるから派手に振舞い、人を集める手段を取り出す。
昔の大人は、この様な部分を看きってい・・・口には出さず・・・フ~~~ン程度でかわしていた。
しかし、最近んは浮き草稼業的生き方あ増えている為に、この部分を気付かない人も多くなっている。
口や振舞いで馬鹿にされたり罵られる・・・之は指摘と捉える事が出来るし・・期待感がある為だとも思える。
しかし、一切…言動等に現さず・・・心で馬鹿にされる・・・之ほど哀れな生き方は無いと私は考えている。
必要とされ・・・輝ける場が有る事は幸せと成る。
勿論、利用しようと言う人も居ると思うが・・・この部分は仕方が無いと私は考えている。
各自の価値観に成る・・・否定も出来ない・・・
2019年9月7日土曜日
winwinの関係???
winwinの関係等々の言葉をよく耳にする。
耳障りが良い、イメージが私には有る。
耳に入って、単語・言葉は知っているが・・・意味をよく理解していない・・之が私に成る。
何度か書いているが、耳で聞いているで終わっている事に成る・・・本来、聴く必要が有り、理解して解る、効くと言う処までの事をする。之が私には出来難いと言う事に成る。
肌に感じる、風潮の風で良いと言うイメージを私は持っていると言う事に成る。
本来、商売等で使う言葉だが・・・相互が利益を生むと言う意味に成るが・・・障害だと利益、この部分が各々違う・・為に・・・お互いが利益を生むと成る。
問屋が有るから小売商が成り立つ・・・お互い利益が出ている間はwinwinの関係と成るが・・・この利益も現実には差が有るし、頤の価値観でも変わる部部に成る・・・
全てがwinwinとは成らない。
問屋が10儲かる・・小売りが100儲かる・・・一部を見れば、同じ品物で利益が違う・・・差が有ると成る・・・しかし、問屋は数が違う・・・総合的な儲けは問屋が多いとも言える。之も差が有ると思えば、winwinでない事に成る。
要は、相手の懐を見ようとすると、損を感じる。何故するのか???・・・二者間の関係性を表現しているが・・・若し、勝ちたい・儲けたいこの命が強い、人がこの二者間の関係性でどう感じるか・・・どうしても、損した、負けたと感じる感じるからに成る。
英語なので判り難いが・・・直訳すると相互利益となる・・・
しかし、日本人に有る。winwinの関係は・・・共存共栄に成ると私は、考えている。
何度か書いているが。「おたがいさま」の感覚に成る。
大きく意味が解ると思う。得したい・儲けたいと言う感じが無く・・損もあり得るし、損の覚悟も有る。
しかし、英語でwinwinの関係と言われると、損しない・・損する事など無いというイメージに成る。
本来、英語でも共存共栄と言う言葉も有ると思うが・・・母国語を確り理解して、それに当てはめる事も大事だと私は考えている。
winwinが耳障りが良いと成れば・・・当然、勝ちたい・儲けたいと言う人も居る世界・・この単語を利用しだす。
すると・・・騙された等々の人が出て来る。之が進めば、winwinの響きも耳障りの悪いイメージに成る。
もう少し書けば・・・闇金と債務者の関係もwinwinの関係に成る。
悪徳業者にしか相手にしてもらえない相手だと言う事にも成る。
借用書等に確りと、金利等を記載して、認めたとハンコを付く・・・
しかり、法律がそれを規制しているだけである。
逆に、10万で購入した土地を一年後1000万で売る・・商売なら可能であるし・・儲け本位主義の商売人なら求めている方向に成る。
金利で見れば、凄い金利に成る。
しかし、法律では規制していない。
しかし、最初に売った人は、損した騙されたと思う人も居ると思う。
しかし、この関係性もwinwinの関係とも言える。
しかし、最近は人間関係までこの単語を多用している感じが私はします。
英語だから耳障りが良いだけ・・・日本語だと気が重くなるから嫌だ・・・何故嫌なのか負の部分も含みと言う事が解るからに成る。
私が考える、winwinの関係はお互いが感謝できる関係性だと思っている。
しかし、二者間の、片方でも儲けたい、損したくない・勝ちたいと言う命が強ければ、成り立たない事に成る。
夫婦間も同じ、winwinの関係・共存共栄の関係に成る。
先の英語のイメージだと楽しく・楽でと思ってしまう。
しかし、日本語に成れば・・・お互い謙虚で配慮し続ける事と言うイメージも出て来る。
又最近、特に私の子供達の場合だが・・・winwinの意味は、目には目をと言う感覚も持っている。
10打たれたら10打ち返す・・・怖いと私は考えている。
若し、この様なイメージを持つ、教育とは????疑問が有る。
何時も思うのだが、確りした自己表現力が有る、日本語を使わず、カタカナ・横文字英語をよく使う様に成っている。
何の為か・・・若し、意思疎通より格好良さを求めているなら・・・言葉の本来の意味に対して本末転倒の状態と言える。
自分の表現・・・目的は自分の格好良さと言う事に成る。
この流れが30年程前から加速している気がする。
意思を伝える言葉で無くて・・・自分の優位性を示す為の言葉・・・怖いと私は考えている。
特に三流の私は、知識が無いので、騙される危険性が多くなる。
耳障りが良い、イメージが私には有る。
耳に入って、単語・言葉は知っているが・・・意味をよく理解していない・・之が私に成る。
何度か書いているが、耳で聞いているで終わっている事に成る・・・本来、聴く必要が有り、理解して解る、効くと言う処までの事をする。之が私には出来難いと言う事に成る。
肌に感じる、風潮の風で良いと言うイメージを私は持っていると言う事に成る。
本来、商売等で使う言葉だが・・・相互が利益を生むと言う意味に成るが・・・障害だと利益、この部分が各々違う・・為に・・・お互いが利益を生むと成る。
問屋が有るから小売商が成り立つ・・・お互い利益が出ている間はwinwinの関係と成るが・・・この利益も現実には差が有るし、頤の価値観でも変わる部部に成る・・・
全てがwinwinとは成らない。
問屋が10儲かる・・小売りが100儲かる・・・一部を見れば、同じ品物で利益が違う・・・差が有ると成る・・・しかし、問屋は数が違う・・・総合的な儲けは問屋が多いとも言える。之も差が有ると思えば、winwinでない事に成る。
要は、相手の懐を見ようとすると、損を感じる。何故するのか???・・・二者間の関係性を表現しているが・・・若し、勝ちたい・儲けたいこの命が強い、人がこの二者間の関係性でどう感じるか・・・どうしても、損した、負けたと感じる感じるからに成る。
英語なので判り難いが・・・直訳すると相互利益となる・・・
しかし、日本人に有る。winwinの関係は・・・共存共栄に成ると私は、考えている。
何度か書いているが。「おたがいさま」の感覚に成る。
大きく意味が解ると思う。得したい・儲けたいと言う感じが無く・・損もあり得るし、損の覚悟も有る。
しかし、英語でwinwinの関係と言われると、損しない・・損する事など無いというイメージに成る。
本来、英語でも共存共栄と言う言葉も有ると思うが・・・母国語を確り理解して、それに当てはめる事も大事だと私は考えている。
winwinが耳障りが良いと成れば・・・当然、勝ちたい・儲けたいと言う人も居る世界・・この単語を利用しだす。
すると・・・騙された等々の人が出て来る。之が進めば、winwinの響きも耳障りの悪いイメージに成る。
もう少し書けば・・・闇金と債務者の関係もwinwinの関係に成る。
悪徳業者にしか相手にしてもらえない相手だと言う事にも成る。
借用書等に確りと、金利等を記載して、認めたとハンコを付く・・・
しかり、法律がそれを規制しているだけである。
逆に、10万で購入した土地を一年後1000万で売る・・商売なら可能であるし・・儲け本位主義の商売人なら求めている方向に成る。
金利で見れば、凄い金利に成る。
しかし、法律では規制していない。
しかし、最初に売った人は、損した騙されたと思う人も居ると思う。
しかし、この関係性もwinwinの関係とも言える。
しかし、最近は人間関係までこの単語を多用している感じが私はします。
英語だから耳障りが良いだけ・・・日本語だと気が重くなるから嫌だ・・・何故嫌なのか負の部分も含みと言う事が解るからに成る。
私が考える、winwinの関係はお互いが感謝できる関係性だと思っている。
しかし、二者間の、片方でも儲けたい、損したくない・勝ちたいと言う命が強ければ、成り立たない事に成る。
夫婦間も同じ、winwinの関係・共存共栄の関係に成る。
先の英語のイメージだと楽しく・楽でと思ってしまう。
しかし、日本語に成れば・・・お互い謙虚で配慮し続ける事と言うイメージも出て来る。
又最近、特に私の子供達の場合だが・・・winwinの意味は、目には目をと言う感覚も持っている。
10打たれたら10打ち返す・・・怖いと私は考えている。
若し、この様なイメージを持つ、教育とは????疑問が有る。
何時も思うのだが、確りした自己表現力が有る、日本語を使わず、カタカナ・横文字英語をよく使う様に成っている。
何の為か・・・若し、意思疎通より格好良さを求めているなら・・・言葉の本来の意味に対して本末転倒の状態と言える。
自分の表現・・・目的は自分の格好良さと言う事に成る。
この流れが30年程前から加速している気がする。
意思を伝える言葉で無くて・・・自分の優位性を示す為の言葉・・・怖いと私は考えている。
特に三流の私は、知識が無いので、騙される危険性が多くなる。
久しぶりに・・・趣味・息抜き・・
古い、趣味の動画を観ている。
今見ると、その時点では気付きにくかった、部分が見えだす事も有る。
七年前のケツカキセット最終段階のSAKURA D3 CSのフロントユニバ抜きの簡易2WDでの走行テストに成る。
それ以前にもTA05でも2WDの取り組みはしていたが・・・その時使っていたジャイロがドリフトユーザーには不評・・・ジャイロに頼る等、ドリフトで無いとまで言われていた為に・・・FRシャーシの実車の重量バランスに近い・・・シャーシが販売に成り、速攻で購入・・・ケツカキでのセットと言うより・・・変なアライメントを付けず、実車に近い、キャンバー・トーのアライメントは0を起点にセットを進めて、最後にユニバを外して・・・走行テストを試みている。
当然、ジャイロの搭載は行っていない。
又・・・経験上・・パワーが大きい・・・結果、タイヤも食う方向を選んでいる。樹脂系のタイヤに成る。
今の私の目には、車が重すぎる・タイヤのトラクション・食いが異常に高い・・・その証拠に有りえない速度でステア操作しているのにフロントが左右に動いて居る・・・実車ならその速度でステア操作擦ば、プッシュアンダーが出るか、又は一気にリアが破綻、飛ぶ挙動を示すはずだが・・・之が無いと言う事は、上に書いた・・車の重さと、タイヤの食いが影響していると思う。
今だから書けるのだが・・・パワー命と言う、RCドリフターが普通だった時代・・・私の様に、マブチの540モーターでさえ・・大パワー・・当然、実車と比較してに成るが・・・この様な事を、言うと、変り者・異端児扱いを受ける・・・
しかし、現実にケツカキ状態の普通の車、この場合は私の感覚だと大パワー過ぎる車で・・・フロントユニバを外して走る・・・不可能となる筈・・・
真直ぐも走らない・・・旋回を試みると・・クルリ・・飛ぶ・・・
最悪は、止まる・静止させるこの事も思う様に成らない・・・
こんな車が普通だ・・・この部分を理解していたからジャイロを搭載したが・・それも邪道とまで言われる。
結果、ジャイロを使わなければ・・・この対処に取り組むことに成る。
最終的に、RCドリフトの世界では、有得ないパワー・・無さ過ぎる方向に成るし、全てのスピード・・反応スピードも落とす方向・・・
ステアリングスピードも一桁代に成る。
当然、目標としている・・実車・・私の場合FT86の個性に近づける事にも成る。
車の個性は・・基本・重量的バランスが個性と成る。
基本個性を近づける事に成った。
1/10のRCカーの世界・・・重量的には体積比に成るので・・・1/1000之を基本に置いて近づける。
車も重さとタイヤの関係性が有る様に・・・タイヤの能力も考える事に成る。
勿論、重量とパワー・・・この部分も大事に成る。
先に書いている様に・・・重くて・タイヤが食い過ぎる・・・之が見えだす事に成る。
勿論、色んな経験・試し続けて・・・目を肥やす必要が有ると思う。
仮に、人でも百キロ強の人達の中に80キロの人が一人し居れば・・・痩せていると思えるし変り者と思える。・・・逆に百キロ強の人達は、百キロ強が普通・当たり前と思っている。
私の考えは・・・無限の選ぶ物から何を選ぶかが人の凄さと思う・・・選ぶ権利に成る。
しかし、選ぶものを減らす・・方向が現代に成る。
選びたいが・・・選ぶものが限定されている・・しかし本人はそれに気づいていない・・
選んで試して・・感じて・・何を最終的に決めるかが大事だと私は考えている。
二輪駆動のRCドリフトに対して・・色んな事を考え試した。
タイヤの幅・当然ジャイロも有る。大パワーが基本の車と気付かず・・・タイヤの食う方向の模索・・・牽引力が無い為に、それを増大させる車の重さ・・・結果、真直ぐの牽引力が強くなり過ぎる・・それを止める為の無駄に深い舵角・・・
フロントを横に走り易いアライメントに向かう・・・当然、実車の市販車とは大きく違う・・・
本来、実車は左右のタイヤで旋回半径が違う為に・・・ステア操作するとトーOUTに強くなる。
先に書いている・・車の基本個性部分が、大きく違えば・・・全てが変わる事に成る。
今は、RCドリフトの世界で実車等の単語を耳にしなくなった。理由は?????
私は、RCドリフトの愚直までに実車を追い求めている姿が魅力だった。
本来の私は、所詮、玩具・・RC・・・実車とは大きく違う・・この部分でRCカーを楽しんでいた。
しかし、この世界では、通用しなかった。
私のRCの経験上・・この様なジャンルは殆ど経験が無かった。
所詮・スピード、勝敗論・・この感覚だったし之が正しいと思っていたが・・・何事も試す・・この思いが私には有ったので・・・ドリフターが言われる方向を模索する事にした。この行動が・・私はよい経験に成っているが・・・対外的には前以上に異端児に成っている。
人間とは、面白いと思う部分にも成る。
今見ると、その時点では気付きにくかった、部分が見えだす事も有る。
七年前のケツカキセット最終段階のSAKURA D3 CSのフロントユニバ抜きの簡易2WDでの走行テストに成る。
それ以前にもTA05でも2WDの取り組みはしていたが・・・その時使っていたジャイロがドリフトユーザーには不評・・・ジャイロに頼る等、ドリフトで無いとまで言われていた為に・・・FRシャーシの実車の重量バランスに近い・・・シャーシが販売に成り、速攻で購入・・・ケツカキでのセットと言うより・・・変なアライメントを付けず、実車に近い、キャンバー・トーのアライメントは0を起点にセットを進めて、最後にユニバを外して・・・走行テストを試みている。
当然、ジャイロの搭載は行っていない。
又・・・経験上・・パワーが大きい・・・結果、タイヤも食う方向を選んでいる。樹脂系のタイヤに成る。
今の私の目には、車が重すぎる・タイヤのトラクション・食いが異常に高い・・・その証拠に有りえない速度でステア操作しているのにフロントが左右に動いて居る・・・実車ならその速度でステア操作擦ば、プッシュアンダーが出るか、又は一気にリアが破綻、飛ぶ挙動を示すはずだが・・・之が無いと言う事は、上に書いた・・車の重さと、タイヤの食いが影響していると思う。
今だから書けるのだが・・・パワー命と言う、RCドリフターが普通だった時代・・・私の様に、マブチの540モーターでさえ・・大パワー・・当然、実車と比較してに成るが・・・この様な事を、言うと、変り者・異端児扱いを受ける・・・
しかし、現実にケツカキ状態の普通の車、この場合は私の感覚だと大パワー過ぎる車で・・・フロントユニバを外して走る・・・不可能となる筈・・・
真直ぐも走らない・・・旋回を試みると・・クルリ・・飛ぶ・・・
最悪は、止まる・静止させるこの事も思う様に成らない・・・
こんな車が普通だ・・・この部分を理解していたからジャイロを搭載したが・・それも邪道とまで言われる。
結果、ジャイロを使わなければ・・・この対処に取り組むことに成る。
最終的に、RCドリフトの世界では、有得ないパワー・・無さ過ぎる方向に成るし、全てのスピード・・反応スピードも落とす方向・・・
ステアリングスピードも一桁代に成る。
当然、目標としている・・実車・・私の場合FT86の個性に近づける事にも成る。
車の個性は・・基本・重量的バランスが個性と成る。
基本個性を近づける事に成った。
1/10のRCカーの世界・・・重量的には体積比に成るので・・・1/1000之を基本に置いて近づける。
車も重さとタイヤの関係性が有る様に・・・タイヤの能力も考える事に成る。
勿論、重量とパワー・・・この部分も大事に成る。
先に書いている様に・・・重くて・タイヤが食い過ぎる・・・之が見えだす事に成る。
勿論、色んな経験・試し続けて・・・目を肥やす必要が有ると思う。
仮に、人でも百キロ強の人達の中に80キロの人が一人し居れば・・・痩せていると思えるし変り者と思える。・・・逆に百キロ強の人達は、百キロ強が普通・当たり前と思っている。
私の考えは・・・無限の選ぶ物から何を選ぶかが人の凄さと思う・・・選ぶ権利に成る。
しかし、選ぶものを減らす・・方向が現代に成る。
選びたいが・・・選ぶものが限定されている・・しかし本人はそれに気づいていない・・
選んで試して・・感じて・・何を最終的に決めるかが大事だと私は考えている。
二輪駆動のRCドリフトに対して・・色んな事を考え試した。
タイヤの幅・当然ジャイロも有る。大パワーが基本の車と気付かず・・・タイヤの食う方向の模索・・・牽引力が無い為に、それを増大させる車の重さ・・・結果、真直ぐの牽引力が強くなり過ぎる・・それを止める為の無駄に深い舵角・・・
フロントを横に走り易いアライメントに向かう・・・当然、実車の市販車とは大きく違う・・・
本来、実車は左右のタイヤで旋回半径が違う為に・・・ステア操作するとトーOUTに強くなる。
先に書いている・・車の基本個性部分が、大きく違えば・・・全てが変わる事に成る。
今は、RCドリフトの世界で実車等の単語を耳にしなくなった。理由は?????
私は、RCドリフトの愚直までに実車を追い求めている姿が魅力だった。
本来の私は、所詮、玩具・・RC・・・実車とは大きく違う・・この部分でRCカーを楽しんでいた。
しかし、この世界では、通用しなかった。
私のRCの経験上・・この様なジャンルは殆ど経験が無かった。
所詮・スピード、勝敗論・・この感覚だったし之が正しいと思っていたが・・・何事も試す・・この思いが私には有ったので・・・ドリフターが言われる方向を模索する事にした。この行動が・・私はよい経験に成っているが・・・対外的には前以上に異端児に成っている。
人間とは、面白いと思う部分にも成る。
プライド・・・
よく耳に入る、プライド・・・色んな状況下で使われている。
意味は????と考えると・・・・知らない私は使われ方から想像する事に成る。
直ぐい怒り出す人とに対して、プライドが高いからと言う場合が多い・・・
何かを阻害されたから怒りが出たと思うが・・・それが何か・・・この部分がプライドだと言う事に成るが・・・・それが余りにも色々あり過ぎる・・・・
時と場合でも変わる・・・プライドが変化している事に成るし、時には真逆の事で怒る場合も有るのでプライドの意味が益々、解らなくなる。
辞書で、プライドを調べると・・・自尊心と成る。
文字の通り、解釈すると己を大事いしたい尊重したいと言う心に成る。
この部分は私も大事だと思うが、それを阻害されたからと、怒りだす問題でも無いと思う。
若し、己を、大事にしてもらいたい尊重してもらいたいと言う心なら・・・自尊心とは言わないと私は考えている。
この方向性なら・・・先に書いている、時と場合で、違った理由で怒り出す理由も、解る。
何度か書いているが、赤じゅうたんの上を歩ける・・・上げ善・据え膳をしてもらえる・・之を普通と思っているなら・・・些細な事でも怒りだす。
しかし、不思議にこの様なタイプ・・・・己と言う部分が、余りにも曖昧・・・見栄だけと言った方が良い・・・
簡単に書けば、己には、家族・親族・等々、色んな部分が含まれている。当然、国もにも成る。
私は、この部分を守りたいと考えているが・・・この部分を馬鹿にされたからと怒り等の感情が出るのが不思議である。
当然、徹して守りたいと思っているから・・・馬鹿にされたと感じたら、その言葉を指摘と捉えて、調べ、学べるチャンスだと捉える・・・
若しのこの行動をせず・・・盲目に信じ込めば・・・最終的に騙されたと恨み・・・最後は自分の名まで、捨て去る・・・行動をすることに成る。
守ると言う事は、色んな外部要因から・・・学び吸収しながら、己自身を成長させる事だと考えている。
だから、自尊心は大事だと私は考えている。
守るものも成長させる・・・共々に・・・之含みの己・・自と・・・個の己・・この自と・・・大きく意味が変わる。
この部分も東洋人、日本人は先祖等々社会も含みでの己・・・之が、西欧人、特にキリスト教信者には理解できない部分と言われていた。
逸話として、残っている事で・・・日本国の人々に布教活動に来られた・・神父さんが・・・キリストを信じると、貴方は助かる・・と言われ・・・それを聞いていた、農民は、俺だけが助かっても意味が無い・・・先に死んでいる先祖は、地獄のままだとすれば、自分はその地獄に行く事を願うと・・・・
己の単位が違うと言う事・・・
何度が書いているが・・一神教は・・この個の部分に執着している。
私が自分と思う時は・・・守るべきもの・背負っているもの全てを含んで、自分と捉えている。
個としての自分で無いと言う事に成るし・・・この部分は、生きた年数で増え続けている。
之が、増える事を私は幸せだと考えているし、生きた証、意味だと考えている。
人間として、人として・・・過去から今・・今から未来への責任と義務が有る。
祖先が居たから、今が有る・・・その部分を忘れると、人では無いと考えている。
又、未来に対して責任と義務を果たさなければ・・・生物では無いと考えている。
しかし、今の現実に対して、背負って倒れそうだが、自分の足で確り立つことが・・私の一番の責任だと考えている。
話が逸れたが・・・プライドが本来・・・ある人の方が。温厚で人の優しいと私は考えている。
プライドが無い・・自己中で個としての自分しかないこの様なタイプが直ぐに怒りだす。
しかし、何故か・・守っていたと思われる部分さえ、簡単に捨て去る人に成る。
守り続けて・・生きている。之だけで凄いと私は考えている。
要は、守るものがある人は本来、動じない・・・
最近は、この様な部分を学ばない・・・結果・・個としての己以外は簡単に捨てられる・・・・それが出来る事が、優秀や利口だと思っている。
最後には、自分の名前さえ捨てる事が出来るタイプという音に成る・・・・
この様な価値観が・・・守るものさえ、今の己の都合で変えて行く・・・
以前、書いているが・・・人殺しの親で有れ・・自分の親なら当然、守る・・・
全ての縁を・・・自分から切らない・・変えない・・大事にする。
キツクて苦労するが・・・之が幸福だと私は考えている。
意味は????と考えると・・・・知らない私は使われ方から想像する事に成る。
直ぐい怒り出す人とに対して、プライドが高いからと言う場合が多い・・・
何かを阻害されたから怒りが出たと思うが・・・それが何か・・・この部分がプライドだと言う事に成るが・・・・それが余りにも色々あり過ぎる・・・・
時と場合でも変わる・・・プライドが変化している事に成るし、時には真逆の事で怒る場合も有るのでプライドの意味が益々、解らなくなる。
辞書で、プライドを調べると・・・自尊心と成る。
文字の通り、解釈すると己を大事いしたい尊重したいと言う心に成る。
この部分は私も大事だと思うが、それを阻害されたからと、怒りだす問題でも無いと思う。
若し、己を、大事にしてもらいたい尊重してもらいたいと言う心なら・・・自尊心とは言わないと私は考えている。
この方向性なら・・・先に書いている、時と場合で、違った理由で怒り出す理由も、解る。
何度か書いているが、赤じゅうたんの上を歩ける・・・上げ善・据え膳をしてもらえる・・之を普通と思っているなら・・・些細な事でも怒りだす。
しかし、不思議にこの様なタイプ・・・・己と言う部分が、余りにも曖昧・・・見栄だけと言った方が良い・・・
簡単に書けば、己には、家族・親族・等々、色んな部分が含まれている。当然、国もにも成る。
私は、この部分を守りたいと考えているが・・・この部分を馬鹿にされたからと怒り等の感情が出るのが不思議である。
当然、徹して守りたいと思っているから・・・馬鹿にされたと感じたら、その言葉を指摘と捉えて、調べ、学べるチャンスだと捉える・・・
若しのこの行動をせず・・・盲目に信じ込めば・・・最終的に騙されたと恨み・・・最後は自分の名まで、捨て去る・・・行動をすることに成る。
守ると言う事は、色んな外部要因から・・・学び吸収しながら、己自身を成長させる事だと考えている。
だから、自尊心は大事だと私は考えている。
守るものも成長させる・・・共々に・・・之含みの己・・自と・・・個の己・・この自と・・・大きく意味が変わる。
この部分も東洋人、日本人は先祖等々社会も含みでの己・・・之が、西欧人、特にキリスト教信者には理解できない部分と言われていた。
逸話として、残っている事で・・・日本国の人々に布教活動に来られた・・神父さんが・・・キリストを信じると、貴方は助かる・・と言われ・・・それを聞いていた、農民は、俺だけが助かっても意味が無い・・・先に死んでいる先祖は、地獄のままだとすれば、自分はその地獄に行く事を願うと・・・・
己の単位が違うと言う事・・・
何度が書いているが・・一神教は・・この個の部分に執着している。
私が自分と思う時は・・・守るべきもの・背負っているもの全てを含んで、自分と捉えている。
個としての自分で無いと言う事に成るし・・・この部分は、生きた年数で増え続けている。
之が、増える事を私は幸せだと考えているし、生きた証、意味だと考えている。
人間として、人として・・・過去から今・・今から未来への責任と義務が有る。
祖先が居たから、今が有る・・・その部分を忘れると、人では無いと考えている。
又、未来に対して責任と義務を果たさなければ・・・生物では無いと考えている。
しかし、今の現実に対して、背負って倒れそうだが、自分の足で確り立つことが・・私の一番の責任だと考えている。
話が逸れたが・・・プライドが本来・・・ある人の方が。温厚で人の優しいと私は考えている。
プライドが無い・・自己中で個としての自分しかないこの様なタイプが直ぐに怒りだす。
しかし、何故か・・守っていたと思われる部分さえ、簡単に捨て去る人に成る。
守り続けて・・生きている。之だけで凄いと私は考えている。
要は、守るものがある人は本来、動じない・・・
最近は、この様な部分を学ばない・・・結果・・個としての己以外は簡単に捨てられる・・・・それが出来る事が、優秀や利口だと思っている。
最後には、自分の名前さえ捨てる事が出来るタイプという音に成る・・・・
この様な価値観が・・・守るものさえ、今の己の都合で変えて行く・・・
以前、書いているが・・・人殺しの親で有れ・・自分の親なら当然、守る・・・
全ての縁を・・・自分から切らない・・変えない・・大事にする。
キツクて苦労するが・・・之が幸福だと私は考えている。
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