2019年1月30日水曜日

誉・・・・「ほまれ」・・・・価値を見失っている。

私は、私の体で済む事・・・手伝いが出来る事は、出来るだけしたいと考えている。

勿論、現物の対価が無い・・・・この様な時に、この部分が誉と考えて、行う努力をしている。

キツイ、具体的な見返りが無い・・・・・この様な事を、最近は負担と言う・・・・

負担と言ってしまえば・・・負を担当して処理すると聞こえる・・・・勿論、厳然と負の場合も有るが・・・本当に負なのか?????この部分が、価値観に成る。

する事に、価値を見出す事が出来ず・・・面白味も無いしキツイと、心が感じたなら・・・当然、負と感じる。

しかし、この部分を誉、自分に対して期待され又、信頼され、委託されたと考えれば・・・・先に書いた誉に成る。

世間ではよく、お金に成らない、タダ働きする事は、バカと言う・・・・本当にバカなのか、世間が言っている声は聞こえている筈。しかし、それでも行う・・・・之をバカと言うのか???私は疑問がる。

若し、この様な風潮が、一般化すれば・・・人は馬鹿な行動をする事を嫌うし、それが常識となれば・・・・全ての事が負担に成りだす。

負担が有り、その感じ方と対価のバランスで、対価が多ければ、当然、感謝は自慢に成る。ギリギリなら、普通・・・・悪ければ、負と感じだす・・・・

初めから対価が無い、奉仕等々は、その流れから考えれば、全て負担となる。

この様な、私は算数的価値観の人が増えれば、マイナスの人は、誰が世話をするのか???と疑問が出て来る。

私の趣味の世界は、よく男気等々耳に入る・・・・この気が有る人が多い世界なので、本来心配は要らないが、現実は大きく違う・・負や損から、一瞬に逃げようとする人が多い・・・

家族で考えれば、家を守る、この部分は母が強い、家だけと言う単位で事を考えている。
その為に、男が居る・・・

しかし、最近は、この男女間の差が有る事が駄目だと言われる世界に成っている。

必死に家を守る、母と・・・社会の中で必死に社会を守る父が、昔は居た。

しかし、この部分が無くなり・・・守る、当然、負担に成る・・・・家を守ると言う部分も薄れている。
要は、自分しか興味が無く、全て自分に帰着する考えに成る。

この様な価値観が一般化すれば、当然、家庭も守る、この意味が解らないと言う人まで出て来る。

簡単に言えば、先に書いた誉、この事を知らないし、この事が素晴らしくて、尊いものと知らない・・・
勿論、最近は尊い、之も感覚的に解らない人が出てきている。

人として何を学んでいるのか????之が私の最近の疑問に成る。

こっちの水が甘いぞ・・・と、右往左往している。ホタルと同じレベルに人間が成って来ている。

恩・・・・感謝・・・

巣立った子供達が、代わる代わるに・・・嫁に会いに来ている。

今日は嫁の誕生日に成る・・・・馬鹿が付くほど、愛情を注ぎ、甘やかして育てた、子供達だが・・・母の恩に、答えようとしている。

小さな事だが、私は嬉しい・・・・・

人が良すぎて、天然部分が有り・・・・・その部分が私から見れば、彼女の魅力だと思って、何十年も共に過ごして来ている。

母親に成る前は、体も弱く、お産に耐えられない、子供を儲ける事が出来ないとまで言われたいた彼女が、母に成ったら・・・・人が変わった様に・・・体の弱さが無くなった。

彼女の、人の良さと天然部分が、個性だし、それを魅力と感じ続けう為には、私も色々、学び成長する事が求められる。

勿論、三流だが、その中で力も付ける必要が有る。

又、昼休みに三男が母屋で過ごしていたが・・・仕事に戻ってから・・・・嫁が、今度生まれる孫の用品を色々買い出しに、出て行った。

三男が、上の兄達の時には、色々していたが・・・・三男の為なか????兄達が使った、子育てグッズをお古で、使う・・・・この部分の不満を、嫁に言って居た様だ・・・・

その事は、上の子供達に話したら、三男が言うのは当然・・・この様な返答だったとの事・・・・

母屋で色々、子供達と嫁とが、していると思う・・・・・

嫁が居る身・又は子供が居る身で・・・自由に出来るお金が無いと思うが・・・何か施しをしている可能性が有るし、その様な子供で有って欲しいと願って育てていた。


私は蚊帳の外で・・・部外者的立場で、見守るしかないが・・・・

子供は、宝と言われている・・・・・この宝の輝きが出だす、年代に成って来たと、最近考えている。

若嫁の里も有る、出しゃばる事も控え・・・・足らない部分を補う、この様な方向で進めて欲しい・・・

目立つ事も要らない・・・・体裁や恰好を、気にし過ぎると結果的に棘が出る。

脇に控える、この様なスタンスで、事を進める事が大事に成る年代に成って来た。

私は、三流を卑下して居ない・・・・三流でも幸せと思える権利が有ると考えている。
しかし、探さないと、幸を気づかないレベルに成る。

小さな幸せが、沢山、周りに落ちているし有る・・・之を気付ける人間になれば、当然、幸福で幸せな人生に成る。

勿論、人様はその幸せが小さしぎて解らないと思うが、本人が確り感じて居れば、それで十分だと私は考えている。

要は、人に自慢できる幸せと・・・人には解らない幸せが有ると言う事・・・

この部分も人の数、有るので、他人では、解らない部分に成る。

笑い声が絶えない、母屋・・・・・私は良いと考えているし、それを守る責任が私に有ると成る。