今日は、嫁里の父の一周忌の法事・・・・一年経つ・・・胃に穴が開く心肺をした。息子達の嫁・・・義父から見れば、孫嫁になる。
この嫁達が、葬儀に参列する意味が解らないという・・・特に、年が若くなるに従い、この傾向が強い・・・当然、準備・喪服等の部分も、持っていない・・・この傾向は解っていたので、我家で準備していても、何故、伺わなければこの意味を解らせるのに頭が痛かった。
嫁の教育が出来ていない我家の問題になる。当然、若嫁が管理しているお金になるので、香典も無く、体一つに伺う、○○家という単位で考える私の場合、私の責任と、香典も子供の人数分、準備して待つと言う流れだった。
以前も書いているが、右肩上がりに良くなる、これが当たり前、常識と思っている人が多い、又、人は、人気と思っている人も多い・・・
結果、殆どの人が人気商売と思っているし、人様に嫌われたくない此を最優先する。しかし、この人様に、身内が入っていない・・・特に、親等の近い身内になる。
この感覚が有る状態で、己と身内・親族となれば、血族と思う人の居る。この血族を親族・身内と見る・・・私の妹もこの流れ・・・結果、孫の嫁・・赤の他人と言うことになるし、身内とは思えないとなるし、縁があるから、逆に本心、良い顔をする必要も無いという部分も出てくる。
私は、右肩下がりと言うときが有るのが、人間だと思う・・・上がる時も有るなら、当然、下がる時も有る、勿論、己の価値観で、考えたくない部分かも知れないが・・・私は、逆に真剣に考える方が良いと考えている。
法事等は、良い事とは思わない人が多い・・・人の死に関係する方向、炎がない方が良いという考えも有る。
私は、逆に、この様な方向は、尚更、勉強、学ばなければと思っているし、自分の番・・本番が来たときに、慌てないで良いと考えている。
私は嫌われ者と自覚しているので・・・人気商売と思っている人と行動や考え方が違う。
人の先、当然、人様が見ている先頭を目指すのが、人気商売の人・・・
私は嫌われ者なので、その中に入ることは出来ない・・・後ろは後ろ、距離を開け、付いていくしか、世の中の一員になれない。
私が怖いと思うのが、この人気商売で、先頭に居る人・・・当然、己は凄い・力が有る等々を意識してしまう。
何の為の力か???凄さか???・・・人様に手を差し伸べる能力が高い、奉仕者としての意味なのか????・・・私は逆に見えるから怖い・・・俺は一番、だから奉仕せろ・・・尽くせ・・と成る。
傲慢な命が出てくる・・・又、本人は、傲慢と思わない、権利だと思うし、周りから見れば、利権となる。
この流れが、続けば、当然、一番にならない人達が、一番の人に対しての奉仕者という形になる。その人の下の人達も居る。
この競争で、一番にならなければ、奉仕者としての立場だし、ビリに向かうに従い、奉仕の率が増えるという流れになる。
要は、唯物的な損得勘定での生き方のために、力なき人は損するという価値観に成る・・・生きる意味も無いと言うことにも成る。
競争社会と言われた、20世紀・・・今世紀21世紀は人間に優しい人間主義の世紀だと考えている。
しかし、個々の人間が育っていない・・・己の足で立ち上がっていない・・何故か、先に書いた様に、今のゲームを勝ち抜けば、商品等々で楽に生きていけると言う、20世紀の価値観の状態で生き続けている。
要は、今生きている場から、何を得るかが、基本になっている。生きている場に何が出来るか???これが無いから、生きる場が生き難い場に向かっていると言うことになる。
自立する、宿主として生きる・・此に主眼を置けば、大事な事がまた変わってくる。
人は「生老病死」を避けたり、逃げたり出来ない・・・又、嘘も失敗も起こす。此を前提に、己の終焉・・確りと計画できているか、当然、確りした後継者が居ることは誰しも解るはず。
お金が有っても、行動できる肉体等々が無ければ、意味を成さない・・しかし人間は先に書いた様に完璧で無い、約束も破ると言うこと・・この人間を信頼し・信用できるか???・・・出来なければ、己の思いに近い人を創ることになる。これが後継者となる。
今、世界では命が簡単すぎる形で、亡くなっている。勝てば官軍、全て正しいとなる世紀は終わっていると思うが、未だに、力本位主義・勝つ事が正義と言う、価値観が続いていることに、私は悲しい・・・
人は、何故、競争、走り出すと先頭を目指そうとするのか????本能???・・それで人が死ぬなら意味が無いと思う。