2019年10月13日日曜日

完璧・・・

私は、完璧と言う単語は、ありえないと考えている。

しかし、現代は何故か完璧を求め、完璧でなければ、認めない方向性が有る。

今回の災害も、完璧な堤防が有れば、防げる・・・しかし、完璧は何を想定しているかに成る。
その範囲なら、完璧と言う完璧は、本来完璧でないと私は考えている。

その為に、完璧と言う、単語は本来使えないものだと考えている。

今回もマスコミ等々では、想定を超える、雨量等々を、言っている。

しかし、本当に想定を超えていたのか????・・・・温暖化が進めば、この様な事が起きると言われてきた・・・

想定されていた事に成るが・・・雨量が増える、その増減幅が解らないと言う状態と言う事に成る。

昔の治水は、堤防も、有る部分を弱くして、想定を超える場合、ワザと決壊させる・・・その決壊した水を溜める為の土地も治水の一環として考えていた。

昔の方が、理に適っていると私は考えている。

土塁を創る、想定する水量の高さに成る・・・・しかし、想定外の事が起きる、これが当り前・・・結果、想定を超えた場合お策を、幾つも準備するのが、昔のインフラに成る。

先の大戦でも、世界最大級の主砲を持ち、浮沈艦と言われていた、戦艦、大和・・・沖縄へ向かう中、主砲を使えず、沈没している。

浮沈艦、完璧を目指して、造られた船だが・・・毛かは、数年で沈没している。
戦術の変化・・等々の、想定を出来ない、事が起きている。

人の考えさえ、想定外の事が有る・・・・・自然なら、それ以上あるのは当然だと私は考えている。

しかし、基準となる部分を示さないと、何もできない、これが現代の物事の遂行に欠かせない・・・之が無ければ、話にも成らない・・・
議会を通すために必要だが・・・・若し、之で守る事が出来なかった場合は、この基準んが悪いと成る・・・誰お為のインフラか????・・・之が本来問われるが・・・その人達も、結果として、数で示す、基準等々を求めているのも現実には有る。

少し前のブログにも書いているが、現代は、仕事も完璧を求めている。しかし、想定外の事が起きる。完璧でも処理できないと成れば、市の人自体が完璧でなかったと、判断される。

運が悪かったと成る。

管理側は、完璧な対応をしていると、気を休める方向を目指している。
小さく担当を分け、その担当者が完璧なら、当然、全てが完璧と当然なると考えている事に成るし、完治側が胡坐が欠ける状態だと言う事になる。

しかし、何度も書くが、人は間違いも心配も起こす、この様な人に対して、完璧を求める事態、ナンセンスと書いているが、しかし、現代は之を人にまで求めている。

結果、インフラはそれ以上に、完璧さを求めている事に成るし、インフラを信用している事に成る。

私は、信用はしないと書いているし、信頼までに止めると書いている。
信用が過信を産み、結果、大事な部分を忘れてしまう。

大事な部分は、命である。
人の命を、誰かが決めた基準の想定内で、守れる????・・・・私は不可能と考えいる。
想定外が必ずあるし、それを守る為には、想定外の行動が必要に成る。

しかし、想定外の行動が出来る、勇気が有るか????・・之が求められる時代にも成っている。失敗すれば、当然、犯罪者と言われる場合も出て来る。

状況も一瞬一瞬で変化するし、その対応も、それに合わせて、変化が必要に成る。この判断、又は責任を背負える、人がリーダーだが・・・この様なリーダーも減りつつある。

想定の範囲内で動ける、人は多いが、想定外の事柄に対して、動ける、訓練を受けている人が何人いるかに成る。

当然、イメージすれば解ると思うが、平時の時に、普通は…一般的にはと、基準をよく言葉に入れる人に、この様なタイプが居ると思うか????

管理職に求められる、危機管理とは、想定外の事が起きた時の、対応に成る。
普通は、基準や等々を、教育され・・・その基準内での事しか知らない人が、想定外を想定できるわけが無いと私は考えている。

私は、ブログを書き始めに、今後は、想定を超える、事が起き出す。それに対応できる、リーダーが必要と書いてきている。
居なければ、大変な時代に向かっていると考え、書いている。

グーグル・ブログから始めた2008年からに成る・・・その後、東日本段震災が起きた。

二十一世紀は、との題でも色々、危惧している部分も書いている。

その様に向かっている感じが強くする。



又、自然の猛威に・・・被害者が・・・

テレビ等で、今回の台風災害・・・特に豪雨による災害の様子が、映されている。

何度も書いてきているが・・・新興住宅街・・・元々が水田と言う土地が多い事・・・

水田は、水管理が楽な様に、元々が、水に浸りやすい・・・土地だと言う事・・・

土地に根差して生きる事を、思っているなら・・・当然、土地の過去も知る必要が有ると言う事・・・・

昔からの言い伝え等々が、地域ごとに有る・・・それを知る人も、現代では高齢者でも少なく成ってきている。

しかし、100年に一度と言われる、災害が最近増えている事は、昔の歴史も知る必要が有ると言う事に成る。

身を守る為には、情報が大事だが・・・何の情報が大事か????・・・各土地で違うと言う事に成る。

マスコミは、狭い範囲の情報の提供はしない・・・住む地域の狭い範囲は、その地に長く住まれている人達の、情報が大事に成ると言う事に成る。

又、山等の保水能力も、山林の管理不足で、劣って来ている。

山間部は、過去に例が無い、状況も生まれてきている。

人が住む場所と、水田等々、耕作地とは大きく、違う為に、治水も違う・・・・

住む場所を守る為に、水を溜める場所お有る・・・・堀・川等で処理できない水を、一時溜める為の土地・・・平時が続くと、水田に成っているし・・・その水田が、宅地に成っているのが、現代に成る。

又、国の発展と共に、インフラの為の、道や線路・・・何処を通るか?????・・・・
昔なら、人が住む場所の提供は難しい・・・人差をを離れた場所に、インフラの為の、道や線路が出来る。この部分に、人が集まり出す。

キツネやタヌキが住む場所が、一等地と言われるのが、現代に成る。

若し、昔の人が生きているなら・・現状の被害を見て・・・どう思うかに成る。

若しかすると、馬鹿ものが~~~と怒鳴られている可能性も有ると言う事に成る。

何十年か前に、100年に一度の災害の為の、インフラの整備を反対する、方向に、国民の総意の選挙で決まった。

我が地域も、山の方では、ダム反対等々の看板が昔は多々あったが・・・その後、消えてが、5年程前の、災害の時は、そのダムが有ったなら~~~と言う、声も上がっていた。

川の治水能力を超えた場合、一時的に、水を逃がし、貯める場所が昔は多々あったが・・・それさえ無駄、勿体無いと、今では宅地に成っている。

結果は、逃がす場所が無い・・・治水能力限界を超えれば、何処かが決壊する。
最終の溜める場所が、水田に成る。

要は、土地にも目的を決めて・・差を作っていた事に成る。
土地に対しての差別にも成る・・・・現代では難しい、事に成る。

被害を最小にとどめる為の・・・負の集中する場所に成る。当然、復旧も直ぐに出来る様に成っているが・・・

現代、旧の土地名等で言えば、それが判る・・・小字や字に成る・・・現代は使わない。

土地の差別を避けるために、この様な情報も解らない様に成っている。

牟田や沼と言う名で、字が水落・・・意味が解ると思う。

土地名にも意味が有ると言う事に成る。

私は、この様な事を、高齢者の人から、色々教わっている。
恵まれていると思う。


過去=今=永久

午後・・・宮崎は日南の親族が、墓参りで来訪された・・・・

孫が運転で、ひ孫迄連れては来訪・・・・・

現代は、過去<今>永久と言う価値観で、過去や未来に対しての思いが薄い・・・
私は、過去=今=永久への責任と期待が、有る。

私の父の従兄弟に当たる、一族での来訪に成る。

我家は長兄といての立場に成る・・・しかし、父はその思いが、逆に偉い、赤座布団の上に座れる程度の認識・・・その為に、本来、役目を学んでいない。

勿論、学んでいないので、私は教わっても居ないし、立場が上なので、上の振舞い、私の目からだと傲慢な振舞いを教えている事に成る。

本家は、何故、長男が継ぐかが解る事にも成る・・・長男の子供は、親が亡くなっても、叔父や叔母等から学ぶ事が出来る、

確りと、〇〇家の過去、歴史を、良しにせよ、悪しにせよ、学ぶ事が出来る立場に成る。

今日も、私が知る、限りの部分を、話す事が出来たし・・・私の知らない部分を学ぶ事も出来た。

之も、本家筋の責任だと思うし、義務でもあると思う・・・
今日は、若い、今後の世代の人も来られて居たので・・・〇〇家の歴史も語る事に成る。
出来るのも、責任と義務を感じたから・・学ぼうと思い、その時に、親族に教えてくれる人が居たからに成る。

祖父からの教えは僅か・・・父は無知・・・結果、生存しておられる高齢の親族から伺う事に成る。

それが出来たのも・・・父が無知と言う事を、早い時に知ったからに成るし、本家筋の義務と責任に早い時期に自覚したからに成る。

勿論、全てを知っている訳では無いし、教わっていないと言う部分の悔いも有るが・・・知る限りの部分は、後世に伝える・・・この責任を果たす事が出来たので、感謝している。

又、一つ学んだ、母方、当然、我家でなく、相手側の・・・墓が、近くのお寺に有ったので、案内を申し出たが・・・・鹿児島に墓を移したとの事・・・諸売人だったので、鹿児島に今は、子孫が居ると言う事に成る。

父から見て、叔母の里に墓に成る・・・・

跡取りとあは、この様な歴史を後世に伝える、義務が有ると私は考えている。

我家も、妹家族の名義に成っている・・・土地も同じ、その為に、妹には、之を後世に伝え続ける義務が有ると言っている。
しかし、その義務が重すぎると思うのか・・・名義を変えてくれと言う・・・・
現代の法律だと、私も妹も、同じ立場・・・それなら、〇〇家の歴史の継承をする事も、同じ、義務に成る・・・・しかし、妹は知らない・・・今日来訪された、人の顔も知らないと思う。しかし、利に繋がる、検地と義務は、簡単に主張するが・・・この部分は、話を変えて、現代は過去等、その様な事は、意味をなさないと言う・・・・

本家を守る為に、今まで沢山の、親族が、お金に繋がる権利を、放棄して、長兄に渡してきた、この思いに答えるのも、現代人の責任だと考えている。

以前も書いたが・・・私の友の家の、本家が絶えた・・・親族が、何処に手を合わせに行けばよいのか・・と・・・嘆いでおられた。

先祖に手を合わせる、私は悪い事だとは思わない・・・しかし、その合わせる場は????本家に成る・・・この本家を守る為に・・・身を引いて、別の所で生活されている、それが分家に成る。

分家達が、集まる場が、本家に成る・・・・

現代だから、嫁った娘が、管理者に成っている、当然、別の姓で有る・・・又、空き家状態である。

今日来られた、父の従兄弟さんも、我家の歴史を、後世の人に教えたいと、家族で来られたと思う・・・それに、応える事が出来た・・・私は、当然と思うが、現代は、これが稀に成っている。

何故、人が集まって来るのか????・・・我家に力が有る訳でもない・・・之を力と勘違いする人も父のように居ると思う・・・来られる理由が有る筈、それに答える、之も本家の責任に成る。

自分が稼いで得た、部分は、どうなっても良いと考えている・・・しかし、先祖から扱ったものは、後世に繋げる、義務と責任が有ると私は考えている。

物も歴史も含めてに成る。

現代の価値観に染まっている、妹も少しは理解しだした感じがする。
彼女は本来、夫の〇〇家を守る立場・・・しかし、その意識が全くない・・・
之を、良い嫁と言うのか????・・私は思わないから、良い妻でも、嫁としては最低と言っていた。
勿論、凄い剣幕で、怒るが、最近は、この部分も変化してきている。
夫を亡くしてから、気付く、可哀そうでも有るが・・・兄としての力不足、私の責任でもある。


私の年代でも、叔母や叔父が、健在である・・・その人達の思いにも答える、責任と事務が有る。之が、長兄の立場に成る。

仮に、自分のルーツを知りたいと考えた・・・・調べられるか????・・・聞く場が無い・・・役所、無理である・・・三世代までは得れても、それより過去は・・・・お寺に残っている、過去帳等々に成るが・・・之も個人情報法を盾に、知る事が出来ない。

結果、口頭での伝承に成る・・・証拠能力を問われれば、意味が無いかも知れないが・・・私は、大事な部分と思うし、それが結果として、己の振舞いに、良い影響を与えるなら、良い事だと考えている。

現代は、この本家までもが、無くなる方向に向かっている・・・各家が、浮き草稼業に向かっている・・・・

その場しのぎ、之が何が悪いと成っている・・・・今日は、災害の情報が多々、テレビで流れているが・・・災害が多いなら、この場から離れる、末は、国から別の国に鞍替え、等々も、当たり前に成る事に成る。

利が有る方向に、向かう、人の本質かも知れないが・・それを抑制する事も大事だと思う。
若し、之が正しいと成れば、過疎化が進む、我が地域は誰も居ない、地域に向かう事に成る。

都会で、暮らして、結果、何を残し、何を得たかを、後世に仕える事が出来か?????永遠性が有るか????

子孫さえ、持たない之が現代、永久にもと言う、価値観も無い事に成る。
結局は、貪欲に欲を貪る生き方をして、死んだと言う、生き方に成る。

世間から、部外視され・・・蔑視される立場だが・・・私を求める人も居るし、私の名を知っている人も多い・・・・之も、不思議と考えている。


今日、納骨堂に案内した・・・寄贈して有る、灯篭等々の説明をして・・・解って頂く・・・わが村の人は、解らない・・・
理由は、この村から出た、人達の寄贈が多いから・・・

阿具根に根を下ろされた、誰々さん等々、理解される・・・
又、ソテツ・・・宮崎、日南からの苗木で、育ったものと、言う、事も、解る人に成る。

村に居ても、由緒等々を、言える人が減り続けている。
之も、歴史の継承に対して、価値を見出せない人が増えている事に成る。

田舎が、この状態なら、過疎化の加速は止められないと思う。

お宮が大事と言っていて、歴史も文化も、言えない・・・知らない・・・
こんな事が、多すぎる時代でもある・・・専門家と振舞っていて、無知、無知を隠すために、普通や当然と言う単語を並べる・・・
普通は知っておくべきことさえ知らないのかと、罵られる・・知らないから、正直に知らないから教えてくれと言えば、怒り出される・・・・

残そうと思うなら、その歴史等々も知る事が大事だと私は考えている。

それが、将来に対して、意味が有るのかも大事に成る。

私は、この本家筋、等々は大事だと考えている。理由は、親族の繋がりの糸を束ねている、起点として考えているからに成る。

現代は、個でも生きれるが・・・之が永遠に続くとは思えない・・・繋がりが必要に成る時代が、又、到来したら?????・・・・この様に考えている。

現代でも、若し、個で良いと生きて、高齢に成り、身の回りの事が出来ない、言葉を発する事が出来ないと成れば、個性を確り理解している人が、側に居る、大事だと思うが・・・無ければ、家畜の様に扱われる、施設に入所する事に成る。



有りえない・・・現代が正しい????

子供に、私の子供の頃の話をすると・・有りえない・・昔・・・と言う・・・

現代の価値観だと、ありえないと言う意味の様だ・・・

しかし、私はその時代に生きた事に、悔いは無いし・・逆に感謝しているし、幸せだったと思っている。

学校の運動会も、地域対抗等の競争も有った・・・当然、地域を代表すると言う、責任も有るが、それ以上に、誉と感じていたし・・・地域の人の思いに答えたいと、武者震いを経験している。

何度か書いているが、新聞配達、お金を稼ぐ喜び・・・又、辛さも学んだし・・・対価が家の糧に成っていると言う、誉感も感じさせていた。

之を、現代は親が、子供の対価を収奪すると考えている。

現代の子供に成るので、現代の価値観は優れていると思っているし、過去の価値観は劣っていると思っている。

私は、その様に思っていない・・・・逆に現代の価値観も大事な事を忘れている感じさえする。


奇麗ごとが・・事実・真実に・・・

家族・・・四男の件で、他の兄弟から・・・色々言われた・・・
当然、私に成る・・・本来は四男に言うべきだと思うが・・・私は何故と成る。

勿論、家長と言う立場が有るので、言われたと思うが・・・私にも能力が有るし、その限界も有る。

その部分を知っているから・・能力を超えそうだからと、サイド・・奇麗ごと、こう有るべき論を・・私に言う・・・・

無理と解っているなら、本来は黙って、下支えすれば、良い事だと思うし・・・私は父に対して行ってきた。

家族と言う、共同体・・・共存の意味を解っていない事に成る。
家族の負を、共々に背負う・・・勿論、力加減も有るが、その思いが無ければ、共存は保たれないと思う。

この部分を昔は、親亀こけたら、皆こけた・・この諺に成る。他の亀が負を分担すれば、済むと言う意味に成るが・・・現代は、違う意味で使っている事が多い、

最近は、奇麗ごと・・こう有るべき論が、多過ぎるし・・・それが、事実に成り・・・真実に向かっている。

何度かブログに書いているが、差別はダメだと誰しも、口で言う・・・・本当にダメというなら、口から発している人は行っていないのか????

私は、差別はあるもの・・だから注意が必要としか言わない・・・・

五人の兄弟が居るが・・・一人の父親として、平等に接して来たか????この平等も色んな、側面で変わる・・・五人、同時に同じものを与える事が、平等という考えも有る。
しかし、歳の差も有るし、一人一人、個性も違う・・・之を無視すれば、同一の物、之もあり得ると思うが・・・現実は、違いが有る。

勿論、私自身も、変化している。永遠に一定という事は、私には不可能になる。

上の子供達が幼い頃は、親の借金も有り、日々の生活で手一杯だった・・・その為に、何も買い与える事が出来なかったし・・・貰った裳のや貰った物等を与えていた。
しかし、下の子供達の場合、幼い頃から、求める物は与えてきた。

若し之を差別と成れば、当然、下の子供達にも同じことをすることに成る。

又、上の子供達が、言っていた言葉、友達等は持っている・・何故、我家は???之も、子供達には、差別に感じていたと思う。


最近の差別は・・・対応振舞い等々の、形に成っている感じが強くする。

本来、対応も振舞いも、人の個性で変わっても良いと考えている。勿論、私の場合に成る。

差別とは、心の中に潜む、人間として、蔑視したり、人として全否定する、部分だと考えている。
私は、何度も書くが、失敗もするし、間違いも起こす、これが人間と考えている。
負も含みで、人間と考えている。

勿論、負は私も、容認しにくいので、口で言う、これは差別でなく・・・私の価値観では認めきれない部分なので、言っている事に成る。勿論、一部に成り、全部否定している訳ではない。

しかし、最近は、一部の指摘しても、全否定された、差別を受けたと捉える人も増えている。

この様な人が増えれば、何も指摘できない事に繋がる。

仮に、究極になるが、人殺しは悪い・・之は常識だが・・・しかし、咄嗟な時や戦争等、戦地では・・・・環境・状況次第では、人殺しをしても、仕方が無い場合も有る。

奇麗ごとだけなら、勿論、何が有っても、駄目となるが・・・私は、そう思わない・・・

今回、水害も発生している、ダム等の放流が、一つの要因と言われる可能性が高い・・・
しかし、ダムが崩壊すれば、それ以上の被害を出す。
放流が一つの要因で、人が死ぬ場合も有るが・・・苦渋の判断と言う場合も有る。
之を、人が駄目だと指摘できるか????人は、間違いも起こすし、失敗もする者を前提に考えれば、苦渋の判断の結果なら、仕方らないと私は考える。
しかし、この人としての特徴さえ、小さな部分を指摘、足を引っ張って、落とす方向の振舞いを起す人も居る。私はその様な人が、差別と思う。

勿論、差別も私は有るものと考えているから言える部分に成る。
私の嫁が、他人の子と、我が子、何か有れば、対処・振舞いが変る筈と言ったら、当然と言っていた。

他人様の子なら、ふ~~~で済む・・・しかし、我が子なら、バタ狂いしても当然と言っていた。

差別が悪い事では、無いと言うと、誤解を生むが・・・難しいと言う事に成る。

仮に、殺生はダメと言われると・・・奇麗ごと、成程と成る・・・・しかし、当然の様に、殺生した物を口にしている。

耳から入った、事に対しては、気に留めない方向が多い・・・直ぐに忘れると言う事・・・現に、殺生はダメだと話しながらでも、その様な食材を口にしながらでも話が出来る。

若し、之が、テレビ等で、豚や牛の、と殺・解体等を観ながらの食事・・口に出来る人は少ないと思う。

理由は、日頃・・知らない部分を、急に見せられ、脳を刺激している事に成る。

同じ事で、日本人なら、目の前で、魚を裁いて・・生き作りの鉢盛を出されても、美味しそう、新鮮だと、捉える・・・要は、目からの刺激に対して、対応性が出来ている事に成る。

同じ事で、戦時中の戦場・・・同じことが言える。

之を、平時の現代の誰が決めたか解らない・・・価値観の物差しで測る等は、ナンセンスだと私は考えている。


先に書いた、殺生はダメだ・・・当然と一瞬、頭が判断する・・・しかし・・と本来、考えれる、頭を作る事の大事だ荷も繋がる。

情報の誘導・扇動・・・論者に多い、手段が、この部分の利用に成る。
之を利用して、国民の民意だと、大きく話を盛る。

昔、硬いが、「良い天気ですね~」と話しかけて来る人が居る「私は、良い天気か悪い天気は、解らない」と答える。へそ曲がりの私の言動に成る。
理由は、雨の天候が良いと思える人も居るからに成る。

今回の風水害も、被害にあわれた人には、良い事で無いが・・・逆に之で儲かる人も居るのが、現実に、一概に全てが悪いとは言えない。

特に、お金の流動性が、滞る方向に向かっている時代の日本国・・・全てが悪いとは言えない事に成る。

私の、ブログには日々の我家の営みを書いている。
良い事より、悪事の方が多いと思うが、不幸とは思っていないから掲載できている。
現実の事を書いて、悪いと成れば、その様に判断する、社会が悪いと私は考えている。
この様な、家庭でも、幸福感は有るし、家族各々、楽しんでいる様に私は思える。

楽しい事、良い事が・・・幸せだとは私は考えていない。

その為に、殺生が悪いとも、一概に私は思わない・・・・生きる為に必要な殺生は有るのもだと考えている。
植物の命である。生きるのもを命を頂いているのが、食と私は考えている。

だから、人様から、貧食思われても、私は、感謝して頂いている。

私が危惧している部分が、人の本質を度外視した・・・奇麗ごとが横行している事・・・当然、違うと言えない事を、表に出して・・・之を民意と捉え、常識化して行く・・・最後には真実に成る・・・・

人として当然、無理な真実を押し付ける方向に成る。

当然、出来ないから、それを隠す方向に成る・・・この様な世界に成れば、他は全て、足をすくわれる、行動を起こす可能性が有ると、益々、隠す方向に向かう・・・周りはそれを弱みとして、利用しだす。

集団と言うが、全てが奴隷化されている事に成る。
之を、心が感じるから、幸福感が感じにくい・・・憂鬱な状態が続くから、浮かれたいと、場所を求めている。

本来は、楽しく刺激が有る、私生活・・・が・・・良いと考えるが、これが無い為に、私生活以外でそれを求める事に成る。
当然、お金が要る、その為に、お金本位主義が益々、浸透しだす。

之を求めている人は、大資本家に成る・・・資本主義の主人を喜ばせる方向に向かっている。





無理な腕力???・・・謙虚な応対???

子供の頃から、力を求める・・・良い事と学校教育・社会教育で多く得て来た・・・
力が有れば、何でも出来る・・・この様に学んだ事になる。

力を得る為には????・・・その一つが学問と言っても、試験の結果・・・良い点数を取る。之が力に成ると教わっていた事に成る。

学ぶ期間の、生徒・学生の時は之を求める事を、求められていた。

社会人に成ると・・・今度は、多々の利益・・・当然、雇用側の要求に答える・・・之が力に繋がると教わるし、為る事に成る。

結果、無理をするし、当然、力も得だすが・・・この力を今度は使いだす・・簡単に書けば、子供に対しても、全力の腕力で戦う、之を良しと考える様になる。

己が、幼い・育っていない時の事を忘れ・・・之が正しいと、思い込む・・・人々の配慮等に気付かない、人間に成って行く・・・この強引な振舞いが力が有る証拠とアピール迄する様になる自分に、ある気付き、呆れる事に成る。

力とは???之を、時遅しかも知れないが、考える事に成る・・・・

優秀に成れと言われ、育ち・・・又、お前はその素質が有ると思い込まされ・・・自分の本当の姿・分を知らずに育ったことに成る。
又、私自身の悪い部分・・・負も教わったと思うが、耳に痛い事、聞いていない事に成るし、利の部分は、小さなことも大きく、聞いてしまっていたと言う事にもなる。

若し、この特性が、人の本質なら・・・私は後世の人には、負の部分を多く、話す必要性が出て来る。

私は、色んな趣味も等して・・・人の傲慢さ・・之を感じる。
今は、趣味も出来難く、減っているが・・・RCも人の本質を学ぶにも良いと思っている。

RCも時代と共に発展してきた・・・どの方向か???・・・人の思いに成る。
人の思いとは????思い通りに成る方向・・・この思いが私は人間は強引だと考えている。

私が、RCカーの世界に入ったのは、中学校時代・・・・その当時は、プロポ・サーボ等々のメカも、現代に比べると、玩具のレベル・・・・・
勿論、電動と言う時代でない・・・・グローエンジンの時代・・・四駆も無い二駆の時代に成る。

全てが操作に対してダイレクトでない・・・しかし、楽しく走らせる事は可能だったが・・・人の欲・・・ダイレクト感をお求める・・・ステア操作も、ピアノ線の弾性の為に、静止状態だと、タイヤの舵角演出が出来ない・・・之がダイレクト感を阻害していると、ピアノ線を太く、強くする・・・すると、格好よく・・旋回中の自然なカウンター表現が出来なくなり・・・クルリとスピーンする方向に成る・・・・サーボの反応スピードの問題と成り、人の欲が、メカの高性能化を、求めだす。
しかし、二駆の場合・・・バギー系では無理と、成って、今度はシャーシが四駆化へ進むことに成る。

結果、昔は、走らせている、車の挙動、姿が、実車に近かった・・・しかし、操作側は後れを感じる・・・どちらがわを優先したか・・・操作側人間側の、欲がRCカーの発展の基本に成る。

操作側が曲げたいと考えれば、ステア操作すれば曲がる車が良い車・・・加速も、操作側が、アクセルを入れたら思いに繋がる加速をする車、之が良い車と成って行く。

車側から見れば、我儘な要求だし、傲慢な振舞いを受け入れる方向に成る。

実車の世界は、車が主体者で、その車の求める操作をしなければ、思うように動かない・・・車に対して、謙虚な操作が求められる。
曲がらないからと、ハンドル操作を増していく、舵角を多く表現して行く、操作で、本当に曲がれるか????

本当に、そのスピードでコーナーに侵入して、曲がれるか????・・・・当然、車で変わる部分に成るので、車の個性・分に合わせた操作に成る。

しかし、人の欲が中心に成る・・・結果・・・欲を求め、答えが出たら、飽きると言う方向に成る。

目指せ100kmを1/16クラスで、挑戦したことが有る。
加速区間が短いので、当然、ハイグリップタイヤを求める・・・バッテリーも高電圧方向・・それに耐えるアンプ・モーター・・・シャーシは、曲がること等考えていないので、直線優先の安定志向・・・・凄い、費用を使って、達成に近付いたら・・・一気に飽きた。
操作の面白みが無い方向・・・車に対して湯水を灌ぐ出費・・・走らせて、壊すと怖い、この思いで操作・・・

結果は、車に多々の出費を行ったが、ユーザー側の人としての面白みは有ったか????私の場合、無かったので、一気に飽きた。

何故、この部分を書いたか????・・・・現代は物欲に対しての教育に成っている感じがする。人の心等に対しての、価値を教えていない。

物欲を叶えれば、人の心も、幸福感を感じていると言う、方向に成っている。
しかし、この幸福感は、一瞬で有る事は、教えていない・・・揺るがす事の出来ない、幸福感の持続は????貪欲に物欲を叶え続ける事と言う方向を推奨している感じに成る。
之が出来る立場は、当然、金銭的に裕福で無ければ成らない・・・この部分を得る為の、力と、成れば・・・今の社会の全体の方向性も見える事に成る。

今回、台風災害が大きい・・・・当然、お金に余裕がある人は、お金の奉仕も多く出来ると思う。
又、日本国は、何度も書くが、一流や優秀な人が多い様に、風潮している。
之を前提に考えれば、金銭的心配は無いと思う。

当然、少数と思うが、三流以下の私が出来る事は、多くは無いが、体で奉仕できる部分は、行いたいと思っている。

勿論、この部分もお金が多々あれば、人様を雇って、出来る部分に成るので、三流が除外される排除される、社会構造も理解できることになるが。

現実は????

物は有っても、使う、人で変わると言う事・・・・・昔から馬鹿とハサミは使いよう・・・と言われる・・・・

心ある人に、武器となる危険性が及ぶ、お金等を持たせる、世界なら良いが、

若し、一流や優秀と言う人が、この場合の馬鹿なら・・・怖いと言う事に有んる。