2023年1月18日水曜日

必要とされ感謝だが・・・・・

 お客さんから電話・・・・印刷が出来ない・・・

尋ね直すと・・・パソコンから出力を試みても、オフラインになると言うこと・・・急になるわけがない・・何かをした結果、印刷されない・・・何をしたのか尋ねたら、プリンターのアイコンを叩いただけと言われる。

パソコンのOS等を尋ねても、ウインドーズと答えられるだけ、コントロールパネルを開いてと言っても解られない・・・

複合機とパソコンが繋がっているか????インターネットの画面でと説明して、一番上の欄に、httpで始まっている文字を消して、複合機のステータスプリントで出たプリントに記載されている、IPアドレスを入れてくれと頼んだら、パソコン上で複合機の状態が確認できるとのこと・・・

パソコンと複合機は繋がっている、オンラインと言う事に成る。

ドライバー側の、ポートが変わっている可能性が有るので、説明するが理解されない・・・この様なお客さんが私の場合多い・・・

その為に、パソコン等の販売も取りやめた、後が大変・・・しかし、今度は印刷できない等々で、複合機が悪いとクレームが入る。

結局、伺うことになった。

何時もの事だが、些細な事と、思いながら、長い道程をお客さんの事務所へ・・・・・

到着・・・早速、社長に確認すると、普通の印刷は出来るとのこと・・・しかし、ネットで契約した控えの為の書類が有るがそのソフトのプリンターのアイコンを押したらオフラインになるとの事・・・

私の仕事でない・・・・要は、ソフトの使い方の問題・・・・この様なパタンが非常に多い・・・・伺ってみると、新たに購入したソフトで問題が有る。その一部に印刷できない、プリンター・複合機が関係するので、私の仕事と、依頼の電話が有ることに成るし、当然、無料と思っておられる。

以前はそれでも、ソフト会社に問い合わせて、お客さんの代わりに設定等々行っていた、対価はお茶一杯になる。

この流れが永遠に続くので、パソコン等の販売は辞めた。

結果、別の処で購入されているが、何故か私に依頼が入る。理由は無料という事だと思う。

この様な事も説明しも確り行っているが、様は、己の知識不足が問題だが、それを埋める努力も歳という問題も有る。

電話等での問い合わせさえ、言葉・単語・専門用語を要らないために、意思疎通が出来ない。

出張での説明・設定等となると、私の周りの業者なら数万円の対価を求める。

サービスが良いと言う事は、無料と思っている人が、歳が増えるほど多くなる。

確りしたサービスを謳っていても・・無料とは言っていなければ、有料だという事・・・此が、現代の一般的、普通になっているが、この普通に同意できない人も、多々居るのが社会になる。

今日は少し、強く、ソフトがらみなので、ソフト会社に尋ねて下さいとお願いしたら、尋ねたが、私が言っていたように、出張費等が必要ですと言われたとのこと、要は有料だったので、無料を求めて私に電話依頼したとなる。

必要と頼られることは、感謝と思うが・・・何故か素直に、思えない私が居る。

どの様な人を求め育てているのか????

 何度か書いているが、私が二十歳の時、先輩から、言われた事・・・・私の人生で一生、耳に残っているし、考え続けていることになる。

人は、己の周りに、必要な人・不必要な人・どうでもよい人・・の・・三種類に分類されると言われ・・・私の場合は、その通りで有ると成った。

当然、平等主義者の人なら、この様な三種類等々の分類する等、考えられない事だし、当然、全ての人を平等に捉えていると思うが、私の場合は、先に書いた三種類に分類していると言われて、違うとは言えなかった。

その時、先輩から、この三種類のタイプで、どのタイプを目指すのか????と問われ・・・私は即答で必要な人に成りたいと答えたが・・・先輩曰く・・・それなら負必要と思われる覚悟が必要と言われた。要は、相手に対して、意見を言うという事に成る。この行為に対して感謝する相手ならよいが、そうで無い場合が多い、結果、理想は必要な人に成りたいと思っていても、波風を立てない、どうでもよい人を 知らず・知らずに選んでいると言われた。

この発想は己はどの立場かを求めているかに成る。

40歳を超えた頃から、己はどの様な人を求めているのか???と己に問うてみると・・・当然、手を引っ張ってくれる人、背中を叩いてくれる人・・・・それにプラスして、気付かない部分で下働きをしてくれる人を求めているのが解ってきた。

以前は相手に対して、己がどう思われるかを注視していたことになるし、壮年期以降は、己はどの様なタイプを求めているのかを注視するようになり、50歳に近づくにつれて、己が欲しているタイプは誰が育てているのか????に向かっていき、最初は社会・世間・国だという思いが強かったが、最近は家庭・己は・・・この部分に帰着することになった。

己が欲しているタイプ・人間は、間違っても王子様・御姫様でな無い・・・どちらかと言われれば、現代なら虐め・辛い仕打ちを受けても、挫けず背一杯生きようとする、下働きを苦に思わないタイプを求めている事に気付く・・・・

以前も書いているが、妻と嫁とは意味が違う・・・私は嫁を求めているし、息子達にも嫁を娶って欲しいと願っている。

お姫様等々は求めても居ないし、その様なタイプを面倒見れる分でも無い・・・共に苦労を楽しめる人を求めることに成る。

勿論、最下層に居るので、もしお姫様として育ち、その様な環境、価値観で育っていたら、最下層の現実は、非現実、有りえないと成るし、当然、そのレベルに居る立場の人間が悪いという流れに成る。

己が正しいという前提で、事を考え、結果が悪いなら、己は正しいなら、当然、周りが悪いという流れに成る価値観という事に成る。

当然、苦痛を感じているし、不幸だと思っているし、その原因は当然、己は正しいので周りになる。しかし、その周りも思うように成らないなら、思うように成る人や物に当たりだす。要は、苦と感じていることを、誰かに背負わせる、又はその苦を、思うように成る立場に押しつけて、己の正しさを納得する生き方、周りはたまったものでない・・・・何か問題が有れば、全て他の責任・何か利が有れば己のもの、当然、それを人権が保障しているという捉え方になる。

要は、この様なタイプを輩出すれば、誰かが尻を拭く事に成る。己で拭く等々、全く考えていない・・・・

何度が書いているが、王子様・お姫様を多々輩出するという事は、バランスを取るために、優秀な執事が必要だし、下僕・奴隷が必要という事、

このバランスが壊れれば、当然、争い事が増えるし、良い事は無い・・・・

結果、私は息子達は、私のレベル、最下層の価値観で育てたつもりで有る。しかし、私も甘かった、私自身が居るレベルより少し上のレベルで育てた為に、私を屑か汚い物としか捉えきれないレベルに成ってしまった。

己の身を落とし、現実以下のレベルで育てるべきで有ったと、今は後悔している。

しかし、感謝している、本来、捨てられても仕方がない、レベルに成っている私、それなのに、飽きずに離れずに居てくれる。血が繋がっている息子達にも感謝だが、血が繋がっていない、嫁や若嫁達には、大きな感謝に成る。

人は何を目指しているのか???何を求めているのか・・・求めているものが有るなら、当然、それに向けた人の輩出を行っているのか????

各々で違うから、各々求めている、違う個性を多々輩出し続ける事が大事になる。


出来る部分を行う・・・

 出来る部分を行う・・・当たり前の事だと今は思うが、昔は無理・不可能と解っても絶対にしてみせると頑張っていた時がある。

人には成長時期があると思う・・・その時は不可能と思える事さえ挑戦する気持ちは大事だと思うが・・・大事が当たり前に成りすぎると・・・・

私の様に、今の己の不甲斐なさに、気が滅入り正直、生きる気も無くなる。

又、息子達も、私の昔をイメージするのか、動かないから病が進行すると言っている、子も居る。

無理・無意味・バカと言われても我武者羅に動こうとする私だが、此が出来なくなったのを当たり前、当然と捉え切れれば、良いと思うが、先に書いているように、不甲斐なさや情けない等々・・・己の姿に悔いを感じている。

しかし、一年近い闘病で、少しは、己の今の現状が私の普通という認識をする様にと考えを改め続けている。

ついつい、若くて五体満足の時を己の普通と捉えてしまう傾向が、私・三流の為に有る。

考えれば・・・俺が・俺がと一人で全てを抱え込み、我武者羅に進んでいた時が有るし、それが男・私の生き方と思っていたときが有る。

馬鹿な浅知恵で、寄生虫の多々の人、家族も含め、背負っていく、又その人達から不満というものを取り除く、それが宿主たる、一人前の男の姿と思い込んでいた。勿論、不満まで解消する力は無かったが、両親も看取り・・・五人の子供達も社会人として育てることが出来た。

宿主としての立場は終わったと、本気で思い込まないと・・・病を抱えた己の身には酷に成る。

ヤット、己以外の人々から解放され、自分の事に対して真正面から、見て・取り組める時が来たと言う事・・・・己の為に生きる、この経験が無い為に・・・今は、慣れる期間だと考えている。

何事も、死んでもする。死にもの狂いでする。この時点に達すれば、事は解決すると私は思っていたし、経験の結果もそうだった。

しかし、己の為が微かでもあると、死にもの狂いが私には出来ない、己の身を守ろうとする命が出てくる。

他の人の為、是が非でもこの思いが続く間が、死にもの狂いが出来る・・・此も、劣っているからだと思う。その為に、人様からは馬韓・アホな言動・振舞と言われる。

よく楽が良いと言われる、私は楽(らく)は好きで無い・・・・しかし、楽(たの)しい事は好きである。

我武者羅に振る舞っているときは、感情の起伏も多々有るが、最終的に楽しいと感じているから、続けている。己が楽(らく)したいと思うなら、馬鹿な振舞に成る。

何が有るかな~~~何が有るかな~~~と・・・・ルンルンした感覚、勿論、胃がキリキリ痛むようなときもあるが、それがその後の現象でどう変わるか、楽しいと思うし、ウキウキする。

何度も書いているが、波瀾万丈が楽しいと思える意味に繋がる。

今、新たな事を経験し、学んでいる。ものを得る楽しさも有る、それより、色んな現象、色んな難儀を経験した方が楽しいと私は考えている。

その為には、環境も大事に成るし、どのレベルの環境か?????・・・上澄みの清んだ場所なら先も予想でき見えている。底の濁って、一寸先も見えないこの世界が、面白いと思えるし、楽しいと思えて来る。

要は、どのレベルが楽しいかの違いになる。己の生きる世界にも成る。

その世界で生きられる事が、結果的に幸せという事に成ると私は考えている。

当然、人間社会、どの階層が多いか、ピラミッド型になった社会構成・・・・最終的、人は、老いるし病も患う、結果的に最下層に属する方向になる。己は、ピラミッドの頂点に居るべきだと思い込んでいれば、当然、天と地の差の不幸を感じると思う。

しかし、私は最下層のレベルの人間と思っていれば、その場に留まっても、不幸だとは思わないし、当然の普通の事に成る。

しかし、人を、唆せて・・最上レベルの立場にしてくれると、甘い囁きが常時、されているのが現代の社会になる。子育てもその傾向で育てている。結果、最上レベルの立場で無ければ、納得しないし、不幸だと思うし、その原因は当然、環境、周りが悪いと成る。

現実に最上階に居る立場なら、誰も上から手を差し伸べる人は居ないことになる。己の足を引っ張る、手しか見えない世界・・・世に対して感謝より、恨みしか創らないことに成る。

最下層に居る立場なら、足を引っ張る人等はうようよ居る、当然の事、しかし、希に、上から手を差し伸べてくれる・・・当然、感謝の思いが出てくることになる。最下層でも感謝の思いが出るなら幸せだと私は思うし、最上層に居る立場だが、感謝の念が一つも無く、恨みだけなら、地獄の世界だと私は思う。

現代は、環境で幸せ・不幸と判断している。私は、違うと考えている。

周りから、一言「ありがとう」この言葉が、私には大きな宝物に感じる。

孫から爺~~ありがとう!!・・・この言葉を聞くと、涙が出来るほど嬉しいし、生きていて良かったと思うし、なんて幸福な事なのか!!と思える。

私は、欲深い、多々の「ありがとう」を求めて生きているようだ。