2019年1月28日月曜日

見守る・・・・

今までの経験で・・・・守る・・・この難しさを感じた・・・・

問題から危険から守ると言う意味も守るに有る。

しかし、言っても・見せても、解らない、人が現実には居る。・・・・若し、問題や危険に縁してしまった時に、守る側の対応は????と考えれば・・・

当然、問題や危険を取り除く方向に成る・・・しかし、それをしたからと言っても、また張本人はしてしまう。

この繰り返しをする、之も人間であると私は考えている。

永遠に尻を拭く覚悟が必要と言う事に成る。

この練習を子育てでしている。当然、一般的、子供は、成長と共に、問題等々も変わって行く・・・この成長が感じられるので、守も夢が有るし、希望が有る。

しかし、この部分が無い、人も現実には居る。

若し、現実に世の中に居るとするなら・・・この様な人に縁したいと思うか???・・・この部分が課題に成る。

若し、自分の周りに居て欲しい人に、この様な人が居る事が普通だと考えるタイプと、絶対に居てもらいたくないタイプとが、出てくる。

若し、居てもらいたく無いタイプが多いなら・・・・当然、この様なタイプを多く看たいと言うタイプの人も必要になる。

この部分が、普通のレベルの捉え方に成る・・・・先に書いたこの様な人の居る事が普通だと考えている人が、全てなら課題も減るが・・・

普通は居ない、居ない人を何故、自分が面倒を見るのか???と疑問を持つ人が多くなっているなら・・・・当然、逆のこの様な人を多く看たいと言う人も必要になって行く。

以前から、この普通の概念が、益々、厳密化しているし、一極化に向かっている、人の普通が機械、ロボット的に方向に向かっている。

結果、普通から外れる人が増える・・・この増え続ける、人を誰が背負って行くか、之が問われる時代に成って来た。

看るだけなら良いが、問題等々を起こせば、当然、看て居る側が処理し責任を負う事に成る。
この部分を私は嫌だ、苦痛と考え、この様にならない為に、口酸っぱく言い続けても、意味を成さず、結果的に問題を起こす。

この経験を元に、やはり、三流な私の自己保身の命の強さを感じる。負を背負いたくない、之が有るから、背負っていても負が起こる事を恐れ、無い方向が良いと勝手に考えているし、その策を色々行うが、結果的に無意味で、負を背負う事に成る。

之を不幸と考え、あり得ないと考えれば、この様な人を捨てる方向に向かう・・・・人間のエゴだと私は考えるが・・・・命がこの部分を推奨している。

三流で無知な私だから仕方が無い部分と思うが・・・一流に近づく為にはこの部分の克服も大事だと考えている。

昔、先輩が「黙って見守る」之が出来るか???と言われて居た時が有るが・・・・相手次第と私の場合、成るし、現在もこの方向が強い・・・・

私の分で、色々試みて、結果として、問題が出るし、解決しても同じ事を繰り返す。勿論「策」を用いてに成る。
黙って見守る、之が出来ない・・・・・

今回、家の事で、昔から続く、問題が出たが・・・・今回は黙って、事を進め見守ろうと考えている。
当然、周りの友等々は、策を用いて、問題の張本人にアドバイスや道理を教えているが・・・之を行ってもダメな人が居る。
私が、若い頃、行った策を、今、友が言っている事に成る。

最近、思う事が、責任の取り方・・・この取り方が大事だと考える方向になった。昔は責任が有るから、責任を問われる行動を、自分は当然だが、背負っている人に要求していた。その事は責任を負いたくないと言う、私の命が有るからだと思うように成った。
簡単に書けば、責任者だが、問題から避ける・逃げる、この命が強かった、その為に言動が、背負っている人達に、色々、教えていたと言うが、指摘やダメと言う部分を押し付けていた事に成る。

之を、教育や育成やと思いこんでいる。結果、それでも問題が起きれば、その人が悪いと成る・・・・責任者の本当の言動で無いと最近解りだした。

要は問題が起きた時の、責任の取り方・・・負い方が大事と言う事・・・・

改善が出来る方向なら良いが、出来ない事も有る。この負を背負い続ける・・・之が責任者たるリーダーの資質と考えるようになった。

現代は、仕事、会社でも簡単に解雇が出来ない・・・・色んな人を背負い続ける責任者が必要になる。適材適所も大事だが・・・・・適所が無い場合も出て来る。
特に、零細企業はこの方向が強い・・・・

昔と違い、責任者の資質も変わって来ている。

要は家に近づいている事に成る・・・・出来ない人も居る、それを如何するか???之が問われていると思う。


友に・・・・

土曜日・・・友が来訪・・・・

RCが縁で知り合った彼に成る。

最初の頃は、競い合い・・・毎日が練習だし・・・妄想・勉強に成る・・・

RCドリフトの草創期・・・何が正しい等々も話題に成る・・・・勿論、試す・・・・試す為には当然操作技量も必要になる為に、練習が欠かせない・・・走らせるように成ってどう感じるかが、各自の感覚で変わる部分に成る。

私は、この部分の感覚を大事に考えていたし・・・それを仲間に言い続けていた・・・その時代は正しいと言う方向性が多々ある。

勿論、全てが実車方向に正しいと言っている・・・自分に意とは違うと思っても、先ずは試す、経験しなければ、解らない・・・之が私の癖に成る。

試してみて、どう感じるか???ここで初めて自分の実車感と比べる事に成る。

当然、実車感も各自で違うと思うので、この部分も多々あると思う・・・・

私の場合、素人レベルの実車感に成る。市販車で少し広い空き地等々で振り回す程度、勿論、公道でも、100km以上等々のスピードで振り回す経験等々、無いに等しいレベルに成る。
この部分しか知らないので、この部分の実車感を大事に考える事に成る。

共に、各自・経験値も違うし・・・走っていた環境も違う・・・この事は実車感も違う可能性が有る。

長年、RCドリフトをしていて・・・解った事が有ると思う・・・・個人の感覚を大事に取り組んでいる人と、人が作った方向性・感覚を大事にしている人と・・・長年楽しんでいる人は???・・・・

当然、アスリート的部分が強く、負けたくないと続ける人も居るが・・・・頂点に近づくとどうなるか???

等々も経験で、感じていると思う・・・・

要は、自分が楽しいと思える・又はその中で少しでも自分自身が成長できている。之を行っている人が、一番、RCドリフトを良い趣味だと思っている事に成る。

勿論、生活が有って、趣味に成る・・・・出来ない時も有る・・・優先順位が当然有るからに成る。
又、自分自身の変化も有る・・・彼は下半身が麻痺してしまった。私は老いと怪我で昔の様な俊敏性は無く成っている。

しかし、現状の自分でも楽しめる・・・之を探す事が出来るのも趣味と私は考えている。

当然、仕事等々では雇用主の考えで、あるレベルが無ければ、ダメだと成るが・・・趣味だと創意工夫で続ける事も出来るし・・・・自分が続けたいと思えば、続けられる世界に成る。

私が以前から、言い続けている部分に成る・・・・・一般的・仕事・戦いの場所と限定してしまえば、それに当てはまらないと排除される世界と思ってしまい・・・その環境に即した形等々を求めだす。
私が考える趣味と大きく違う・・・若し、この様な方向性の人が大勢になれば、五体不満足や価値観が少し違うだけで、排除される、趣味というレベルさえ、社会と同じ事に成る。

今の自分が楽しめる・・・之が趣味だと私は考えている。

彼も解ると思う・・・昔のRCドリフトを知っている・・・パーツが無い、妄想して作る・・・勿論素人なので正確で無いが、それを付けて走ってみる、当然癖が変わるから、走らせる事が出来ない・・・練習を続けて、走らせる事が出来るようになって、初めて、そのパーツの意味が解る。

私が昔から言っている事がこの部分・・・・評価は走らせる事が出来て初めて出来る。
一流やエキスパートは当然之が出来るので、個人の主観としての評価が出来る。

彼も解っている様に・・・・自称エキスパートがそれが出来るか・・・走らせる事が出来ないから、評価は出来ないが、走らせられなかった事が重に成り、この車はダメと言う、評価をする人が何故か多い・・・・

結局は、自分が走らせる事が出来る車が良い車・・・この価値観が蔓延すれば、当然、技量を磨く、新たな方向性への挑戦等々、無く成って行くし・・・
之が意味する事は、自分自身の成長を感じなければ、人眼だけが気に成る・・・・・・
最後は、去って行く事になるのは、彼も解っていると思う。

要は、自分自身の成長を感じなくなれば、面白みが無くなると言う事・・・・

私が言っている、永遠のエントリークラス・・・練習する事が当然の身が続けると言う部分だけを考えれば、良いと言う事に成る。

勿論、この状態でも去る事もある。之は、自分に負けたと直ぐに成るが・・・

若し、自分が普通や普通以上と思っていて、辞める場合・・・・・RCドリフトと言う環境に責任を押し付けてしまうし・・・長年、楽しんだ世界に感謝等々の思いが無くなる。

彼はアスリート的、感覚が強い・・・・上を強く意識する為に、逆の下が見え難い事に成る。

本来、上下等々無いと私は考えている・・・人の評価で若し、上下が決まっているなら、何故、それに私が従わなければと思う・・・・私自身が上手等
々を判断している事なら解る部分に成るが・・・
人が決めた規準・・・・之が正しいと成れば・・・

RCドリフトの成熟の時に来ている。要は確りした、リーダーが求められる事に成る。

色んな人が要るし、その様な人まで・・・と考えると、リーダーは大変だと私は考えている。

勿論、人の世界・・・思い込みが強い人も居るし、肩書に振り回される人も居る。
しかし、趣味の良い部分は、社会的・仕事的、肩書も気にしないで良い世界が趣味に成る。

本来、人間力を磨く事が出来る世界に成るし・・・この人間力が見えやすい世界と成る。

昔から書いている、趣味の世
界は人間観察に一番適している・・・に繋がる。

彼も、少しは解ってきていると思う・・・・趣味で成長して欲しいと願っている。
未だに、生きる起点・・・この部分が薄い・・・簡単に書けば、覚悟が足らない・・・
勿論、年齢に即して少し、劣っていると私は思う・・・・
考えようでは若いと言う事で、良い部分も有るが・・・・もう少し、根を張って欲しいと願っている。

色んな人を見て来たが、この様な人が最近増え続けている。

現実との解離が強くなる方向性の人が多い事も、私が危惧している部分・・・・

誰しも、夢や希望が有る・・・・しかし、全て現実に即してどうするかに成るが・・・この現実を無視する方向が強い・・・・何故か、この部分は本来、自分自身の行動・努力・キツイが耐え忍ぶ部分に成るが・・・・之を行っても誰も評価しない、見えないと言う部分に成る。

昔言われていた・・・水面を進む、白鳥・・・・優雅に進んでいるが、目に見えない水中では足で必死に漕いでいる。

この必死が恰好悪いと思う、方向性が有り、また見える優雅に進むこの部分だけを楽にしたいと言う願望が強すぎる・・・・

この部分も、趣味のRCドリフトを見ていると、その方向性が強い人が多い事に私は危惧している。

生活の基盤がしっかりしているので、趣味が出来る。之を忘れてはダメ・・・・・

各自、生活が有る・・・・家庭が有れば、当然家庭サービス等々も行って・・・趣味に成る。

彼に、今の私は家の、大事に目途を付ける、之が一番の課題・・・・
人は各々・・・責任と義務と言う、使命がある。
この部分を果たしているから、自分の時間が出来る。当然、三流の為にこの部分が少ないが、力が無い為に、全力で取り組む事に成る。

勿論、一流から見れば、全力も遊んでいる程度に見えると思うが・・・この部分も分相応に成る。

彼も、少しは解って来たと思う・・・・自分の足元の根を張る、この部分で全力を投入して欲しいと思うが、彼も見栄を捨てられない様だ・・・・

優雅に見える人は、本来見えない部分で、凄い努力をしている。之が無ければ、一瞬に破綻する。

人を、育てる場が、趣味と考えれば、リーダーの責任感も変わると思う・・・・