問題から危険から守ると言う意味も守るに有る。
しかし、言っても・見せても、解らない、人が現実には居る。・・・・若し、問題や危険に縁してしまった時に、守る側の対応は????と考えれば・・・
当然、問題や危険を取り除く方向に成る・・・しかし、それをしたからと言っても、また張本人はしてしまう。
この繰り返しをする、之も人間であると私は考えている。
永遠に尻を拭く覚悟が必要と言う事に成る。
この練習を子育てでしている。当然、一般的、子供は、成長と共に、問題等々も変わって行く・・・この成長が感じられるので、守も夢が有るし、希望が有る。
しかし、この部分が無い、人も現実には居る。
若し、現実に世の中に居るとするなら・・・この様な人に縁したいと思うか???・・・この部分が課題に成る。
若し、自分の周りに居て欲しい人に、この様な人が居る事が普通だと考えるタイプと、絶対に居てもらいたくないタイプとが、出てくる。
若し、居てもらいたく無いタイプが多いなら・・・・当然、この様なタイプを多く看たいと言うタイプの人も必要になる。
この部分が、普通のレベルの捉え方に成る・・・・先に書いたこの様な人の居る事が普通だと考えている人が、全てなら課題も減るが・・・
普通は居ない、居ない人を何故、自分が面倒を見るのか???と疑問を持つ人が多くなっているなら・・・・当然、逆のこの様な人を多く看たいと言う人も必要になって行く。
以前から、この普通の概念が、益々、厳密化しているし、一極化に向かっている、人の普通が機械、ロボット的に方向に向かっている。
結果、普通から外れる人が増える・・・この増え続ける、人を誰が背負って行くか、之が問われる時代に成って来た。
看るだけなら良いが、問題等々を起こせば、当然、看て居る側が処理し責任を負う事に成る。
この部分を私は嫌だ、苦痛と考え、この様にならない為に、口酸っぱく言い続けても、意味を成さず、結果的に問題を起こす。
この経験を元に、やはり、三流な私の自己保身の命の強さを感じる。負を背負いたくない、之が有るから、背負っていても負が起こる事を恐れ、無い方向が良いと勝手に考えているし、その策を色々行うが、結果的に無意味で、負を背負う事に成る。
之を不幸と考え、あり得ないと考えれば、この様な人を捨てる方向に向かう・・・・人間のエゴだと私は考えるが・・・・命がこの部分を推奨している。
三流で無知な私だから仕方が無い部分と思うが・・・一流に近づく為にはこの部分の克服も大事だと考えている。
昔、先輩が「黙って見守る」之が出来るか???と言われて居た時が有るが・・・・相手次第と私の場合、成るし、現在もこの方向が強い・・・・
私の分で、色々試みて、結果として、問題が出るし、解決しても同じ事を繰り返す。勿論「策」を用いてに成る。
黙って見守る、之が出来ない・・・・・
今回、家の事で、昔から続く、問題が出たが・・・・今回は黙って、事を進め見守ろうと考えている。
当然、周りの友等々は、策を用いて、問題の張本人にアドバイスや道理を教えているが・・・之を行ってもダメな人が居る。
私が、若い頃、行った策を、今、友が言っている事に成る。
最近、思う事が、責任の取り方・・・この取り方が大事だと考える方向になった。昔は責任が有るから、責任を問われる行動を、自分は当然だが、背負っている人に要求していた。その事は責任を負いたくないと言う、私の命が有るからだと思うように成った。
簡単に書けば、責任者だが、問題から避ける・逃げる、この命が強かった、その為に言動が、背負っている人達に、色々、教えていたと言うが、指摘やダメと言う部分を押し付けていた事に成る。
之を、教育や育成やと思いこんでいる。結果、それでも問題が起きれば、その人が悪いと成る・・・・責任者の本当の言動で無いと最近解りだした。
要は問題が起きた時の、責任の取り方・・・負い方が大事と言う事・・・・
改善が出来る方向なら良いが、出来ない事も有る。この負を背負い続ける・・・之が責任者たるリーダーの資質と考えるようになった。
現代は、仕事、会社でも簡単に解雇が出来ない・・・・色んな人を背負い続ける責任者が必要になる。適材適所も大事だが・・・・・適所が無い場合も出て来る。
特に、零細企業はこの方向が強い・・・・
昔と違い、責任者の資質も変わって来ている。
要は家に近づいている事に成る・・・・出来ない人も居る、それを如何するか???之が問われていると思う。