2018年9月17日月曜日

時速60kmからブレーキを使わず、減速・・・・

実車で、時速60kmからの減速を、ブレーキを使わないで試みる。

今、私は仕事車しか、運転して居ないので、その車で、時々試している。

要は、ブレーキを減らさない為の意味で行っているが・・・・

AT車なので、先ずは、オーバードライブのボタンを押す・・・すると、減速感が強く成る。

40km位で、二速にシフト・・・・10km位で、一速にシフト、之で、数キロに落ちる。勿論、ATなので走り続けるが・・・最後は、サイドブレーキで止めてみる。

当然、止まるが、走る距離は凄い距離に成る。

実車の60km・・・・・・RCカーなら6kmのスピードに成る。

ブレーキを使わず、どの程度走るか????・・・・・仮に10mとすれば、実車だと100mに成る。

この部分が、モーターと内燃機関の大きな違いにも成る。

特に実車のEV車で、一番、今までの車との意外感が、このアクセルOFFの時の減速感に成る。

当然、実車のメーカーは、この意外感を無くす策を取らなければ、市場には出せないと成る。

電動RCカーで実車感等々を求めるなら、当然、実車のEVの問題点と同じ部分が問題に成る。

又、RCドリフト界では、実車の1000馬力仕様や500馬力仕様と内燃機関のエンジンを元に表現してある。

この言葉を信じれば、当然、減速方向も合せている事に成る。しかし、私の経験上、大馬力と言っても、ドりフターが表現される様な車の経験は無いが、殆ど、パワーの大小で、減速感の変化は無い・・・・逆に、高性能と言われる方が、何故か良く転がる印象が強い・・・

之を前提に考えれば、先に書いている、仕事車の減速感と大きく違わないと考えている。

元から、私はRCカーと実車とは大きく違う、この思いが強く、実車感等々は求めていなかった。この思いが異端児に成る世界が、RCドリフトの世界・・・

理由は実車感やリアル感と成る。

走ってナンボの世界が、RCカーと言う、発想の私が違う事に成る。

私が、考えている、実車との違いが余りにも多過ぎるから、不可能に近いと考えていたが、この部分を克服している人が多い世界が、RCドリフトの世界とも言えるが、未だにその様な人と縁した事が無い・・・・

何をRCドリフト界は、求め、言っているのか???・・・・未だに解らない・・・・

その為に、現実はその様な人に有った事が無いので、何でも有りだし、各自の好みですれば、良いと言う考えも出て来ている。

アクセルを少し握って、緩める、この操作をしただけで、実車とRC独特の違いが、当然解るように成る。

車のユーザーが何を求めているのか???・・・之も、見えて来る事に成る。

私の車を試乗する際に、よく転がり過ぎるとも言われる、しかしブレーキが有るので、其れを使えば、止まる。

この転がり過ぎるも、当然、基準が有る、何を基準にこの感覚に成っているかで、その人の目的が有る程度分かる。

私の基準は実車なので、転がりが悪いと考えている。

一つの部分の、評価も何を基準にするかで、当然変わる・・・・

実車思考なら、当然、実車との対比と私は考えているが、其れが又異端児に成る方句・・・之も不思議だと考えている。



見栄張った・・結果、無くす・・・・

嫁が帰ってきたら、父が携帯を無くしたと言っているとの事・・・

家中を探したが、無い・・・・今回は、父は私には言わなかったという事は、今まで、私が指摘していた、事を記憶しているからだと思う・・・・

直ぐに体裁や格好を気にする父・・・その基準が当然有るが、其れが、映画やテレビ等々で見る、格好良いと言う、振る舞い、当然、父の感覚に成る。

その為に、携帯も毎日、数度無くしたと、言うから、首から下げる様にして上げているし、その様にしていれば、無くさないと何度も言っているが、父には格好悪い体裁が悪いと感じているのか、現実にはしない・・・

結局、今日も無くしているが、私には言えないし、散歩に出て行くと言って、長く返ってこなかったが、その言った場所も私には言わない・・・・

之が意味する事は、私から怒られると言う、場所へ行っているからに成る。

嫁に頼んで、父が動いた場所へ、一緒に行ってくれと、お願いして、今、動いてくれている。

立ち寄った場所に成る・・・・

当然、私には理解出来ない場所の可能性が高い・・・・

私の子供にも、女か買えると言う場所へ、送迎をさせているし、之が男の甲斐性等々と息巻いている。当然、子供は何も言わなかったと思うが・・・・

私なら、何を考えていると、言ってしまう・・・この様な言動をする人間は、父の周りでは私しかいない、私が特殊だからと思っているし、周りに話すと、良いな~~~羨ましいな~~~と褒めてくれていると勘違いをしている。

正常時のこの状態・・・・痴呆症が進めば、当然、大変な事に成る。

父が言っている言葉は、私に耳には格好を付けた武勇伝にしか聞こえない・・・・・その世界で、褒められる事が、凄い事、人として誉と考えている。

私の価値観と、180度違う・・・・背負いきれないものを背負っても、負けずにと一歩前進の戦いをされている人を私は凄いと思うし、その生き方が誉と私は感じる。

しかし、現実にこの様な生き方をしている人は、世間的に、馬鹿にされたり、除外されたりする、今表面的部分を見て、生きて来ているのが父である。

結局は、人目の判断が正しいと考える人と言う事に成る。

父がよく言うのが、破れた靴を履いて、アルバイトに行っていた私に、何故出来ると言っていた。
汚れる仕事、格好等を求めている世界で無い、要は、汗を流して、土方に頑張る、この部分で、評価され対価を頂く世界で、その様な小さな部分等、私は気に成らなかった。

逆に、父の感覚なら、この様な職場さえ、スーツを来て、高級車で乗り付ける、之が格好良いと思っている。

考え方では、今の自分の分以上の事をする為に、稼いでいると言う感覚の人に成る。

私は自分の文さえ、まともに維持できないから、頑張って、色々している・・・・その結果、稼ぎが少なければ、分も下と思うしか出来ないし、若し、自分の分が有るとするなら、それ以下の姿に成ると言う事に成る。

この部分も、背中に背負っている、ものでも変わる。

考えてみれば、父が背負っていたものは借金・・・・之が無くなったと思った瞬間から、振る舞いが変わっていた。

自慢げに、憶の金を返したと、周りに風潮していた・・・・それで、周りがどう対処するか???

結局は、凄いお金を之から使いだす・・・何に使ったかも教えない・・・

私の子供まで、背負わせる事が出来ないと、商売を初めて、頑張って来たが・・・世なのかとはよく出来ている・・・・

近所の困ったチャンの老婆を看て来たが、結局は、同じ、金に貪りつく人が大勢と言う事・・・其れが永遠に続くと思っていたら、出来なかった・・・結果、息子を刺す・・・大変な事に成って行く流れで、全ての取り巻きが消え去る・・・・残ったのは等目に心配していた私達に成る。

息子が言っていたが、金を持っていると言う事は、基本、ケチで有るし、付き合いが悪い・・・之以外は、金を直ぐに無くなると言っていた。

何の為の金なのかと言う考えに成る、見栄を張れる、格好を整える為の、金と思えば、その様な使い方に成る。

生活や、家族の為の金と考えれば、当然、考え方が変わる。

しかし、今から、携帯の処理を考える事に成る、私の頭では簡単で無い。




お手伝い

久しぶりに、村内の案内状、作製のお手伝いが出来た。

感謝に成る。

高齢化が進む、我が地域・・・・又、今月市議会の告示に成っている・・・議員の力や介入が、昔に比べ、個人や、我が村と言う単位に入らない時代だし、当然、この流れが正しいと思うが・・・

逆に、区長や民生員の力が大きく成る方向に成っている、しかし、順送りで、高齢の重鎮がなられる慣習が有る為に・・・名誉職的色合いが強い・・・

何の世界でも、長がバタバタする、之は団体や集団の環境だと有り得ない・・・本来、下働き等々が多々居て、組織全体の円滑を保っている。

之が村社会には無い・・・・色んな、役員等々が居るが、結局は長一人がバタバタ、動き回っている状態・・・その為に、全ての役等々が、したら損と言う感覚に成っている為に、有無を言わせない、順送りに成っている。

当然、選挙をする事が出来れば良いが、手を上げる人が居ないから、この状態に成っている。

今後、高齢化が進む中で、誰が地域社会の円滑化をするか????之が、最大の関心だと私は、話していた。

当然、区長や民生員と言う言葉が出来る、当然、議員がと成る。

しかし、無理である。

我が市も、市議会の定数も今回減る・・・・

当然、市民の下僕たる意識の有る、役人が増えれば良いが、現実は違う・・・・

又、村内にも現代の価値観が、強く有る人達も増えている、自分しか考えない人達に成る。

隣に家が、空き家に成り、朽ちて行く、その姿を黙って見ている事が出来る人なら良いが・・・そうでない筈・・・結局は、地域や市に、問題を言いだすと私は考えている。

そうなる前に、本来、色々な対策が有る。

何処に息子さんが居る等々、日頃の付き合いで解っている場合も有る。又、その息子さんと面を合せている等々も有る。

要は、誰しも解ると思うが、日頃の人との繋がりが大事だと言う事に成る。
それなら、最後の地の場所に居る人達との繋がりが、日頃どうかが本来一番大事だと私は考えている。

以前も書いているが、私は昔は仕事人間、会社の為、会社・会社・・・と何時も考えていた。当然、その分、住む地域等々は全く頭に無かった。

しかし、何時かは会社から出る・・・・この出た後の人生が有ると言う事を、考えていなかった。

会社の為、社員の為と、度量した結果、自分が住む、地域には何もしていない、当然、地域からはその様なあしらいを受ける方向に成る。

其れを取り戻そうと、今は頑張りたいと考えている。

しかし、その年齢が、何故か、定年間際に成る・・・・力が衰える歳と言う事に成る。

要は、手足に成る人が、居ないのが、今の田舎の問題に成る。

当然、居ても、手足に成ると言う大志を持った若者も少ない・・・・

この部分も、教育だと私は考えている・・・教育には生きている環境も含まれる。

よく、自己完結で行きる。之が出来る人も居るし、出来ない人も居る・・・又思いは有っても、出来なくなる人も居る。

どんなに背伸びしても、私の場合、今住んでいる地で、命尽きると考えている。それなら、この地が如何かが問題に成る。

一番、私には大事な場所が、高齢化が進むこの地と言う事に成る。

何時までも他所の世界の舞台で、目立つ場所に居る之を求める、立場でも無いし、その力も無い・・・・足元のこの地をどうかしたい思いが、年々強く成っている。






小さなR・・・・考え方の変化・・・

実車の世界と、RCカーの世界の大きな違いが、車だけなく・・・コースにも有る。

外部操作の為に有る程度の広さの限定が有る。

仮に、実車では100Rのカーブが有る・・・・このカーブを、最大に頑張って、スピードを保ち旋回させる、車のジャンル等で、速度は変わるが、150km近辺で、リアが滑り出すギリギリの車も有る。

之をRCの世界のスケールに直すと10Rを15kmでリアが破綻するギリギリの速度と言う事に成る。

10R半径10mのコーナーがRCコースに普通に有るか、当然、其れ以上に大きな半径が有るか??一般的には無いし、大きなコーナーと成る。当然、そのコーナーを凄い速度で通過している。

RCドリフトコースの、屋内コースで、この様なコーナーが有るか、現実的には一桁のコーナーに成る。

仮に、RCコースの2Rと仮定・・・半径2mのRに成る・・・コーナ内側のRが2m・・・当然道幅が有るので、6m位の幅が居る事に成る。

この3Rを実車に当てはめると、30Rの旋回と成る・・・・・当然、100km等では厳しい・・・

この様な、事を考えながら、実車感とは・・・・と考えている。


RCドリフト屋内コースの場合、この3Rが大きいコーナーと成っている場合が多い・・・

この様な部分を意識し出してから、私は速過ぎるとRCドリフトを思う様に成っている。
又、スピード域の回転で、10km以下が、大事だと思える様に成っている。

この発進して、10kmまでの回転制御がスムーズに操作側の思う通り出来れば、当然、グリップ走行も簡単だと考えている。

今、コースで、私がグリップ走行を楽しんでいると書いているし、又楽しいと思える、意味がこの部分に有る。

実車の30Rの旋回、当然グリップ走行で、最大にスピードを維持しながらと成ると、リアが出る・ギリギリのポイントを探しながら走る事に成る。

このギリギリ感が、今は非常のたまらない位に楽しく感じている。

真っ直ぐの部分は、タイヤの能力も有るので、加速等々は有る程度決まる。

しかし、コーナーの部分、実車だと、この位のスピードでは飛び出す等々をイメージして、車のシャーシ性能が、強過ぎるか、弱過ぎるか等々を考えながら、楽しんでいる。

当然、一般的RCの世界は、色んなコースは最大限に速く、之で進んできている。
結果、実車と大きく離れた速度域で通過できる能力を持っている。

其れを可能にする、タイヤの能力だし、パワー源に成っている。

趣旨を実車に置いた場合、大きく違う車が、RCカーと成る。

勿論、RCドリフト以外は、ハッキリとスピードが趣旨と表現している。

しかし、RCドリフトの世界は、先ず最初に何故か、実車・リアル等々が趣旨だと言う人が何故か多い・・・・

元々が異端児の渡し、当然、この趣旨に近付かないと、当然、異端児からの脱却が出来ないと頑張っているが、異端児方向に何故か進む、之もこの世界の不思議だと考えている。

言葉の表現を信じて、進めているが、言葉以外に何か別な事が有るなら、其れを、確り表さないと、私の様な無知な場合、解らない。