2019年4月25日木曜日

怖い・・・久しぶりに倒れそうになる・・

事務所で、ゆっくりしていたら・・・又、急に、鼻の奥が、ツ~~~と来たと感じたら、吐き気が来て・・・来た来たと言う感じで、頭がふら付き・・・怖い怖いと成った。

椅子に座っている状態で、起きる・・・怖い・・・

掛かり付けの病院から、頂いている薬、朝食後に飲んで・・・4時間ほどが経っているが・・・糖尿の薬と血圧の薬、二錠を飲んでいる。

事務所には私一人・・・この様な状態になると、孤独が怖い・・・・

私の父方の祖母は、昔言われる、脳卒中で亡くなっている。

又、母方の祖父母も、脳卒中で亡くなっている。

遺伝子的に・・・血圧・血管系の問題が有る可能性が有る。

何時も伺っている、バイク屋・・・オヤジは、血管が詰まる為に、時々、煙突掃除と言う施術を受けている。

そのバイク屋に7時過ぎまで居ると・・・我が地域の一つ上の先輩が、会社から帰路の為に、バスを降り、バイク屋の前を通られる。

私が居ると、直ぐに、自宅前まで送るのが、日課に成っている。

先輩は、五年ほど前に、脳疾患で・・・右下半身が不自由に成られている。
約一キロの道のりを普段は歩かれているが・・・私が居れば当然、送る事に成る。

今度の誕生日がくれば、定年になるとの事だが・・・会社が雇用してくれている限り、頑張ると言われている。

頭が下がる、振舞いだと私は考えている。

先輩も、子育て、親の守、介護とう、されてきた。今は、子供達は巣立ち・・・・夫婦と老いた母の、家に成っている。

背負う人は減っていると思うが・・・自分に鞭打ち頑張って居られる。

私に、出来るか????・・・自信が無い・・・又は勇気が有るか???・・・無い・・
結果、この様な事にならない事を求めているし、願っている自分に情けないと思うし、当たり前の事の基準が知らず知らずに、高まっているし・・・落ちる事を恐れ、逃げる心まで出てきている事に・・・駄目は人間だと再認識している。

考えれば、昔の環境なら、生活が出来ない、状態の体に成っている。
耳は遠くなり・・・右目は見えないし、両眼での視力も弱い・・・それに加え、運動器官の大事な右腕が思う様にならない・・・・昔なら、生きられない立場に成っていたと思うが、今、生きている・・・この現実を感謝と成る。

若し、一流と言う立場は、人間本来の宿命を唯物的に克服している人のレベルなら、私は当然、到達できないレベルに成る。

私は、老いるし、老いれば必然的に五体う満足に向かう・・・之も普通だし、生きている証だと捉える様にしている。

しかし、この様な考えも少数者の様だ・・・人は尤物的な方向、機械の方向に進んでいる気持ちがします。

不可能のレベルが、幸せと言う価値観が広がれば、当然、不幸と言う人が増え続ける事に成る。

不幸だから、妬む・恨む・・この心の作用が広がる事にも繋がる。
この価値観で、若し、力が付けば、恨み・妬みを晴らす行動に成る。

普通と言う、基準の創り方が、結果的に、不幸の連鎖を加速させる。





奨学金・・・支払い・・

国に感謝・・・

上の三人の息子は・・・如何にか、国の援助を受けずに、学校を行かせる事が出来たが・・・

下の二人の子供は、国の援助を利用させていただいた。感謝に成る。

しかし、当の四男は・・・感謝の念が無い・・・結果、支払いの意志が無いと言う事に成る。
感謝と言う方向より・・・恨みの方が強い感じさえ私には取れる。

勿論、この様な制度を使っている等・・・私の耳には入っていなかったが・・・・・
嫁は、支払いを忘れていたと、今、支払いに出かけたので・・・

考えている。

叔母もこの部分を言っていた・・・・孫の奨学金の支払いは、叔母が行っていると言う事・・・最近の、子供は????之が、叔母の口癖に成っている。

私は、慕われているからだと言うと・・・・「親しき中にも礼儀あり」と叔母は返す。

叔母が言う「親しき中にも礼儀あり」のいい関係性が・・三親等位と言われる。
しかし、共に住んだ孫は、この部分が無く・・・二親等以上の甘えが有ると言う事に成る。
この部分は、私も感じる部分に成る。

何故、奉仕しているか????・・・之を考えない空気が存在している。

特に最近は、この甘えられる環境を持つ、これが当然だと考える空気まで存在する。

仕事も同じで・・・奉仕の対価が大きい方が良い、また当然と成っている。之を求める事は、奉仕以下の対価しか頂けない人を、多く輩出する事とは考えていない。

之が意味する事は、寝る間も惜しんで、仕事をしても、生活に困窮する人が出て来ると言う事に成る。
この問題を解決すると・・・・時給を上げる対策をする。当然、対価を多く貰っていた人の部分を削る事に成るが・・・之を認めないと成れば・・・当然、物価が上がりだす。
時給が増える、率より、物価上昇が高ければ、当然、困窮人は減らない、逆に増える方向に成る。

有る、お金持ちが言っておられたが、社会が弱者へと対策をする。しかし現実には強い側に都合が良い方向に向かう。
仮に、同じものは価格が同じで、当然、価格競争で安くなる。之が状態か知れば、同じものを、誰しもが同じ値段で買える。之は弱者に良いと言う考えも有るが・・・強者側やそれ以上にお金が節約でき、お金でお金を生む方向に投資できる事に成る。

金持ちと言えでも、食べる量等々、生活に必要な費用は、同じ人間なので、差が無い・・・後は、残る金が有るか、無いかが貧乏が・金持ちかの違いに成る。
残れば、贅沢な方向に向かうが、自分で決める事が出来る部分・・・・お金がお金を生むつなれば、それに投資する。

お金が残らない、足らない人は、世間が言うように、働く・多々働く・・・それでも足らない之が続けば、何時か病に倒れた瞬間に破綻と成る。
稼いだ対価を思う通りに使えない・・・全てが消える。之が本来だと私は考えているが、之を不幸と言う風潮がある。

結果、楽して稼げる人が増えているような、情報が多々ある世界・・・増え続けている事は、頑張っても稼げない人が増えている事に成る。

之を普通と言うなら?????本当の普通の、この間に有る、存在の普通が減り続けている事に成る。

労働の対価が多い人が増える事は・・・・労働の対価が少ない人を多く輩出している。労働の対価が丁度良いと言う、ポジションの減少に成る。

この丁度良いのレベルは、私が先に書いている、対価が残らない生活だと考えている。
対価を世間に使う、之も経済活動の奉仕にもなる。

私の人生は、対価を、人様にばらまく人生だったと言っても良いと考えている。
良く深いから、近場の人に成る。
之も、三流だからだと思う・・・私が見える範囲の狭さに成る。

対価を頂いた人の振舞いが、最後の砦に成る。
現代社会は、対価を頂くまでは、形・数字で縛られている、結果、人間味と言う部分の介入が、少ない・・・・人の心無き部分での対価に成る・・・当然、お金に成るが、命無きお金を頂いた、個人が命を吹き込むことに成る。

使い方に、人間味を表現できると言う事に成る。

人の購買動向で、人の本質、方向性まで見えると言う事にも繋がる。

幼い、四男は、この部分が解っていない・・・

伝言ゲーム・・・・

昔は、テレビ等で伝言ゲームが、流されていた。

十人ほどで・・・最初の人が聴いた事を、次々に伝え・・・最後の人が、どう理解し、表現するか????・・・・・この差が面白く、視聴していた記憶が有る。

情報を的確に伝える・・・難しさを知る事に成る。

言葉より、文字・文章が勝ると、私は考え・・・結果的にワープロ等の操作を思える事に成る。

文章なら、的確だと考えていたが・・・何度か書いている、向かいに住まれているオバサンから・・・行政から来ている、手紙を持ってこられ・・・年金が止まると言われていたが、手紙を読めば、申告をされなければ、年金が止まる可能性が有ると言う通知・・・

しかし、年金が止まる、この部分を強調する文字・色・オバサンの振舞いも解る感じがする。高校の教師をされていたオバサンでもこの状態になる現実を観て・・・文字・文章も、的確に伝える、限界が有る事を気付いた。

結論は、何事も、自分で調べる。自分の目で確かめるしか・・真実は無いし・・当然、自分の意向に言わない部分は、力を入れて得る努力が必要になる。

個人の、意向や趣向・・・之が真実を変化させて行く・・・

又、自分の価値観・・常識感で、判断しない事・・・時が違えば・・・場所が違えば・・等々の違いも加味する事が必要になる。

伝言ゲームで・・・最初の事柄は、人に伝える毎に、変化している。しかし、最後の人が、それを加味したのか???偶然なのか????・・・・的確に最初の事柄を予想で言われ、当てられる、時も有る。

凄い、洞察力だと思う瞬間に成る。

文字も言葉も・・真実を伝える・・限界が有ると言う事に成る。

だから、諦める・・この流れも有るが・・・私は、日々の知りたいと追及する探究心が之を阻止する流れに成ると信じている。

仮に、日本国の昔・・・戦国時代と言う時期が有るが・・・100年続く・・・しかし、人口が半減した等々の情報は無いに等しい・・・

現代と比べれば、医療技術・延命技術も不備な時代・・文明的には現代に比べ劣っていると言われる時代に成る・・・・寿命を天命する事が難しい時代に成る。
平均寿命も、当然、現代に比べれば、短い・・・しかし、その時代の人は不幸だったか????・・・此処に、私は疑問が有る。

現代も、予期せぬ事が起きる。当然、亡くなる人も居る。表面化しにくい、自殺者は年、三万人を超えるとまで言われている。文明発達していると思うし、文明の発達は????人に優しい・生き易い方向性だと私は考えているが・・・現実は???

交通事故は、表面化する・・・・一時、2万人に迫る、時も有ったが・・・人々の意識の変化、努力で5000人を割る方向に成っている。

之も改善の賜物に成るし、当然、努力を続けなければ、又、増えると言う事にも成る。

要は、人々に意識が有るかに成る。又は、思いが有るかに成る。

人の本質・・・心配もするし、間違いも起こす。この部分を常時、意識しているかに成る。
勿論、人との絡みで生きているし、集団世界で生きている。他の人を信頼しなければ成り立たない・・・信頼とは????、人の本質を基本に置いていなければ成り立たない。
この部分が無い、信頼は、当然、一瞬に破綻する。

結婚・夫婦生活も同じだと私は考えている。
又、家族の生活にも言える。当然、地域社会にも繋がる事に成る。

結婚は、相手を択べる・・・人として信頼したから、結婚をする。欠点・負も本来は含みに成る。
しかし、結婚後、この負が問題になる・・・その判断に、一般や普通はを用いだす。
結婚当初は、その部分を指摘する人が周りに多々居ても、耳に入らずに結婚している筈だが・・・・軽んじていた部分を、重大視しだす。

家族は????・・・相手を選ぶことが出来難い・・・子供は????・・・・自分の意に適う子供が要る人が少ないと思う・・・負が多々あっても、何故か守ろうとする。

要は、順序・・・最初は意に沿う人と家庭を持ち・・・自分の意に添わない人が増えていくが、守るが一つ広がり、深くなる。
この延長線上に、地域社会が有ると私は考えている。

この最初の、結婚、他の人を守りたいと言う思いが、広がるか、狭まるかの試験だと私は考えている。
狭まる方向と、成れば、当然、家庭を守る事もキツク感じるし、それを不幸だと感じる、命に成る。
当然、地域社会等々を守ろうと言う、命に成る訳がない。

本来、離れオオカミ的な一匹・・この生き方になるが・・・このオオカミが何故か、集団を俺の意の思う通りにしたいと思ったら・・・怖い、ファシズムが始まる。
独裁者の命が目覚める事に成る。

現代は、情報等では、価値の多角化に進み、これを受け入れるだけの社会に・・・と言う流れを言っている。

独裁的、命の人も含みでに成るが・・・之が頭を持ち上げるのが、人間社会に有る。
この様なタイプは、何故か形・数字が全てと言う人が多い・・・この部分に属しない人を排除する方向性もある。
価値の多様化を阻害する方向に成る。

自分の意に少しでも合わない人を、常識・・普通・一般と言う単語を使い、排除して行く・・・結果は、先に書いた、離れオオカミ・一匹オオカミに当然、成る。

要は、命が好む、世界に成ると言う事・・・・之を、人は臨終の時に解ると言われる部分だと私は考えている。所詮、裸で生まれ、身一つで死んで行く・・・この生死の間は何を求め、何を行ったかに成る。

仮に、身一つで生まれ・死んで行く・・・この間も、一人・自分だけの為に、生きたなら何の為の、時間かに成る。

他と関りが持てる、限られた時間の使い方になる。

言葉で、生きる屍と有るが・・・この意味も、情報の変化、知識の変化で見え方が変わる。

死にかかっている人を言う、言葉でもないと解るはず。元気が有っても、若さが有っても、屍状態が有ると言う事。

生きているなら?????・・・何が出来るかを考える事に成る。

人様に迷惑をかけて生きていると、自覚が有れば、何かをすることに成るし、それが出来ているなら、±0に成る。

恥じる事も無いし、人の本質の失敗・間違いを起す・・・之が有るから、頑張る事に成る。