事務所で、ゆっくりしていたら・・・又、急に、鼻の奥が、ツ~~~と来たと感じたら、吐き気が来て・・・来た来たと言う感じで、頭がふら付き・・・怖い怖いと成った。
椅子に座っている状態で、起きる・・・怖い・・・
掛かり付けの病院から、頂いている薬、朝食後に飲んで・・・4時間ほどが経っているが・・・糖尿の薬と血圧の薬、二錠を飲んでいる。
事務所には私一人・・・この様な状態になると、孤独が怖い・・・・
私の父方の祖母は、昔言われる、脳卒中で亡くなっている。
又、母方の祖父母も、脳卒中で亡くなっている。
遺伝子的に・・・血圧・血管系の問題が有る可能性が有る。
何時も伺っている、バイク屋・・・オヤジは、血管が詰まる為に、時々、煙突掃除と言う施術を受けている。
そのバイク屋に7時過ぎまで居ると・・・我が地域の一つ上の先輩が、会社から帰路の為に、バスを降り、バイク屋の前を通られる。
私が居ると、直ぐに、自宅前まで送るのが、日課に成っている。
先輩は、五年ほど前に、脳疾患で・・・右下半身が不自由に成られている。
約一キロの道のりを普段は歩かれているが・・・私が居れば当然、送る事に成る。
今度の誕生日がくれば、定年になるとの事だが・・・会社が雇用してくれている限り、頑張ると言われている。
頭が下がる、振舞いだと私は考えている。
先輩も、子育て、親の守、介護とう、されてきた。今は、子供達は巣立ち・・・・夫婦と老いた母の、家に成っている。
背負う人は減っていると思うが・・・自分に鞭打ち頑張って居られる。
私に、出来るか????・・・自信が無い・・・又は勇気が有るか???・・・無い・・
結果、この様な事にならない事を求めているし、願っている自分に情けないと思うし、当たり前の事の基準が知らず知らずに、高まっているし・・・落ちる事を恐れ、逃げる心まで出てきている事に・・・駄目は人間だと再認識している。
考えれば、昔の環境なら、生活が出来ない、状態の体に成っている。
耳は遠くなり・・・右目は見えないし、両眼での視力も弱い・・・それに加え、運動器官の大事な右腕が思う様にならない・・・・昔なら、生きられない立場に成っていたと思うが、今、生きている・・・この現実を感謝と成る。
若し、一流と言う立場は、人間本来の宿命を唯物的に克服している人のレベルなら、私は当然、到達できないレベルに成る。
私は、老いるし、老いれば必然的に五体う満足に向かう・・・之も普通だし、生きている証だと捉える様にしている。
しかし、この様な考えも少数者の様だ・・・人は尤物的な方向、機械の方向に進んでいる気持ちがします。
不可能のレベルが、幸せと言う価値観が広がれば、当然、不幸と言う人が増え続ける事に成る。
不幸だから、妬む・恨む・・この心の作用が広がる事にも繋がる。
この価値観で、若し、力が付けば、恨み・妬みを晴らす行動に成る。
普通と言う、基準の創り方が、結果的に、不幸の連鎖を加速させる。
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