己に取って、負と思える部分から、逃げたり避けたりする人が増えていると、何度も書いているが・・・・
物事で、嫌な事は終わらせたいと思っている人も多く居ると言う事に成る。
終らせたい・・・又は終わらせる事を願っているし、切望している。
逆に己に取って、良い事は続けたい、当然、長らくと思っている事にも成る。
今日も又、同じ失敗をした・・・当然、嫁がに成る・・・同じ事を繰り返している。
明日はこの件で、お客様に謝罪し、今後の対応を相談する事に成る。
私は、物事はその場で済ませる、勿論、続くからこそ、今出来る事は行う事が大事だと考えている。
しかし、嫁は、時間的余裕が有れば、後で良い、理由は己に取って、良いとは思っていないからに成る。
しかし、後に回される時間が有っても、次の瞬間は、時間が無いと言う状況が来る。
この時、当然、準備が整っていない・・・しかし、頭には指示されていた事を覚えている。
その為に、最初に指示された部分を、今、適えたいと、奔走する、当然、時間が無いから、必死な行動に成る。最初に指示された居た部分が出来・・・終ったと捉えしまい。その後が無い・・・・要は、探し出した、当然、有るべき場所に無いから探す事に成り、ヤット見つけ出したと言う事は、その他にはない可能性が高い事は解っている筈であるが、最初の指示に答える事が出来、終わったと言う、捉え方が、その後の行動に繋がらない事に成る。
今日も、急ぎの注文・・・しかし、明日に成ると、答えていた・・・その商品を嫁に聴くと、無いかも知れないと言い出す・・・・探すが無い、前回在庫が無くて、探し回った事は、私は知らない、要は、失敗を悟られたく無いと、必死に探し出した嫁が知っている事に成る。
今回は、探すと言う行動も無しに、無い可能性が高いと私に言う・・・何故か、前回の己の振舞いを覚えているからに成る。
電話一本で発注していれば済む事だったが、それを、後回しにして、忘れていたと言うより、この単純で簡単な事に対して、舐めていると言う事にも成る。
私は、何度も書いているが、負は絶対に有るものだと思っている。その為に、その時々に処理しても、続くと考えている。
この永遠と思える、処理を続ける、之が私は普通だと思っているし、絶対に終わる事は無いと考えている。
その為に、この様な作業が面白い・楽しいと思える、捉え方を出来る、人間に成りたいと進めて来た。
理由は、簡単、私も嫌いだ・・嫌いだから、避けたい・逃げたいと思う、だから三流だと己を思っている。
三流から見て、それ以上の人達は、それを当然の事の様に処理している筈だと私は思っている。
若し、レベルが高い意味が、この避けたり逃げたりする能力が高い事を言っているなら、尊敬と言うより、軽蔑したいと私は思っている。
勿論、この様な人を、一流や優秀とは言っていないと言う前提で私は考えている。
要は、嫌い者から食べる・・・もっと強く書けば、毒から食らう・・・この生き方が面白いと私は考えている。
嫌だから、最初に処理する・・・又は、前もって対処を考えている。
嫌いで嫌だから、真剣に対処する。要は、二度と縁しない様に最善の振舞いをすると言う事に成るが、現実に、終わる事は無いから、この最善の振舞いが楽しい・面白いと思える、価値観が必要と私は考えている。
嫌だから、覚えているし、二度の縁したく無いと、背一杯の行動を多なう事に成る。要は、対処に対して、逃げる・忘れる対処をしているのか????
二度と縁しない様に、元を断とうとしているのかの違いに成る。
嫁と長年、暮らしてみると・・・何故、楽な方向を幸せや、良いと言う、価値観なのかと???何時も私は疑問を持つ。
楽が当然に成れば、思い出にも成らない・・当然、その事で学ぶ事もない・・要は己の器は広がらない・・己の器の広さの中に閉じ籠っていると私には見える。
己の器以上の事は思いもしないし、考えない・当然、逃げる・避けると言う生き方に成る。
これが幸せだと私は考えていない。
私は、今の己の器が、狭いから、この様な事が嫌で・逃げたいと考えていると、捉える。
その為に、忘れる為に、終わらせたいという方向が嫁だと言う事に成る。
「生老病死」之は生物なら源氏原則である。
それも意識しないで忘れる方向の策を用いて居るし、若し、意識したら、忘れようとする・又は逃げようとする、方向性に成る。
私は器が狭いから、怖いし・嫌と思ってしまう。生物として当然の事柄も、避けたい・逃げたいと思う・・・だから、その部分を徹底して学び、反復練習をする必要が有ると、考えている。
要は、出来ない事は考えない・忘れる方向で無く、出来ないと気付いたら、出来る様に何が出来るか、当然、己の分で、と・・・私は思うが・・・
それが、嫁には無い・・・この部分は、先輩の話だと、女と言う部分がそれを考えさせない価値観を、幼い頃から植え付けられていると、言われていた。
要は、環境を創り出す価値観で無く・・・与えられた環境と言う捉え方・・その為に環境が悪いと、虐められたと捉える。それ以上に発展は無い・・・この様な価値観なので、全く逆の価値観の環境に嫁ぐ事で、成ると思っている。
要は、与えられた環境・・それを永遠に続ける・・・その為に、良い環境を切望している。当然、良い環境とはその人が良いと思える振舞いが出来る環境と言う事に成る。
これは環境に対しての奴隷と思っている事に成る。
男は大志を持つ人も昔は多々居た・・・己で環境を創ると言う、思いが有った。
逆境的は環境でも、絶対に変えてやると言う、思いが有った。
しかし、最近の男子も女性化され・・・環境の奴隷と成っている。
環境は如何で有れ、己は生き抜く・・又は、生きるなら、当然、楽しいと思いたいし、感謝できる立場に成りたいと思う。
それなら、その様に捉えきれる、人間に成る必要が有る。
同じ環境だが、人が変われば感じ方が変わる。要は、人は変れると言う事・・・・
己が悪いから、環境も悪いと言う、捉え方に成る。
己は良いが、環境が悪いと言う事は有りえない・・・環境を創っている人間の一人が自分である。