コースで、モーターの調子が悪い・・・こんな話が耳に入る・・・
センサー等の問題も、幾つか有る様だし・・・
今回、ローターの持参も有るが、アナライザーをコースに持ち込もうと考えている・・・・
久しぶりに、引っ張り出したが・・・稼動すかも不安・・・
特に入力が、LiPo・・・之が私には問題になる・・・・
コースでの、他のお客さんのバッテリーを借りて、稼動テストも含めて行いたいと考えている・・・・
しかし、モーター台の干渉材のOリングが切れている・・・・経年劣化も進んでいる様だ・・・・
モーターの特性等々を見る事が出来るし、色んなモーターを試すと、モーター台から暴れ落ちる様なモーターも多い・・・・
之も経験すると、結果的に手で持ってのテストに成るし、回転を上下動させて、慣らしとうとうを行うと、凄い反トルクを手に感じる・・・・・之も経験に成る・・・・
この暴れが常時シャーシの中で起きていると考えれば、少しモーターパワーの怖さも解って来る・・・・
何事も、メーカーが推奨している、方向から取り組み、物にしてから、次へのステップになる・・・
エントリークラスは、21.5Tと等速四駆で成っていれば、2駆なら、どの方向かも自ずと解る筈・・・・・
この基本部分で確り、勉強して、次へとステップUPしていく・・・・私は、当然と考えている・・・・
其れを止める、阻止する力が、何処から架かっているのか?????
2016年10月14日金曜日
ヨット?????RCカー????
先日・・・・・コースで転がりを求めて、凄いハイギアー方向の車が・・・・・
コンプレッサーの風を当て・・・・車が前に走るかの実験・・・・面白いように走る・・・・
ボディ無しの状態で、まるでヨットの様だ・・・・
此処まで来ると、やり過ぎに思えるが、何事も試す・・・この楽しみの一つかも知れない・・・・
試せば、解る部分が多々出て来る・・・・
男が陥り易い、方向が見栄が物事に対して盲目にするという事・・・・
逝った母が言っていた「聞けば一場の恥じ・・・聞かぬは一生の恥じ」この言葉にも通じると私は考えている。
車の操作も、基本ポイントと言う物が有る・・・・この基本部分が、解らなくなると、操作も戸惑い感が強くなる
例としてはプロポのステアリング・センター・・・・スロットルのニュートラルポイント・・・この部分が、バネ等のトラブルで、判らなく成ると、一気に操作が難しくなる・・・・
走行中も同じで、このポイントが必要に成る・・・・
一瞬でも戻せるポイント、之があれば、今以上や、以下と言う、操作の指針が見え出す・・・・
私は、色んなポイントが必要だが、ドリフトの場合特に注意している部分が瞬時にグリップに戻せる之に拘っている、タイヤが路面速度に直に戻せれば、操作の幅が広がると考えている・・・・
之を可能にするのが、車の転がりになる・・・・
コースで転がりを目指した2駆が、何台かに増えたが・・・・その一台のユーザーは多大な舵角で走る癖を昔から持っておられた・・・・
その彼に、少し、アドバイス、ドリフト中に、少しアクセルを緩めると、フロントは転がり続けて、リアはグリップ方向に戻る、この事は必然的に舵角が浅くなる方向に成る・・・・又、この基本に成るポイントの操作が解れば、アクセルの入れる量が解って来るので、自由なドリフトラインが描ける方向になる・・・・
車を形にはめる様な走行方法も有る・・・・逆に自由に動くから、操作の方は大変になるが、走法も有る・・・
この基点が解らない状態に成っていれば、型にはめた様な走り方に自ずと成っていく・・・・
良く考えてみれば、解る部分、この基点が解らない為に、グリップ走行・真直ぐの加速も出来ない・・・・操作で対応したいと模索しても、そのポイントが解らない・・・この状態を放置して、手段に走れば、結果、ポイントを解らないままに進める方向に成る・・・
本来、先ずそのポイントを掴める車が必要に成る、タイヤ・シャーシ・パワーのバランスに成る・・・
この三つのバランスが壊れている状態では、探す事が難しくなる・・・・
之も、等速四駆時代から続く、RCドリフトの宿命のようだ・・・・・
コンプレッサーの風を当て・・・・車が前に走るかの実験・・・・面白いように走る・・・・
ボディ無しの状態で、まるでヨットの様だ・・・・
此処まで来ると、やり過ぎに思えるが、何事も試す・・・この楽しみの一つかも知れない・・・・
試せば、解る部分が多々出て来る・・・・
男が陥り易い、方向が見栄が物事に対して盲目にするという事・・・・
逝った母が言っていた「聞けば一場の恥じ・・・聞かぬは一生の恥じ」この言葉にも通じると私は考えている。
車の操作も、基本ポイントと言う物が有る・・・・この基本部分が、解らなくなると、操作も戸惑い感が強くなる
例としてはプロポのステアリング・センター・・・・スロットルのニュートラルポイント・・・この部分が、バネ等のトラブルで、判らなく成ると、一気に操作が難しくなる・・・・
走行中も同じで、このポイントが必要に成る・・・・
一瞬でも戻せるポイント、之があれば、今以上や、以下と言う、操作の指針が見え出す・・・・
私は、色んなポイントが必要だが、ドリフトの場合特に注意している部分が瞬時にグリップに戻せる之に拘っている、タイヤが路面速度に直に戻せれば、操作の幅が広がると考えている・・・・
之を可能にするのが、車の転がりになる・・・・
コースで転がりを目指した2駆が、何台かに増えたが・・・・その一台のユーザーは多大な舵角で走る癖を昔から持っておられた・・・・
その彼に、少し、アドバイス、ドリフト中に、少しアクセルを緩めると、フロントは転がり続けて、リアはグリップ方向に戻る、この事は必然的に舵角が浅くなる方向に成る・・・・又、この基本に成るポイントの操作が解れば、アクセルの入れる量が解って来るので、自由なドリフトラインが描ける方向になる・・・・
車を形にはめる様な走行方法も有る・・・・逆に自由に動くから、操作の方は大変になるが、走法も有る・・・
この基点が解らない状態に成っていれば、型にはめた様な走り方に自ずと成っていく・・・・
良く考えてみれば、解る部分、この基点が解らない為に、グリップ走行・真直ぐの加速も出来ない・・・・操作で対応したいと模索しても、そのポイントが解らない・・・この状態を放置して、手段に走れば、結果、ポイントを解らないままに進める方向に成る・・・
本来、先ずそのポイントを掴める車が必要に成る、タイヤ・シャーシ・パワーのバランスに成る・・・
この三つのバランスが壊れている状態では、探す事が難しくなる・・・・
之も、等速四駆時代から続く、RCドリフトの宿命のようだ・・・・・
表現・・・・何を・・・
自分の表現・・・・之が、趣味のRCドリフトなら走りに成ると思う・・・・・
走りでのアピールが又ドリフトだと考えている・・・・
この部分が、何故か、人の指図に成ってしまっている・・・・・
この表現を求めるために、前走を私は好んでいる・・・・・考え様では我侭という事に成るが・・・
ルールも追い抜かないという部分が有れば、前走が楽しめるという事に成る・・・・・
スピード等も結局はライン取りになる・・・スピードを求め早く走っても、前走には成らない・・・・仲間内で楽しむこの次元で止まる・・・・・
色んな考えが有り、それを、前走で行って、どうなるかに成る・・・・・・
若し、絡みを楽しみたいと強く思えば、必然的に、一周を大きく走る・・・・・
絡みを競争と思えば、結局、最速ライン、先に急ぐような走りに成る・・・・・
コースの走りの目的でも変ってくる事に成る・・・・
形を決めすぎれば、結果として全てがスタイルと言う形で片付けられる・・・・
本来、走りに、人格・品格等々を表す、之が走りには有ると思う・・・しかし、個人的な、表現を形と言うもので阻害し・・・・その形で優劣を競うと成れば、その範囲内での個性のアピールに成り、結果的に、物等々に走るのも解る気がする・・・
結局、走り、以外の部分に注視する形になりだす・・・・
走りを、極めるという事は、結局、自分らしい、走りが出来るか・・・常時コントロールで自由に操作できるかに成る・・・之が自己表現だし、アピールだと私は考えている・・・
其れを第三者が、好むか・好まないかに成るだけ・・・・その第三者も千差万別の人たちに成る・・・
結局、何を表現したいと考えているかになる・・・・・・形から入れば結果、形に自ずと成る・・・・
この部分の考え方が、私の場合、一般と違う感じがする・・・・・
その為なのか、走行している車から、人格等々が見えない・・・・・之が躍動感の欠如に繋がっている・・・・・
車から人格だ、出る位の、技量が要ることに成る・・・・・勿論、強い車ならそれ以上の操作技量等々が要る・・・・
弱い車なら、技量もそれなりで良い・・・・しかし弱い車は車が勝手に走ってくれない、操作のミスが直に車の挙動として現れる・・・・結果、常時コントロールが自然の身に付く・・・
しかし、一旦、強い操作の癖が付くば・・・何事も難しくなって行く・・・・
走りでのアピールが又ドリフトだと考えている・・・・
この部分が、何故か、人の指図に成ってしまっている・・・・・
この表現を求めるために、前走を私は好んでいる・・・・・考え様では我侭という事に成るが・・・
ルールも追い抜かないという部分が有れば、前走が楽しめるという事に成る・・・・・
スピード等も結局はライン取りになる・・・スピードを求め早く走っても、前走には成らない・・・・仲間内で楽しむこの次元で止まる・・・・・
色んな考えが有り、それを、前走で行って、どうなるかに成る・・・・・・
若し、絡みを楽しみたいと強く思えば、必然的に、一周を大きく走る・・・・・
絡みを競争と思えば、結局、最速ライン、先に急ぐような走りに成る・・・・・
コースの走りの目的でも変ってくる事に成る・・・・
形を決めすぎれば、結果として全てがスタイルと言う形で片付けられる・・・・
本来、走りに、人格・品格等々を表す、之が走りには有ると思う・・・しかし、個人的な、表現を形と言うもので阻害し・・・・その形で優劣を競うと成れば、その範囲内での個性のアピールに成り、結果的に、物等々に走るのも解る気がする・・・
結局、走り、以外の部分に注視する形になりだす・・・・
走りを、極めるという事は、結局、自分らしい、走りが出来るか・・・常時コントロールで自由に操作できるかに成る・・・之が自己表現だし、アピールだと私は考えている・・・
其れを第三者が、好むか・好まないかに成るだけ・・・・その第三者も千差万別の人たちに成る・・・
結局、何を表現したいと考えているかになる・・・・・・形から入れば結果、形に自ずと成る・・・・
この部分の考え方が、私の場合、一般と違う感じがする・・・・・
その為なのか、走行している車から、人格等々が見えない・・・・・之が躍動感の欠如に繋がっている・・・・・
車から人格だ、出る位の、技量が要ることに成る・・・・・勿論、強い車ならそれ以上の操作技量等々が要る・・・・
弱い車なら、技量もそれなりで良い・・・・しかし弱い車は車が勝手に走ってくれない、操作のミスが直に車の挙動として現れる・・・・結果、常時コントロールが自然の身に付く・・・
しかし、一旦、強い操作の癖が付くば・・・何事も難しくなって行く・・・・
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