2016年4月27日水曜日

ハイハイがじょうず・・・・

夜、次男夫婦が来訪・・・・・披露宴で流す、プロフィールの写真を探しに・・・・

中学・高校時代という事だが・・・・大いに遊んでいた時代・・・・・特攻服等々、着込んで、バイクを転がしていた頃の写真、出すのも恥かしいと私は思っていたが・・・・

彼達の価値感だと、之が皆が喜ぶと・・・・探して持って行った・・・・

その間、嫁と私で孫守・・・・かわい~~~~い・・・・・・仕草・振る舞い全てが可愛い~~~・・・・

又、今日始めて、孫がハイハイで、進むのを見て、感動・・・・偉い・立派・・凄いと、喜んでいた・・・・

爺・婆馬鹿に成る・・・・何も出来ない、之を当然と、赤ちゃんの時は思っている、出来ないと思っている事が、出来るのを見ると、何故か感動が湧く・・・・・勿論、出来て当然な事かもしれないが、当然の事も感動出来る・・・・

不思議な事に、之が、成長につれて、感動が減りだす、逆に親側の欲が強く成っていく・・・・何故、出来ないと責める気持まで出て来る場合も有る・・・この時点で、他の子と比べて、比較・判断を始めている・・・・必然的に勝っている事が良い事になる・・・勝部分も親の価値感になるが・・・勝っていなく、負けていれば、親は如何感じるかに成る・・・・

たまたま、偶然に、五体満足で授かった・・・・この奇跡に感謝になるし、成長の段階・速さに対しても、孫の個性で決る部分・・・・其れを見守る・・・・些細な事が出来ても、感激だし感謝になる・・・

人と比べれば、結果として、優劣になってしまう・・・・・この部分も確り認識して、次男夫婦には孫を育て上げて欲しいと願っている・・・・

最近、伺う事が多くなった・・・

最近、四男のバイクの件が有る為なのか、バイク屋に伺う事が増えた・・・・

子供のエイプを乗って雰囲気を確めたりしている為に・・・・バイクの面白みが強く感じている・・・・

車の世界でも、操作の基本等々、言われている事と、バイクは殆ど同じ、基本通りに操作しないと、命が無くなる危険性も有る為に・・・・面白さが倍増する・・・・

走る物の限界付近は、基本同じ方向で操作する事になる・・・・

バイクで、コーナーが迫る、確りしたブレーキコントロールで旋回できる、スピードまで落とす、何故かは、簡単、曲がりきれないと、アクセルを戻したら、外へと孕み出す・・・・アクセルを入れての旋回に成るし、旋回が出来ないスピード域で突っ込めば、自ずとアクセルを開ける事が出来ない、結果、外へと孕み、崖なら落ちて行く・・・

勿論、一気に全開等々開ける事は出来ない、タイヤのトラクション能力に応じて開けるし、又操作技量でも開ける量が決って来る・・・・・スライドを意識すれば多めに開ける・・・・

その為に、アクセルを速めに多く入れれる事が、操作技量のバロメーターに成っている・・・勿論、同じ条件下のバイク同士の場合に成る・・・・

バイクも、パワーに応じて、タイヤの能力も変るし・・・・食い過ぎて重過ぎるタイヤを、小さなパワーのバイクに使えば、逆に操作が難しくなる・・・・

パワーとタイヤのバランスが保たれている状態が、一番操作が楽に成る事に成る・・・

之は、車の方は詳しくは無いが、同じだと私は考えている・・・・

ブログの中で、ブ~~~と走らせたいと書いている部分が多いが、この感じを私はRCドリフトに求めている・・・・しかし、現実にはキャンと一瞬で回り切る・・・・・

この状態は、低パワー等、私は思わないし、逆に凄いパワーだと考えている・・・・・

仮にオーバーパワー過ぎる、車を如何したら、大人しく出来るかを考えれば、単純に重くすればに成る・・・・このオーバーパワーを、表現を変えれば、無用なパワーと成る・・・表現一つで聞こえ方が変化する・・・・・

この様な車の操作は、走らせるポイントを恐る恐る微妙な浅いアクセル操作に成る・・・

又、ON/OFFを大きく上下動させた走りに成らざるおえない・・・・結果、トルクが無い回転下がりのタイヤの回転慣性に頼った走りになるし、車の特性が強く表に出て来る操作に成る・・・

こうなれば、常時、車は触り続ける方向に成る・・・・主体者が車になり、その特性に合わせる操作を、する立場がユーザーと成る・・・・


バイクも、原付のエイプだが、そのパワーでも十分楽しむ事が出来る・・・・勿論、最高速も60km/h位しか出ないが・・・その間にも沢山の操作の面白みが有る・・・
又、良い部分は、一気に全開フルパワーを怖がる事も無く、使える点・・・・
こんな、低パワーなバイクでも、操作しだいではウィリー等も出来る・・・・・
路面が、フラットダートならスライド走行も出来る・・・・

スピードが遅い為に、怖さも減るし、下手の練習には良いバイクだと思う・・・・

私は、RCでも対話を求めていると、何回か書いている・・・・人との会話も大事だが、自分の車を走らせながら会話をしたいと考えている・・・又絡む車とも会話をしたい・・・・

この部分が、RCドリフトの世界では、勝負に見える、自分の車を操作するにも操作側とシャーシの勝負、悪く書けば喧嘩・・・・・・他の車との絡みも勝負・・・・・アスリート系の人が多い為なのか、この様に見える・・・・

勝負して勝って、何か意味が有るのかが、私には理解できない、普通のコースで何故、之を望んで切るのか????・・・・・・解らない・・・・・私は、自分の車と勝負とは思うが、その目的は会話が出来るかに成っている・・・・車に勝つ事は求めていない、共に会話、楽しみたいと考えているが・・・

中々、コースでこの様な望みを抱いて走る事が難しく成っている・・・・

良い感じで、車と対話が出来だしたら、凄い音で走り回る人も出て来る・・・・止める事も無くぶつけて来る人も居る・・・・自称上手い人に多いその為に「ごめん」一言も無い・・・・

考え様では、想像も付かないルールが存在しているのかも知れない、仲間同士で走って、それ以外は認めない、コースに居てもらうと困る的な・・・・・怖い、一般大衆コースも有る様だ・・・

勿論、仲も同士でも競い合いが有っているし、その中で何が良いかの方向にドンドン加速する・・・スピードが全てならスピードに成るし・・・・物を投げる様な挙動が良ければ、その飛距離の長さに・・・・勿論、車の特性をその方向にする・・・・・又、之が正しいと、方向性を一極にする・・・

結局、感覚も喧嘩・仲間同士でも喧嘩・コース上でも喧嘩・・・走り方も喧嘩走り・・・・車を痛め・コースの路面を傷め・コースレンアウトも傷め・・・・良い事は無いと思うが・・・・

最悪、車が炎上・・・・ピットでバッテリーが爆発・・・・事件に成る・・・・・


今まで等速からケツカキ・2駆とRCドリフトの世界も変化が有るが、その全ての草創期にはこの様な状況が有った・・・・・・何故、同じ歴史を続けるのか、之が私は解らない・・・・・・・

MLI検査・・・・

嫁が、MLI検査の為に、大病院へ出かけて行った・・・・

嫁も段取りをしていたようだが、その留守番役の、長男と三男が、帰ってこない・・・・二人して、三男の車でお出かけ・・・・勿論・パチンコ屋だと思う・・・・

結局、身篭の長男の嫁も母家に居る・・・・

私が留守番になるが・・・・・長男が、タントの鍵を持って出ているために、車も大きなクラウンで出て行った・・・・

嫁が、バカ息子と吐き捨てて、出て行った・・・・・


夕方は、五男が視力が弱く・・・・メガネの最終調整が有る為に、其れにも嫁が付添うように成っている・・・・・

しかし、我が子を見ていて、自分の好きな様にお金を使っていて、喜びがまるで感じない・・・・

何時も、憂鬱そうだし、イライラしている・・・・30前後の子供達だが、10代後半の、状態に似ている・・・・・

この歳に成れば、自分の分も解っている筈、その範囲で、如何人に尽くしていけるかを考える歳と思うが・・・・ここ部分が無い、之で、子供をもうけて、結婚生活を出来るかとも何時も心配している・・・・・

子育ては大変だが、幸せと感じれるか・・・・不幸と感じるかの部分は、日頃の振る舞いで解る・・・・・彼たちなら、不幸と考えがちだと思う・・・

最近、我が子の様な価値感の若者が増えている気がする・・・・

楽しみ方を知らないし、楽しみを外の世界に求め過ぎている・・・・結局、この様な人を取り込み、冨を太らせている人が居るが・・・・之に矛盾も感じていない・・・

今の現状で、楽しめないから、上へと無理をする・・・・無理な楽しみ方だから、その場だけの楽しさ・・・之を持続させたいと、益々無理をして、結果として、見えない人を太らせている・・・・・

楽しく無く・イライラしている原因は、お金が無い為だけと、考えているし、環境を恨む方向に成る・・・

この様な価値感が、当り前に成れば、怖い世界である・・・・

この世に居られるだけで、幸せだし、儲けていると私は思うし、その上、社会に少なからず受入れられていれば・・・・・幸福者だと思う・・・・・


その上・・・人の世話や・苦労を共に背負う事が出来る、凄い事だと思うが・・・・・

人としての本文はこの部分だと考えている・・・・之を気付く為の勉強が、生きている意味だと私は考えている・・・・


動けない・・・・・・・・

商品入荷が午前中だったが、未だ来ない・・・・

三時からは、嫁は大病院での検査・・・・・

このままでは、動けない・・・・・

商談も一軒のこっているが・・・・想像を絶する価格で、他所が来ているとの事・・・アプローチするともっと泥沼に成る可能性が有る・・・・・・

嫁の、顔つきが、キツイのか、偏頭痛なのか、怖い・・・・・

想像も出来ない・・・・之も良い方向なら、嫁の顔も良くなると思うが・・・・若し力が有り、嫁の目の前に1億位、ドンと置けば・・・・顔色も変ると思うが・・・・逆に私が捨てられるかもしれない・・・・・


先のブログに書いているが・・・遺産の不の部分・・・・

近年、我が地域の回りでも、自然災害等々で、災害復旧が行われている・・・・

極論を言えば、個人の持ち物の土地を、国のお金で、復旧している事に成る・・・・・

若し、この事を都会に住む人達が、疑問を抱き、政治が動けば・・・・・どうなるか・・・


何十年か前・・・・水害で山が崩壊して、集落の危険が出た、地域が有るが、その工事現場に、お仕事の関係で、よく行っていた・・・・

その際、聞いた話になるが・・・・・、町から離れた、限界集落・・・・・勿論、家は十数件有るが・・・現実に住んでいる人は、3件程で高齢者の人達が残っている集落・・・・

その集落の裏のみかん山が崩落・・・・勿論、みかん山も放棄状態・・・・・その集落に入るにも、慣性道路から、狭い脇道にそれて数キロ登る・・・・・

その山の復旧に、大きな建設会社が、10社程、入って、工事をしてある・・・・

先ずは、復旧工事の為の、道に拡張工事・・・・この流れで、何十億円の国費を、使っている・・・・

考え様では、住んでいる、数件に何千万か渡して、町の方に移転してもらった方が安い・・・・

しかし、この方向には成らない・・・・結果、道の拡張で、空き屋や住んでいる家も立ち退きに成っている・・・・

大きな重機を通す為の道、その後の使い道は無い・・・・

復旧工事は無事に終ったが、結果として、集落に残って住んである家も減った・・・・

この時点で、私は色んな疑問が出た・・・・

みかん山・・・地権者が居る筈・・・その人は費用を負担するのか???

結局、今では誰も住んでいない地域に成るが、そのに大金をかける意味が有るのか・・・・

そもそも、山がお金を産まない状態に成っているのが問題なのか????


お金を産まない、財産は、誰が管理し、継承していくのか・・・・・・

この部分が、法定相続人に成る、法律なら・・・・被害、迷惑をかけた場合、誰が処理・賠償をするのか・・・・今の法律なら、相続人に成ると思う・・・・

今の法律では、何か問題が無ければ、自分が法定相続人とも解らない状態・・・・その状態で、知らない親族が死ぬ・・・・法定相続人に成っている・・・しかし、当然、亡くなった事さえ知らない・・・相続をしたいと考える人が、相続の手続きをして、始めて相続人が解りだす・・・・この時点で、如何考えるかが、相続する財産の価値に成る・・・・今の価値観で、損が多いと思えば、誰もしない・・・

価値が有ればする事に成り、始めて自分が相続人と解る人も出て来る・・・・価値が有る為にしている事なら、揉める方向に成る・・・

結局は、放置して、先祖の財産・土地の税金を払い続けた、証拠で判断する方向に成る・・・・

しかし、この税金も払ってない、遺産が、多々発生している・・・・・この遺産が問題で回りに迷惑をかけた、と成れば、本来は、法定相続人に支払命令が行く筈だが・・・・法定相続人と理解していない人が多い・・・・

結果、税金で処理して、その後、どうなるかに成る・・・・・

この部分が、国民の意識に成るし・・・価値感に成る・・・・・冨は得たいが、不を得たくない・・・この動物的本能の価値感が強くなれば・・・・・結局は、国全体が損する形に成りだす・・・・


私の知り合いの、社長が亡くなった後・・・・後継者が悩んであった・・・・多大な、遺産がある、売るにも売れない・・・・しかし、相続税を払う事になり、商売が出来なくなって、倒産された・・・・

売れる、遺産は現代の価値感では意味が有る・・・・・売れない遺産は、管理・保持等々にお金を浪費する・・・・・真面目に、遺産の相続手続きをされた為に倒産になったが・・・・其れをしなかったら、放棄地が拡大していく方向に成る・・・・・

田んぼでも放棄地が問題に成っている・・・・又宅地の小さな家でさえ、放棄されて問題に成っている・・・・之が、大規模な山の単位で起きている・・・・

勿論、その遺産が冨を産む方向なら、誰かが管理すると思う・・・・・・しかし、最近は、損を生む方向が強い・・・・・その為に、国が税金を投入する形に成っている・・・・

先に書いているが、都会育ちの人が之を、少し考えるようになれば・・・・地権者は誰だ、その地権者の責任等々になって行くと思う・・・・

この流れに成れば、ある日突然・・・・何世代も前の先祖の、地権者として、請求書が国より来る可能性が出て来る・・・・・復旧工事に何十億使ったと・・・・・

遺骨の件でも書いてが・・・・国が本気になれば、探し出す事は簡単・・・・特に番号制度も作った・・・

若し、先祖の不も背負う、之が人だと思っている人は、色々調べて解っている部分も多いが、そうで無い価値感の人は、之をどう思うかに成る・・・

遺産の管理をしていなかった、不利な部分も有るし、結局は、知らないで済まされない状況に追い込まれる・・・・

権利を主張する人が多く成っている・・・・結果として、義務を今度は国が強く言い出す・・・・

田舎に住んでいると・・・色んな、歪みが強く感じる・・・・・都会に住んでいる人達が、お金に成る部分は貪って奪っていく・・・・しかし、お金に成らない損する部分は、放置して行く・・・・

その放置された所の、お世話・管理を誰かがする事に成る・・・・誰がするか、地元の人間に成る・・・・・

之が問題の表面化しているのが、高齢者だけの家の増加・・・独居老人の増加・・・

その人達にも、後継者は居る筈・・・・しかし、誰も、側にいない・・・・・・・結論を冨を求めて要るだけ・・・・・




少し、時間が・・・

商品入荷を待っている・・・・・

午前中には、次男の嫁が、我家の解る地図が必要・・・披露宴の送迎のバスの為、解り易くといっている・・・・

色んな、雑用が有る・・・・・・明日は、納骨希望者の人が、この地域に来られるとも言われている・・・

役所機関は平日に、伺う事になるし、調べる事が有れば、仕方が無い・・・・・しかし、今度は地域の人との聞き取りに成れば、平日は、少し無理が出て来る・・・・

結局、引継ぎを確りしていない、之が問題を複雑にしているが・・・・・・現実に、後継の物にその事を言っていても、聴く耳は持たない・・・・

先祖が当然居る・・・・その先祖の名前も何世代前まで知っているかにもなる・・・・その先祖には兄弟も居る・・・・・・

今問題に成っているのは、戦後の、農地解放で・・・・急に土地の地権者に成った、先祖の分・・・・・
しかし、その当時の考え方は、戦前の家督制度が、残っている状態で、法律が変っている・・・

親の財産は、子供に移行するが、その子供が、祖父に当たる人達が、現在に成っている・・・・

祖父の兄弟・・・・・?????の状態の人が多い・・・・

中には、曾祖父の兄弟という場合も有る・・・・

姉妹の場合も有り、姓が変っている人も居られる・・・・

勿論、殆どが在銘でないし・・・・又その子孫と成れば、限が無い状態に成っている・・・・

この、引継ぎを確り何故しないのか・・・・問題は、この手続きが面倒だし、お金が必要に成る部分・・・・・1坪100万もする価格なら、する価値も有る・・・・

しかし、田舎1反(300坪)が50万しない・・・・・又、土地の管理等々確りしないと、周りの人達に迷惑をかける・・・・・お金に変る土地なら良いが、変らない土地も有るし、それを管理を続けることも苦痛に成っている状態なのに・・・・それ以上の能力・お金をかけて、手続きをする・・・・出きる状態では無い・・・・

この部分も国の法整備が必要だと思う・・・・・

平地の地域でこの様な状態・・・・・山間部に成れば・・・・山に成る・・・・一山が放棄されたら、荒れた山に成るし、自然災害等々を起こし易くなる・・・・・

今の、土地の行政の有り方を考える時期とも思う・・・・・山が崩れ、道を塞いだ・・・・之が、普通の町なら・・・・建物が崩壊して、道を塞いだ、之と同じ・・・・しかし、国の係わり方が変っている感じもする・・・・・建物なら建物の持ち主責任に成る・・・山なら????・・・・・

結局、地権者ハッキリしない・・・この様な土地になれば、結局、行政が処理する方向に成る、之も税金である・・・・

お金本位主義の流れが強く成れば、土地や財産という部分も、お金で判断している・・・・勿論、財産、その管理・世話等々が必要に成る・・・・結果、管理費用と、値打ちバランスが、大事になり出す・・・・費用が嵩むと思えば、放棄方向に進むのも、お金本位主義なら当然に成る・・・


考え様では、平地に住んでいる私の場合、上流に有る、山々が確り、管理されている状態を望む・・・・考え様では、責任者が居る、之が当然と思っている・・・・・

しかし、現実には、放棄されている山も存在している・・・・・この様な状況下で、自然の猛威に絶える事が出来るかになる・・・・・・我家は確り防護しても、山が問題で、何が起きるか解らない・・・・

市場原理で、高くなる方向にも加速するし、安く成る方向にも加速する・・・・・・値打ち価値が、現代の考えでは無いとなれば、一気に無用な物という方向に加速する・・・・

価値の高い、土地は欲しいと誰しも思う・・・・・・・逆に、管理費の方が膨大な土地は????・・・・・・今の価値観で考えれば、自ずと方向性が見える・・・・

相続・・・・不の部分の相続も有る事に成る・・・之が家系の継承に成る・・・・・

人は平等で生まれる、之が基本で考える人も多いが、生まれた時点で、平等でない・・・・家系の継承が有るし、不の部分も背負った状態で生まれている事に、本来は気付く事だと私は、考えている・・・・之が当然と思わないから、生まれが悪かった等々の思いが出て来る・・・・

よく、子供には責任は無いと言うのが、一般的だが・・・・私はそうは思わない・・・・回りがそう考える事は賛成だが、等の子供は確りと、祖先の不も背負う之が当然と考えている・・・・

勿論、限界が有るし、不可能という場合が有るが、その部分は法律でカバー出来る・・・先ずは不の清算に努力するこの姿勢が大事だと考えている・・・・

之が、無くなれば、上手に立ち回った人が、得した・・・・之が表面化すれば、努力する人は居なく成るし、バカバカしくなる・・・・・

昔話になるが・・・親子三代に渡って、恩を返す努力をされたという逸話も有る・・・・・・親の代で返せない恩が有る・・・この継承は子孫に当たる人が担う事が当然・・・・

其れが無くなれば、恩をかけること自体が、バカがする事に成る・・・・現代は、この状態、その為に、知っているし解っているが、係わらない・見て見ぬふり・・・・表面化した時には、今知った等々で逃げる・・・・この生き方が本当に幸せに繋がるか、私は疑問が有るし、逆に地獄の世界を作っているように見える・・・・キリスト教の世界で言われる、サターンの振る舞いに似ている・・・
人を馬鹿にして、鼻で笑っている・・・・

若嫁が来た・・・・・パソコンで地図の作成に頑張りたい・・・・・大変だが、幸せだ・・・・