2025年1月12日日曜日

責務を放棄する

 現代、集団化に加速中・その土壌は価値観の共通化を理想論と現実論の二極化で人々を大きく左右に分けている。この様な時代だから色んな価値観でも生きれる受入れられる許容出来る度量も必用に成る。

その為には数値で表せない心地よさ、幸福感をその環境に強調すると出来ると言う時間が人の価値観を変えていく・・・食べず嫌いでは駄目、確り味わって己の趣向で捉えることになるが、もし嫌いでも食材・調理した人、この食事の為に労をした人達には最低でも感謝を伝えればと思うし・・・・人として当然・・・味等の部分は本人の勝手な味覚での感覚・・・思い込みで旨いと思ってる場合も有る。

現代は頂点の主が居て多くの従属者が居る主の責務は、従属者の幸せを願い・・改善していく現実が必要と思うが、今は集団が多きすりて末端が見えないし見ようともしない・・・結果、将棋の捨て駒の様な使い方をするリーダーが立派で強いリーダーという方向に向っている。この様なリーダーは己の保身の為に従属者を身代わりに闘かせている。リーダーは安全な環境で高い身の高見の見物・・・負が発生すれば管理職のリーダの責任に転換・・・・此が、井手於呂義等違うと言うが人間の動物としての本能・・・田崎山の日本雑の群れの集団と同じ、堂々とした立ち振る舞いで権威を見せびらかしている。それに従う雌ザルを多く囲うことが出来るのが立派な何故かこの場合、英語のボスザルと言われる。親分とボスの意味の違いも日本人なら解るはず・・・この環境を外から狙っている若い離れ雄ザルが居る。気を伺って、ボスと対決・勝つ此が畜生道で集団性・知能が高い猿が行っている。人間は他の集団が気にくわないとボスが思うと、相手を潰す方向性に成る、誰が現実の潰す行動をするのか???末端の庶民を戦士と称えて捨て駒で永遠に勝つために人を費やし続ける。一度書いているが、任侠道なら昔は親分同士の戦いで他は手を出すなが本来、自業自得の率直に受けれているし他人には迷惑を掛けないという配慮と舎弟に対しての拝領がある。

戦争も、主同士が闘う、勿論、暴力は禁止、暴言の威圧も観ている、第三者の判断に任せれば、良いと思う、各自どう思うかも各自の勝手・・・優劣は付けない、この様な時代に必用よ思う、己の自己満足の為に己が汗を流すのは当然・・・今は我欲は叶えたい・・・しかし己は汗を流したくないこの様なタイプが増え続けている。全てが己の利・対価のお金を汗を流さずに手に入れるか、一流の証になっているが、私は違うと思う。支えた多くの人が支えた人達のお陰と思うし、その恩に応える責務が有ると思っている。しかし、主は支配側、従は搾取されるが世界的な標準的な考えに成る・・・基本・底辺に確りした差別があるから綺麗事の平等と叫んでいる。基本の価値観も変えきれない見せ掛けの仏ずらをする・・・心は地獄道だのため大きく二極化各々で、此方の方が個人の好み程度なら解るが、正しい・正義と各々が言い張っている。私は動物だし、凡夫だ生きる為に毎日多くの殺生を繰り返している。その命に感謝しつづけるしかない・・・・・殺生しないでどう生きていくのか綺麗事を並べる人は、命の差別感がある、虫にも五分の魂と言われる全ての命が有る。、物にも命が有ると思うのが日本人である。


























主の捉え方・・・

昼食後・・・向かいの人の人も大声を出されたくなたが、ブツブツと独り言に変わったが、己の権威、見せつける為か、色んな処に携帯で電話してる・・・当然上手で相手を言い負かす様な声が聞えているので、面倒と思い。食後にリハビリの為に車椅子で散歩・・・主には誰しも憧れる。それなら、主とは主人や支配側と捉え逆の立場は従に成る。従属する・・支配される立場と捉えている人が多い・・・・

主も従も平等で共に手を取り合い、生きる事に成るし、当然、主がレベル的に優れているので従のカバー育成に取り組むのが本来・・・勿論、世の中、色々な環境違いが有る。先ずは己の近くで、己は主と思えば、周りに何をするか解るに、従属している方は劣っているので搾取しても当然と思う人も増え続けている。

要は主とはと共存共栄の人の連帯が大きく成る事がその人の器の大きさだし凄さと思う、理由は責務が増えるこの事を感じて背負い続ける。勇気は勿論・・・度胸も要る。

各々生きる環境も違う・・狭い範囲くらいは己の責務と捉えることも捉え方で変わる、小さな集団の相撲界も勝つための競技、しかし、48手という多くの勝ち技が有る・・・・千差万別、無限と思われる各々の考えで生きて居る人間社会、生きていくためには、相撲界、当然、無限の技が有る。境涯が狭いので、価値観の大きく違うところでは郷に入れば郷に従えと昔から言われている。先ずは己を変えることだし、取り口も返る事に成る。此を部外者から見て己の価値観と違うと思って、責める人も居るが、己はこう思い振舞います程度で良いと思うが、否定に向かって行く・・・世界の情勢は、一つの価値観・・・弱肉強食の方向に強く向っているし、利己主義が蔓延綺麗事では利他主義を吹聴しているが、負己主義は絶対にしたくないと思っても居る。主が上で従属者を支配されると思っているし、支配は己の価値観の押しつけが多くなるし、この様なタイプは上手投げで格好よく勝つ此を求めているので、当然、同じ様なタイプは衝突する。

上という立場は、従属者、今回は共に目標に向う同士としてのリーダー、責務を多く背負っている人が本来のリーダーで有るし、結果己の能力以上に広げる事は無理、他に担ってくれる人を創るしか無いと考えています。

今、向かいの患者さんブツブツ言ってあったが私の嫁が来て、話し出したら「煩い・黙れ・〇× 〇×」と大きな声で怒鳴られる・・・嫁は障害者等の扱いに慣れているが・・・気になる場合、病室を変えろとなる・・・・見ていると他の患者に人が寄っていくことを毛嫌いされているその為に些細な事にも反応され大声でクレームを言われる。人間にも色々居る・・・虫の音色も色々有る、心地良い音色・心地悪い音色・・・・此も私の捉え方に成る。昔から環境が人を育てると言われている。違う環境で違う価値観の中で生きるなら、違うと思っても先ずは慣れる事だと思います。

父の件で昔ブログに沢山書いている、己は格好良い正義のヒートーと思い込んでいる。その為に己より、低い立場等々目線が低い人には徹底して奉仕する。騙されているとも気付かずに弱い見方だが、レベルが同じかそれ以上の人に対しては敵対心を持つ・・・・

今、国としてどの方向に向おうとしているのか???国民の大多数の価値観で決る。畜生道の、弱肉強食を強くしていくのか、共存共栄を望むのか、一等賞や順位等の数字で解り易いのが弱肉強食・・・しかし横綱が横綱相撲と取らないと批判が出る。理由は人道以上の人格と見ているからしかし、姑息な手段を使って思いを遂げる餓鬼道で有る。世界は餓鬼道にドンドン加速中で有る。

生きると言うことは自業自得の連続・・・避ける事は出来ない、全て因は己に有るという考え、生まれた瞬間から現実は違う人が全て、此も自業自得、過去世の精算で生まれたのかも知れないし、己の思いで生まれてくる場合も有る。仏教では修行の場此が出来る事が幸福の道となる。修行とは人々の悩み苦しみを和らげること・・・釈尊は大昔、師匠に就きその時に悟りを得て成仏してたと経典に残されている。しかし、人民の心を少しでも浄化したいと、釈迦族の王様の子として生まれ、何藤生も内生活を続けられ、綺麗な嫁も貰い、子も儲けている。しかし、有るとき、城の外の世界を見たら苦悩し続けている人の多さに驚く、己の立場との違いに愕然とされ癒やしたい、和らげたいと言う思いで家族を捨て、城を出られている、私の記憶だとその後バランの修行をされる・・・人を救いたいという一心で苦行も続けられる、しかし人々の苦悩は薄まらない・・・・バラモン一派から出られ、一人で民の中で、悩みや問題を聞き続けられ悟れる・・・・要は現状への捉え方、」この部分で鼓腹間の不幸間も変わる。人は畜生の動物次元で無いはず・・・しかし、人間は十階の言われる階層を自由に選べ動ける・・・何処を目指すのか・・・私は当然・・・仏に近い方と思う様にしている。しかし私も生物・崖っ淵に行けば自己防衛本能が優先してしまうと思っている。

釈尊国の王子・・名はブッタとも言われる。嫁を帰らせた、向かいの怒鳴る声は周りの人にも迷惑と思う。しかし、嫁に話すように一人前の男は、息子を題材に謙虚で頭が低く・腰を曲げることが出来る人、この思いあるから人からの施しを受けることが出来る。施しなので感謝となる。力で上手投げで勝てば言うことを聞く物と思ってあるし、当然と思っる結果、不満文句が出ると、ワザと大きな声で聞えるように嫁と話して帰らせた。

変化が早い・・・利用できる方法は使うだけ使う・・・・「すみません助けて~~~~」と弱々しい発し方で、何度も繰り返されている。状況を見ると、隣の患者さんの介護で処置を行っている音がしたのか、今にも死にそうにお願いします等々、言葉を連打されている。姑息な手段此が出来ると言うことは、相手次第では大きく対応を変えるというタイプ。犬と同じ仲間には尻尾を振り・他には吠える・・・・吠えても思うように成らないなら己の欲をセイブする方向と思うが。この様な人、己の趣向で無くても、得る為には手段も選ばないと思う。

上手に悪く言えば、汚く世渡りをされたと思う。家族の苦労を考えると頭が痛い・・・完全にボケて、全く何言っているのかの状態なら良いが、少しでも体調が改善すれば本人の意志、病室の変更・病院の変更をう言われているので、当然、退院方向に向うと思いまあす。          

日曜費のリハビリ・・・・

 日曜日、少し動けるようになった為なのか午前中トイレの帰りに病棟内をリハビリを兼ねて車椅子で散歩・・・リハ針の先生から今後は出来るだけ足を使って進むように指導されている。手を使わず膝下の伸び縮みで前へ進む方法だが、数メートルは早いが、持久力が無く、直ぐに脚が痛み出す。脚の限界後は腕を使って進んだが、この距離を伸ばすのも、今後の目標にしたい・・・・この病室から出て、独りになるのもリフレッシュになる。

等々、言い出された。クレームを向の人が看護士に、強い口調で言ってある。一人の患者さんは喋ることが出来ない寝たきり・・・もう一人の患者さんは話せるが体を思うように動かす事が出来ない。私も最近まで喋ることも体も思うように成らなかった・・・変化する環境下で前の患者さん想定している方向に進み、被害者コスプレを開始された。よく有るパターン・・差別された・人権無視等々を理由に病室の変更か、病院の変更を看護士に進言されている。

この様な人は扱われ方の違いで、大きく差別を感じる。己は良くて当然・・・理由は強く・力が有り、誰も俺を否定できない凄い立場と思っている。その人が、助け等々の叫び声を100回叫んでも誰も処置しない、借りに来ても同室の患者と対応が違う、大きな差別だし、其れを我慢しているので詫びを入れろと、其れが出来ないなら、環境を変えろ、強制的に命令的に言われている。小緒言動が差別だが。本人は己が差別を受けたと思っている。

本来、人の扱い方は各違う・・・相手次第でも変わる、此を差別とすると、全て同じ扱い方になる。この様になると、扱える人しか世に必要で無いと成る。今はこの方向に進んでいる。

本人は病院・看護士を困らせていると喜んでいるし、此で俺の思うとおりに成ると思っている。困り苦悩するのは家族になるし・最後は本人になる、自業自得で有る。

看護士の処置に敬意を持ち、感謝し続ければ看護士も人間対応も変わってくる。当然の行為・・・・店で買うのは消費者の勝手、対価を支払う・・この行為で受け取った方は「お礼の挨拶」当然と言うことで無く、感謝の意を伝えられた方は、頭を上げ胸を張るのか・・・・逆に頭を下げ腰を折り、感謝の意を伝えるかにんる、各々当選普通思って居るレベルが有る、本当にそうなのか逆の立場・相手の立場で考えると解り出す。

前の人は己の信念という良い、我欲が全てだし其れを追求することが人間として正しいし、人から文句を直接言われなければ人は己生き方を賞賛しているという捉え方・・・この様な人に指摘してもお前だけ、異常者のお前だから思う事。ほぼ全ての人は俺の生き方に憧れていると思っているので、自己改革出来ない・・・・要は社会も原因で生み出している・・・人は耳の痛い話より、よい話を聞入れる・・・・社会が甘いよい話をすれば、信じ込む特に何度か書いているが終戦後の動乱期に学校生活を始めた年代・・・自由の捉え方が大きく変化している。我侭を通す、我欲を通す・・・・人としての責務・宿命も無視して出来る事が自由と言う考え・・・ヤンキー・暴走族の少年レベルに成る。しかしこのレベルなら成長と経験と共にレベルもアップできるが、この時点で、駄々を捏ね無理に通し続けると、餓鬼道の世界の舞い戻ることになる。

今、向の人は静か・・・・・・誰も相手しない・・・病院側も家族の来院を依頼されたのか、誰かが来ている。親分肌なので、下で出、対応すると機嫌を取り戻される、抜本的な対処は難しい

家族・親族・知合いは感謝だろう!!!

向かいの患者さん、何時もの様に早朝?き??三時位から騒ぎ出された、色々経験している。色々経験している。私は耐える事が出来るが、他の二人の同室者が気になっている。昨日から本性を出しだした・・人は装って生きて居る。コスプレとも言える。己が利に成り得する見掛けを求める。人から、チヤホヤされたい、丁度、5歳児くらいの価値観に成る。その為には被害者コスプレ・病人コスプレをする、要は私は弱い存在だとアピールして、人の同情とお金を求めている。此を餓鬼道と言う・・・・・目的が叶えられないと・・・弱々しい態度から凶変し暴言・暴行に直ぐに走り出す。今朝からこの方向に向っている・・・流動食の管を取らせないという理由で手の束縛がされているが・・・時々、体拭き等で外す、今日は男性看護士だったので良かったと思うが、手保護の手袋状態で暴言を吐かれ・・黙って作業素る看護士の頭を殴られた。何度も書くが育て方、私の父は(近所に住む若いチンピラに憧れていたとのこと・・・その人の言うことは聞き覚えている。父には耳障りの良い言葉になる。対話・話から勝負は決っている。先ずは両目で相手の片目をろで無く、睨めと父は幼い私に教えていた。歩くときは辺り構わず痰を吐く・・堂々と立ちションをする・・・此が男として格好よいから、堂々と肩で風切って歩けるし、すげての人から羨ましく覆われるし、その証拠に誰も俺の所業に文句を言う物は居ないと言う人だった。私と母だけが、指摘・文句を言い続けたので、外で色々起していた。妹の旦那が、彼の家で暴言・等々を吐いて言う時に帰って来て、これ幸いと指摘してくれている・・・殴られるのは承知で、父は娘の亭主の分際でと殴ったから、上手に警察を待機・呼びつけ、此から心療内科との付き居に成る、医師から言われた、言葉、モット若いとき、出来れば10代の時が良いが、社会で生きた年数・・・・この生き方で己は楽しかったと思うなら治るわけは無い・・・・気を落ち着ける薬は有るが、心が鬱になり、生命力を無くす、父の大きんな特徴・個性が消える事に成るが、こうなると、病院側も完全隔離が出来ない・・・人権の尊重という方向に向う、当然、病棟内は自由に動ける・・それ以上の自由を求め出す。何故電話が使えないのか????等々・・携帯電話を与える事に成ったが、今度は、知合い・親族、特に意見を言わないイエスマンへ今の現状を話で同情をして頂くと言う事を行っていたし、その様な広から毎日、父の面倒のことで電話が有る。結果的に一日・数度、病院の欲しいものを持って面会区行く事に成る。自営業で嫁が居たので切ることだが、それでも大変だった。向かいの患者さんも同じ境遇のようだ・・・・言葉発止肩、人に対しての威圧のかけ方、世の中に多く居るし、その様に育てられた人達がドンドン増えていく・・・・些細な事で気を害され・・・因縁を言われたと勘違いする。免疫が無いので、これに対して、口頭で文句を言われると、御免なさいと言えば事は大袈裟に成らない・・・しかし、無視し、その無視を振りほどこうと何度もしても詫びを入れないなら一気に凶暴に暴発する。

餓鬼の命で、大人の身に成っているだけ。畜生道は、生きる為に必死で、最低限の殺生かしない生きる欲と言うこと・・・・修羅道を競い合い、勝つ事が何より大事という考え・・・もしこの部分で、餓鬼的命が強いなら、姑息な手段も燃えないと事で使いだす。

今、一般の病気として、向かいの患者さんは束縛を受け動けない状態で、入院されている。仕える部分は声だけ、この声でコスプレ中で有る。可哀想でも有るし、哀れでも有る。

患者さんの奥さん、子供さん・親族も、大変だと思うが、今の内に、確りと後の準備を心掛けないと、体が動ける状態で帰って来て。命は餓鬼、抑制する知性も、痴呆症が進行すると、一時期酷く成る。これに耐えて頂きたいと私は祈るしかない。

有りがたい・・・・

 昨日、リハビリ後に病室に戻ると同時に、嫁が来訪・・・・前日、杖を使っての歩行が出来たと、先生から言われ。嫁も驚いていた。私としては褒めてくれる、感激してくれると想像したが、血相が変わり・・口調荒しく「介護医療4級を頂いている回復すれば等級が減り国からの補助も減る」と叱られた。リハビリの先生から半年間は有効とのことで、嫁も少しは安心した。嫁らしいと思ったし、連れ合いの回復が良いと取れきれない部分も有ると言う事、彼女も己の想定で、事を進めている。誰しも有ると思うが、己の勝手な我欲で積み上げた想定は、その通りに成らない事が多いし、結果、気分が悪い・苛立つ等の感情の高ぶりが出る。人は、何度も書くが(、他人さまの中で生かされている。周りの人も含め、環境・場所・時を考えて想定すれば、略想定とおりになるし、それ以上だと感謝になる。

嫁は己の想定が最善策で正しいと思っている、この思いに私がブレーキを掛けた状態、感謝より、かんしゃくの顔に見える・・・

しかし、私は、嫁の言動に感謝している、全て私が想定していた内いだったし・・・・最悪の想定より良かったので感謝になる。二週間前から手を使わず履ける靴と体が曲り難いので靴べらを頼んでいたが、常時、忘れるし、記憶にも残らない人・・・その後も他の品も、口頭だと不安が有るので、メールで送っているが、絶対と言って良く返信が来ない、閲覧したかも解らない状態、幼い我子を忘れて帰ってくるタイプ・個性、指摘して気付く。女性なので、我身や血を分けたこの場合は、指摘されよカッと思うが、この様な部分以外で指摘すれば感情を害するし;同じ指摘でも相手次第でも変わる・・・・・

靴は、本来はディスカントストアーの1000円台・・・今回は一般的な大きな商業施設で5000円以上のお金を出して買ってきてくれている、彼女の優しさを感じたし、長い靴べらも持ってきたので、想定より良かったので、褒め、感謝した。

しかし、彼女らしい、何度も足が浮腫、靴が履けないと伝え交換している、今回も試そうと思ったが・・・彼女の前で履けなかったことを想像すると怖いので取りやめた・・・靴べらも私の能力を想像すれば、固くて少し体の支えに成るような物が欲しいがプラスチックのフニャフンした素材・・・靴に差し入れることも私の場合無理・・・・

今後、己を鍛えて、靴等を履きこなせるようになりたい。