昼食後・・・向かいの人の人も大声を出されたくなたが、ブツブツと独り言に変わったが、己の権威、見せつける為か、色んな処に携帯で電話してる・・・当然上手で相手を言い負かす様な声が聞えているので、面倒と思い。食後にリハビリの為に車椅子で散歩・・・主には誰しも憧れる。それなら、主とは主人や支配側と捉え逆の立場は従に成る。従属する・・支配される立場と捉えている人が多い・・・・
主も従も平等で共に手を取り合い、生きる事に成るし、当然、主がレベル的に優れているので従のカバー育成に取り組むのが本来・・・勿論、世の中、色々な環境違いが有る。先ずは己の近くで、己は主と思えば、周りに何をするか解るに、従属している方は劣っているので搾取しても当然と思う人も増え続けている。
要は主とはと共存共栄の人の連帯が大きく成る事がその人の器の大きさだし凄さと思う、理由は責務が増えるこの事を感じて背負い続ける。勇気は勿論・・・度胸も要る。
各々生きる環境も違う・・狭い範囲くらいは己の責務と捉えることも捉え方で変わる、小さな集団の相撲界も勝つための競技、しかし、48手という多くの勝ち技が有る・・・・千差万別、無限と思われる各々の考えで生きて居る人間社会、生きていくためには、相撲界、当然、無限の技が有る。境涯が狭いので、価値観の大きく違うところでは郷に入れば郷に従えと昔から言われている。先ずは己を変えることだし、取り口も返る事に成る。此を部外者から見て己の価値観と違うと思って、責める人も居るが、己はこう思い振舞います程度で良いと思うが、否定に向かって行く・・・世界の情勢は、一つの価値観・・・弱肉強食の方向に強く向っているし、利己主義が蔓延綺麗事では利他主義を吹聴しているが、負己主義は絶対にしたくないと思っても居る。主が上で従属者を支配されると思っているし、支配は己の価値観の押しつけが多くなるし、この様なタイプは上手投げで格好よく勝つ此を求めているので、当然、同じ様なタイプは衝突する。
上という立場は、従属者、今回は共に目標に向う同士としてのリーダー、責務を多く背負っている人が本来のリーダーで有るし、結果己の能力以上に広げる事は無理、他に担ってくれる人を創るしか無いと考えています。
今、向かいの患者さんブツブツ言ってあったが私の嫁が来て、話し出したら「煩い・黙れ・〇× 〇×」と大きな声で怒鳴られる・・・嫁は障害者等の扱いに慣れているが・・・気になる場合、病室を変えろとなる・・・・見ていると他の患者に人が寄っていくことを毛嫌いされているその為に些細な事にも反応され大声でクレームを言われる。人間にも色々居る・・・虫の音色も色々有る、心地良い音色・心地悪い音色・・・・此も私の捉え方に成る。昔から環境が人を育てると言われている。違う環境で違う価値観の中で生きるなら、違うと思っても先ずは慣れる事だと思います。
父の件で昔ブログに沢山書いている、己は格好良い正義のヒートーと思い込んでいる。その為に己より、低い立場等々目線が低い人には徹底して奉仕する。騙されているとも気付かずに弱い見方だが、レベルが同じかそれ以上の人に対しては敵対心を持つ・・・・
今、国としてどの方向に向おうとしているのか???国民の大多数の価値観で決る。畜生道の、弱肉強食を強くしていくのか、共存共栄を望むのか、一等賞や順位等の数字で解り易いのが弱肉強食・・・しかし横綱が横綱相撲と取らないと批判が出る。理由は人道以上の人格と見ているからしかし、姑息な手段を使って思いを遂げる餓鬼道で有る。世界は餓鬼道にドンドン加速中で有る。
生きると言うことは自業自得の連続・・・避ける事は出来ない、全て因は己に有るという考え、生まれた瞬間から現実は違う人が全て、此も自業自得、過去世の精算で生まれたのかも知れないし、己の思いで生まれてくる場合も有る。仏教では修行の場此が出来る事が幸福の道となる。修行とは人々の悩み苦しみを和らげること・・・釈尊は大昔、師匠に就きその時に悟りを得て成仏してたと経典に残されている。しかし、人民の心を少しでも浄化したいと、釈迦族の王様の子として生まれ、何藤生も内生活を続けられ、綺麗な嫁も貰い、子も儲けている。しかし、有るとき、城の外の世界を見たら苦悩し続けている人の多さに驚く、己の立場との違いに愕然とされ癒やしたい、和らげたいと言う思いで家族を捨て、城を出られている、私の記憶だとその後バランの修行をされる・・・人を救いたいという一心で苦行も続けられる、しかし人々の苦悩は薄まらない・・・・バラモン一派から出られ、一人で民の中で、悩みや問題を聞き続けられ悟れる・・・・要は現状への捉え方、」この部分で鼓腹間の不幸間も変わる。人は畜生の動物次元で無いはず・・・しかし、人間は十階の言われる階層を自由に選べ動ける・・・何処を目指すのか・・・私は当然・・・仏に近い方と思う様にしている。しかし私も生物・崖っ淵に行けば自己防衛本能が優先してしまうと思っている。
釈尊国の王子・・名はブッタとも言われる。嫁を帰らせた、向かいの怒鳴る声は周りの人にも迷惑と思う。しかし、嫁に話すように一人前の男は、息子を題材に謙虚で頭が低く・腰を曲げることが出来る人、この思いあるから人からの施しを受けることが出来る。施しなので感謝となる。力で上手投げで勝てば言うことを聞く物と思ってあるし、当然と思っる結果、不満文句が出ると、ワザと大きな声で聞えるように嫁と話して帰らせた。
変化が早い・・・利用できる方法は使うだけ使う・・・・「すみません助けて~~~~」と弱々しい発し方で、何度も繰り返されている。状況を見ると、隣の患者さんの介護で処置を行っている音がしたのか、今にも死にそうにお願いします等々、言葉を連打されている。姑息な手段此が出来ると言うことは、相手次第では大きく対応を変えるというタイプ。犬と同じ仲間には尻尾を振り・他には吠える・・・・吠えても思うように成らないなら己の欲をセイブする方向と思うが。この様な人、己の趣向で無くても、得る為には手段も選ばないと思う。
上手に悪く言えば、汚く世渡りをされたと思う。家族の苦労を考えると頭が痛い・・・完全にボケて、全く何言っているのかの状態なら良いが、少しでも体調が改善すれば本人の意志、病室の変更・病院の変更をう言われているので、当然、退院方向に向うと思いまあす。
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