2024年2月16日金曜日

夕方からバタバタ忙しい・・・動き手が居ない

 嫁を職場に送り届ける時間が迫った・・・その前に支払い忘れがあり、電話・・・・直ぐに入金を嫁の依頼・・・・その間に叔母から電話・・・母方の長兄の叔父が倒れたとのこと・・・・昨日、急に倒れて緊急入院でICUに入っていたが今日、意識が回復したので、隣の部屋に居るとのこと、脳梗塞との事で、言語障害が出ているようだとのこと・・・まだ、ハッキリしないが様子を見て、医師が判断されるとのこと・・・

知らせを受けたが、叔母の話ではよく理解できなかったので、叔父の息子の従兄弟に電話、ある程度症状が私でも理解できた。一般病棟に移ってから見舞いに行くと取りあえず言っているが・・・心配・・・

嫁を職場に送りながら、この件の話、当然、我息子達にも祖母の里の長兄が倒れたと連絡・・・叔父から私の息子達の可愛がって貰っている。一番のお気に入りが、私の長男、何時も胡座を書いた、足の上に子を乗せて、何を食べたいか???等々、あやして頂いた記憶が有るし、当然、息子達も慕っている。

大事な人が倒れた、私も今後、叔父叔母達を看取る勤めが出ると思うし、息子達にも、よくよく生き様、最後の生き様を見届けるように言っている。

人は、死ぬ・・死ぬ為に生きていると言っても良いかも知れない、その生きている期間は、死に対しての準備期間の私は捉えている。

勿論、優秀で一流の人なら当然の事だし、当り前と平常心で対応できると思うが、私は、三流・劣っている、出来るだけ避けたいと直ぐに思ってします。その様に逃げようと思う、私自身に学ばさせ・経験させて、覚悟の勇気を諸先輩達・先人達が見せてこの世を去っていると思う。

私も、少しは覚悟と勇気が出てきた感じがする。当然、未だに避けたいし、逃げたい、弱い人間だから直ぐに安易な方向を求めたがる・・・・

何度が書いているが、私が一番の模範にしている親族が、母里の長兄の叔父になる。車の免許を昨年返納された、心配していたが、この様な時期に叔父・叔母達もなってきたと言う事になる。

確りと看取りたいと思うし、それを母は私の責務だと言っていた。

後を頼む・・・この言葉が頭から離れない・・・・・

三流で劣っている、嫌われ者の異端児に後を頼む、分が重すぎると思うし、無理だと思うが、遂行しなければと動くだけになる。

夜勤の嫁・・・我家で主婦業は私だけになる・・・代りは居ない・・本来親族間の下々の働きも若手が行っていた・・・地域事も若手の青年団が行っていた。しかし、今は、私位の年齢の人が、家でも社会でも下働き部分を多々受け持って、後片付け等々を行って居られる。

若手が、何故、居ないのか???少子化のためか???テレビ等で人々が集まっている映像には元気が良い若人が多々集まっているように見えるが・・・人の為、地域の為との思いで、汗を流す若手が居ない・・・育て方の問題なのか?????

昔は、何度も書いているように、責務を果たしてから、己の事・・・優先順位で己が最後だったが・・・今はマサカ、最初に成っているなら、何度も書く様に地獄の環境・・当然、身なりや様相は良いが、心の中は地獄と言う事に成る。

どんなに身を飾っても心が地獄の境涯に要るなら、何時までも飢えと言う恐怖に追われ続けて、優秀で一流の消費者に成っても、何も幸福感が無い・・・空しい・・・・可哀想な生き方になる。

私は、何度も書いているように、不思議に生きているし、生かされている。本来なら、食えなく飢えに苦しんでいても不思議で無い・・・しかし、何故か、幸せと思える環境が未だに有る。

当然、回りの人達のお陰になる・・・・人々の施しで生きていると肌で感じられる・・・嫌で無いし、当然、感謝と成る。感謝、結果、幸福となる。

どう、後継者、若手を育てるか当然、先人の責務になる・・・私も先人の仲間になる、私の責任の遂行状態が、後継者の有無になる。

この部分を放棄したら、世間の荒波に揉まれ苦しむだけだと私は考えています。

叔父が復帰することを願って、今日は寝たいと思う、父の本命日に色々有る。

父のトラブルメーカー的は部分を死んでも続いているのかも???勿論、必ず起きること、たまたまタイミングがそろったと言うだけと思うが・・・

予想より小さい・・・

孫娘の誕生日プレゼントが通販より来た。

梱包を見ると予想より小さい・・・この中に三つの人形が???と不安が!!!!・・・・・・

確かめてみた・・・写真で見るのと大きさが全然違うと言うより、私の感覚の問題のようだ・・・・

手に平サイズの人形・・・

孫娘はプリキュアと言ってたし、水色のプリキュアと言っていたが、三体購入してみた。

結果は、三体で良かったと思う。余りにも貧弱に見える・・・勿論、大人の目で見るとになるので、孫はどう判断するかになる。

色々考えた、孫娘、今はピカチューの小さな縫い包みを持ち歩いている。その前はアンパンマン・・・持ち運べる大きさが良いと勝手に判断して購入したが、予想より、少し小さい感じがする。

18日が、誕生日なので、何時渡すかを考えている。

孫が喜ぶ、恥ずかしそうに振舞う・・・可愛~~~と勝手に思い込んでしまう・・・幸せを味合わせてくれて、感謝と言うことになる。

「ボロは着てても心の錦~~~~」

 日本人らしい唄の文句になる「ボロは着てても心の錦~~~」経済成長の時に流行った唄である。

この様な唄の文句は多々ある・・・日本人らしい気質を表している。

しかし、ある時から、一流ブランド等の名が、唄の文句、歌詞に付くようになる。日本も見栄の時代に成ったと感じた時代になる。

しかし、私は古いが「勿体ない」この精神を大事にしている。

特に、何度も言っていることだが、日本らしい、日本人らしいと言う、個性が・・・変わっていると思うし、その変わった事で、対応力がどの方向に広がっているか??・等々を考えると、逆境に弱くなっている感じが私はします。

己さえ良いと言う価値観が、日本も蔓延している・・・当然、争いが増え出す、それを他に向ける必要も出てくる。

何度も、数年前から書いていることだが、田舎の経済、景気は日に日に悪くなっているように私には感じられる・・・

人に優しい社会で無く・・・厳しい方向が効率が良く・・その分の対価が有ると言う価値観に染まっている。

対価とは????・・・私は人に優しい、此が対価だと考えている。

現代、人の能力の100%を出す、此が普通になっている。当然、多くの対価を望むなら、120%等々多くの能力が必要と成っている。

何度が書いているが、私の父の商売は鉄工所・・・メーカーの下請け・・・一個の商品を作って、数円の儲け・・・材料代等々有るので、失敗すれば、取り戻すために、100個作らないと元が取れないという世界に成る。当然、単価は、8時間フルに稼働して、幾らと成る、仕事を出す業者もプロ、儲けさせる訳がない・・・要は、100%以上の実力を出し続けないと、維持できない仕事、商売になる。

この様な商売を、幼い頃から見ていて、何の為の仕事なのか????と何時も思っていた。要は、全てが人を使ってピンハネ業・・・このピンハネが大きく出来る立場が強い立場、ヤクザの世界と同じと思っていた。

反社会的集団も、一般的会社の、価値観等々は同じ部分が多々有ると私は思っている。誰に優しいのか、力ある権力側に優しいと言うだけ!!!

幾ら、綺麗事を口から吐いても、己の居るポジジョンは、綺麗でブランドで固めたこの部分の死守に全力を尽くしている。様は人様の為等々、微塵も無いと言う事だし、その余裕が無い、理由は100%以上の能力を出し続ける世界で生きているからに成る。

私は、この地域で、殆ど商品が動いていないが、立派は様そうに見えて、当然、振舞もお金持ち・・・仏壇屋が有る・・・・一般の仏壇は殆ど扱われていない、理由は競争の有る部分では闘わない・・・結果、お寺等に納める、特殊な仏壇を販売されている。要は、基本注文販売と言うこと・・・念に1本の仏壇が売れれば、社員や会社が維持できると言われていた。

私には魅力が有る会社になる。人は、常時100%で働けることが無いと思っている。特に、私は今は病に侵されているが・・・働けなく成るときが有る。月に数日しか働けないと言う事も有りえる・・・この様な状態でも生活が出来る、環境が必要だと私は考えている。

勿論、節制しなければ成らない部分も有るが、基本、人に優しいという世界は、普通の人以外の、一般に言われる、問題が有り、劣っている人達に取って、生きられる世界なのかと何時も問うている。

此も、何度も書いているが、昔は、商売の下働きとして、精神疾患・知能遅れの人も雇用してくれる、商売人が居た。

しかし、全てが規格・基準が設けられ、それ以下だと当然、雇用しない・・・結果、問題や劣っている人と言われる人達の働く場が無い・・・

此が、弱い人に優しい世界と言われてる・・・勿論、昔は、こき使われた可能性も有るが、それでも確りと雇用されていた。

嫁が、介護施設の入所者を、就労支援の作業所に昼間行かせてる。同属会社だから、少しでも利益をあげたいと言う思いだと思うが、嫁は、入所者に可哀想と言う・・・月数千円の対価・・・その分の仕事と言われるが、障害が有る人には、それでも難儀するレベルに成る、それを、ある基準を決め、それに達成しないと駄目等々、可哀想だと言う・・・

この問題も問題と考えないから、食事の時間まで厳密に決める、オーバーすれば、全て廃棄・・・こんな無謀な処置は無いと嫁は言うが、職員側は何時までと言う部分が大事なようだ・・・・健常者なら10分で終る事も、1時間以上掛かるのが、障害が有る立場、何故、理解できないのか???嫁が何時も言うが、相手の気持ちを何一つ考えていない、己さえ良ければ・・・此で全てを考えている。

燃し、この様は価値観で、結婚・子を儲けても、当然、離婚・家の崩壊に成ると思うし、現実に、離婚者の職員が多いとのこと・・・義父母の介護が嫌で離婚、その人間が、介護施設の職員に成る、この様な人が多いとのこと・・・どんな扱いを受けるか、想像が出来ると思う。

燃し、この様な親の元に育った、子が居るなら、怖いと思う、何が、付合い・縁する事に・・・昔は、家柄、親を見て付き合えと言ってあったが、その意味が解り出すと思う。

凄い振舞をしている、我勝手な母親、それを見て育った子・・どうなるか???・・勿論、子供も周りの環境で変わる、どの様な人が接していたか???燃し、己の耳障りの良い人しか縁が無かったとなれば、当然、行く末は解ると思う。

要は、人との関わり方、役に立ちたいと、嫌われても耳が痛いことを言えるのか???それが取られているし、その様な人が周りに多ければ、その人の価値観も多様性が産まれる。

しかし、現実には己に都合が良い人としか縁が無い・・・・結果、人が孤立化していく・・・回りは全て敵と言う発想になる。

今、ネットを見ていると、全てが敵味方論・・・勝ち負け論・優劣論・・・そして、何故か己は平等と言っている。

訳が分らない・・・他人様を変えるより、先ずは己をどう成長・変えていくかになる。その為に、己の今の問題を確りと認識する必要が有るが、それを行わないで、全て問題は他に押しつけている。

何度も書くが、日本が日本で無くなっていく、崩壊していく・・・此が悲しい・・・・文化の継承・歴史の継承・・・大事な部分だし、それを元にどう今後変化させるか???此を問われているが、その職務を放棄しているのが現代のリーダーと言われる人達になる。自己保身だけの為に生きている。悲しい、日本人も心の錦を忘れたのか?????と思う。

管理業者????

私は技術者として・・・今まで生きてきた。

しかし、私自身も、他の技術者に依頼し、頼む場合も有る。

先週・・・浄化槽の管理業者から、エア配管が潰れ漏れているので、修理をと言われた。場所的には、この地面の下と言われたが、何故、対処できないのか???と尋ねたら、管理だけが仕事、浄化槽の中と外では違う、配管は外の部分なので、担当外と言われた。

現代、四角四面に全てなっているが、この様な部分でも成っているのか???と思い、先ずは、私なりに点検・・・

少しは、メカ的構造が解るので・・・先ずは、浄化槽にエア送っているポンプを点検、少し弱いと思うが、エアは送っているようだ・・・試すために、エアコンプレッサーからホースを伸ばして、直接0.7の圧で、エアを配管に入れたら、便層にエアは行っているが、泡が出ない、便層内のホースが取れている可能性が有ると、管理業者に電話しても、配管が車の重みに押しつぶされているの一点張り・・・・時々、衛星車が来て、便層内を清掃している、その際、ホースが取れた可能性も有ると言うが、素人の見解、聞く耳を持って貰えない・・・結果、私自身でも出来るが、アスファルトをめくる作業、今の私には力が無いので、近所の設備屋に依頼・・・

エア配管を確認して貰うが、問題ない・・・・

念の為に、私が行った、エアコンプレッサーから直接、エアを入れるが、便層に空気が行っているのは音や水面の動きで解るが・・・ブクブクと言う状態に成らない・・・・設備屋も言いにくいが、便層内のパイプの破損が考えられると言っていたが・・・当然、担当部署が違うので、そのまま放置で、管理業者に電話・・・状況を説明、すると、話が又変わった・・・・直ぐに変わる・・・・勝手に管理して貰っている。

私が立ち会って等々ない・・・此が普通だし、資格者の管理業者だから信頼して依頼している。その人の言葉がその都度都度に変わる・・・技術者として私も生きてきたが、修理を必要とするのに、ユーザーに確認する事は有るが、私が依頼したか、してないか・・・この様な問に聞こえる・・・素人の私が、判断して、こうしてくれ等々言うはずは無いが、その様に言葉で誘導している。

それを感じるから、前回、この部分に車が乗ったから、配管が潰れていると言う言葉を、管理業者から聞いたので、その対処は???と尋ねたら、浄化層外なので、担当でないと言われ、私が出来ないので、近所の設備屋に依頼、結果、配管に問題は無い・・・当然、管理業者に伝えることに案るが・・・今度の見解は、エアポン部が一つだから、元は二つ有ったのでと言い出す、この様にしたのも、管理業者、元は二つ有った・・・それを一つにしたのが問題なら、己の問題に成るが、他人事の様に言われる。

最終的には、手前の便層にはエアは入らない、配管を止めると言われ、奥の浄化槽だけにエアを送るようにされた。此も、私の確認される、この様にしますが良いですかと????・・・・答えようがない・・・このな問を最近の技術者がするとは聞いたが・・・素人に判断させて意味が有るのか???

責任回避には繋がるが、何の為の技術者なのか、責務を背負う覚悟が有り責任が有るから技術者として飯が食えているし、その分対価を頂いている。

本来、お客さん、ユーザーが一番の望む方向を感じて、それに対応するのが技術者だと思う。しかし、責任問題等々が、裁判沙汰になって利するので、自己保身と部分が強くないり、素人解ってても尋ねる、当然、ユーザーの気持ちには不利に成るから尋ねていると思う。

ユーザーの思いに応えているなら、聞く必要も無い・・・・

結果、緊急だから応急的に等々という思いがユーザーに会っても、対応してくれない・・・・完璧は修理等、技術屋が言うことで無いと思うが、無いと思っている。完璧は新品でも有りえない・・・問題が表面化するかしないかの差・・・この程度・・・此が現実だが、修理は完璧にとなる・・・本来無理な事を行っている。

誤魔化しだし応急措置と思っている・・・当然、私だけかも知れない・・その為に、ユーザーから治ったか???と尋ねられたら、暫く様子を見ていて下さいとしか言えないし、当然、完璧でないから、それだけの対価しか頂けないと私は思っている。

今回、浄化槽の管理・・・・以前は、私も浄化槽組合等々がお客さんだったし、その会長もお客さんだった、昔は、設備屋が管理業務を行っていたが、最近は資格が有れば、誰しも参入できる業界になっている。

感耐えようでは、頭は有っても、技術が無いと言う業者も増えると言うこと・・・この流れは、笑われ業界にも言える・・・技術的に何も無いのに、売る能力だけ強く、何時も新品と買換えさせる、この様は業者が優良業者とメーカーは言う・・・古くなっても誤魔化し・誤魔化しで長く使って頂く、この様な価値観で、技術を磨いた業者は必要性が無いとメーカーは言う・・・結果、修理と言ってもユニット交換・・出来るだけ工具を使わず、この様な設計になっている。此が意味することは、小さいパーツの値段と、パーツの塊のユニットの値段、当然、ユニットの方が高いと言うより、膨大に違う・・・・管理側も、少なくて済む・・・バラバラに小さなパーツで管理したら膨大な管理が必要に成る。

要は、人の手を介在しない方向が良いと成っている・・その結果、費用が掛かるという、本末転倒な悪循環になっている。

しかし、メーカーは、儲かる、製造責任も市場から商品が無くなれば済む話・・・速く市場から商品が無くなった方が、メーカーには都合が良い・・・優秀な消費者を望んでいると言うこと、本音ではバカな消費者に成ると思うが!!!

呆れた、管理業者と言うより、人間として、申し訳ない、迷惑をおかけしたと、私は、管理業者にも言うが、長の本人は頭を下げると言う事が全くない、言い張る・・今の若い子と同じ・・・こんな人なら、勤め先も無いと思うが、無いから、管理業者をして居られるのかもと思う。

業界自体の信用に繋がると思うが、今は、垣根を無くして、平等、誰しもと言う時代・・・括りがどうであれ・・・縁した運と言う事に成る。

私の取って良縁か・悪縁か???・・・当然、人々の質が問われると言う事に成る。良縁を望むなら、その様な人の輩出に頑張らないと、悪縁だけの人間関係になっていく・・・怖い・怖い・世の中に向かっている。

平等と言う言葉が意味することの怖さ・・・

聞き心地が良いと思っている人は、甘いと私は考えている。本当は怖い、己に取っても社会に取っても怖いことになる。



父が怒る~~~嫁が言う!!!

 準備していた、羊羹を仏壇に供えようとしていたら、嫁が「貴方の一番悪い部分、何故嫌われる様な事をするのか」と言う・・・

父が好きな羊羹を供える、何が悪いのか???と私は成ったが・・・見栄の人・権威の人・・・・ダイソーの100円で買ってきた羊羹を供える等々、怒られても仕方が無いと言うのが、嫁の見解になる。

私の、出来るだけの事をしたいと思うが、無理はしなく無い、分相応と考えているし、今の私に出来る範囲では、100円のダイソーの商品になったと言う事・・・この気持ちより、結果も物がだいじなのか??と嫁に問うと、私は古いらしい、気持ち等より、現玉・・・物が現代、その最先端を走っていたのが、父・・・それに刃向かうような事を私がするから、嫌われると嫁が言うが・・・当然、無視して、仏壇に供えた!!!!

現代、気持ちあっても、物がショボいなら、しない方が良いという流れに成っているか????少し、寂しい感じがする。

よく、世間では気持ちだけで良いと口から言われているが、現実はそれは嘘で、現玉が欲しいと言っているのか????口から出る言葉をそのまま信用できないと言う事にもなる。

父という人間を創り上げた、時代背景もある、戦後までは裕福な商売人の息子として育ち・・・終戦後・・・・家長の立場として、故郷に戻る・・・その際、色んな親族と言っても、商売で大成された処に身を寄せ、数年間、暮らされている・・・

故郷の柳川に帰ってくると、古い家が有るだけ・・・・不在者地主として、農地解放で、田畑も無くなっていた。

幼い、父の環境が雲泥の差で変わったと言う事になる、今まで、腫れ物に触る様に扱われてた父・・・急に地元だがよそ者で言葉も違う人間は入ってくる・・・当然、形見の狭い思いをしたと思う。

その様な時に、父の話だと、戦地から引き揚げてくる元軍人等々が、この地域に住むようになり・・・肩で風を切って歩き、回りが引くような振舞をしていた、青年に憧れ、その人の真似をするようになったと父が話していた、痰を道に吐く・・・人との話をする場合は、相手の片目を睨み付ける・・・・座れば片膝を立てる・・・日本では態度が悪い、はしたないという言動が良いと父は錯覚して、覚えている。

当然、その様な言動をして、諫めたり・指摘したりする人も居ない・・・誰もが怖がり、避ける、此を己の力、実力と勘違いしている。

誰も俺に刃向かわない・・・此が、力の証明だし、己の正しさ正義を証明しているというのが、父の考えになる。

私が、何度も、己の思うとおりに成る・・等々は人の妄想で有る、思うように成らないから生きているし、楽しいと書いている理由に、父が居たからに成る、父は、己の思うとおりになる事が幸せだし正義と思っていた。

その結果、最後は、孤独に死んでいった。私も合って優しい言葉も掛けてやりたいと思っているが、顔を見ると、多々の指摘をしなければと直ぐに成る。それ程、自分勝手な捉え方を父は行う、お世話に成っている施設に人にさえ、敵味方論・・・敵は当然死ねという感情が出ている。

この様な話を聞いていて、聞き流すことが出来ない・・・・結果、指摘し喧嘩になる。それが解ってるから、出来るだけ合わないの父の為と思っていたが・・・最後の死に様を見ることが出来なかったのが、心の悔いでもある。

日本国は、先の大戦で負けた・・・結果、日本古来の価値観の否定につながり・・・それを西欧列強は求めた・・敵味方論・勝ち負け論等々、様は、従順な迷える子羊になる様に!!!・・・

結果、力を振りかざして黙らせる、この様なやり方が通用する世界に、此がグローバル化になる・・・力、当然、権威・立場・等々、人より上だと言う立場になる、しかし、その様な人々は、口では平等と言って、人が這い上がるのを阻止している・・・

己のポジションを守る・・・この行為が、戦後直ぐは、威圧感がものを言ったし、映画等も、任侠映画がヒットしていた理由にもなる。

要は、この様な立場が存在し続ける・・・今は、綺麗で見掛けが良い、当たり障りの無い様に見せ掛け、本心は確りと己のポジションを奪われないようにしている、同じ事に成る。策と方法が変わっただけ・・・・

私は、テレビ等で、見る、綺麗事を並べ、私は平等主義者と言う雰囲気の人を信用していない・・・それより、父の方が信用できる、見方で弱い人に対しては、徹底して尽くすのが父・・・命懸けで事を起す人・・・人助けという部分だと、父の方が凄いと思う、勿論、最初に、見方という前提が付くし、劣っている立場と言う条件も付く・・・正義の味方ウルトラマン的事を簡単にできる人でも有る。

しかし、一旦、敵と感じたら、徹底して潰しに掛かる・・・此が怖い・・・

嫁が、父の優しさを気付いてくれたので、介護・面倒を確り見ていたと思う・・・基本、人が良い、一般に言うバカな人だった・・・

このバカに扱われる事を嫌ったために、力を見せると言う力の捉え方が、間違っていたと言う事になる。

バカに扱われて本望だと思えば済んだこと・・・可哀想である。

馬鹿にされたくない、この一点で人生を歩んだ結果・・・・最後は孤独に死んでいくことになっている。

しかし、孫達は、父の命懸けで守る・・・この部分を知っているし、尊敬している、何度も警察署に殴り込みを掛けている・・・孫が検挙されたと言う事で、直ぐに行動している。

結果、後処理が大変になるが、それも、父の愛情の表し方だと私は思っている。

肩書きが有るからと、家まで乗り込んでいく人、タダの人間として勝負という、ヤクザみたいな部分が有る。

警察も仕事で行っていること個人的に~~~と繋がるのが、父の考えになる。

人は、色んな側面が有る、此を理解できないのが父でも有る、社会人として、家庭人として、夫として・・・等々、色んな側面を持って居る。当然、その側面側面で対応が違ってくる・・・此を認めきれないのが父になるし、逆に人の信用という部分では、一点だけで信用してしまうタイプと言う事に成るし、騙され安いと言う事にもなる。

父が居たから私が多くの事を学べた・・・父の言動が結果として、子の立場の私に大きく影響する、親の七光りの逆バージョンも有ると言う事・・・

全ての事を、己の糧に出来る、この様な生き方が大事だと私は学んだ、好みだけを選ぶ生き方も有るが、父の様になると思う。

人は、人の中で生き、死んで行く・・・この一生を確りと認識しなければと何時の考えてます。

本命日・・・・2月16日

 父が亡くなって、二年・・・法事は数え年で表現するので、三回忌になる・・・我地域では、法事事は、少し早く行った方が良いと言われている、理由は解らないが、色んな意味が有り、監修となっていると思うから、疑問も持たないので、日曜日に家族で行った。

その際、何時も来てくれている、家族と言っても良い、廃品回収業の後悔も参列してきたし、彼が、息子達に色々、教え言ってくれていたと予想するが、普段なら、何もしない、上三人の息子達が香典を包んでいた。

嫁は、息子達に子育てで大変だから、気を遣うことは無いと言っているが・・・・後輩がそれでは??と思ったのか????父親の私とては、当り前の事を、ヤット息子達も出来る事に対して、少し肩の荷が下りた、後輩には感謝している。

二年前の、今日・・・・福岡の地で亡くなった。入院中にコロナに感染・・数日で亡くなった。

駆けつける事も出来ない・・・火葬場で合う事に成るが、袋の中に入れられ、顔を見ることも出来ない・・・可哀想だが、感染症の処置で仕方が無い・・・・

父も、彼の世でどうしているのだろう???と思う。元々が協調性が無い・・・我侭のまま彼の世でも、好き勝手に振舞っているなら、回りの迷惑に成っていると思う。母は同じ墓に入りたくないが口癖だったが・・・その気持ちは良く解るが、私は、血を分けた身、それでも父であるし、確り受けて、守っていかなければ成らないと思っている。

自分の思いが通らなければ、駄々を捏ねる・・・口から吐いたら駄目な言葉さえ簡単に口にする・・当然、悪気があって出ない・・・表現・言葉を知らない・知恵が無いからの言動になる。

父の性格も、環境が創り上げている。ボンボンで育ち、己の思うように成る此が普通と捉えている、しかし、親も老いるし、力も衰える、結果、思うように成らなくなると、親の責任、力不足を攻める意識になるのも解る気がする。それが、父には正義だと思っている。

此を、蛇だと言えば・・・当然、父は切れる・・・血を分けた息子だから私が言わなければ、言動を起さなければと、何時も闘っていた。

結果、一番の敵が私、この様に成ると、不思議に見方を何故か求め出す、家族内にも、それが私の嫁だし、子供達になる。

結果、荒れて暴れたりするが、良い時は、人の良い爺さんに成る・・バカが付くほど人が良い・・・・

この部分が有るから、父の法事にも、息子達が来てくれたと思っている・・・伯父・叔母達は、正直、嫌っていたし、あんな態度をするなら、葬式にも参列しないとまで私には言われていた。

要は、人は、代り方の変貌の差で、許容範囲を超えると、付き合えないと離れていく・・・しかし、家族はどんな状態でも、側に居て、当然と私は思っている。家族と仮に言っているなら、当然と言うことになる。

父が荒れているとき、ブログに差し違えても本望、幸せだと私は書いている。要は、殺されても本望と捉えるようにしていた。

そうしなければ、父を避けようとする命、私が思う、一番人間として汚い命、差別の命が出る事を恐れた。この状態に成れば、殺すという行動を私が起す可能性が出てくる。

最悪、差し違える・・・此が最善策と思える状態まで、父が荒れていた時が有る。

その様な時は、基本、見方と見せかけて近づき、父を利用しようとする人達が、上手に凄い等々、煽てて、使い出す、本人も薄々解っているが、それを指摘されると一気に切れる・・・この様なタイプは、多いし、最近、過保護に育てられている子が多いので、増えている。

今は、親も他の家族も己の事が大事で、関わりを絶とうとするから、社会に野放しになっている。当然、当たり障り無い会話の場合、本性が出ない・・・でも、少し、捻った、対応をすると、一気に切れ出す・・・

勿論、少し捻った対応・・・此が大事に、大きく捻った対応だと、命が逝く有っても足らなくなる。

人の本性を確かめる、此も人と付き合っていく中で大事な部分になる。

よく、こんな人間だとは知らなかったと、言う人が多いが、その前は信用して付き合っていたという?????信用とは見せ掛けで良いのか、身飾り粉飾していることでも良いのか???燃し、此で良いと成れば、この様な嘘だから簡単な事で、見せ掛けだけの人が増え出す。

結果、全ての人を信用しているのかと問いたいが????違うとなる、一人一人の事を確り知らなければと言うが、現実とは大きく違うと私は思う。

信用していたのに、こんな人とは思わなかったで、何十年も付き合っている。勿論、それが悪いとは思わない、要は気付かなかったこの部分が問題だと思うし、気付が対応、対策を考えることが出来るし、己にも責務が有ると成っていく、要は共々に成長が出来ると言う事になるが、単純に共に歩いているだけの状態を信用していると言っている事に成る。

タマタマ、横に座った人と、同じ、信用しているので、その場に居たとなる。その程度の信用なら、裏切られた直ぐに成る。

話が逸れたが、父の本命日・・・父の好きな羊羹を購入しているので、仏壇に供えたいと思っている。

父が居たから、今の私が居る、この厳然たる事実に対して、感謝の思いを何かの形で表すことになる。