2016年5月17日火曜日

エイプ・・・限が無い・・・・

エイプの組み立て開始・・・・

無事に組み立てたが・・・・リア左、ウインカーが付かない・・・・

この電球・・・・少しの衝撃で切れるが・・・今回は、フロント周りを触っている為に、リアが切れる、考えられらい・・・

レンズを外して、電球を交換、無事点等・・・・しかし、今度はレンズが入らない・・・・・よく見たら、本体側が、少し歪んでいる・・・レンズを見たらヒビが・・・・・


この部分にも衝撃が来ている・・・・先月、ウインカーレンズを全て交換している・・・・・・

修理をしていると、色んな事が気に成る・・・・・

電球は、特にバッテリーレスのバイクの場合、ランプが切れ易いし・・・・衝撃に弱い・・・・


四男に聞いても・・・本当の事は、期待できない・・・・

しかし、上の子の時も同じだが、何か、大きな事が起きると、友達からの連絡が一気に無くなる・・・・


友達、命と言っていた、上の子供達も、変化して来た・・・・・

皆で、行く所まで言って、大事をこ行ったら、一気に逃げる・・・・・取り残された物が、何故か全責任を負う・・・・

その処理が済むまでは、近付かない・・・・終った頃に現れ・・・・又、同じ様な事を繰り返す・・・・

何時気付くかになるが・・・・気付かなく、縁した人しだいでは、死ぬ事も出て来る・・・・・

その為にも、世の中全体が、良い方向性の人が多い事が望ましい、利己主義の亡者ばかりの世の中なら・・・・親が、友達を選定して、付き合わせる事になって行く・・・・しかし、何時かは親から離れる・・・免疫が無い子供、その後が怖い・・・・・

上の子供達の頃は、一人や二人、真実を言ってくれて、責任を負うと言っていた子供も中に居たが・・・・最近は、その様な子供を見ない・・・・

その様な、将来を託す、若者に成る・・・・・私も、歳を取れば、人の手が要る立場になるが、手を上げて、掴んでくれる人が居るか等々を考えると、不安が過ぎる・・・・

そんな将来を予想すれば、保身の為に、今、必死にお金を貯める方向になると思う・・・・しかし、私はカスかな、希望が有る・・・・

人は、利己の為だけでない人も、若しかすると居るかも知れない・・・・この考えが、甘いのかも知れないが・・・・

子供のバイクと成ると・・・力が入る・・・

午後から、四男を地元の病院へ・・・・

大事な所を骨折していると、言われ、三ヶ月、腕は固定・・・・それで様子を見てから、リハビリと言われ・・・・

四男・・・ガッカリ・・・

特に、成長期の為に、骨にも成長線と言う物が有って、その部分を骨折しているとの事・・・

腕の長さや、筋肉等々に影響する為に、確りと、固定と言われた・・・・

暫くは、バイクが乗れない・・・・・

之が、私には良いチャンス・・・・

フロント周りを、又壊しているが・・・・ライトステー等のサブフレームが変形・又錆等々有るので、分解・取り外して・・・・・

錆を取り、磨いて・・・・歪みを修正・・・・・塗装を思い立ち、始めてしまった・・・・


何時も思うのだが・・・・・私自身の持ち物には、余り熱意を込めて、作業・等々しないし・・・・面倒や之位との思いが強く出る・・・

しかし、私以外・・・特に子供の持ち物には、強い熱意が湧くし・・・・妥協出来ない、心も出て来る・・・

又、壊す事は、予想出来るが・・・・一日でも現状を維持できれば、良しと考えている・・・・

この位のバイクは、弄る事が、楽しいし・・・・・・費用的にも安い・・・・

又、古いバイクという・・・言訳が自分自身に付く・・・・・新車のバイク等々、触る勇気も無い・・・・

RCも弄る、楽しさが有ったが・・・・・最近は、殆どシャーシを触る事も無いし・・・・触って特性が変っても、気持ち的にだから、何という感覚が強くある・・・・

車の個性が変る位で、其れに合わせた操作をすれば、済む事・・・・特に走る車は、走る方向には簡単だし、直に馴れる・・・・馴れた瞬間から、飽きる方向に進む・・・・

この部分を、長いこと、していた事に成る・・・・・・

しかし、最近は、走らない車・・・走らせる事が非常に難しい・・・・飽きない理由に成っている・・・・しかし、止める方向には無意識でも止める事が出来る・・・・

車が勝手に走っる、其れを必死に止める操作は、面白くない・・・・・必死に走らせるこの方向が、私は楽しいと、思う様に成って来た・・・・・

コソレン場で、孤独に長い間の練習が、この部分を気付かせたと考えている・・・・


今日は、時間をかけて、ユックリと塗装を頑張りたい・・・・

スロットル・・修正

エイプのスロットル・・・・

今回取り付けた、グリップに対して約1cm短い・・・・

結果、軟らかいグリップ・・・ハンドルに干渉する・・・

四男が軽くと・・・要望していたし、以前は、自分でグリップを外にずらし、スロットルケースと可也の隙間を開けていた・・・・



バイク屋に伺い・・・スロットルの廃棄ものを貰ってきて・・・1cm幅に切断・・・・グリップエンドの部分に入れ込み、無事終了・・・・・念のためにゴム系の接着剤で固定・・・・

昔は、誰もバイク等々の修理やメンテ等々教えてくれる人は居なかった・・・・・

情報も少なく・・・・何をするにも、模索・悩みが有ったが・・・・最近は、情報が沢山有る・・・

弄る事に対して、簡単に入りこめると思うが・・・我が子は、何故か、興味が無い・・・

何事も触って、勉強と思う・・・・・私も小さい頃から、目の前に有る物を、さわり・壊していた・・・組み立ても出来ず、分解・・・・結果、親から怒られる・・・之を繰り返す中で、分解して組み立てが出来る様になる・・・・

電気系も同じ、電池一本でこの位のパワーのモーター・・・・・電池を増やせばと挑戦しても、電池を買える経済力も無い・・・・・結果、同じ電気と思い・・・コンセントへ・・・一瞬でパンと光とその後の炎・・・電気にも色々有る事が解るし、私の場合試さないと解らないタイプ・・・

よく、昔のライダーは、アクセルをヒネル、ワイヤーを伝わり、キャブのスロットル、バルブが上下等々・・・・エンジンが回る、回転を上げる、プロセスを頭でイメージして操作していたし、進角の調整も左ブリップでしていたと、言われていた・・・・・

バイクの構造を知る事が、走りに繋がる・・・この基本は現代でも同じと私は考えている・・・・

その中で、バイクの特性を知り、個性を知る・・・・之に合わせて操作することが、バイクを走らせることに繋がっている・・・・・

考え様では、受身的操作に成るが・・・・その特性のギリギリの部分をバイクとの駆引きが、操作の面白みになるし、積極的に追い込む操作に成る・・・・

走るものの基本的考えは、この方向性だと私は考えている・・・

原付といえども、舐めたら怪我をする・・・・・・謙虚に操作を教えてくださいと、バイクにお願いできるかにあなる・・・・


見えない・・・・

四男が帰ってきた・・・・・午後から、紹介を頂いた、病院に行くことに成っている・・・・


しかし、バイクを修理しながら・・・・・怪我は友達の小屋の中で・・・・・・バイクは、止めていたら、自然に倒れた・・・・この様に、言っている・・・・この意味が私には理解できない・・・・

又、友達がこの位の怪我なら、病院に行かなくても良いと、言っている事も、不可解・・・・

又、バイクを、皆で、現状復帰させた、痕跡があるし・・・・見えない所に、草が絡まっている・・・・


四男は最初に、鬼ごっこをしていたと言った・・・・・その後に話が変わって来ている・・・・


バイクの壊れ方を見えれば、フロントが一気に止まって、バイクがジャックナイフ的に、前から地面い当たっている・・・・

バイク屋のオヤジとも話すが・・・・・バイクに乗っての鬼ごっこで、強く肩等を押されて、ハンドルが一気に切れ込み、倒れた形に見えるし、この倒れ方なら、左肩の損傷・・・も、考えられる・・・・

我家の子供達は、兄弟が多い為なのか、危険の限度を知っている・・・・これ、以上は危険と、有る程度は理解していると思う・・・・

しかし、最近の子供は、この部分を知らない子供が多い・・・・加減を知らない事になる・・・・

ON・OFF的な、考えの場合、押すは全て同じ事だと思っている・・・・・鬼ごっこのタッチも考えようでは押すに成るが・・・・この加減が問題を起こす・・・


結局、言葉や文字で物事を考える方向から知識を得ているか・・・・現実で知恵を得ているかの違いに成る・・・・・・

今の時代、丁寧に説明しないと理解できない人も増えている・・・・

昔なら当然という事さえ知らない・・・・・・簡単な言葉を沢山使って、説明する事になる・・・・・しかし、現代は、逆に専門的言葉や格好よい単語等々を、使いたがるし・・・・其れを使う事が、当然と成っている感じもする・・・・・

結局は、付かれない手段・・・と・・・しては良い方法・・・この部分で使っている可能性が多々多いと私は考えている・・・・

我が子を、守る為には・・・・結局、人を信用するなと教える方向しか残っていないのか・・・・

又は、損するが、ボロボロに成るまで、人を信じて・・・何かを学ぶかになる・・・・

結局は、年上や先輩・リーダーという立場の、振る舞いになる・・・・自己中で、利己主義の塊の人なら、下に付く人達は、利用されるだけで終る・・・・




日本晴れ・・・・

今朝は、昨日までの悪天候が嘘のように、澄み切った快晴・・・・・

四男も、中間試験が待ち受けている、学校に登校したし・・・・・

何時もの朝に・・・・・・

嫁の体調が戻れば・・・・・・・・・この部分が気に成るし、

里の父の病状も回復、方向で、近々退院と、電話が有った・・・・・


沢山の人との、係わりの中で生きているし、生かされている・・・・

その為に、色んな事が起きるし、耳に入れば、心配もする・・・・・この当然の事さえ、嫌に感じれば、小さく、人との縁を切る方向に成る・・・・

しかし、一旦切った縁を、取り戻す事は可也、難しいし、努力がいる・・・・

人との係わりが多いほど・・・・生きている実感が有るし、又、些細な事さえ、感謝に繋がる・・・

でもよく考えると・・・・人との係わりは、何故か、悪いときに手を貸す等々の部分が多い、よい時は連絡も無い・・・・悪い時に人との係わりが出てくることに成る・・・

この事で、普段は、大変な事が多々あるな~~~と思いながらでも、自分の出来る範囲の協力をする事だと私は考えている・・・・


之が逆に、大変な事が多々あるな~~~と逃げる方向に成れば、自分の方から縁を切ってる事に成る・・・・

昔から縁は大事にと言われている・・・・この部分も真剣に考える事だと私は思っています。