2017年9月4日月曜日

子供・・・矢張り・・・

子育て・・・難しい・・・・嫁が優しい分・・私が必然的に厳しく、接する形に成る・・・

結果、私には誰も寄り付かない・・・・・・嫁に頼めば、全てを叶えさせると子供達は思っている。

私の目からだと、子供が頼んでいる様には見えない・・・・勝手に嫁がしてやっている感じに取れる。

今朝も、土曜日と日曜日に、厳しく、下の二人の子供に、自分の足で、学校へ行く様に、諭す・・・一番の問題は嫁の為に、嫁にわ昔から、この部分を言い続けたが、結局無理・・・・

今朝、嫁が、下の子供達に、今日からは自分の足で、学校に行くようにと、早めに起して、言い聞かせていたが・・・・急に小雨が振り出し、結局、嫁が送って行った。

私は唖然と・・・したが・・・これを指摘すると、又嫁が切れる・・・・

之を愛情だと彼女は思っている。

私の長年付き合ってくれている、友達等々も、私の嫁に、この様な点を話してくれているが、聞く耳を持たないし・・・最後には、男と女・・・・男が言える部分も限界が有ると成る。

この様な振舞いを、他人様の子供にまでする・・・・その為に、子供達から慕われるのは当然・・・

又、他人にも同じスタンスで行う・・・他人からも慕われる・・・・

之を私は利用されていると考えるが・・・・嫌われる私には解らないと、嫁は言う・・・・

この様な部分は、余裕が有れば、出来るが・・・この余裕を作る私の立場にも限界が有る。

結局、嫁が思う様な、夫として、振舞うにも限界が有る。

又、それを可能にする環境ではなく成って来ているし、世間の冷え込みは酷い・・・・

嫁が考える、基準・普通が高過ぎると私は考えるが・・・こう考えるのも私の力・レベルの低さからかも知れない。

しかし、之も、私の人生・・・・縁する人を選ぶわけには行かない・・・何かの縁が結びつかせている。

自分に都合の良い、人が、私の回りに居て欲しい、之は自分の我欲に成る・・・

都合が悪い人が、居ても不思議で無いし、求めていない人が直ぐ側に居る、之も当然と私は考えている。

有る人が私に、夫婦は、一番、向かない同士が、縁する場合が多いといわれていた。

この世を修行と考えれば、夫婦生活も修行と言う事になる。

向かないから、存在感が有り・・・飽きないのかも知れない・・・・

評価は、個人で無い・・・・一家を基準に考えれば、家族全体での評価になる。 一族で考えれば、一族全体での評価になる。

しかし、最近は個人の評価を気にし過ぎる傾向が有る・・・・之を基本にすれば、個人の評価は高いのに、何故、思うように成らない、不幸に向うと思った場合、一緒に居る、単位、家族の人が悪いと考えだす。

人の繋がり、一番硬い、家族さえも崩壊に向わせる。

集団・・・長けている人が居れば、劣る人も居る・・・このバランスを保たれていれば、集団の維持も出来る。

バランスは????・・・・・社会の風潮・環境の厳しさに、影響される。

暮らし易い、環境なら、バランスも劣る人を多く容認できる。

環境が厳しく成っていると言う事は、このバランスも厳しく、劣る人を排除する方向に向う。

家族に少しでも長けている人の足を引張る人が、居る、之を不幸と考える風潮まで作り出す。

結局は、一般と誰しもが考える基準を、誰かが作り、それに当てはまらない、人は要らないと言う風潮に成っている。若し、その様な人を受け持てば不幸と感じる世界に成る。

本来、人は、劣る人の杖になり、背中に背負う・・この様な人が優れている言われていた・・・しかし、現在は、少し、違う方向に向っている。

この様な世界だから、世知辛い世に成って行っている、感じている可能性が有る。

私は、この様な事を、幸せと思えるように成りたいと、考えているが、一般の風潮で、頭が混乱する事が多々ある。

結局は、劣る人は、この世から抹殺する、この流れが益々、加速する可能性が有る。

抹殺されるなら、如何してでも生きたいと、国の保護政策の利用も仕方が無いと私は考えている。

昔は、劣っている人も、地域の企業が、下働き等々の雇用をしていた。草刈、等々の仕事も出来る。
しかし、最近は、最低賃金、等々も確り有り、誰も雇用しない・・・・

有る程度の能力が必要と言う事に成る・・・この能力が無い・・・勿論、障害年金等々を頂けるレベルなら、良いが・・・・それを頂けないレベルが有る。その人達を、誰が守り、面倒を観るのか、昔は家族・地域だったが・・・・今は地域が崩壊し、家族まで崩壊に向っている。

困ったチャンが、世に放たれる事に成る。

劣っている人は、考えないし、悩みも少ない・・・長けている人がその様な人の保護も考えるから、悩みも増える、この事は、幸せと考えられる。

最終的に、自分以外の他人の事で悩まれる、之は凄い事だし、幸せと言う事になる。




変化・・・・

変化が求められている。

時代の方向は良いか、悪いかは解らないが・・・変化しているのは現実・・・

この変化に対応する・・・・勿論、変化が必要に成る。

変化する為には、努力が必要に成るが・・・・この努力が出来るかが、私の問題に成る。

若い時と比べると、変化に対する、対応度は鈍く成っているが・・頑張るしか無い・・・・

何度もブログに書いているが、分相応の生き方をしていれば・・・その人のレベルで、高度が違う・・・

分が低いなら、高度も低い・・・解り易く書けば、机の上の高さが、自分の分なら、机から落ちても、怖さが少ない・・・・勿論、分が高く、スパーマン的な人なら、40階から落ちても、怖く無いと思うと思う。

人により、この高さが違う・・・・

悲惨と言う言葉が有るが・・・・下が見えないのに、飛び降りる・・之を怖いと思い流れでも、追い込まれている状況を悲惨と言うと、私は考えている。

下が見えない怖さと、高さの怖さ・・・之が合わさり、恐怖心が出て来る。

自分の分を知っていれば、本来・高さも解るし・・・その高さも怖くない安全な高さの筈・・・・

落ちても、直ぐに這い上がる事が出来る高さと成る・・・・

本来、人の数だけ、分の種類が有る・・・この分の部分まで、基準化している流れが、今の世の中に成る。

仮に、親の謝金を抱えて、子育て・・・・子供には普通の事をしてやりたいと思えば、何処かに無理が掛かる・・しかし、その努力を、子供はどう思うが???・・・・周りの子供達より、環境が悪いと考えれば、褒められた行動にならない場合が有る。

現代の風潮は、この基準値を、一極に向ける方向性が有る。

この基準が、自分の分を大きく超えているなら・・・・如何するか・・・近付こうと努力する之なら解るが、若し見栄を張れば・・・・悲惨な方向に進む事に成る。

人を管理する側は、人を基準化して、その基準に当てはめる、之を望む・・・之が権力側の価値観に成る。この基準に入らなければ、簡単に除外・・・・・・・と、考えるのは必然に成る。

人は生まれた瞬間から、分が有るし、宿命が有る・・・・
工場から出荷された、商品では無い・・・・

この部分が解らないと・・・私の嫁の様に、分を超える事をする・・・・之を嫁は愛情といっている・・・・

愛情も、努力ですることならギリギリ解るが・・・見栄でする部分では無い・・・・愛情も分相応と私は考えている。

この様な部分が女性と大きく違う価値観かも知れない・・・・

私の場合、母親から買ってもらった物の記憶は殆ど無い・・・・逆に、お年玉を取られたり、バイトした貯金を勝手に使われたりと、現象としては不の部分が多い・・・・しかし、それ以上に母の愛情を感じていたし、それが有るから、母の言葉も確り覚えている・・・逝った母には感謝しか無いと考えている。

母の言葉は、親として正直だったと思う・・・親に成って、初めて解る部分・・・

子供を生み・育てる・・・之も親の目的・理由が有る・・・・勿論、各親で違うと思うが、その思いを子供に確り伝える、之も親の責任だと私は考えている。

母は、親は老いる、その為の子供と、はっきり言っていた。
もっと厳しく・・・子育ての掛かった費用の、何倍返しが子供に出来るか???・・・・之が子供の器だと言っていた。

自分の子供だから器も、予想が付くから、費用を掛けないとまで、笑って言っていた。之が母親の愛情と・・・

この様な考えなら、子供の器でも掛ける費用が違うという事に成る・・・・掛けた子供はその部分、多く、返す・・・この法則に成る。

貰う分、得する部分は、貰いたいと平等や一般的やと、言うが・・・・その分を返す事は考えていない。

之を返す、事が子供に求められていると私は考えていた。

しかし、私の子供達はこの部分を知らないし、考えようともし無い・・・
結局、親が教えていない事に成る・・・

誰しも親が居るから、今が有る・・・・・どんな親でも感謝出来る様に、今の自分が幸せでなければいけない・・・・

人は生まれながらに宿命が有る・・・・親を看取る使命が有る。看取ると言う事は、後の処理をすると言うことも含まれている。

親の全てを知っていれば、良いが・・・知らない事が多々有るのが現実・・・・

私も、母の死後・・・母が組んでいたローン・・・相続人に支払い義務が有ると、解り、支払った。
人助けと、母が組んでいたローン・・・しかし、名義人が母なら、私に責任が有る。


結局・・・最近は、確り宿命と言うツルで・・・・池の底に、根を張っている、ポジションを、不幸と考えて・・・・ツルを切る、之が正しいと言う考えに成っている。

ツルを切る人達は増え続け・・・・池の底を浄化する・・使命を忘れれば、奇麗と思われる世界に浮き草で流れ着く・・・・・・留まっている人が、大変な作業をする事に成る。