2023年2月28日火曜日

個人・・個が~~~

 現代・・・個が全てと成ってきた。

地域社会も崩壊方向・・・当然、家と言う構造・組織も崩壊方向・・・商売も同じで、崩壊方向・・・上場企業でも今後は、崩壊方向に向かうと思うし、大きな組織・集団の国・日本国さえ崩壊する可能性が出て来た。

又、この方向性が、自由で開かれた世界と信じている人達も多い・・・

この多い人たちにも当然、責任と義務が有ると思うが、それを考えているのか????・・・権利ばかりを思っているのか???

要は、色んな人居ると思うし、この色んな人達が必要と言う事に成るが、何故か、一極の方向に人を誘導・先導している感じが私はしている。

仮に、家と言う考えが有れば、我家から~~~と言う思いが出る。

当然、人様の役に立つ人が我家から出れば、誉だし・・・逆に、人に迷惑を与える人を我家から出せば、大きな恥と成る。

結果、家と言う単位で、モラルが有るし、その家の名を解れば、どの様な考え方の家なのか等々が解る・・簡単に言えば信用に成る。

昔は何処誰の子と言う事で、信用もされていた。勿論、この逆もある・・・これが、子供に責任はない、差別だと言う事で、解らない・知らないと言う方向性に成ってきた。

結果、苗字や地域を聞いても、続柄・色合いが解らない状態に案っている。結果、肩書等々で人を判断する方向に成る。

昔は、親を見て、嫁を選べとも言われていた。理由は血は怖いと言う事・・・・知って、選んだ、この形なら、良いが・・・何も知らず、選んだ・・結果、騙されたと成る。

私は、息子達にこの様な事を言うので、差別主義者等言われる。

私は、個性の種類を言っているだけで、差別をしているとは思わない・・・仮に、辛い物と解って、食べて辛かった・・・当然の事

しかし、何も知らず、口に居れたら、辛みで激痛がした・・問題と感じる。

知る事は、差別でない・・・知った上で、己の好みに合うかの部分に成る・・・要は、己で感じ取ることに最初からなる。

この感じる、知識を得る作業が出来難い方向に成っているので、カタログスペック、後から己の努力で手に入れられる部分が強調され、それを信用する方向に成る。

仮に、肩書・資格を得る、何の為が有る。人様の役に立ちたい、己は下僕として資格も無ければと言う思いの人も居るし、又は、一円でも多くの対価が欲しい、その為には肩書・資格が必要と言う事で求めている人も居る。

同じ、資格・肩書でも、その人自体の価値観・考え方で大きく意味合いが変わる。勿論、教育になる為に、地域や家族が大事だし、それが解れば、方向性が見えだすと言う事にもなる。

この見えた部分で、己がどう捉え、思うかは各自の勝手だし、自由と私は考えている。

今の方策・・等々は、全て逆方向に進むと私は思っている。

何故か???唯物的部分だけで、プラス・マイナスで事を勧めようとしている。

民度が低い、国民なら、しかたがない・・・・褒美に応じた振舞しかしないからに成るし、逆に罰に応じた振舞に成って行く・・・

民度が高く・・幸せ幸福とは、物理的な部分でないと思える、環境・・要は、先進国と言われる国民は、心こそ大事だと言う事を解りだしている。

しかし、この心を豊か、幸せにする、姿が見せ難いし、逆に不幸に見えたり悲惨に見えたりする。思いは解るが、社会の状況、結果が、裕福さを物として見せるしか、興味を持たない人が未だに居るし、当然、その様な人は貪欲、結果、何度も何度も視聴する・・・結果、視聴率を気にするマスメディアはこの方向の路線に走る事に成る。

ある社長が私に言ったことが有る・・・威勢が良く、儲かっている様に見せる事が、人を集める・・・人が集まれば、当然、それに合わせて収益も増える・・・商売を発展させるのは、簡単だし、見せかけの嘘でも出来る。しかし、維持する事が難しく、それ以上に難しいのが、何事も無かったように店じまいさせること之が一番難しい・・・

これを聞いて、私は、終焉に近づく方向の方が興味を持つようになった。

全て、始まりが有れば、終わりが有る。

映画等も、ラスト・・終焉の部分が、一番の盛り上がりに成るし見せ場に成る。

しかし、現実の人間は、終焉部分を見せようとしない・・・優秀でも一流でも・三流の人間でも、終焉は必ず来る・・・

何故、見せないのか????・・・人の生き死を確りと診せ続けるのも教育だと思う。これを認識すれば、私の命は????・・・と考えだす。

己の命も意識しない、考えないなら、当然、他人の命・心も気に留めないと言う人間に成って行く。

当然、この様な人が増えれば、家の崩壊・地域社会の崩壊・・・最終的には国の崩壊・・・世界の崩壊に進むことに成る。

己さえ良ければ????・・・正しいが、何が良いのか???この部分が、人で違う・・これを前提にしなければ、己の思っている良い事が人様でも同じと勝手に思いこむ、これを私は差別だと思っている。

正しいと思い込んでいるだけの事で、それを人様に押し付ける、独裁者の所業に成るし・・・強制と言う方向に成る。

色んな、考えが有ってよいし、全て正しいと私は思う、後は、己の好みに成る。己の趣向も発展させ、成長させるために、学ばなければ~~~


月末・・・・

 月末が来た・・・今は、本業も鳴かず飛ばずの状態なので、暇だ!!

今は、家と言う単位も崩壊しているし・・・家族と言う形でギリギリ残っている状態・・・その為に、家を守ると言う観念も無くなってきている。

結果、墓守が居ない、結果、墓終い等々が最近話題に成っている。

之と同じで、人は寿命が有る・・その寿命もハッキリと解らない、今日・今・死ぬかもしれない危険性が人間と言う生物には有る。

要は、「生老病死」から脱することが出来ない生物なので、未来に対しての約束・信用と言うものは、基本的に無いと言う事に成る。

約束・未来に対しての夢も、死と言う現実で終ってしまう。それに対して文句も言えないのが本来である。

若い時、信用して貰いたいと思うなら、最低限の動物・人間としての責任を果たせと、ある社長から言われたことが有る。

今は、私と約束しても、私が死ねば、それを果す事は出来ない・・これが・個としての人間の限界だと言われた。

個人主義に進めば、死の問題を無いものにして行くし、隠す・気付かせない方向に向かう・・・あたかも私は「生老病死」は関係ないと言うスタンスに成る。本来、この様に人間は信用されない・・・しかし、俺は不死身で膨大な力・権力が有る、当然、未来永劫までと言う雰囲気の人に、人は集まって行くし、その人を信じてしまうと言うより、現実には騙されていると言う事に成る。

私も人間として、今日死ぬかしれない、未来永劫に対して約束を遂行は出来ない・・・その為に、後継者を育成するし、グループと言う集団を創る。これが家と言う存在に成る。

家が有るから、人間の私も信頼されると言う事・・・

この感覚で、私は、商売も考えていた。

50年続く企業・商売は稀だと言われる。要は、人間の平均寿命より、短いのが、企業・商売に寿命に成る。

勿論、己の寿命より、長く企業・商売を続けたいと考えれば、後継者の育成が大事に成る。

しかし、家も守れない時代に成った。理由は面倒な事が多々あるからに成るが・・・企業・商売の面倒臭さな、家とは雲泥の差に成るので・・当然、後継者が育たないが、現代だと私は考えていた。

結果、店じまいの時が来る・・・その時、大事・慌てないでよいくらいにと言う思いで、終売を続けていた。

私は、青年期は、期待と可能性が有る。壮年期は若い時に培った信用が有るが、それは50代まで・・・その後は、人様の情で生かされていると考えていた。

今は、還暦を超え人様の情で生かされていると現実に肌で感じている。

勿論、恩義・情と言うものは、各自の捉え方・考え方になる為に、全ての人とは当てはまらないし、客観的に考えれば、高齢者に成り、難病の病持ち・・・他に持病が有り・・・身体にも障害が有る・・このスペックで、人様がどう評価するか????・・・現代の価値観なら、捨てられ・廃棄される立場と言う事に成る。

この立場・ポストの人間が、商売を続け・躍進したい等々、思えるか????・・・私は、原理・道理通りに成るしか無いし、それが普通だと考えている。

しかし、何度が書いているが、捨て・廃棄われる立場の私でも、使って頂く人様が居ると言う事、本当に感謝に成る。

人様の役に立たない生き方等、私は、死んだ方がマシだと若い時、ノイローゼと言われ悩んでいた時に、思っていたし、何度も自殺を試みている。理由は、周りの大人は、自分の為・・・等々・・言う・・・全て、己の為だから、頑張れ・・・死ぬ身の己の為に、意味が有るのか???と問い続けていた。結果、己の為に生きる事は私の場合出来ない・・他の為にと言う部分が最低でも必要と言う事が解った。

波乱万丈だが、幸せで幸福な人勢を謳歌出来ていると勝手に思っている。

何事も、終わりが有る・・・当然、一場の終わり・・全てでない・・・人の終わりも、今世の終わり・・その後・続きが有ると言う事・・・