2023年5月9日火曜日

おめでとう!!!・・・・・感謝・・・・

 歳なのか・・・最近、些細な事でも感動や喜びが感じられる。

五男の、仮免の学科の試験、合格との事・・・・・おめでとう!!!

何故か、息子五人持っているが、仮免の合格だけで、今回の様にホ~~~トと喜びを感じた事は無い・・・・若い時は当然の事と思っていたし、合格しないことが不思議と思っていたくらい・・・・それが、今回は、息子の中でも勉学には長けている、五男が合格、当然と言えば当然と成るが・・・・何故か、感じ方が違う。

考えようでは、孫より、遅く免許を取っている。此も、現代では中々無いと思う・・・・姪が先に免許を取り、車を乗り回している。叔父は、ヤット・・・仮免合格となった。

当面の私の目標は、五男が、車を運転できて、己で会社等へ出社出来る状態にするまで、確りと見届けなければと思っている。又、願っている。

人様の為に動ける、移動手段を持つ、大事だと思うし、それが出来る事が一人前と私は考えている。

勿論、母が言っていた、一人前の男の基準に比べると、甘すぎると思うが、現代だから、最低でもという部分までは、見届けたい・・・

正直、何時まで生きれるか?????・・・・朝目覚めると、生きていた感謝と今は、成っている。

太陽系と言う広さを見ても、命を宿している・・・生き物が、居る環境・状態が、希だし、奇跡的な事・・・・大部分が真空と言われる、何も無い空間・・・・此を奇跡と私は思うし、何故、私が???・・・この世に生を受けたのか????・・・・偶然とは多々有る現象の一つ、殆ど何もない状態から、一気に発生した状態は偶然より必然としか思えない。

この様に考えると、私も生まれた意味が有るし、必然性が有ると言う事になる。何の為に、悪魔として人から搾取するのか・・・又は、その逆の振舞が出来るのか???・・・此を試されている場だと私は捉えている。

当然、己が好む道に進む、死後も同じであると思う。己が好む、生き方を続けられる、方向、悪魔的に人からの搾取が快感なら、その方向性に益々進むことになる。

当然、その様な世界は、搾取したいと思っていても、搾取される側が存在するから成り立つ・・・・要は、無限に続くという事、変化がない、そんな生命、生まれる意義が有るのか????・・・

私は、仕事で、糧を得ている。当然、儲けがあるから、糧に成っている。だから、感謝しているし、糧を頂いた人を大事にしたいと、無理等も聞いてきた。感覚的に、ギリギリ、綱渡り的な、生活になる。それが、お金を頂いた礼儀だと私は、考えている。

財を成した、先祖を見ていると、財は人であると私は考えている。

昔は、お金・力で、行政も、警察も動かせた。此が、結果として、傲慢なことも行なってきたと思うし、その罰を、我が一族は長男に病等で出て、一人前に成れない・・・・昔から、三代続かないと言われるように、物に執着しすぎると、結果的に三代続く前に破綻するという事・・・

人を何人育てたか????・・・此が、この世を生きる、意味でも有る。

嫁が夜勤疲れで、寝入っている。暫くは、静かに????・・・我家の小さな、大黒柱である。



主婦業・・・大変だ!!

 嫁は昨晩から夜勤という事で、施設に・・・・・

昨日の夕方から、今日の午前中までは・・・私が、家長と主婦業と両方を行う事に成る。

しかし、今の体と、大変・・・全てに時間を要する・・・・その為に、早めから取りかかっては居るが・・・・・他の家族は、何時もの様にギリギリまで、居直り続ける。

結果、私だけがハラハラ・ドキドキ・・・気が休まることは無い・・・・

食事の準備等は、三倍ほどの時間を予定していれば、出来るが・・・問題は配膳が出来ない・・・片腕は杖・・歩くのも大変なので、特にシュル物等は、無理となる。

勿論、子供達が手伝うことは無い、理由は、育て方、王子様の様に育てているので、全てが、誰かが行なってくれると思っている。

勿論、して貰えなければ、仕方が無い外食でも~~~~と言う考え・・・・当然、己だけでになる。

此も、親として、三流の為に、この様な甘い育て方を行なってしまった。特に、末子の二人には、その傾向が強い、上三人の子育て時期は、親の借金の返済で、甘えかせる状況で無かった。

今日は、五男は休みを頂き、自動車免許の仮免の学科の試験・・・一度は落ちている。その時間に間に合わせるために、何度のモーニングコールを行なっているが、当然、起きない・・・

この体に鞭打ち・・・中二階まで、階段を上がることになった。大変だか、此もリハビリ・・・落ちたら怖いが、仕方が無い・・・・起さねば~~~~~~・・・・・

起きるが、その都度、あと10分と言って、起きようとしない・・・結果、数回この作業をする事に成る。私には、危険だが、リハビリとしては良いと思えるので、感謝だと捉えている。

要は、絶対に落ちない、転ばない、これさえ厳守できれば、リハビリになる。

簡単と思える、ゴミを拾い、ゴミ箱に・・・・この作業も、確り考え、己の体の動きを想像し、行なわなければ成らない状態なので、直ぐに終らない・・・・・腰を下げる事さえも、大事になる。

何度も書いているが、己の傲慢さ・・・つくづく呆れていたが・・・今の体の状態に成って、それ以上に傲慢だった事に気付いた。

己で当たり前と思っていること、それも出来なくなる時がある。当然、当たり前だから、感謝の思いは無い・・・・出来なくなって初めて、出来る事の素晴らしさに気付く・・・益々、感謝の範囲が広がっている。

要は、昔から、その人の生き方で、最後は、感謝で死ななければ、それ以外は悲惨というしかなくなる。

傲慢に生きた分、気付かせるために、多くの事を経験することになる。その時の捉え方次第で、幸福なのか悲惨なのかの二局に向かっていくと私は考えている。

今日は、五男の仮免の学科の合格を期待している。

彼の態度からだと、その方向性から遠いように思うが、親としては祈るしか無い。