今朝、寝床で、グズグズしていたら、嫁が来て、今日は、お盆よ・・・・・この言葉で、ハッとした・・・
馬鹿、日にちも解らなくなっていた。
叔父の初盆に、間に合う用意、バタバタ準備をして、参加が出来た。
何時もの様に、他の叔父たちに、送迎を処理して、今、帰って来たが・・・・
考えると、私の友も初盆に成る・・・・・手を合わせる之を明日、考えている。
昔は、動きも身軽で、何軒も回る事が、出来たが、最近は、少し、苦痛に成って来ている。
本来は、名代が変わりをしても、不思議で無い年代に私も成っているが、変わって来る、子供は儲けたが、その気が無ければ、意味が無い。
私も、父の名代としての立場で、動いている部分が、多々ある。
又、今日は、母の里の叔父も参加していたが、妻の本家の初盆と重なり、其処へは息子が名代として参加している。
之が、一家、家と言う事に成るが、家の体を成していない事に成る。
各自が自由や、自分の都合だけを最優先に考えて動いている。
しかし、今日は、三男が、手を合わせに、夫婦で来てくれた事は感謝している。
結局は、家の文化や歴史の継承をしない、跡取り等、無いと思う、特に人間なら尚更に成る。
私の、生きた証、又歴史が、文化に足される・・・・先人達の歴史に、書き加えている・・・ノートを、見る物も居ない、継承もしない、其れなら、自分勝手な生き方をする、これも当然と成る。
又、継承する。之も無ければ、生きてる間に、一杯、世間で言われる楽しい経験をした方が良いと成る。当然、可能にするためにはお金が必要に成る。
お金を得るためには、何でも有り、結果が得れば良いと成れば、無法地帯、無秩序でも良いと成って行く。
私も隠居の身分に成って、好きな事に時間を使える立場に成りたいと考えているが、当分は無理な様だ・・・・