2017年8月7日月曜日

帰ってきた・・

義父が落ち着いたと・・・嫁が帰ってきた・・

子供の世話と・・・大人、それも高齢者の世話とは、大変さが違う・・・

相手に対する、尊重どが大きく変わるし・・・簡単に書けば、敬語が必要に成る。


子供の場合、面倒を看てやっているという、上目線でも、出来るが・・・高齢者の場合、看させて頂いていると言う、下目目線が必要に成る。

人間は良く出来ている・・・子育てで経験し・・それを発展させて、親の介護へと流れて行く・・・

人は、経験が無ければ、解らない部分が多々ある・・・

子育ても、最後は、自分が全責任を負うと言う覚悟が必要に成ってくる・・・

しかし、子供の起す事は、有る程度、想像できるし、その責任の所在も自分だと自覚が付き易い・・・

しかし、親の介護に成れば・・この勇気が何故か湧かない・・・

社会の風潮として、昔は子供がしたことと、水に流される環境が有ったが、最近はそれも減ってきている・・

又、年寄りがしたこと言う部分は、殆ど無い・・・・・

問題に対しての責任が、直接、その大きさで追う方向に成っている。

しかし、実際にその責任を背負うと・・・全ての行動に対して、不安が出て来る・・その為に、動かせたくないという方向に向うし・・・簡単に書けば、ペットの犬の伏せを常時指示する立場に成る・・・

この立場の考え方の人の、言う事を、聞く、親は基本居ない・・・

その為に、外の家族が必要に成ってくる・・落ち着かせる方向へ向ける、人が必要と言う事に成る。

私も父の車の免許の返納に対して・・・父と冷静に話しても、聞く耳を持たない・・・若し、事故を起したらと言う仮定の話をしても、俺を信じていないのか・・・我が子がなさけないと言葉が帰ってくる。
話が前に数済まない・・・

之を繰り返せば、私も感情的に成る・・・その為に、行政や警察にも相談窓口が有るが、何の力にならないし、法定相続人の、責任・義務を逆に思い知らされるだけに成るし、益々、怖さが増す。

結局、家族が、正確に書けば、法廷相続人に当たる、人が、その責任に対して、答える事に成る。

この部分が怖い・・・縁も無い、親族が、若し、何かを起して、損害賠償が発生した場合・・・その責任は、親族に成る場合が有ると言う事・・・

昔は、其処までと思っていたことも・・世知辛い世の中・・損害賠償請求を、法的にする方向に成って来ている。

数年前、痴呆症の親が、電車事故で亡くなる・・・しかし、その後、家族に電車会社が損害賠償請求をした。 タマタマ、親の家の近所にすんでいたので、子供が限定できる状態で、この様になる。
介護の、義務も果たしていても、少しは免除されるが、請求が出る。

この様な怖い事が、ニュース等でも流れる・・・

若し、相続放棄を亡くなって直ぐにしていても、その他の親族にその部分が移るだけ・・・

結局、何度も書いているが、人を孤立化方向に向ける、国の進めに成っている。

底辺部分に、之が有るので、結婚もしない、子供も育てない、この流れを加速させる。

勿論、責任を増し、背負う事が、良いと言う価値感なら良いが、逆に責任からの逃亡、背負うものを降ろしたいという価値観なら、益々、加速に拍車をかける。

我が子も、三男・四男がこの方向性が強い・・・得と思っている時は、留まり、損と感じたら速攻で逃げる・・・・男気が無い、情けないと思う・・・

頭が無い分、お金や物で、人に見栄を張りたいと考えている・・・私の目からだと恵まれ過ぎていると思えるが、本人達は不幸と感じている・・・

何を基準にするか・・・分が無いなら、人としての基本部分を先ずは、確り学ぶ事が大事だと私は考えている。
情報は、羨ましい事で氾濫している・・・之を基本と考えれば、分を超えすぎている・・・

この違いを、私が教えているが、学んでいないし、私の言葉に耳を傾けない・・・・

しかし、良い情報が、里の義兄の、嫁さんが、退院できたとの事・・・・病院に勤務しているが、何かの細菌に感染したようだとのこと・・・

平常が一番良いが、中々、このレベルに達するにも努力が必要に成る。

責任を背負う・・・大変だが、負ける事は出来ない・・・

里から電話・・・・長男の子供の七夕、今日だがと言う事・・・忘れている。

形だけでも、出来れば幸いだ・・・









娘として・・嫁も大変だ・・・

里から電話・・・・

義父が畑に行くと・・我侭を言っているとの事で・・・家族がやめるように諭すが、聞き入れてくれないとの事・・・

怪我も完治はしていないし・・・畑の横には堀が有るので、間違って落ちれば、大変な事に成る・・・

家族の心配も解るが・・・・義父の気持ちも解る・・・家長の立場から、一気に何もする事が出来ない立場・・・・退屈で有ると思う・・・

家族の為に少しでも役に立ちたい・・この気持ちも解るが・・・

娘の立場の・・・嫁の話は、耳に素直に入るようなので、来る様に、義母からの依頼・・・

男は、立てながら、指示する・・・持ち上げる之が最初に必要・・・特に高齢者の場合、生きて来たプライドが強い・・・簡単に書けば、この日本国を作ったという、自負が有る。

嫁は義父の好きな、羊羹かゼリーを買って、行くといっている。

暫くは、義父もおとなしくして頂きたい・・・・退屈なら、我家で看る、之も有ると思う・・・

姑親の母や母の友達等々の世話を、通して・・色々、学んで居る様だ・・・

高齢な人は、それだけ人生経験が長い・・・学ぶ所も多々有る・・・

私も、昔なら、オバサン達の考えは古いと、思っていた時も有るが・・・私の年齢が増すに従い、何故かその古いと言っていた、考えも、解る気がする方向に向う・・・

よく、昔から言われる、順送り・・・その立場に成れば、解るという意味も有る・・・
その送る作業が、スムーズにバランス良く、行っている時は良いが・・・バトンを後世に渡せない、之に成れば、格差が考えが解らない、意味が解らないと成る・・・

勿論、バトンを受け取る側が、その分の知識・経験が有れば良い事だが・・・

矢張り、女は凄い・・・女と言うより、嫁・・イヤイヤ・・・婦人は強い・・・・

嫁は何度か書いているが・・・家を守る女・・・・・婦人は墓・先祖守する女・・・先人を守り続けるという意味が有る・・・
若い、オネーチャンを見て、婦人とは思えない・・・祖先を守る雰囲気、歴史を感じる女性に何故か婦人と言う単語が合う・・・

帰るという字にも・・・先祖・祖先が居る場所に戻ると言う意味がある・・・

この様な、言葉の不思議も・・年上の人との関わりで学べる事に成る・・・

結局、何時か行く場所、年齢になる・・・今その場所に居る人から学んでいれば、役に立つ事も多々有る・・・・

この学んだ事から、何をどう選ぶかが、その人の価値観に成る・・・・

この学ぶ部分を固定化して、之が正しいと言う流れが洗脳といわれる方向に成る。

何事にも限定して正しいと言う事は無い・・・仮に食べ物も美味しいものが正しいと成っても、人により、好みが違う・・・・この事は、正しいというものは固定できないし、多々有ると言うことになる。

各自、個性が有る・・・・しかし、先人の守は誰しも必要な部分、少しはこの部分を身に付けておく、私は大事だと考えています。