今日も透析室で、向かいの患者さんが叫び続けて居られる。前、馴れてない私は看護士を呼び、寒いと言ってあるので対処をお願い、看護士近付くと剣幕で怒鳴られる、遅い、差別等乙言われて、看護士は淡々と寒いならと毛布を一枚足す、数分が暑い叫び出されるのと見て、私と同じ種類の人間と解った。今日も誰も対応しない、血圧・心拍数等はモニターで監視している。問題が有れば対処はしてくれる。最近は「助けて!!くれ~~」連打、煩いから可哀想に変わり今は哀れだな~~~と思うように成った。何から助かりたいのか?????言われないし発言が二転三転する。要は何度も書いているが、今居る境遇が好みで無い、地獄の世界に己の意志で向ったとも思わない、全て他の力の影響で落とされた。だから助けてくれると言ってあるが、その世界と同じ部分に居る人間、どう引っ張り上げることが出来るのか???協力は出来ても引っ張り上げる等の力は無い・・・・私は天国の様な環境だと捉えている。普通以上の取扱をされていると感じるので、自然に感謝の意を示す。しかし、地獄のような環境と捉えている人は。普通以下と思い、不平・不満しか無い・・・可哀想な生き方で有る。己が住む世界を寂光土と変えると言うのも文法で有る。唯物的に裕福に成るという事でも無いし「生老病死」が完全に解決するわけでも無い・・・要は捉え方・・・その為に多くの階層との対話が大事だし、世界の実情が見えてくる。此を私は悟りだと思って居る。
2025年1月16日木曜日
ガバナンス・コンプライアンス????
最近、当然の様に、ガバナンス・コンプライアンス此に問題が有ると考えずに耳聞こえが良く、己の得になると言うことで使って居る感じがする、企業・組織・等々の「統治」「管理」「支配」と言う意味、これが劣ったと責める、国民も含め・・・・人が運営する組織、法人、確りの各々の個性の人格が有ると言う事・・失敗も・間違いも起すのが人間・・・統治・支配力の力を付ける方向を世間が支持していることになる。これがコンプライス今プライスと言う言葉で個人を責めだしている、勿論、有名な人、其れを国民も指示する方向に向っている。意味は法令を厳守して公平・公正に振舞うと言うこと・・・・
要は個人の自由・個性の制限・規制・・・有名企業・有名人を標的にして攻撃する。
以前も書いているが、傲慢で大きい事を成し遂げると、そのポストにたどり着かれたが。過去を知っている者は、凄い変化・丸くなったと思って何時が、大社長となった後、付き合った人は傲慢で我侭と言われる・・・この勢いが有ったので色んな勝負に勝ち残り、今のポストにガバナンスもコンプランアンスも後座利に斉唱したと言う事になる。この成功事例の感覚・価値観が抜けないのが人間・有名人も起業家も政治家も己の我欲、特に餓鬼・畜生・修羅道が強い人が成る。この成功経験が、最後は修羅の暴力に訴える事に成る。これが人間と思っているし常識と思っている。
ガバナンス・コンプライアンス等々の我を抑制する言葉、これがまかり通るようになると一般人まで当てはめられる事に成る。
要は規則通りに、間違いも失敗も無く生きる事を求められることに成る。この意向に成らないと排除、此は有名人を見ていると良く解る・・・
今後、中小零細偉業もこの流れに向うし、雇用うされている側にコンプライアンスが求められるし、過去の事まで大きな問題と拡大して行く・・・生き難い世の中に向うし、人は神では無い、失敗も間違いも起すと言う前提での、今目の前の人と関わっていくことだし、一期一会と私は思う。
帰宅に向け、進んでいる!!!
今日は透析日・・・3時近くまで束縛されるが最近は水が抜けにくい部位、私の場合、体の末端部に有る足先と頭になる。この部分からも水が抜けているので、靴も履きやすい方向に向っているし、以前なら2サイズ大きな物だった。頭の方も、朝目覚めたときのどんより感からスッキリ感に変化してきている。特に右目の視力でも視野が以前は中心部が全く白く濁って見えない上に、体調でその見えない範囲が変化する酷いときは右目が全く見えないという状態に成っていたが眼球を押す水の低減で、眼底が安定して保持できているためと勝手に思っている。脚の方も、昨日は素足、普段は包帯で加圧されているが、スムーズに履けた。問題は滑りが悪い包帯と言う事になる。加圧タイツを持っているが、筋肉が落ちすぎ、もも、脹ら脛は痩せ過ぎて、加圧タイツがユルユルの為、包帯になっているが、足先だけは確り加圧しているので、併用して、靴を履くことが増えたので、加圧タイツを使用し、加圧が足らない部位を包帯と考えています。
又、嬉しい事に、リハビリの先生から土曜日に自宅訪問して、家の状況を確認したいとのこと、その際、出来るだけ、家族を集める事、私も随行する事に成るので、その日は透析日なので時間の段取りが、どうなるか病院スタッフの協調性・チーム力が問われる。
透析での減水が怖いので、今朝から何も口に入れてない・・しかし、怖いだけで無い、私には長い間、忘れていた清々しさ等々の感覚が蘇て来ている。状況判断し、振舞う、笑うも無理して、この無理が苦痛になっていた。自然に笑顔になれる凄い治療だと思うし、病の怖さも思い知った。これ位、年だかと放置・・当然、症状が悪化していく・・・我慢できないと医療機関で診療・・・大病院なら良いが、垣根が低い、近場の町医者に行く・・・一般的な病名を言われ知立するが一向に改善しない・・・出来るだけ早く大病院で、精密検査等を行った方が良いし、この場合、町医者からの紹介状外の要るので、今までのカルテ・検査データーを大病院側も求めやすい・・・しかし、私の様に、倒れてからの病院、当然総合病院で緊急医療が出来るところに成る。そこで本当の病でないかという事が解り、その病気の知識が強い、病院に入院・検査等で、略間違いないとなり・・その判定が出来る病院として久留米大学病院に再度転院した。この時から新たな学びの期間になる。
捨てる神も居るし、拾う神も居ると言われている。私は、景気が悪くなり、嫁が保険の支払いが出来ないと成ったときに、全て解約せろと要っている、稼げる時は健康が前提、急に稼げなくなると言うことは事故以外無い・・・徐々に稼げなくなる。しかし、掛け金は一定・・・払われるわけが無い、書いたと思うが、最高、入院見舞金、一日5万円以上だった頃も有ると嫁が言っていた。延べの入院に数で言えば一年を超える、凄い保険金が来ていたと言う事・・・しかし今回は来ない、生命保険等の大きなものが無い為
しかし、拾う神がいた。車両保険、ファミリーバイク保険も付加して、掛けている。
今回は、バイク事故からの始まり・・・事故と病気との因果関係が難しそうだが、保険屋さんが頑張っておられるのか、嫁はハッキリ言わないが100万以上のお金が見た事も無い私の通帳に入っているようだ。家族が喜べば其れで良い・・・趣味も家族がケブタカルので家族が少しでも良いと思えるように、外に出ていた。
お金を使うことは、嫁から褒められることで無いので、地域の色々な奉仕活動等々を熱心にしていた。これが私の無知を大きく埋めた部分、世間の広さ、千差万別の人、けいして全く恩さじという人は居ないこと、これが現実だが、人を一極方向に集約し続けている。集約から漏れた人は、負け組としてどう処理するのか、殺す・生かす・等々色々有る。この現実が有るので、この流れに乗り遅れないと全ての人が焦っている。地獄図状態というのに築かないのか!!!!