2022年11月20日日曜日

世界基準・・・・道教レベル・・・

 先のブログに、日本国という事で書いているが・・・世界は???

人が泣いていれば、足で踏みつけられる・・・これが世界の標準になる。は~~~と思えるが、道教・道徳的な宗教が蔓延しているし、それで十分という次元が、人は動物の延長線上に有ると言う事に成るし、その差は少ないと言うことにも成る。結果、戒めや・罰で人を導くと言うより、道徳的に導くことが宗教となっている。

又、不思議に、この道徳を厳密に守らなければならない立場が弱い立場・・・強い立場は当然、従わない、己の理屈で上手に交わす方向になる。

理屈・言い訳が言えない立場は、この道徳部分を無理矢理・・要求される。

以前も書いたが、全て全能な神が創った世なら、何故、悪が存在するのか???勿論、居ても、周りに迷惑・被害を与えないなら良いが、物理的に問題を与える立場を何故創ったのか????

私は、神仏に何を与えたら???と考えている。お金???・・唯物的もの???・・・・己の行動で何が出来たか???当然、人様の為の思い・言動が私は大事だと思うし、神仏に唯物的なお金等々、与えても意味が無いと考えている。

勿論、人が営む集団・・お金は必要・・・人が運営するための資金を寄付するとなれば解るが・・・・現代は、この流れにも成っていない。

以前書いているが、高齢者・・・昔・オレオレ詐欺と言われてた。特殊詐欺・・・老人の中に騙されても良いと言う感覚が有る人が居る。

理由は実子等から、相手にされない・無視されている等々の思いが強く、高額な商品等々を購入する等々も、現実には腹癒せにわざと騙されている人も居る。

この様な事は、田舎に住んでいて、多くの独居老人等との関わりで、教えて貰い、感じてきたことになる。

実子の声が全く違うのに、騙される????・・・・・田舎育ちの息子が、親に、お金を無くした等々と電話・・・・我が地域で育ったなら、「のーらかした」と無くしたことを言う・・・この言葉が出ないだけで地元の人間で無いと直ぐに解る。

私が訪問しても、少しの声の違い、言葉の違いで、疑われる老人が多いのに・・・何故と思う。

私も、今は、終活に向かっている。何度か書いているが、実子と言う考えも薄れてきている。

孫も多々居る・・・今後も生まれると思う。

現代の価値観なら、利を与え・生まない人、逆に利を与え続け、面倒な尻拭きを続けている。実子は負を多く感じている。

私の為に、手を貸そうとする、言動を観ただけで、何か与えたいと思ってしまう。勿論、出来る範囲になる。借金してまでは無理・しかし、手元に有るお金なら、与えても良いと思える。

此も差別主義者の私だから感じるのかも知れない。

何の役も立たないのに、何か有ると、当然、利と思える事に対しては、権利を主張する。不思議な時代だと思う。

何かが狂いだしている。

日本人の恵まれた感性を、大陸的な二極の損得勘定・善悪論・勝ち負け論で縛り続けている。

親の借金、私は己、家の借金と考えていた・・・現代は関係ない、特に負に対しては、縁を切る等々、簡単に行う人が多い・・・利に対しては、無理矢理・・・権利が有ると主張し出す。

権利を言うなら、義務は果たしたのか????これが現代、問われない・・・・

泣いている人・・・人で対応を変える・・・

 私は差別主義者と自称している・・・勿論、一般的には差別は駄目だ言われるし、無意識な言動が平等で無いから、自称・・・差別主義者と言っているし、人としては三流だと思っている。

先のブログにも少し書いたが・・・泣いている人・・当然、色んな人が居る。

仮に、若/老・子供/大人・女/男・等々、人も違いが有るし、この違った人が泣いている。それ以外に、綺麗/汚い・実子/他人の子・等々・・・・好みや関係性の部分は、第三者からわかりにくい部分でも、当然、区別・差別を私は行う人と言う事に成る。

結果、人間で無い・等々、異端児扱いも受けるし・・除外・排除されそうにも成る。この現実・現象は平等なのか????差別主義者は、人権も尊厳も認めて貰えないのかと、私の周りの社会に思うことが有る。

勿論、社会の一般こ・常識は、平等が基本に有るとなる。これが事実なら・・蟻とキリギリスの説話も、以前は自業自得となるが・・・今は、蟻が受け入れ、皆で仲良く暮らしたに成っている。これが現実なら、血のつながり、縁のつながり等々、全く意味を成さないし、全然知らない人さえも、私が泣いていると、駆け寄ってきて、「どうされましたか???・・・何かお手伝いすることがないですか???」と聞いてくると思うし・・・将来・未来ヘの準備も必要ないし・・・後継者・子孫を残す等々も、お金の無駄使いになる事に成る。

要は、全ての人が利口な人を目指し、現実に利口な人の世界を目指している。100%が利口な人で構成された社会・・・・あり得るか????・・・私は有りえないと考えている。要は、馬鹿な人の必要という事・・・・

差別は駄目だと、堂々と言っている人達に伺いたい・・・先に書いた様な部分で、区別・差別を本当にしていないのか???

平等なら、他人も身内も垣根が無くなる事にも成る。身内だから・他人だからと言う区別も有ったら矛盾になる。

極端に書けば、己の命も、他人の命も、同じと本当に思えるのか????私は、己の命が大事だし、自己防衛本能で、己を守る方向に強く傾くと思っている。これを自称して口から言っている、正直に己の本性を言っているだけで、不利を感じさせる社会が、私の周りにある。何故か???平等だから???不平等だから????・・・・

答えは????・・・・

弱い立場・・・脆弱な立場・・・

 弱い立場・脆弱な立場等の言葉に対して、何をイメージするか???

力が無い、女・子供とイメージする人が多い・・・

仮に、誰しも困ることが有る・・・己の体が思うようにならない等々で、人様の手が必要なときが有るが・・・

以前、逝った母が言っていたが・・・高齢者は身綺麗にして、持物も一流で高級なものを身につけないと、誰も相手してくれない。

子供が泣いて、道に居たら、駆け寄る人が多々居る。同じ事で、若い女だったら・・・想像できると思う。

逆に、私の様に、人相も悪く、壮年で口煩いような風貌で、身なりも悪い・・・しがめた顔をしている、当然困っているからになる。駆け寄ってくる人が居るのか????・・・

私は、ブログにも書いているが、保育園年長組の孫と腕相撲で負けた。

数日前、次男宅で、物を持とうとしたら持てなく、小さな若嫁が簡単に持ち上げた。

難病指定の病を患っているから、仕方が無いとなるが・・・見かけでは解らないと言うことになる。

社会的にすり込まれた、常識・普通が有ると言う事に成る。

この常識・普通から外れている立場は・・・気付かれない・・放置されるとなる。

何度もブログに書いているが、行政や国という、大きな単位でのシステムは基本出来ている。

しかし、その運用するためには当然、人の手が必要になる。

この人は誰かが問題になるし、先の状態なら、気付いた人になるし、気付き難い立場の人は、当然、言動で助けてくれと表現しなければならない状態に成る。その表現をどう捉えるかは各自で違うし、面倒・煩いと捉える人も居るし、大変だ直ぐに手を貸さなければという捉え方に人も居ると思うが、現実にその様な人が、己の周りに居るか????・・・・居なければ、育てなければ成らないと言うことになる。

例として、墓を買ったから安心・・この様に言われる先輩が居られる。私は、誰が遺骨を納骨するのか???と問うと・・・無言になる人が多い・・・

仮に、納骨したいと言う後継者が居るなら、墓が無くても、墓を作ると思う。墓を買うと言う事は、後継者が当てに出来ないからになる。当てに出来な、後継者が、遺骨を納骨するか???・・・当然、その後の費用等々も誰が支出するかになる。

現状の状況・環境を観て、販売方法を思考する・・・現代なら、永代供養で初期の一時金で後は要らないとする方向になると思う。

しかし、我が村の納骨堂・・・この様な費用が要らない・・結果、連絡も取れない、遺骨が納骨堂内に多々有る。

勿論、掃除等々の、維持か管理は納骨堂が有る限り続く・・・今は、村の人が無償で、行っているが・・・これが何年続くか????・・・今の若い人が出来るか???

墓は、遺骨の捨て場程度の認識に、現代は向かっていると私は感じる。

この様な時代に、墓を買う・・・当然、後継者の育成も確り行っているからになるし、逆に行っていなければ、墓は有るのに、誰も納骨に己の遺骨を持って行かないと言う状態に成る。

私は、何時も思うのだが、強い立場を求め、一流や優秀方向を目指しているなら、当然、その都度都度にレベルはUPし続けていると思う。しかし、永遠な弱者の立場を求めている人も多い感じがする。

本性は、鬼で強いのに、か弱い・・女・子供を演じている。

現実は、弱くて、人様の手を欲しているが・・・誰も気付いてくれない。