2014年8月13日水曜日

コマッタちゃん未だ着ていない・・・・・

コマッタちゃん・・・・待っているが未だ来ない・・・

嫁の携帯に電話が有り、弟の施設に伺ってから来ると、言っているらしいが、場所は大牟田・・・・

今度は、暑いから、日が下がって涼しくなってから来るとの事・・・・

私には怖くて、電話が出来無い・・・・

価値観の違いが、私には理解出来無い部分が多い、助けてくれと電話をして、受け入れも色々有るが、時間を空けて待っている・・・・この事が理解出来無い・・・・・

涼しくなってから来る・・・・時間もアバウト・・・・・待つ身は大変・・・之を言っても理解出来無い人・・・・・・

時間の彼がどう使うか・・・・予想は出来る・・・・又、良い方向には成らないと考えている。

我家の予定を変更して、早速・・・明日の朝にお墓に連れて行き・・・・その帰りに駅に降ろして、大阪に帰そうと考えている。

自分の求める、権利は確り、強調する・・・・しかし、責任や他人に対しての真心等が全く無く、完全な事務的感じ・・・

私の父にも言えるが、何か頂いた、之を単純に金額と思っている・・・・・彼の為に北九州や色んな所に、施設を探す為に動いた時も、確りと、何を食べ・ジュースを何本飲んだとの記憶は凄い・・・・
その為に、1000円の仮が有る位の、発想・・・・

金額に代えるなら、仕事を休み、自動車を使い、高速料金もつかい、外食をしないでいいのに外食をした、私の行動に対する、対価の計算が出来無い・・・その為に恩を感じ難い人・・・・


父も、嫁に売店でジュースを買うと高いので、今の飲みたいから直にディスカウントショップから買って持て来いと言う人・・・・・・・・
私が見かねて、父にその事を指摘すると、たったこれ位の金額でガタガタ言うなと????私は解らない、たったこれ位の金額なら売店で購入しても良いはず・・・・

他の入院患者さんも居られるが大きいな声で、100円位の金額も出す事を惜しむのかと一喝・・・・親不孝な子供を持つと大変だと、言い出す・・・・・金が欲しいならと、100円を投げるように私に渡す・・・・・

この感覚に似ている。人の思いや行動を金額に変える事が出来無い、その為に感謝する事が当然と私は考えている。又、恩を感じる・・・・・

恩を受けたら、倍返しと私は考えている。勿論金額でない、行動も含みで考えている。

金額に変えられない部分が世の中には多いと思う・・・・しかし、今の時代、人の行動・心に対しての対価の考えが無い・・・・現実的に見えている物に対しての値段に成っている。

努力やサービスと思われる部分は、タダが当然・・・昔はその部分を恩という形で感じ感謝に繋がっていたが、最近は、タダはタダの考え・・・・・・

この社会構造の、価値観が、この様な人を生み出す・・・・・社会の犠牲者と私は考えている。

しかし、大変・・・・・

何時になるか、当てが無いが待つことに成る・・・・


お迎えの準備・・・終了

お迎えの・・・準備が終了した。

私の、爺さんと婆さんも、人の面倒見が良かったと、祖父たちを知っている人から言われていた。
母も、親分肌で、困っている人を、見て見ぬ振りが出来無い人であった・・・・

祖父達の事は、聞いた事で、実感が無いが・・・

母の行動は実感が有る・・・・


今亡き人達を、一杯面倒を見ていた。その都度、命令で私が動く事になるが・・・・・

嫁が、今度亡くなった老婆の初盆と言って、回り灯篭を準備した・・・・・

絶対に、母が皆を連れて来ると、言っている・・・・・・・

不思議な事に、母の命日と全く同じ日に老婆は亡くなった・・・・・因縁じみている・・・・

母が心配していた、三男と同じ歳の女の子・・・精神的に弱く・・・・我家に居ると安心できると言っていた子も、無理して自宅に帰した日に死んだ・・・・・母の死期が近づく、半月前・・・・・

その子が、母の最後の一時帰宅の際・・・・・母がもう長くない・・・之が最後に成るね・・・彼女に話していて、彼女が当然の様な顔をして、バーちゃんがあの世に行くときに手を引いてやると言っていた事が、未だに気に成る。

私は、霊的な部分は信じないタイプ・・・・・・しかし、嫁が言っている、皆を連れて帰ってくる・・・真実味が有る・・・・

母だけでなく・・・・母が関った、色んな人の顔が思い出す・・・・・

人の一生・・・・色んな事が有る・・・・一般に言われる良い事より、悪い事が多い人生も有ると思う・・・でも立派に生きた・・・此証明が、この時期のお盆と私は考えています。

残っている人達が、どう考えるか・・・・・過去の人達だが、その人達が居た為に、今が有る・・・・感謝の念くらい有っても良い様に偏屈な私さえ思う・・・・・



助かった・・・・一人減る

コマッタちゃんが一人増えると、考えていたら・・・・・

今度は、我家の大変さを知っておられる・・・・近所の釣り士のドッチボールの監督さんが・・・

長崎に、キャンプ・・・・釣り・・・・又雑誌の掲載の為に、行くとの事・・・・

中学校の四男を、連れて行ってくれるとの事・・・・・感謝

親らしい事をしてやる、事が出来難い・・・・楽しい思いで作りも大事だと考えているが・・・

親として当然の事さえも、中々出来無い・・・・盆の期間中は、誰か家に居ないと、参り客が何人か来られる・・・・・母が強い時は、爺婆で、上の子供達と旅行等して頂いた。

若い世代は、家を守る為に、一杯する事が有るが、母の口癖・・・・・

家を守る事が、一番大事と考えていた母・・・・・その守る事で、余力が私達夫婦には無かった、そのお手伝いを、母達がしていたという形に成る。

考え様では、母達は40代で御隠居様の状態だった・・・・・今の私は考えると、羨ましい・・・・

勿論、費用負担も基本、家を守る側・・・・・出来無い場合は、頼りない為に、母が出してやると言うスタンス・・・・・

逝った母は、幸せだったと今は考えているし 之が私も含め一家が幸せだった・・・・・

しかし、今回初盆の老婆の家族・・・・・お金は人にくれる位有ったが、結果は・・・・・可哀相であるし・・・・考え様では、自業自得と思うが・・・一家の柱が居なくなってから崩壊に進んでいる・・・・

人の生・死に関る・・・・何かが解るし、勉強も出来る・・・・

今の我家の、家長・・・柱は、父である・・・その父は、自分が良ければの人、家等の考えが全く無い・・・・・結果が今の状態・・・・


馬鹿息子が・・・・・

亡くなった、老婆の馬鹿息子が・・・・・・

嫁に電話・・・

予想は出来ていた為に・・・・前もって、確認していたが・・・・

生活の管理をして頂いているボランティア団体も、初盆、墓参り・・・理由は確りする・・その為に、九州に帰ってくる事は予想できていたので、前もって、墓参り行くなら・・・と電話を入れていたが・・・

盆期間中も作業所でお仕事等・・・・嘘を付いて・・・・私たちの申し出を断り・・・・・
老婆が貸し付けていた、人に債権の取立てを目的に帰ってきている・・・・・馬鹿・馬鹿・・・・・・

人を上手に騙す事の出来る人が、老婆の債権者・・・・鳥栖駅で待ち合わせしている、当然来る訳が無い・・・・

その人から幾ら成り、取り立てて、そのお金で遊ぼうと、浅知恵・・・・・・・

管理している、団体も、日帰り位の、費用しか渡していないはず・・・・・・喧しく、怒られると解っている我家に電話する事は・・・・・・本人が予定していた状態に成らなく・・・困り・・・電話をしていると思う・・・・・馬鹿・馬鹿・・・

彼も家にお金が、沢山あった時には・・・・色んな人からチヤホヤされている・・・その人達に助けを求めてる事が本筋と私は考えるが・・・・・・現実には一番価値観が違い・怖くて・怒られると解っている我家に助けを、求める・・・・

この様な人は、誰かが処理しないと、考えるという方向はしない・・・・・・自分の縁の有る場所を回り、色んな人に迷惑をかけ・・・・結果、見て見ぬ振りが出来無い人に、お世話に成る・・・
救いは凶暴性が無い部分・・・・

自分で柳川駅に来ると思う・・・・・我家も盆期間中は、色々、予定が有る・・・・暫く、面倒を見る事に成った。

ボランティア団体も盆休み・・・連絡が付かない・・・・・・


又、貸しの有る、人に頼れば、又大変な事になる・・・・その様な人は、損する事を非常に嫌う、その為に無いか、悪知恵で得を取ろうとする・・・・彼の周りも、ヤット、善意の人達で、囲まれて来ているに・・・・又、変な輩と関わる事が、彼に良い方向には成らないと私は考えている。

各自レベルが違う・・・・仮にレベルの高い方が、低い人をカバーする世の中なら、問題も減る・・・・・・
しかし、現実には、レベルが高い事は、人のお世話・人の苦労を買う・一緒に問題の解決方向に歩む等が本来の姿だとも知らない人が多い・・・・
逆に、レベルが高い分、レベルの低い人を、自分勝手に使う事が出来ると考えている人が多い

馬鹿な彼を、又私が・・・・・私も馬鹿となる時代・・・・

彼も凄い部分が有る、電車・バス等の公共機関等の利用が出来る、私は、不安が有り出来無いが、又、瞬間的に数字を暗記する・・・・特に欲にかられる、通帳等の、番号の記憶は天才的・・・・・
その為に、言葉も正確に記憶している、しかし、意味の解釈が・・・問題、・・・
人は、心中と言葉は違う人が多い、心では軽蔑していても、顔で笑って、凄いですね等、簡単に言うし之が当然の世の中に成っているが、之を素直に受け止めてしまう・・・之が、社会と順応出来無い部分・・・・しかし、考え様では、彼の方が正しいと私は考える時が有る。人の話を素直に真実として記憶してしまう・・・・・可哀相でも有る

私も、馬鹿と言われる事は慣れている・・・・四流以下の人間、苦労も多い事も当然だと考えている。又・・・この状況を楽しみたいと考えている。勿論、一流に成りたいとも考えていないし、今の時代の一流と言われる人に、魅力も感じない・・・・

しかし、目に見えない部分で、命の次元で一流という人は多い・・・・その人達には尊敬している・・・

盆の期間、又、一人・・・・コマッタちゃんが我家に増えるが、大家族の我家・・・・子供達も協力をしてくれる・・・・感謝・・・・・

しかし、駅に着いたとの連絡が無い・・・之も不安・・・・










ボディの重さ・・・

昨日・・・時間の合間にボディ有る・無しで練習・・・・・テスト・・・・検証

遊道楽さんでのテストでも、ボディが搭載と、無しとでは、その時、一緒したお客さんの目からでも、全然動きが違っていた。

私の車の場合、ボディが全重量の12%程を占めている。

約150gの重量が、走行の部分で多大に影響している・・・・・

勿論、重い事は動きに対してアンダーになる・・・その為にハイグリップタイヤが必要にも成るが、現実のRCドリフトの世界、グリップが高いタイヤとは到底思えないタイヤを使用してる。

ツーリング系の先輩達も、ハンディでウェートを乗せる事が有るが、アクセルを入れる量も増えるし、立ち上がり等の加速は楽に感じるが、結局ラップタイムは遅くなるし、基本アンダーに成ると言ってあった

実車系の先輩も・・・同じ様に言われる・・・・・・

RCドリフトは、特殊な考えが有ると、昔の私は考えていた為に、意見が合う事態、今は不思議・・・・

昨日の練習で、矢張り、ボディが乗ると全てに大袈裟な操作をしないと動かない・・・・加減速・左右の動き全てが、動き難い・・・・・しかし、一旦動き出すと、慣性が強く、今度は止まらない・・・・

勿論、私の技量が下手の為に、この様な感覚に成るのかもしれないが・・・・

ボディを乗せると、今の舵角だと、左右にフロントも入れられない・・・・しかし、舵角を少し増やすだけで、ボディを搭載しても動くようになる・・・・・

私は之が、何故となる・・・・・勿論、ドリフト以前の部分・・・しかし、グリップ走行が出来る・・基本だし、之が出来るから、ドリフトの凄さが有ると思う・・・・・特に2駆の場合、

ケツカキはドリフトに特化している為に、グリップ走行が出来難い・・・・仕方が無い部分も多い・・・

此、違いの部分がケツカキと2駆の、違いだと考えている

簡単に言えば、2駆は、グリップ走行が簡単・・・・ケツカキは、グリップ走行が難しい、この事は2駆はブリップ走行、当然出来る・・・・・・・・ケツカキはグリップ走行、凄いと成る

私はこの様に考えています。

ケツカキは構造上・・・・私の場合、妥協する部分が多々あった・・・

この妥協が・・・スッキリしない・・・・その答えを探す為の2駆だった、しかし初期の2駆の取組みの中で、又妥協の部分が増えて行く、勿論、自分自身の技量不足が原因だが、妥協の産物に2駆が成り、結局、見栄で2駆で走れる、凄いだろうと成る方向に成って行く・・・・女々しく感じて、結果、封印・・・・

趣味のRC、自分が納得、楽しい部分が大事・・・・之が無ければ、結局、人との対比の部分で楽しむ事に成る。又強くなる・・・・之は対比、勝ち負け・凄い劣っている等の考えに成らざる負えない・・・・・

妥協の範囲も、各自で違う・・・・

しかし、不思議に、私は、ケツカキは妥協の産物と思っていたが、2駆を経験する事で、少し感じ方が変わってきている。
ケツカキは止める方向に非常に強い・・・単純に巻かせれば止まる・・・・之が魅力に見える様になってきている。勿論一人で走っては面白みは2駆に比べ低いが、人との絡み、追走の部分では、心の遣り取り等が出来易い・・・
集団で、団子、ライン等無い、皆バラバラだが集団でコースを周回する、各々のスタイルで走るこの部分は、ケツカキが非常に優れていると考えています。凄い魅力だと考えています。

2駆は、グリップ走行が当然出来ると考えると、その時のフロントの動きがアンダーかオーバーが気に成る。操作側が主体者でその部分を確り演出できるかが問題と考えています。

この微細な部分で、大きくステア操作をしないといけない車なら・・・車が動き難い車に成る・・・この延長線上で、ドリフト中の動きも想像が出来る・・・・

2駆の本来の動き、機敏・軽快・・・・この部分を殺す、セットに私はしたくない・・・・・

自分自身の思いを、確り前に出す、勿論、褒める人等、居ない・・・・・・・之が世の中・・・

しかし、自分自身が納得出来無い事を長く続ける為には一人で出来無い、人に依存する形に成る・・・・・・

目に見える部分以上に、心いや違う、命の部分でどう感じるかが大事だと考えています。

車にも命が有る・・・その命を尊重して、其れに答える操作をする。勿論受身的考えでなく、相互が限界部分で強調する・・・之が車の操作の本当に醍醐味だと考えています。

之を求めている為に、分相応の車・・・・・